第2話 ほろびの音と春巫女の誓い

 どーん、という物凄い音と振動がして、アリアは寝台から飛び起きた。

 地震だと思ったのだ。


 アリアの住まう宗教国家アリアソーンの北には活火山が聳えている。

 アリアは実物を見たことがないが、知識として知っていた。時々揺れる現象も「地震ですよ」と巫女や神官たちは教えてくれたからだ。

 しかし。

 なかなか止まらない振動に緊急事態を悟ったアリアは、身なりを整える為に部屋をでた。

 自分は特別な巫女だから。

 大雨が降ったり、大雪が降ったり、竜巻で大勢の家が壊れた時でも、美しく着飾ったアリアが大神殿の間に凛と立ち「恐ることはありません、わたくしが皆さんとともにあります」と告げるだけで人々は恐怖を忘れ、我に返って動き出すからだ。


「シーナ! 湯浴みの支度を、銀のティアラと真珠の耳飾りもお願い、それから……あれ?」


 誰もいなかった。

 世話役の巫女たちが一人もいない。


 夜でさえ、必ず誰かいた事を踏まえれば……こんな異常事態は初めてだった。


 ネグリジェと素足のまま立ち尽くし、困惑しているアリアの耳に、悲鳴と罵声が聞こえ始める。

 何を言っているのかよくわからない。

 アリアが育った箱庭は石の壁で造られた神殿であり、防音設備が整っていた。

 外界の音は、ほとんど聞こえてこないはずだ。


「……です! お願いです! おやめください!」

「鬱陶しい、どけ」

「ここは神域です! どうか!」


 シーナの懇願と悲鳴が耳に届く。

 乱暴に破られた扉の向こうから現れたのは、紅蓮にもえる赤い髪と瞳を持つ、武装した青年だった。甲冑の兵士たちが雪崩込み、アリアの育てた花園を踏みつけていく。訳がわからないまま、アリアは人の群れの中からシーナを探した。

 髪をつかまれ、散々殴られたと思しき女。

 それがシーナだと気づくのに時間がかかった。


「シーナ!?」

「アリア様、お逃げ、ください」

「貴様が『アリアソーンの蒼き宝玉』だと? 伝説の『春巫女』というから、どれほど絶世の美女かと思えば……泥だらけのこ汚い田舎娘じゃないか。おい貴様、替え玉じゃあるまいな」


 嘲笑と冷徹な眼差しにアリアは怯まない。

 蹴散らされる花園を見て泣きそうになったが、ぐっとこらえて相手を睨み据えた。


「蒼き宝玉だかなんだか知らないけれど、春巫女は私よ。シーナを放しなさい、乱暴者」


 暫く睨み合いが続いて、シーナは解放された。

 投げ渡すかのような扱いにアリアは怒りこそ覚えたが、感情を高ぶらせてはならないと散々教えられてきたので冷静を装う。呼吸の荒いシーナは「アリア様、ごめんなさい、お許しを」と息も絶え絶えに呟くばかり。


「では聞こう」


 赤い瞳の男は、パチンと指を弾いた。

 兵士の一人が鳥籠の中に入った青い薔薇を持ってきた。


「不可能の薔薇を咲かせた春巫女は、本当に貴様なのか」

「それ……シーナにあげた……あ、貴方が商人なの? どういうこと? なんでシーナにこんな酷いことするの。シーナは貴方に喜んで欲しくて、贈り物を悩んで相談して、こっそり渡したのよ、それなのに」

「本当らしいな」


 俄かに信じきれない、という顔をした後、赤い瞳の男は指で合図をした。それまでアリアとシーナに剣を向けていた兵士たちは一斉に武器を収め、部屋から退出していく。

 踏み荒らされた花園は見るも無残な有様になっていた。


「失礼した。というのも今更か」


 園内へ踏み入り、アリアの育てた花々を見渡す。


「よく見れば、宝の山だな。これを全てお前が咲かせたのか」


 何事もなかったかのように話し出す。馴れ馴れしい態度に腹が立ったがこらえた。


「そうよ。少しずつ、ご褒美にもらった種や苗から、お庭を花で埋めたの。欲しいなら全部あげるわ。だから出て行って」

「無理な相談だな。先ほど大神官が投降し、アリアソーンは併合された。ここはもう俺の国だ」


 苦笑しながら、当然のように花園を歩き出す。

 アリアは耳を疑った。


「へいごう?」

「そう。この国は戦に負けたのだ。大神官は休戦協定の証として『春巫女の身柄を引き渡す』ことに同意した。今日中に我が国に来てもらうぞ、春巫女アリア。事が落ち着いたら結婚式くらいはあげてやる。まずは……その汚い格好をどうにかしろ、三時間くれてやる」


 ばさりと身を翻した男の背中には『三つ首の鷹』の紋章があった。

 軍事国家ヴァルドレの証。

 その時になって、アリアはようやく。

 世界最小の宗教国家アリアソーンが、大国ヴァルドレに吸収合併された事を理解した。歴史の授業でしか習わなかった国同士の合併。文字でしか知らない国。目覚めたアリアが地震だと思っていたのも、放弾による破壊音だったのだ。

 そして自分は人質として引き渡されることを……悟った。


 * * *


 湯浴みをしている間、アリアは泣きじゃくるシーナを慰めていた。

 ごめんなさい、ごめんなさい……

 ただひたすらに謝罪を繰り返すシーナの顔は腫れ始めており、手当をしようとしても「時間がありませんから」といってアリアの身なりを整えることに専念し続けた。仕方がないので着替えの間に『何故こんな事になったのか』を聞いてみた。

 シーナの表情が暗くかげる。


「私のせいです。商人の身分は偽りで、ヴァルドレ国の王子が、御自ら偵察に来ていたんです。神殿の巫女から春を買うには、相応の大金が必要ですから。偽の身分で此処に通い、ずっとアリア様の情報を集めて、真実なのかを確かめていたのですわ」

「私を? どうして?」

「アリア様が、春を呼ぶ春巫女だからでございます」


 意味がよくわからない。

 アリアは小さい頃から『あなたは春巫女です』とか『春巫女さまなのですから相応しく』等といわれて育った。春巫女としての仕事といえば、着飾って皆の前に立ち、励ましたり手を振る事ぐらいだ。

 戦をけしかけてまで人質にする価値が、一体どこにあるのか。

 理解が追いつかないアリアを見たシーナは、アリアの宝箱から一粒の種を取り出した。


「いつものように、咲かせてくださいませんか」


 アリアは「いいけど」と言って、手に持った種を握りしめた。

「綺麗に咲いてね」

 優しく囁くと、何もない鉢に埋めて、少しだけ水を巻いた。

 すると土の中から緑が芽吹き、ふた葉になり、みつ葉になり、あるべき高さに成長して黄金色の花を咲かせる。一分もかからなかっただろう。美しく咲き誇るマリーゴールドの小鉢を「綺麗に咲いたわ」と自慢げに見せると……シーナは悲しみの色を瞳に浮かべて微笑んだ。


「アリア様、これが原因です」

「え?」

「普通の人間は、一瞬で草花を芽吹かせる事はできません。アリア様にとって当たり前だった草木の育て方を、外の人々は『奇跡』と称します。豊穣の女神アリアソーンの再来と崇め、女神の化身として敬う理由なのです」


「……で、でも、花を咲かせても綺麗なだけよ?」


 アリアにとって園芸は暇を埋める趣味だった。綺麗な花を咲かせ、愛でるだけ。花を刈り取って贈り物にするだけ。

 精々それくらいの価値でしかない。

 そう感じるように育てられた。


「アリア様。あなたが本来の力を震えば、大勢を救うことができます」


 シーナは沢山の本から一冊を取り出す。

 砂漠で魔人に出会う、貧乏な男の話だ。


「かのヴァルドレは国土の大半が砂漠化していると聞きます。けれど貴方がいれば、作物は一瞬で実り、飢餓に苦しむ人々は糧を得て、枯れ果てた大地を再び緑豊かに変えることができる。伝説では、そうなっています。石化していた古の種を芽吹かせた時、私も伝説が蘇るのを確信しました。彼らは喉から手が出るほどアリア様が欲しいのです」

「古の種?」

「青薔薇です。あの種は、この世から何万年も失われていた古の薔薇。石と化してしまっていた種に、アリア様は命を吹き込み、鮮やかに蘇らせた。貴女の声は女神の祝福です」


 シーナはアリアの両手を握った。


「謝罪しても、謝罪しても、国を滅ぼす結果になった愚かな私の罪は贖えない。

 けれど忘れないでください。

 どんなに心細くても、悲しいことがあっても、誰かを呪ったりしないで。どうかここで学んだことを忘れず、心を冷静に保ってください。春巫女の力を、悪用しようとする者達が、神殿の外には大勢います。彼らの言いなりに、なってはいけません」


 泣きながら縋るシーナの懇願に、思わずもらい泣きしそうになった。

 けれどここで泣くようでは、今までの日々が無意味になる。

 涙を堪えたアリアは、シーナを抱きしめた。


「うん。ありがと、シーナ」

「本当に申し訳ありません」

「気にしないで。シーナは、あの人に喜んで欲しかったのよね。誕生日の贈り物を探していただけ。花をあげたのは私よ。シーナは悪くないの。シーナの優しさに漬け込む方が悪いんだから、だからそんなに自分を責めないで」


 誰かに喜んで欲しい。

 そう思うことが、罪だとは思えない。

 アリアは蒼薔薇を渡した日の事を思い出した。贈り物に悩んでこっそり相談してきたシーナが、初めて同じ年頃の女の子のように思えた。あの時の微笑みは心からの喜びに違いない。

 きっとシーナにとって赤い瞳の青年は特別な人だったのだろう、とアリアは思う。


『……大切な人に裏切られたら、誰だって辛いよ』


 シーナの真心を利用した男。

 砂漠化が進む軍事国家ヴァルドレの王子。

 あの赤い髪と瞳の青年を、アリアは胸中で憎んだ。戦争が、如何に愚かで多大な犠牲を生むのか、歴史の授業で教えられていたからだ。きっとアリアソーンの大勢の者たちが自分の為に戦い、命を落としたのだろう、と考えるだけで……アリアの心は憎悪に染まった。


『絶対、利用なんてさせない。助けてなんてあげない』


 この時、アリアはそう誓った。

 だから助けはしなかった。

 その代わりに、まもなく呪わしい祝福をまくことになった。

 なぜアリアが外界から隔離され、理想の価値観を教えられ、蝶よ花よと姫君のように育てられたのか。その潔癖なほどの警戒心と重い理由を、切羽詰まった侵略者たちは雨粒一滴ほどもわかっていなかったのだ。




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青ばらのアリアと呪詛の歌 テルサナツヒト @natuhito

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