青ばらのアリアと呪詛の歌
テルサナツヒト
第1話 青薔薇の罪
「春を売る、ってなあに?」
幼い頃のアリアは、そう言って周囲の巫女たちを困惑させた。
流石に年幼い少女へ、神殿公認の高級娼妓について説明しようとする巫女はいない。巫女たちにも良識やプライドがあったし、神殿の深くで外界と隔絶されたアリアの扱いについて、厳重注意するように大神官から言付けられていたからでもある。
「女神さまの代わりにお仕事をされているのです」
「女神さまのお仕事ってなあに。アリアはお手伝いできないの?」
世話役の巫女達は、暇でしょうがない幼いアリアに捕まるたびに追求をごまかして、煙に巻かねばならなかった。
青く澄んだ瞳が、決して濁らないように細心の注意を払う。
「大人になれば大神官様のお手伝いができますよ。その為に世界のお勉強をしましょう」
「お勉強つまんなーい」
隔絶されたアリアの世界は、大神殿の最奥に築かれた箱庭が全てだった。
日々の生活から勉学、お庭遊びに至るまで。
何もかもが箱庭の中で完結していた。
本来であれば未婚が義務付けられた神官や巫女の子供たちは、総じて秘密裏に育てられる。婚姻や出産は禁忌であれど、対外的に露見することがなければ宗教国家としての権威は落ちない。
自然堕胎の努力虚しく生まれた子は、女の子ならば巫女に。
男の子ならば下級神官になるべく育てられる。
決して揺るがない人生の一本道。
食うものに困らず、高等教育が施される点においては、平民の子供よりは幾許か恵まれているのかもしれないが……神殿の中に是非を推し量る者などいない。
禁忌を犯して誕生したアリアもまた、同じように育てられるはずだった。
けれどアリアは違った。
アリアの不幸は、生まれ持った肉体に違いない。
女神の祝福と呼ばれる花のアザを、アリアはその身に持って生まれた。
伝説にしか語られたことのない『女神の祝福』を見た巫女や神官は、赤子のアリアを畏怖し、或いは崇め、大理石で囲まれた箱庭の中に押し込んだのだ。そこでアリアに施された教育は、人を愛する心と慈悲深さと、むやみやたらに動揺しない鋼の心の養い方。
かくして十六歳を超える頃には、高級娼妓とは縁遠い、凍れる姫君が作り上げられた。
青銀の髪、瑠璃の瞳。
白磁のように透き通った細い四肢。
首筋にきらめく装飾品と世界中から集められた絹の衣。
美術品の様に飾り立てられたアリアの仕事は、式典や祭典などの華々しい場に静々と現れ、うっすらと微笑んで手を振る事だった。
ただそれだけで民衆や信者は「春巫女様」と熱狂し、仕事を終えて奥に引っ込んだアリアは、趣味の園芸に使う花の種や苗を与えられた。
「よくやった。今回のご褒美だ。新しいバラの種だよ」
「わぁ、ありがとうございます」
アリアが自分が外でなんと言われているのか知りもしなかったし、大凡欲というものを持たなかった。神殿の外に出ようとすればキツい仕置が下されるのを子供の頃に学んでいたから、周囲の巫女や神官に言われるまま、日々を淡々と過ごす。
「アリア様、美しい花ですわね」
「青くて綺麗でしょう。シーナはどの花が好き?」
箱庭の中に作られた庭園は、全てアリアが世話して育てた。
綺麗な装飾品も絹の衣も脱ぎ捨てて、素足で庭の芝生に降り立つ時だけ、アリアは自由と高揚感を手にした。花の世話をしている時だけは、どんなに大地に転がっても、誰も怒らないし、何も言わない。
「あの、アリア様。この青い苗、ひとつだけ頂けませんか」
侍女の巫女シーナが発した言葉に、アリアは驚いた。
彼女たちは、アリアに矯正する事は合っても何かを頼んだ事などない。長年一緒に暮らした姉のようなシーナの頼みが嬉しくなって、アリアは「いいよ」と無邪気に笑って快諾した。
「どれがいい? お部屋に飾るの?」
「いえ、その……私が春売りの仕事をする時に、いつもいらっしゃる商人の男性がいて。誕生日が近いそうなので、何かお贈りできたらと思ったのですが……私は何も持っていないので」
アリアにも覚えのある感覚だった。
大切な人たちの誕生日に贈り物をあげたいのに、自分は何も持っていない。
花を育てだしたのも、そうした幼い頃の虚しさを払拭しようとしたのがきっかけだ。丹精込めて咲かせた花を巫女や神官たちに贈ると、皆が大げさなくらいに喜んでくれる。
「まかせて。きっと喜んでもらえるように、自慢の花を分けてあげる。大きいのにしようか」
「運ぶのが大変なので、小さなものだと嬉しいです」
「あ、そっか。じゃ、蒼の濃い薔薇で」
小瓶に苗を入れた。
「ありがとうございます。アリア様!」
まばゆい笑顔に「喜んでもらえるといいね」と小さく囁く。
もしも。
アリアがこの時、薔薇の苗を渡さなかったら……
戦争など起きなかったに違いない。
きっと生涯を箱庭で過ごし、己が手塩にかけた花園の中で、穏やかに息を引き取る未来が待っていたはずだ。
けれど退屈で平和な未来は、小さな善意でかき消された。
たった一輪の青い薔薇のせいで。
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