Diaries

マエ乃エマ

前編


 眩しさに目を細めながら、ぼんやりと窓の外を見つめていたサラがふと時計に目をやると、時刻は二十二時を過ぎていた。

 窓の外から差し込む光は、まるで自然な太陽の光のように見えるが人工のものだ。屋敷の敷地内に設置された、二十四時間好きな時間帯のものに調節できる人工陽光なので、窓の光からはまったく時間がつかめない。

 サラは好んでいつもそれを真夏の正午くらいのものに設定していた。


 やがて、足音も立てずに自動人形が現れた。

 人形が差し出したティーカップを受け取りながら、ありがとうと呟くと、メイドは人間と何ら変わらぬ外見に相応しくない凍りついた表情から一変して、まばゆいばかりの笑顔になる。だが笑顔はまた次の瞬間には霧散し、彼女は無表情のまま小さく会釈して、リビングを後にする。


 そして再びサラは差し込んでくる光に目を細めながら、目新しさのまるでない景色をたたえる窓へと視線を戻す。

 明るい光は好きだった。すべてを明らかにし、偽りを許さない。いくら人に似せて作られても、澱んだ瞳の自動人形達は、やはり人ではありえない。


 ――そしてまた、彼も人ではない。


 サラは、サラだけがわかる直感で振り返り、乱れた髪の青年の姿を見て眉をひそめた。

 彼は強張った表情に口元だけ笑みを浮かべながらサラの元へと歩みよって来る。

 明るい光の下、今では骨董品として非常に価値が高いとさえ言われている彼は、先ほどのような最新型のメイドに比べると、外見はひどく人形じみている。

 顔の表情はかたいし、血の通った人間にはとうてい見えない。だが、その目は人間よりもよほど生き生きと輝いていて、そして奥底にはいつも深い悲しみをたたえている。サラはその目が好きだった。明るい光の中で見る時の彼の目が特に。


「機嫌が悪そうですね。私が埃まみれでこのリビングに入ってきたせいではないといいのですが」


 常時かたく閉鎖されている倉庫の掃除を彼に言い渡していたサラは、立ち上がって「お疲れさま」と声をかけながら、彼の肩や背中の埃をはらった。


「埃くらいで文句を言うわけないでしょ。腹がたっているのはもっと別のこと」


 そう言うと、察しのいい彼は、「あぁ」と呟いた。


 十二年前に亡くなった大叔母からサラが受け継いだ、自動人形ギルはもう三百年近く「動いて生きて」いる。

 当時は永久稼動というふれこみで人気を博したらしいが、人は飽きやすいもので、新しい型が出ればすぐに廃棄処分にしてしまう。それは今でも変わりはなく、永久稼働の人形が永久に稼働することはありえない。ギルと同じ型の自動人形も今ではほとんど存在していないだろう。


「お元気がないと、ご両親はあなたのことを心配していらっしゃいます」


 サラはさらに機嫌を悪くして眦を細め、ギルをにらみつける。

  明るい日差しの中で、彼の姿は残酷なほど、非人間さと古さをあらわすが、しかしその菫色の瞳だけは、胸が震えるほどに美しい。彼の優しく穏やかな性格すべてをその瞳があらわしていた。


「私のこと? このまま私が逃げ出しやしないかと、自分たちの保身しか案じてないわよ。ギルの意気地なし。私が結婚を嫌がってること、知っているくせに。もっと、全力で私を守ってやろうとかっていう気概はないわけ?」


「あなたがどなたと結婚されようと、私ごときが口出しできる問題ではありません。私は自動人形オートヒューマンなのですよ。……あなたはよくそれをお忘れになられるようですが」


 サラは明日、親の決めた相手と結婚しなければならない。それは幼い頃から決められていたことだ。だからこそ納得していたし、かつては別にどうでもいいと思っていた。


 でも、今は違う。誰とも結婚したくない……人間とは。ギルがいるから、結婚できない。

 自動人形だから、だから自分が結婚してもギルとは一緒にいられるからかまわない、はじめはそう思っていた。

 でも、次第に不安になってきたのだ。誰かの妻となっているところをギルに見られることに耐えられるのか。


 きっとギルは気にしないかもしれないが、サラが辛いのだ。だが、彼と離れて暮らすことも考えられない。そう自分の気持ちに気付いてからは、結婚できないと繰り返したが、理由を正直に言えば、彼らがギルを処分しようと躍起になるのは目に見えていたので、もっともらしい言い訳を考えているうちに、両親の出している結論を翻すことができず、とうとう明日をむかえることになってしまった。


「本当に結婚してもいいわけ? へぇ」


 目を眇めるサラに、ギルは平然と頷く。


「何を今更おっしゃっているんですか。あなたがどなたの元へ嫁がれようと、私があなたのものであることにかわりはありませんから」


 涼しい顔をして言われれば言われるほど、サラは悔しくて悲しくて涙が出てきそうになったが、いかんせん涙を流すには彼女は気が強すぎた。彼を困らせてやろうと、さらに続ける。


「もう二度と私とキスできなくてもいいんだ?」

 といっても、いつも私から一方的にするだけだけど。と惨めな心の声が呟く。


「えぇ。あなたに触れたり触れられたりできなくてもかまいません」

「もしかしたら一緒にいられなくなるかも」


 ギルの冷静さに傷つけられ、そして一緒にいられなくなるかもなんてことを口にしたことでその可能性についても考えてしまい、サラは震えそうになる唇をかみ締めた。


「それでも、かまいません。あなたさえ生きていらっしゃれば」

「私はそんなの嫌よ!」


 大声で叫ぶと、サラは人ではありえない硬い彼の腕をつかみ、うつむいた。


 彼は所詮自動人形なのだ。そう思えたらいいのだが、ギルは他の自動人形とは違う。サラがどんな気持ちでいるかも分かってくれてもいいはずなのに。きっと心の奥底にある気持ちは、二人とも同じはずなのだから。


「目の前で大切な方が亡くなる哀しみと苦しみに比べたら、そんなものは苦しみでも何でもありません。私には後を追う自由すら許されていないのですから」


 自動人形は自分で命を絶つことはできない。


 サラはゆっくりと顔をあげた。涙がこぼれていたのかもしれない。いつものようにぎこちなく見える、だが優しい微笑みを浮かべながら、ギルはサラの目元に指を這わせた。


「よくも埃まみれの手でさわったわね」

「すみません。泣いていらっしゃったので」

「私が? 泣くわけないじゃない」


 強がると、ギルがぎこちなく目を細めた。


「そうでしたね。きっと埃が目に入ったせいで、目が赤くなってしまったのですね」


 目をいたずらっぽくきらめかせて同調するギルに、サラは笑った。やっぱり、ギルが好きで、好きで、大好きで、胸がいっぱいになる。


 普通、自動人形が人の命令なしに自発的に人と接触することはない。だが、ギルの場合、他の自動人形よりも機能的に表情が乏しい分、感情を――自動人形に感情があればの話だが――表すために、私に好きな時に触れてもかまわない、とサラは告げていた。


 接することで伝わる気持もあるし、この自動人形が、ボディと同じような冷めた感情を持つ存在だとは思えなかったのだ。まだ、サラが六歳になったばかりで、大叔母から悲しい目をした自動人形を受け継いですぐのことだった。


 はじめこそサラの一方的なスキンシップであったが、一人ぼっちで留守番することになった、サラがちょうど八歳になった誕生日の日。いつものように一方的にサラの方から握り締めたギルの手を、突然だがためらいがちに、彼はぎゅっと握りかえしてきたのだ。びっくりして見上げた先にあった、あの時のギルの機械的なぎこちない笑顔。だがギルにも感情があるのだと確信したあの時の喜びはいまでも忘れられない。


 それから注意して見るようになると、彼の目は人間よりも表情豊かで、愛情に満ちていた。そして、その目はサラを夢中にさせ、今でもひきつけてはなさない。


「これまで、主人マスターの後を追いたいって思ったことはあるの?」


 明日、自分は墓場へ向かうようなものだ。心の一部は確実に死ぬだろう。そう思ったサラは、ふとギルにそんなことを訊ねた。


「えぇ、何度も。永遠の別れの度に思いますよ」


 愛情深いギルのことだ、仕える主人すべてを大切に想っていたに違いない。馬鹿げているとは思っても、サラは嫉妬で胸が痛くなる。

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