第8話 大団円
先代は、近親相姦を気にしていた。それは何も、
「近親相姦が悪いから」
というのではなかった。
その逆で、
「近親相姦を気にしている輩が多いと聞くが、何が悪いというんじゃ」
という意識であった。
ただ、ある程度まで病気が進んでいることもあって、最期の方は、見ているだけで、お気の毒とさえ言われるほどに、意識が憔悴していた。
本当にボケてしまったかのように、その言動をまともには信じられないほどになっていたのも事実で、
「先代は、このご遺言を書かれたのは、1年半くらい前になります。皆さんご存じのように、半年前くらいから、先代は考え方も言動もいい加減危ないところまで来ておりました。そういう意味で、いつ、倒れてもおかしくない状態だと、医者からは言われておりました。しかし、先代は、皆さんには言うなとおっしゃっていたんですよ。心配も掛けたくないという意味でですね。いや、もっといえば、その考え方は、この遺言に受け継がれておいでだったのかも知れません。正直、私もこの遺言書の内容は知りません。ご相談を受けたこともございません。だから、読み上げている私は、最期には気を失ってしまうのではないか? と思ったほどでした。皆さんが、先代のことを気遣っておられることも、先代はご存じでした。ただ、これはれっきとした先代のご意思なんです、そのことはしっかりと分かっていてください」
と、坂下弁護士は、そういうのであった。
坂下弁護士はそう言いながら、視線は一つに集中していた。
その視線の先というのが、自分のすぐ横に鎮座している相模氏だったのだ。
相模氏は、何事もないかのように落ち着いている。正面から見ている家族の人たちは、そんな歪な弁護士の視線に気づかないわけはない。
「どこ向いているだ?」
という漠然としたものではないだろう。
本当であれば、家族みんなに話をしているはずなのに、その目線が注がれているのは、相模氏にだった。
家族の半分が、弁護士を見つめ、その様子を、
「おかしいな」
と思っているようだが、残りの半分は、その視線の先にある相模氏を見つめていた。
それぞれの目線は、特徴があった。
弁護士を見ている人たちは、弁護士に対して、怒りのような表情を向けている。
「このような大切なことを話している時、よそ見をしているとは、どういうことだ」
とでも言いたげなのだあろう。
しかし、視線の先に向けられた相模氏を見つめているその目は、
「見つめられているのに、どうしてそんな無意識でいられるんだ? 普通だったら、もっと緊張したり、見つめられることで苦痛を表す表情になってもいいのではないだろうか?」
という、そんな疑問の表情になっているようだ。
普通だったら、その視線を、それぞれに定期的に向けている人がいてもおかしくないのに、まるで、
「目線が金縛りに遭った」
かのように、最初に見つめたその先から、目線を切ることはできないのであった。
そんなことを考えていると、
「相模氏と、坂下弁護士のこの視線、坂下弁護士からのものだけのように感じるが、顔を向けていないだけで、相模氏も、坂下弁護士を見つめている。だから、一度合わせてしまった目線から、どちらを見ていたとしても、切ることはできなくなってしまったのではないだろうか?」
と、考えることもできるのであった。
この場の、主人公でないはずの二人、一人は司会役で一人は黒子に徹しているはずの二人が、逆に自分の役に徹するがあまり、視線の先から、誰もが目を離すことのできない、一種異様な空間を作り上げてしまったのではないだろうか?
さて、弁護士と、この参謀ともいえる、相模氏の関係は、
「火に油」
のように見えていたが、実はそれは、まわりを欺く仮の姿だったようだ。
先代を中心の、
「トロイカ体制」
まさにその通りだったわけである。
あまりにもその通りであれば、今度は、まわりが二人に対して疑念も抱かなくなり、
「抑止力」
が利かなくなる。
これが、先代の作戦であった。
そんな状態を作り上げてきた先代が、遺言で、なぜこのようなことを書いたのかということは、もちろん、坂下弁護士も、相模氏も分かっている。本来であれば、今まで必死になって隠してきたことだったのだ。
だが、せっかく今までうまく隠しきれていたのに、先代が死んでしまえば、いくら坂下弁護士と相模氏が頑張ろうとも、効き目はない。
「弱肉強食の世界、お金が必要だ」
ということで、丸め込むには、
「遺産を分けてやるのが一番」
だったのだ。
「老いらくの恋」
という言葉があるが、まさに、先代は、一人の娘に恋をした。その相手が、和子だったのだ。
元々、長男の許嫁のようなものであったが、先代は、きれいに育った和子に、昔の初恋の娘を見たのだった。
先代が、今までの人生で、
「この秘密は墓場まで持っていこう」
と思ったのだとすれば、このことだったのだ。
だから、これがバレては、世間体も悪いし、厳格な先代は、
「死んでも死にきれない」
と思ったのだろう。
しかも、自分に輪をかけて潔癖症の長男が、そんなことを知れば、何をするか分からないということになるだろう。
先代とすれば、
「和子か、清秀のどちらかには死んでもらうしかない」
という気持ちを持ったようだ。
しかも、それは、自分が死んでからのことだった。
相当悩んだことだろう。
和子に対しては、禁を破ってまでも、好きになったことで、愛してしまった相手。本来なら、自分のこの手で殺したいくらいの相手である。
「心中ということになるか」
と先代は呟いたことだろう。
ただ、
「殺すくらいに悩んでいる相手であるのだから、最初からあきらめることもできたのかも知れない」
と思ったのは、余命いくばくもない命の中で、相当気が弱っていたからであろう。
そうなると、もう後は、息子に死んでもらうしかない。
ただ、これも手塩にかけて、後継者として育ててきた相手ではないか。いくら、次男がいるからとはいえ、次男では、まだまだ心もとない。坂下弁護士や、相模氏がいるから、しばらくは大丈夫だろうが、二人がある程度の年になってくると、あてにならなくなってしまう。
その時になって、次男が、会社の屋台骨を背負えるだろうか?
そんなことを考えていると、にっちもさっちもいかなくなり。頭の中が混乱してくるのだった。
もちろ、すべてを知っている坂下弁護士や相模氏にも相談をした。
しかし、先代のいうように、
「どちらか二人のうちの一人を葬る」
というのは、あまりにも突出した考えで、奇抜すぎると思ったが、それ以外に、
「いったいどうすればいいのか?」
ということを考えると、先がまったく見えてこないのであった。
それが、まだ、先代の存命時代のことであった。
だが、先代も、ただ、
「自分の妾」
というだけのことで、遺産を譲ることにしたのだろうか?
「まさか、彼女は、柳沢家に関係の深い人なのかも知れない」
ということも考えられる。
もっと言えば、
「遺産相続に値するだけの血縁?」
ということになれば、近親相姦という問題もはらんでくる。
先代は、厳格ではあったが、近親相姦に関しては、さほどこだわりはない。だから、
「この秘密は墓場まで持っていこう」
という考えの元に、誰にも悟られないようにしていたのではないだろうか?
和子に対しても、最初は、強引だったのかも知れないが、次第に彼女も先代を受け入れるようになった。それを、
「女の性」
ということで片付けられるのか、和子自身にも分かっていなかっただろう。
では、和子の旦那である、清秀を殺したのは誰だろう?
清秀は、どこからか、和子が先代と関係があることを知った。そして密かに和子のことを探らせると、自分との関係が、
「近親相姦である」
ということまで知るに至ったといってもいいだろう。
そんな中において、遺産相続の問題が持ち上がった。しかも、先代は自殺だったというではないか?
「余命も分かっているのに、何ゆえ、そんなに死に急ぐというのか?」
と考えた。
厳格なところは、実によく似通っている自分と先代だったので、
「余命宣告を受けた時は、最初はショックだったようだが、開き直ると、今までできなかったことをすると思えたのだと、本人が言っていた」
「ああ、あの先代ならそうだろうな。俺だってそうだろうから」
と考えたのだった。
そして出た結論は、
「和子に対しての罪滅ぼしのようなものもあったのかも知れない」
ということと、
「何か、誰かに死ななければならないことを吹き込まれたのかも知れない」
ということであった。
さすがに死が近づいている先代が自殺をするくらいなので、口では開き直ったことをいいながら、精神的には相当にもろかったのだろう。
「ひょっとすると、近親相姦に当たるということを、その時に知ったのかも?」
遺言書を作った時には、和子を、自分の妾にしてしまったことに対しての罪の意識と、息子に悪いという気持ちから、財産をたくさん分けてやるという単純な思いだっただろうが、まさか、彼女が近親者だったということを思い知らされると、すっかり気弱になっているところだったので、自殺も衝動的だったのかも知れない。
「では、先代に、和子のことを話したのは誰だというのだろう?」
そのことも、捜査が進むにつれて分かってきた。
それは、次男の嫁の聡子だった。
彼女は、和子を脅して、すっかり自分の味方に引き入れた上で、旦那の悪口を吹き込み、さらに決定的なこととして、近親者であることを告げたのだろう。もちろん、先代に密告したのも聡子だった。
遺産の分け前に預かれなければ、どうしようもないということで、先代には、ギリギリまで何も言わなかったのだ。
そこで、余命から考えて、遺言書を書き換える暇がないところで、近親相姦を打ち明けた。
ひょっとすると、自殺も考えにあったのかも知れない。
罪の意識はなかった。
「どうせ、すぐに死ぬんだから」
という思いである。
そして、和子にも同じことを言った。
和子とは、旦那が自分をどう思っているのか、いつも疑心暗鬼であった。元々口数の少ない旦那だったが、最近では、特に何も言わなかったのだ。
そんな旦那に対して、
「ストレスのほとんどを費やしている。このままだと、私は孤立してしまう」
と、先代が自殺したことも、自分の責任だと思い込んでいて、悩みに悩んでいたところに、聡子からの余計な忠告だった。
自分の身の上を知り、愕然となった和子は、最初は、心中するくらいのつもりで、旦那を殺したのだった。
これは、聡子だけの計画ではない。途中から、共犯者がいた。それが、かすみだったのだ。
かすみは、遺産の分け前が少ないことを、聡子にほのめかされ、
「長男がいなくなれば、分け前は多くなる」
ということで、
「自分の手を下さなくても、精神的に。兄嫁を追い詰めればいいのよ」
といっていた。
聡子はそのために、単身海外にいる、かすみを一度訪ねたのだ。
そして、かずみは手紙にて、聡子の思惑通りに追い詰めることになった。この時代の手紙の効力は結構なもので、相当なショックを与えられたであろう。
さらに、和子の性格からして、その手紙を取っておくことはせずに、すぐに処分することも分かっていた。
となると、かすみの関わった証拠は残らない。
動機は、やはり遺産相続に関わることであったが、それ以上に、義兄である清秀に、聡子は蹂躙されたのだ。
「血は争えないとはこのことだ」
と、元々や進化の聡子を、悪魔に変えたのだった。
それは、この家、柳沢家の血というものなのだろう……。
こんな小説を書いて、新人賞に応募したが、なかなかうまくいくものではない。二次審査で落選してしまった。この作品の生みの親は、
「坂田吉助」
という男性で、今は自費出版して、フリマなどで、細々と売っている。
「この話、結構簡単に思いついたんだよね。時代背景を戦後にしたのは、ちょうど近親相姦だったり、遺産相続関係の話を書きたいと思うと、こういう話を書いている作家先生を思い出し、俺も書いてみたくなったんだよね」
ということであった。
今の時代は、令和三年。時代設定から60年以上先の時代である。
その間に、いろいろあったのだろう。この作家志望の坂田という男も、ウスウス、自分が昔、近親相姦を繰り返してきた一家の末裔であるということを、知らず知らずのうちに、自分の作品に籠めるのだった……。
( 完 )
パンドラの殺人 森本 晃次 @kakku
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