第2話 釜茹で未遂

光なき目は俺を見ていた。

この子の瞳に、産まれて初めて見る同族はどんな風に映るだろうか。

怖いだろうか。今まで見た事がない、想像もした事がない化け物の姿をしているだろうか。

扉から顔を出してこちらを窺う幼い子供に、俺は同情を禁じ得なかった。

この子の視線には恐怖が帯びている。瞳にはこちらを推し測るような、分析するような冷徹さすら垣間見えた。

この子はそうやって生きてきたのだ。俺のようにぬるま湯に浸かって生きてきた訳ではないのだ。

本当の意味で修羅を潜り抜けて、必死で生き抜く事だけを考えて行動してきたのだろう。

「俺はバリュ。この家は俺の育ての親から受け継いだ。生まれはたぶん…この辺の森。本当の母親は誰かは知らないし、父親ももちろん知らない」

俺は畳み掛けるように、早口に、簡単に、自分の事について話した。

親近感を持って貰えれば儲けもの、怖がらなくて良い存在だと思って貰えれば御の字だ。

俺は子供と話すのは、産まれて初めてだった。同年代はおろか、自分より二十以上年下の子供を、それも同族の子供を見るのも初めてだった。同族と認識して貰っているのかも定かではないが。

何を話して良いのか分からなかった。ただ、怖がって欲しくなかった。

俺は昔から怖がられた。

森にいる精霊たちはもちろん、木々ですら俺を忌み嫌った。

母さんだけが俺を優しく受け入れてくれた。母さんだけが俺が生きていて良い証明だった。

この子にはそれがない。人生の大半を人間から逃走に費やしたであろうこの子には、そんな存在は居ないのだろう。

ならばこそ、俺がそうならなくてはならない。俺はこの子の、恐らくこの地上における唯一の同族であるのだから。

「君の…名前は?」

「……レーラ」

俺の問いに、少し俯(うつむ)きながらか細く、小さな声で彼女は言った。

レーラ…いや、レイラ…か?親がつけた名前だろうから、意味が込められていない訳はない。

レーラという単語に思い当たるものはない。だが、レイラならある。

春に咲く花の名前だ。

秋に受粉し、種のまま地中で冬を越える。そして、春に咲く淡い緑の花を咲かせる。

遠目からでは他の草の中に溶け込んでしまうため、見つけるのは至難の技で、探し当てるだけで日が暮れるとまで言われる代物だ。

(我が子の幸運を花の名に乗せて願ったか…)

ふと、そんな考えが頭を掠めたが、俺は会話を続けた。

「そうか、レイラ。……風呂に入らないか?何日も身体を洗っていないだろう?」

レイラはまさに、その身一つで逃げてきたと言わんばかりの所々、土か泥かが付いたぼろぼろの服を着ている。不衛生な事この上ないのは明らかだった。

「で、でも…ここに人が居るってばれちゃうよ……」

手をちぢこませながらレイラは遠慮がちに言う。風呂を沸かすには釜に薪を入れ、火をつける。その際に煙が出て、この森に誰かが生活している事が白日の元にさらされる事を危惧しているのだろう。

だが、その心配は無用だ。

俺は身を屈めて、レイラと視線を合わせる。

「大丈夫だ。実は、俺のお袋は魔女でな。ここは魔女の家なんだ」

「えっ…?」

レイラはぎょっとして目を見開く。

反対に俺は満面の笑みで言葉を続けた。

「だから安心してくれ。誰にもバレやしない。最高の浴場が君を迎えてくれるよ」



俺はレイラを連れて浴室の前に繋がる洗濯部屋に行った。

風呂掃除はしてあるし、身体の汚れを落とすための自家製の洗剤もある。

「少し待っててくれ。今、湯を出す」

俺はそう言うと、立て掛けてあった杖を手に取った。

レイラが少し目を丸くして、こちらを見つめる。

俺は杖を握り、浴室の扉に向けて呪文を唱えた。

「レブラ・イ=ゴール《魔法陣、起動せよ》」

フスゥゥン…!

俺の呪文と共に、扉に刻まれた魔導文字がかすかに光を発し始めた。

母が生前作った魔法陣が起動したのだ。

ジョボジョボジョボジョボジョボ……

浴室から激しい水音が聞こえる。

「中を見てみる?」

「中…?」

俺は目を丸くして驚いているレイラにそう声をかけると、浴室の扉を開いた。

すると、そこには何もない空から水が溢れ出て、浴槽に貯まり、それがもうもうと湯気を上げる光景があった。

浴槽にも内側にも外側にも魔導文字が刻まれ、それは扉に刻まれたものと繋がっており、光を発している。

「うわぁぁ……」

思わず、感嘆の声を漏らしたレイラのに、俺は少し、微笑ましく思った。俺も初めて見た時は同じような反応をしたものだ。

「さぁ、服を脱いで。綺麗にしておいで」

俺は目を真ん丸にして輝かせる小さな客人にそう声をかけた。


母は湯に浸かるのが好きだった。

だが、それと同時に極度の面倒くさがりでもあった。

わざわざ、水を汲んでくるのも面倒、その水を沸かすのも面倒という人だったが、毎日風呂に浸からないと眠れないと言い出す始末だった。

それが祟ってこんなものを作り出してしまった。

呪文を唱えるだけで浴槽の真上の空間から水を生成し、浴槽に水が流れ落ちるとと共に熱してお湯にする。

本当に才能の無駄遣いな事をしたものだ。

魔力を操る事が出来ない俺に使えるようにしてけれたのは気を利かせてくれたのか、はたまた、自分が作業をしている最中、俺に風呂の準備を頼めるようにするためだったのかは分からない。

だが、本当に便利なものである事は間違いない。



小さな客人は泥や汚れのこびりついた服を脱ぐと、一目散に浴槽の中に飛び込んだ。

お湯を一定の水位まで満たすと、魔法陣は起動を停止する。これも、母がいちいち止めるの面倒くさいとの事で、付け足した機能だった。

お風呂に入れると、喜んでの事だろうが次の瞬間、大きな叫び声を上げた。

「あちぃぃぃい!!!」

慌てて駆けつけると、そこには身体を真っ赤にしながら、飛び出してくる幼女の姿があった。

忘れていた。母の定めた温度は高いんだった。

何千年も生きる魔女ならどうって事は無いだろうが、幼女を釜茹でにするくらいには適切な温度である。

「あぁぁ!ごめん!熱いな!ごめんな!えっと、えっと、ちょちょちょちょ………」

俺は慌てながら、涙目になっているレイラの手を引き、キッチンに連れていく。

キッチンの隅には母が良く呑んでいたラム酒の瓶が真っ昼間からでも呑めるようにと、入れっぱなしにしてある氷の塊大小二十四個が溶けないように、これまた魔導文字を刻んだバケツが無造作に置かれていた。

俺はそのバケツを掴むと、またレイラを連れ回し、浴室に戻ってくると、そのバケツを浴槽の中にぶちこんだ。

ドボドボドボドボドホドボン…

浴槽の中の高温のお湯は、もうもうと発していた湯気を潜ませ、かすかに細い湯気が立ち上るのみとなった。

これで釜茹でにならなくなったはずだ。

「ごめんよ…はぁ…これで…はぁ…冷めたはず…はぁ…だから…はぁ…」

俺はいつの間にか呼吸を荒くしていた。

「うん……熱かった……」

「ごめんな!ごめんな!ほんとにごめんな!」

皮膚がピンク色になってしまった幼女に、弁明するも、もうその顔は俯き、むすっとした顔をしている。

「じゃ、じゃあ…か、身体…洗おっか……」

このままではまずい。物凄くまずい。

このまま一緒に暮らすしか無い以上、初日の印象はとてつもなく重要である。

これではただ、自分を家に連れ込んで釜茹でにしようとした糞野郎という印象しか残らない。

(色々…外の事とか聞きたいし……機嫌損ねたく無い……)

そんな俺の打算的な心情を知ってか知らずか、レイラは眉間に皺を寄せながら俺を見つめていた。

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