第7話 獣耳の姫君は世界を変える
「我が妻となった女は、皆惨殺されていた」
花が揺れる。季節の花々が咲き乱れる、城の裏庭。
朝の澄んだ空気の中で、アルカナスはファリナに言った。
「ふとした時に、アミュレットを外し、そしてそのまま殺されてしまっていた。城内に魔物がいることが知っていても、ああして巨大な魔物が入らぬように、魔法障壁を維持することが優先だった。だからこそ、妃の身を守ることができなかった」
ドラゴンを殺して一週間。そのまま気絶したファリナは眠りっぱなしだったらしい。アナからも「心配したんですから!」と泣かれた。
そしてファリナが眠っているその間に、全ては終わっていた。魔術王はその大魔術により、新たな魔法障壁を張り直し、しばらくはワイバーンやドラゴンの脅威に怯えなくていい。
「それでも日暮れになれば妃を隠していた?」
金色の髪を揺らして、ファリナは尋ねる。
頭巾はもう必要なくなってしまった。何しろ、竜殺しの妃の噂は全国民が知ることになってしまったのだから。いまさら、獣人であることを隠さなくても問題ない。
「ああ。政にも式典にも関わらせず、愛していないふりをした。それでもそそのかしてくる魔物もいたようだがな。そのせいで発狂する妃もいた。魔王はどうしても私を殺したいらしい。貴様のように宝剣を使うような強い女はいなかったのも一因だな」
アルカナスはファリナの腰にさげた、セレスティアルを見て笑う。宝剣セレスティアルもずいぶんと出世している。なにしろ「竜殺し」の異名を賜ったのだから。
「……一つだけ確認させてください。あなたは……妻を愛していたのですか?」
ファリナは二十三の墓の前でアルカナスに尋ねた。
「当たり前だ!!」
朝の静けさをつんざくように、アルカナスは答えた。
「イザベル、アルヴィラ、セリーナ、エレノア―――、全員一人たりとも忘れたことはない。ファリナ・フェアリーレイン。貴様も、私は愛している」
「そう、だったのですね」
風が吹き抜ける。彼女たちもきっとアルカナスに愛されたのだろう。
そして、皆命を散らした。
その度に、魔術王は苦しんだ。
「私はかつて、同門の兄弟子だった魔王を騙し、その魔力を奪った。その力は私が死ななければ解放されない。だから魔王は本気で人間を殲滅できない」
魔王は魔術王が死ななければその魔力を返してもらえない。だからこそ、アルカナスを殺したかった。そのために、アルカナスの最も愛した者を殺して回った。
そうして、いつか。
この優しい王様、アルカナスが絶望して自ら命を絶つように。
そうし向けていたのだ。それでも死ねない王が、さらに苦しむことを知っていて。
「陛下! 陛下!!」
隻眼のアレス騎士団長が墓を登ってくる。いつもならばアルカナス以外近寄ることができないが、今は結界を解いているせいだろう。
「探しました、陛下。それにお妃様も……どうしても火急の用があったものですから。ここまで……」
「申せ」
「はい、それでは……」
アルカナスは冷たい瞳でアレスにそういった。アレスは胸元に手を入れながら、何かを言おうとした。だが、その瞬間。
「あ……がぁ……?!」
アレスの胸がセレスティアルによって貫かれていた。まるで、心臓を貫くかのように。
「あ……なぜ……?」
アレスはそのまま倒れこむ。血だまりができ、そこにアレスは倒れる。
「あなたは、騎士団長などではない。それを援軍が来なかったときに確信した。私をおびき寄せて、始末したかったのだろう」
倒れたアレスを見下ろして、ファリナは言う。そしてそのままもう一つの、わき腹にある心臓を貫いた。これで上位の魔物でも人間の形は保てない。
「ぎゃあああ!!」
アレスが絶叫する。ファリナはためらわなかった。そして、そのまま首を刎ねようとしたとき、どろりとアレスの口から黒いどろどろとしたものがとめどなく漏れ始めた。
「ファリナ、離れていろ!!」
「ああ!!」
慌ててファリナは離れる。同時にアレスの体を突き破り、真っ黒な人型の化け物が現れた。ドロドロとなんとか人の形を保っているそれは、ファリナとアルカナスを憎々しげに赤い瞳でにらみつけてくる。
【さすが魔術王よのう。俺に気づくとは】
それはアレスの声をしていた。しかし、明らかに口調が違う。アレスのものとは思えない声があたりに響いた。
「魔人バフォメット。久しいな。このようなところで再開するとは。よほど我を殺したかったと見える。魔人殺しのアレスの中で、我を殺す隙を窺っていたか」
アルカナスも冷たく返事をする。
(これが、魔人)
初めて見る魔人の姿にファリナは恐怖を覚える。人間では太刀打ちできない圧倒的な魔力を感じるからだ。恐らく正面から戦ったとしても苦戦するだろう。そんな魔人を前にしても、アルカナスは全く臆することはなかった。むしろ余裕さえあるように見える。
「だが、我が妃に手を出したのが運のツキだったな」
【な……?!】
瞬間、巨大なペンタクルが魔人バフォメットの下に広がった。わずかな詠唱。光の刃が一気にペンタクルから飛び出してくる。
【グギャアアアアア!!!】
光の剣が体を串刺しにする。すさまじい悲鳴があたりに響き渡った。
「消えろ、魔人め。我が妻達を殺した報いを受けよ」
さらに、第二波、第三波が襲い掛かる。もはや、なすすべもなく魔人は灰となって消えた。後には黒い魔力の塊であろう球体が禍々しい魔力を発しながら、転がっているだけだった。
「我が妃たちの仇を討ててよかった。ファリナが違和感に気が付いたおかげだ」
「あなたには、アレス将軍、いえ、魔人バフォメットは何もしなかったのですか?」
「ああ。あやつは我をひたすらに対象としなかった。そうして、この城内で誰が裏切者かわからなくしたのだろう」
アルカナスはそういいながら、バフォメットから出てきた魔力の塊を拾い上げた。
「魔王よ、どうせ聞いているのだろう」
黒い球体に魔力を注ぎ込む。呼びかけに答えるように歪な光を放つそれに。魔術王アルカナスは語る。
「貴様の目的はわかっている。人間殲滅のために我が奪った魔力を取り戻したい、そう願っている。だが、そのために我が妻たちを魔物によって惨殺した咎許しはせぬ!! これ以上は、我がドラコニア国の国民、そして我が妻を、絶対にこれ以上は蹂躙させん」
そして、ファリナもその胸元のアミュレットをぎゅっと握り、獣耳を震わせて、アルカナスを苦しめていた魔国の王に宣言する。
「魔王、私はここだ!! 私は獣耳。この首を取りたくば、ドラゴンでも足りぬぞ!! 我が王を愚弄できると思うな!」
どうして魔力を奪ったのかはわからない。だが、それでも魔王をファリナは許せない。
それは非力で数ばかり多い人間たちからの魔王への、明確な宣戦布告だった。
それこそ、世界を変えてしまうほどの。
黒い球体はまるで魔力に耐え切れなかったように、それを聞き届けると、ひび割れてそのまま消えていく。
「はは、あれで奴も怒っているだろう。しかし、魔人一人に、ドラゴンの消滅。さらに我が城へのスパイの消滅となれば、あやつも早々ドラコニア国に構ってはいられぬだろうな」
アルカナスは笑う。
「束の間の平和、というわけですか」
その間にしなくてはならないことはたくさんあるだろう。それはファリナもわかっている。魔物に怯えなくていい国。それを作るには相当な努力が必要なことも。
「そうだな。その間にしなくてはならぬこともある」
「そうですね。兵士の鍛錬をやり直して、私も強くならなくては。特に攻撃魔法などは……陛下?」
「アルカナスでよい。それよりも……」
「な……ん?!」
アルカナスはファリナを引き寄せて、そしてその頭を抱えるとそっと唇を重ねた。朝焼けの光が強く二人を包み込む。
「ファリナ、貴殿との式を取り行わなければな。ドラゴンさえ倒す豪胆な美しい妃だ。国民はさぞ希望に思うだろう」
かつての妃の誰よりも高潔で強く、そして獣耳の美しい妃。
そんな妻の喜ぶ顔が見たくて、アルカナスはファリナにキスをした。
「な……あ……あの、私、は……キス、始めてで!」
しかし、ドラゴンさえも倒してしまう豪胆なアルカナスの妻は、ひどく初心で。
「そうか。それではこれから、ゆっくりでよいから慣れていくがいい。恋をしたいというのならば、この程度で驚いていては身が持たぬぞ」
キス一つで真っ赤になってしまった愛しい妃を、アルカナスは大事そうに抱きしめた。
魔術王と獣耳の姫君 七星ミハヤ @nanahosimihaya
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