第3話:崩壊の日①


「ねぇねぇ、『逆祭り』の噂、あれって本当らしいよ? 私のお姉ちゃん、友達とやって、本当に見えたんだって」


 放課後。同じクラスの少女のはしゃぐ声が、隣にいた直輝と村瀬の耳に届いた。『逆祭り』とはこの近辺にいる者で知らぬ者はいないほどの有名な『まじない』だ。しかし、誰もする者はいない。失敗すれば神隠しに遭うと言われているからだ。実際に数十年前に行方不明者が続出したという話は今も大人たちを怯えさせるほどで、全国的にも当時事件がかなり有名になったのか、時々今でも怪奇現象を題材にしたような類のテレビ番組が取材にくることがあるくらいだ。


「おい、お前の姉ちゃん度胸あるなぁ。神隠しにあっちまったらどうすんだよ」


 案の定、村瀬がびっくりした顔で少女に言った。


「そんなのあるわけないじゃない。でも、本当に目を閉じたら後ろ向きに歩いている間中、好きな人と一緒にいる光景が浮かんできたんだって。いいな~。私もしてみたい」


『逆祭り』というまじないは、行う場所が決められている。この学校からほど近い場所にある森の奥、そこにひっそりとたたずむ青色をした不気味な二つの鳥居の間で行うのだ。その鳥居を後ろ向きになって、目を閉じて歩きながらくぐれば、歩いている間中は自分の願い通りの幸せな光景が見られるという、ただそれだけのものだ。しかし、その途中で目を開ければ神隠しに遭う。もうこの世には二度と戻ってこられない。それを行うには後ろ向きに歩いて鳥居をくぐり、そしてそれをやめるにはそのまま目を閉じたまま、今度は前進して鳥居をくぐって戻らなければならない。


 自分の望む幸せな光景が垣間見られるだけ。ただそれだけのために、神隠しに遭うかもしれないというリスクは大きすぎる。だからこそ皆、誰もしないのだ。噂だとはいえ、気味の悪い事はしたくないし、それに大人はこぞってあの鳥居には近付くなと言う。


「宮沢さん、危ないからやめておいた方がいいんじゃない?」


 直輝が言うと、あれだけ乗り気そうに話していたのに少女は何故かしおらしく、うん、と頷いた。村瀬は横で「チェッ」とつまらなさそうに呟いている。


「なんかクラスの女子ってお前の言うことだけは素直にきくよな~」


「村瀬君、もてないからってひがまないの」


「なんだと? そんなんじゃねぇよ」


 いつものことではあったが、宮沢と村瀬の喧嘩が始まりそうだったので、面倒な事になる前にと直輝は席を立った。


「じゃぁ俺は、律を迎えに図書室に行くから」


 一年生と六年生では時間割が違う。直輝の授業が終わるのを、図書室で律が待っているのが常だった。


「お前、毎日よくやるよなぁ。たまにはオレとも遊んでくれよ……てアレ」


 アレ、と言って村瀬が指差した先を見ると、教室のドアに隠れるようにして、廊下に律が立っていた。ただでさえ一年生が六年生の教室に来るには勇気がいるだろうに、ましてや人見知りの激しい律がこんなところに来るのは初めてで、何かあったのかと心配になり、直輝は少女に駆け寄った。


「律、どうしたんだ?」


 尋ねると、律は泣きそうな瞳で直輝を見上げた後、まるで迷子の子供が母親を見つけたかのように、ぎゅっとしがみついてきた。直輝は律の頭をなでながら後ろを振り返り、律が見えないのをいいことに、わざと少し迷惑そうな顔をつくって向けてみせた。


「村瀬、じゃぁ帰るわ」


 そんな直輝の表情とは裏腹に、直輝が律の頭を優しくなでるのを見て、村瀬は苦笑を返してきた。


「おう。日高、お前……いい保育士になれるよ」


 村瀬はそんな軽口を叩いて後ろの扉から出て行った。


 それを見送ると、直輝も、しがみついてなかなか離れない律をひきはがし、鞄をとり、律の手をひいて学校を出る。


 直輝の教室まで来るくらいなのだからなにかあったのかと思いきや、しかし、「どうしたのか」ときいても、律は頭を振るだけで、一向に口を開かない。


「学校で誰にかに苛められているのか?」


 尋ねると、律は否、と頭を振った。


「友達がいないのか?」


「……あんまり。でも、いい。律にはナオくんがいるもん」


 ようやく口を開いた律に、原因は友達がいないことなのか? と直輝は思う。 それが寂しくて、待ちきれずに教室までやってきたのだろうか。


「ダメだな、それじゃぁ。俺だってずっと小学校にいるわけじゃないんだ。来年は中学に行くし、それに……どうせ大きくなれば俺たちは一緒にいられない」


「どうして?」


 つぶらな瞳で問い掛けられ、直輝は戸惑う。


「どうしてって……中学生や高校生にもなって同じマンションの子とだけ遊ぶなんておかしいだろう?」


「おかしくなんかないもん」


 律は頬を膨らませ、泣きそうな目で直輝を睨んだ。その様子に、どういえば伝わるのか、と直輝は困り果てて嘆息をもらす。


 小学校に入れば友達もでき、自分にべったりとはりつくこともなくなるだろうと思っていた。だがいつまでたっても離れないどころか、以前よりも酷くなっている。直輝は無視しようにもできないくらいに慕ってくることに、うざったさを感じずにはいられない。そしてそのうざさはどちらかというと律ではなく自分にむけられたもので、それが一層直輝を気鬱にさせた。村瀬達がクラスの女子の誰が好きだとかそういう話をするなか、なんとなく誰と比べても、素直に甘えて頼ってくる律の方が断然かわいいと、小学校一年生の子供とクラスメイトの女子を比較する自分にぞっとするのだ。そして、まったく好きでも嫌いでもない、とりあえず人気のある女子の名前をあげる自分が、さらに嫌になる。


 律と一緒にいすぎて感覚が子供っぽくなっているのかもしれない。だからできるだけ早いうちに律とは距離をおくようにしていきたい。そう思うのに、このままだと今日は律の家に泊まる羽目になるかもしれないと思い、直輝はうんざりする。


 律はよく悪夢を見るらしく、悪夢をみた次の日は必ず直輝と一緒に眠りたがった。直輝の父とは立場が違うせいか、同じ社宅なのに氷上の家は広い。大人があと五、六人泊まっても大丈夫なくらいに広く、通いの家政婦がすべて段取りしてくれるので、直輝くらいが突然一泊しても何の問題もない。しかし一緒に寝ている隣の律は直輝がいるからといって安眠が約束されるわけではないらしく、いつも、『あかる』と訳の判らない単語を何度も叫んで彼女は目を覚ますのだ。だが本人は夢を覚えておらず、何のことかさっぱり分からないらしく、そのせいで毎度直輝も目が覚めてしまうのでたまったものではない。


 律を家に送り届けるため、直輝は彼女を連れて通学路を歩く。律は機嫌を損ねてしまったのか、何も話そうとはしなかった。直輝もあえて律の機嫌をとろうとも思わなかったので、何も言わないでおいた。


 マンションにたどり着くと、直輝は自分の家がある階をエレベーターで通り過ぎ、まず律の家のある十九階へと向かった。もちろん、彼女を送り届けるためにだ。


 おそらく家に帰れば、五時まではいることになっている氷上の雇う家政婦が出迎えてくれ、直輝が泊まるといえば嫌な顔ひとつせずに直輝の夕食もつくってくれるのだろう。


 彼女の父はいつも八時までには帰宅するようにしているらしいが、仕事によっては都合がつかない日もあり、そういう日は、律は直輝の家で夕食をともにしていた。


 今朝、律を迎えにいった段階では、氷上からとくに遅くなるという話はきいていないので、一緒に夕食をとらなくてもいいのだろう。離れがたそうに涙ぐむ律の頭を撫でて、直輝は優しく微笑んで見せる。


「さぁ、笑って、律。笑ってくれないと俺も悲しいし、律のお父さんだって悲しいと思うぞ」


「うん……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る