後編

 いつだってサラの好意に応えようとしなかった――応えられなかった――ギルの告白に、もはやサラは泣いていいのか笑っていいのか、もう分からなかった。


「私だってそれは同じだわ。人でなくても、何があるか分からないじゃない。大切な誰かを心配する気持ちはみんな同じ」

「違う。違うんです。あなたにはいつか終わりがある。だからあなたが感じた苦しみにもいつかは終わりがくるでしょう。ですが、私にはそれがないのです。もし、あなたの死後、私が処分してもらえなかったら? 私に、いずれ訪れる苦しみを永遠に味わえというのですか?」


 なんて傲慢な機械人形。


 ――じゃぁ、彼がいなくなったら私は? ……私の、苦しみは?


 主人の気持ちなど二の次に考えている、ひどい機械人形。なんて残酷な男。


 サラは立ち上がった。そしていつものように高慢な眼差しでギルを見上げる。


「やっぱり意気地なしね……いいわ、好きなようにしてあげる」


 きっとあの記憶保存機ダイアリーを持ってきた時から彼は心に決めていたのだ。

 だが、何故今なのだろう、と思わずにはいられない。来年でも、再来年でもいいではないか。

 たとえ彼が、明日サラが死んでしまうという不安に苛まれていたとしても、二人でいる方がずっといい。


「これは私の希望的観測にすぎないけれど……」

 サラは部屋の隅にある、彼女にしか開けられないようになっている金庫へと向かいながら、背中のむこうにいるギルに声をかけた。あの金庫はギルを受け継いだ時から開けていない。

 開ける必要が来るとは思ってもみなかった。

 金庫の中には小さな細長い鉄の棒が一本。よく見るとかすかなへこみがあり、鍵のようになっている。


 サラはそれを取り落とし、床に転がしてしまう。

 指が震えているのだ。


 息をのみ、唇をかみ締めると、サラはそれを拾った。振り返ると、ギルはこちらをじっと見つめている。


「私が明日結婚しなければならないから、ということも理由?」


 いや、もう、今日といった方がいいのかもしれない。時計をちらりと見ると、午前三時になろうとしていた。

 ギルはまるで眩しく輝く光のかたまりを見るかのように、目を細めて、歩み寄るサラを見つめた。そして、しばらく間をおいてから、「いいえ」と答える。


「嘘よ」

「あなたがそう言うのなら」

「命令じゃないわ。あなたの本心がききたいの」

「それは先ほど述べました。あなたの命が終わる瞬間だけは見たくない、と」


「そう」


 サラはギルの前までやってくると、彼をじっと見上げた。光にさらされ、彼の瞳はどんな宝石よりも高貴な輝きを放っている。

 ギルの手がおそるおそるといった感じで、サラの背中にふれた。じっと見上げるサラに、ギルの顔が近付いてくる。


 初めての、ギルからの口付け。

 だが、あとほんの少しで二人の唇が重なる、というところで、彼は動きをとめた。


「あなたといる時、私はいつも自分が自動人形であることを後悔していました」

「どうして後悔なんてするの? 私はギルが自動人形でも後悔なんてしたことはない」


 ギルは何一つ見逃さないとでも言うように、サラの瞳を、鼻を、唇を、くいいるように見つめている。


「あなたはきっとそうでしょう。そう、ヒトだとかそういう問題ではないのかもしれません。ただ、あなたは強くて、私は弱かった。私にとって境界は絶対で、越えることはできなかった」

 サラの背中にふれていた手が離れた。


 強くなんかない、とそう口にしようとしたが、彼の顔が遠ざかってゆくのが許せなくて、言葉を発することなくサラは彼の頭を引き寄せると、唇を押し付けた。固くて、少し油の匂いがした。


 目を開けると、彼も目を開けてサラを見ていた。

 美しくも哀しい双眸が、だが喜びに満ちているのを見て、サラはふっと殺意にも似た激しい感情を覚えた。そこにあるのは、触れ合える喜びではなく、このまま、この甘やかな接触を最後に自分を終えることのできる喜び。


 ――本当に、最後まで意気地なしで、残酷な男。


 そして、冷たい唇に触れながら、手にあった小さな鍵を衝動にまかせて彼の身に埋める。


 その瞬間、彼は機械人形とは思えぬほど、美しく、幸せそうな満ち足りた笑みを浮かべたように見えた。それは、本当にわずかな一瞬のことで、もしかしたら気のせいだったのかもしれない。


 そして、その次の瞬間。


 ――一番最初に死んだのは、菫色の双眸だった。


 彼はいつものあのぎこちない笑顔のかたちのまま、虚ろな目をしてサラの方へと倒れてきた。

 彼の重い体を支えきれずに、サラは身をかわす。

 硬くて重い体が床にぶつかって大きな音が部屋中に響いたが、すぐに寒々しい沈黙が広がった。

 そして残ったのは、明るい陽射しの下で、古ぼけた外観を容赦なくさらけだすただの人形と、サラとは無関係な記憶を記録した思い出の箱だけ。


 だが、その記憶保存機ダイアリーのランプの一つが点灯している。サラはそれが、再生が最後まで終わっていないことを示しているのだと気付いた。


 しかし、確かに先ほどまでその点灯はなかったはずだった。


 一体どういうことかと訝りながらも、これには何か意味があるのだと確信を持ち、それをそっと装着した。

 目を閉じて、やがて映った自分の姿に、サラは驚いて口元を抑えた。

 眩しい光が満ちる部屋の中、時計を目にして憂鬱そうなサラ。これは、つい先ほどのものだ。


 ギルの視点がとらえた時計の時刻は二十二時。

 そんな顔をしているつもりはなかったのに、サラはどう見ても幸せとは程遠い表情でぼんやりと窓を見ていた。

 サラを見つめるギルの思いに、彼が言っていた『怖い』なんて感情は少しもなかった。少なくとも、この時は。

 ひたむきで強い愛情と、手の届かない憧れ。自動人形であることの後悔。そして主人である少女を想うがゆえのたった一つの哀しい決意。


 ――私の存在があなたを苦しみに縛り付けている。


 そして……喜び。


 彼は、サラが自分への想いのせいで苦しんでいることを苦しむと同時に、間違いなく喜んでもいた。


 やがてカップを持ったメイド型自動人形がギルの側を通り過ぎたところで映像は終わった。


 記憶保存機ダイアリーをはずすと、サラは涙の滲む唇をかみ締めながら、倒れたギルを見たが、すぐさま顔をそむけると、外の人工陽光を調節するリモコンを手にとった。

 しかし光を消そうとして、ふと手をとめる。

 そして、リモコンをソファーへと投げ捨てた。


 それから、サラはその廃棄品ゴミを、ずっと、じっと見つめた。


 やがて目が熱くなってきて、かたく閉じる。


 その目蓋に映るのは、廃棄品の自動人形オートヒューマンでもなく、瞳をきらめかせた、サラの、サラだけが知っているギル、だった。



 ――もうここにいる意味はない。



 目を開けたサラは振り返ることなく部屋を後にし、そこには、もう二度と作動することのない壊れた機械だけが残された。



 やがて彼女が姿を消した扉の向こうからかすかな声が響いてきた。



「赤い? きっと埃が入ったせいよ」



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Diaries マエ乃エマ @emaskii

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