第3話 アイドルというもの
私はほどなく、退院した。
初めて知るこの世界は光に満ち、何もかもがキラキラと輝いている。
テレビ、というものを見たときの驚き。あんな小さな画面に、ありとあらゆるものが詰まっているなんて。
携帯、という四角い板はもっとすごい。文字のやり取り、声のやり取り、動く映像に、美しい、写真と言われる静止画やゲーム。
ゲーム!
これは私の中で驚くべきものであった。私の知る世界と近しい風景が収められており、その中で冒険が出来たりするのだから。
私は入院中、ずっとどうすべきか迷っていた。お医者様には何度か本当のことを話したけれど、それは乃亜さんの中の別人格だという事にされてしまう。つまり、私が乃亜さんでないとは思ってもらえないのだ。
乃亜さんの母は、女手一つで乃亜さんを育ててきたのだと聞いた。私が乃亜さんを否定することは、彼女にとって残酷な出来事でしかないとわかる。あなたが、私の知る乃亜ではなくても、私はあなたを愛している。そう言われ、私は決意した。
先のことはわからないけれど、今は水城乃亜としてこの子の人生を生きることしかできない。ならばそれが今、私がここにいる理由なのだと、そう、思うことにしたのだ。
「さ、着いた」
お母さん……に連れられ自宅へ。
ここに戻るまでの道も、見たことのないもので溢れていた。広い道を走り回る大きな四角い、車、という乗り物。細長い、電車、という乗り物。建物は、空高く聳え立ち、一体どんな巨人が建てたというのかわからないほど。流れる音楽は聞いたこともないメロディで私を刺激する。
アイドル、というものが何なのかもわかった。歌ったり、踊ったりするようだ。
水城乃亜は、マーメイドテイルというグループでアイドルをしていた。まだ駆け出しだけれど、熱心に、有名になることを目指して頑張っていたのだと聞いた。
「久しぶりの我が家でしょう?」
にっこり笑うお母さん……の笑顔は、
『何か思い出さない?』
と言っているように見える。
「はい、そうです……ね」
私はそれに応えることができないのだけれど。
「……さっ、何食べようか? 乃亜の好きなもの、なんでも作ってあげる!」
なんて優しい。
なんて温かい。
私は、嬉しい気持ちと悲しい気持ちがごちゃ混ぜになってしまう。
かつて、私にも本当の母がいた。母は私に優しかっただろう。幼い頃の私は、きっとこんな風に幸せだったのだろう。母が亡くなり、義母が出来、妹が生まれてからは無くなってしまった、私の幸せ。
「おかあ……さん」
私は改まって彼女に語り掛ける。一瞬緊張に体を震わせた彼女は、それでも私の目をじっと見て、優しく微笑んだ。
「乃亜。わかってる。あなたは私の知る乃亜ではない。もしかしたら本当に別人なのかもしれない。だけどね、私は受け入れるよ? あの日、あなたを失うかもしれないって思ったあの時に思ったの。何でもいい、私はどうなってもいいから、私の娘を助けて、って。あなたは私の娘なの。生きててくれた、それだけで充分だわ。だから、」
最後は涙声。
「お母さん、私、あなたの娘でいてもいいですか? 私、このままここにいてもいいのでしょうか?」
私も涙交じり。
乃亜ではない私。
なのに、乃亜でありたいと思ってしまった私を許してもらえるのでしょうか?
「いてよ! ここにいて!」
お母さんが私を抱きしめた。
「お母さんっ」
私も、そっと背中に手を回す。
「これからどうするか、二人で考えよう。アイドル続けるのか、これを機に普通の生活に戻るのか。私はね、あなたの未来はあなたが決めればいいって思ってる。好きに生きていいのよ?」
好きに生きていい?
まさか、と思う。
決められた人生を、親の言う通りにしか生きられなかった私に、好きに生きていいと?
「でも、あの、社長さん……、」
入院中に病室に訪れた初老の男性。彼はマーメイドテイルの所属する事務所『スターゴールドアーツ』の社長だと名乗った。マーメイドテイルは目下売り出し中の看板タレントであり、一刻も早い復帰を、と言われたのだ。
「それはそれ。気にしなくてもいいの」
そう告げる母だったけれど、私は聞いてしまった。私がアイドルをすることで、多額のお金が支払われている。母一人で私を育ててきた彼女に、もう既に支払われているお金を返すことなんか出来ないのだ、と。
「……マーメイドテイルの映像を、見せてください」
乃亜の姿を、見てみようと思った。私に、同じことができるのかを。
「いいわよ」
そう言ってテレビをつける。
「これは、あなたが入院する直前のコンサート。少し大きなライブだったからって、いい機材で録画してくれたみたいね。とても綺麗に映ってるの」
そう言って、ボタンを押す。
『マーメイドテイル』
そう書かれた巨大な看板に光が当てられ、ざわざわと沢山の人たちが舞台を見ている。すると、ほどなくして明かりが消え、人々のざわめきが大きくなる。
ダンッ
という大きな音と、眩しいほどの光が幾筋も舞台に注がれ、音楽が始まる。
『マーメイドテイル~』
乃亜が叫ぶ。
すると、次の瞬間、
『ゲット、ウォ~タ~~!』
客席から叫びにも似た声が発せられた。
そして、歌が始まる。
「これはね、マーメイドテイルのデビュー曲。あなたも大好きだったのよ」
母が説明してくれるその声が、だけど、私には聞こえてこない。
私は、画面に釘付けになっていたのだ。
なんという力強さ!
なんという、輝き!
乃亜、という子の底知れぬ光に、私は完全にのまれていた。
こんな風になれたら……。
私も、こんな風に……。
私は、一瞬でマーメイドテイルの……そして、水城乃亜のファンになっていたのだ。
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