第6話 獣耳の姫君は恋をしたかった

(これは一体どうなっているんだ?!)

 空から降ってくるワイバーンの群れを魔法で落としながら、レオニスは思った。どう見ても異常事態としか思えない状況に、思わず舌打ちをする。

(なぜ突然こんなに現れた?)

 こんなこと今まで一度もなかったことだ。せいぜいが数年に一度あるかないか程度だったというのに、急に増えた。そしてもう一つ、おかしなことがある。

(なぜ、援軍が来ない?!)

 ファリナは知らないが、アルカナス王とレオニスは彼女をワイバーン退治行かせるときにすでに決めていたのだ。もし万が一にでも何かあれば、アルカナス王が出向くと同時に、すぐにアレス騎士団長たちが駆けつけると言っていた。それがないということは、できない状況にあるということだ。

(何があった……?)

 そう考える暇もないほどにワイバーンは襲ってくる。そのたびに強化魔法を受けたファリナとレオニス隊が倒していくのだが、それでも次から次へとやってくるのだからたまらない。倒しても倒してもキリがないというのはまさにこのことだと思いながら、また一匹のワイバーンを落としていく。

(くそ、このままではジリ貧だな)

そう思った時であった。頭上を大きな影が横切ったのだ。その影を追うように空を見上げれば、そこには巨大な竜の姿があった。ワイバーンよりも二回りほど大きいだろうか。背中に羽が生えていないところを見ると、ドラゴンの一種なのだろう。それが空を舞っていたかと思うと、こちらに向かってきたのだ。

「なっ!」

 さすがのレオニスもその大きさに驚きの声を上げるが、すぐに冷静になって呪文を唱えた。すると、ワイバーンたちの動きが鈍くなった。麻痺させる魔法くらいは、レオニスでもわかる。しかし。

「……やったか?!」

 歓声が上がる中、さらに今度は前方にいた兵士の一人が叫んだ。

「ドラゴンだあああ!!!」

 叫び声と共に現れたのは夜の闇よりも深い漆黒の鱗を纏った巨躯を持った竜だった。それは今まで見たどの個体よりも大きかった。

 ざわりと空気が震えるのがわかった。恐怖に慄き、怯えているのだとわかるほどに震えあがった声がいくつも上がる。そんな彼らに容赦なく竜の咆哮が降り注いだ。鼓膜を破るような音に、耳を塞ぐものが続出したが、そんなことなどお構いなしとばかりに、黒い竜は兵士たちに向かって急降下してきたのである。

「逃げろおおお!!」

 誰かが叫ぶ。それと同時に兵士たちは走り出した。ある者は泣き叫び、ある者は祈り、そしてあるものは叫びながら逃げたのである。だが、中には勇敢に立ち向かった者もいた。数人の兵士が果敢にも剣を持って、竜に向かって行ったのである。だが、そんなものは何の意味も持たないことは明白で、一瞬で返り討ちにあっていた。そして、あっという間にその場に立っている者はいなくなったのである。

(これでは全滅してしまう……!)

 兵士たちは必死に逃げようとする。その時だった。

「ファリナ!!」

 ほかでもない、アルカナス王の声が悲痛なほど大きく響いた。


『ファリナ、あなたは何もしなくていいのよ』

 幼い頃から、何度も言われていた。

 どうやっても隠せない獣耳の獣人であるファリナは世間からは差別され、家族からは同情された。

『何もしなくていい。外には出られなくても、なんでもできるわ』

 そうやって何度も何度も言われて、城の奥深くに隠されていた。それがどうしても嫌で、自分がしたいことをしたいと言って、騎士団に入ることを選んだ。

 他の獣人と同じように。

『確かにそうしないと、あの姫様は何もできないからなあ』

『嫁ぐこともできないでしょう。獣人の姫なんて誰も欲しいと思わない』

 陰口には慣れていた。

 誰もがファリナのことを否定した。

 それでもファリナはフェアリーレイン国で、騎士として人を殺し、魔物を殺した。

 ドラコニア国と違って、フェアリーレイン国は魔界には遠い。だから、騎士は人を殺すこともあった。

 それがさらにファリナから『深窓の姫君』いう生き方を奪ったとしても、別に構わなかった。

(これで、きっと……居場所を見つけられる)

 戦場にしか居場所がない。

 そんな生き方しかできないことに対して後悔はないのかと言われれば嘘になる。

 だが、それ以外の選択肢なんてなかった。

(私は、獣耳でもいい)

 自らの手を汚して、それで自分が大切な人々を守れるのならば、それでいいと思っていた。

『ふ、ファリナ……魔術王が!』

 そんな時にドラコニア国からの、結婚の申し込みが来た。

 相手は二十三人の妃を葬ったとされる恐ろしい魔術王だった。

 しかし、同時にファリナの中に一つの願いが生まれた。

 生まれたときから封じていた一つの野望。

(そんな相手がわたしを求めてくれるのか?)

 姉も妹も結婚してた国へ嫁いだ。ファリナは国内の貴族とさえ結婚することはできない。

 だからこそ、わずかに興味が湧いた。

(ずっと、愛してくれなくてもいい。それでも、たった一度だけでいい)

『ファリナ、やめなさい!! あんなところ、いったところで殺されてしまうだけよ』

『お母様、それでもあそこは獣人も多いと聞きます。魔物を退治するために強い兵士を求めるために、獣人への差別はそこまで酷くはないのだとか』

『だが、そんなどこへ行く必要なんてない。あそこは魔物達の土地も近い。危険ばかりな痩せた土地だ。かつて魔王さえ脅して膨大な魔力を手に入れた魔術王がいなくなれば、簡単に滅びる』

『お父様、それでも私は一度だけでも行って見たいのです。幼い頃から手に入れたかったもの。それを最初で最後に手に入れられるチャンスかもしれない。だって、ドラコニア国に行けば、』

 ドラコニア国にあって、フェアリーレイン国にはないもの。

『私は誰かと結婚できるのですから』


 それは、獣人が恋をする権利だった。


「あれは、ドラゴンか……!」

 ワイバーンを狩り尽くし、魔界の向こう側から巨大な存在がこちらへと飛んでくる。夜の闇よりも深い漆黒の鱗を纏った巨躯を持った竜。それは魔人とさえも互角に渡り合うという巨大な魔物。

「……ちっ、あのようなものまで出してくるとは。我が弱ったとみて、魔王もなりふりかまってもいられなくなったな!」

 アルカナス王が舌打ちを打った。ファリナは冷静にセレスティアルを握る。

「アルカナス王」

「なんだ?! 今、すぐにでも魔法障壁を使ってあのドラゴンを……」

「そんなことはしなくても大丈夫です。あなたももう、そこまでをする魔力は残っていないはず」

 ファリナにもわかる。これだけたくさんの兵士を守るために強化。まふゆが回復魔法を使いすぎているのだ。そんなことができるほど、アルカナス王の魔力は残っていない。それをファリナも肌で感じている。

「だから、私が倒しましょう。ありったけの強化魔法を私に。人間ならばそんなことをしてしまえば、肉体が限界をすぐに迎えてしまいますが、私は獣人。多少ならば耐えられる」

 魔法は使えなくても、肉体の強化はできる。だからファリナはぐっとドラゴンを睨む。ドラゴンは魔法障壁の隙間から入り込もうとしてくる。兵士たちがそれを撃ち落とそうとするが、弓ごとドラゴンのブレスによって焼かれてしまっている。

「貴様! しかし、そんなことをすれば!」

「構いません。私はあなたに、贈り物をもらいましたから」

「……なに?」

 わかっていなくてもよかった。

 いつか伝えたいと思っていた。

 それをやっと今伝えられるのならばもう何も怖いことなんてない。

「私は、誰かと、恋をしたかったのです」

 どれだけ冷遇されていたとしても、この国は獣人の婚姻を縛る法律はない。

 だが、フェアリーレイン国はこれ以上獣人を増やさないためにも、獣人が結婚することを認めていなかった。

 それは王家であっても例外ではない。

 だからファリナは願っていたのだ。

 

 たった一度だけでいい誰かと恋をしてみたいと。


 騎士として居場所を手に入れた。

 力も並みの兵士よりも何倍も強い。

 それでもファリナは、フェアリーレイン国にいれば恋をできなかった。

 だからこそ、このドラコニア国に来たのだ。

 たとえ愛されないとしても、必ず魔術王と添い遂げようと。

 少しずつでも、愛されてみたいとそう願っていた。

 もちろんそんなことがうまくいくはずもないことなんてわかっていた。愛され方も愛し方もわからないファリナが、魔術王と上手く関係を築いていくことさえできなかった。

 それでも、ファリナは恋をしたのだ。

「アルカナス王、私はあなたに恋をしたかったのです」

 たとえ、まともに話ができなくても。

 たとえ、二十四人目の妻であったとしても。

 それでも、ファリナは、必死にアルカナス王に恋をしようとしていたのだ。

「ファリナ、お前は……我は、お前のことを!!」

 アルカナス王が目を見開く、信じられないような表情をして、ファリナを見つめる。

「ありがとう」

 ファリナは笑った。

 やっと名前を呼んでくれた。こんな女でも、守るためにここまで来てくれた。

 それで、十分だ。

 笑ってファリナは地面を蹴った。そしてそのままドラゴンに向かって突進する。

「ファリナ!!!!」

 アルカナス王の声が後ろで響く。前には火炎のブレスを放つ、黒いドラゴン。しかし、ファリナはためらわなかった。一気に地面を蹴って、すでに口を開きブレスを吐こうとしている。ファリナは宝剣セレスティアルを構える。

 死ぬことすら怖くはない。

 一瞬でブレスの軌道を呼んで、瞬時に避ける。一秒前までいた地面がどろりと溶ける。それを見てゾッとするが、それどころではないのだと自分に言い聞かせる。避けながらも剣を振るうが硬い鱗に弾かれてしまった。それでも構わずにファリナはドラゴンの体を登る。そのままかぎ爪を避けながら、翼の付け根を切りつける。しかし、それも傷一つつかないどころか、逆にその衝撃で吹き飛ばされそうになる。なんとか踏みとどまり、もう一度剣を突き立てるがやはり固い鱗に阻まれて通らない。

(このままではだめだ)

 このまま攻撃しても意味がないことはわかる。それに、いくら強化されたとはいえ、もともと人間と竜では体の作りが違うのだ。一度でも攻撃を受ければ、そのまま死ぬ。

「それならば……!」

 どこまで耐えてくれるかはわからない。だが、ファリナはアミュレットをぎゅっと握り、そのまま一気に首筋まで駆け上った。ドラゴンの熱が直接伝わる首筋。靴の裏が焼け爛れそうでも、ファリナは疾走を止めない。

 アミュレットが強く輝く。すさまじいドラゴンの熱から、アミュレットが守ってくれている。魔術王の魔力がファリナを守っている。

 だから、もう、ファリナもなにも恐れない。

「これで、どうだ!!!」

 目から脳天へ。力の限りまっすぐに構えてその刃に力を籠める。その一撃にすべてを込めるように。そして一気に振り下ろしたのだった。

『ギャアアアアアア!!』

 その攻撃で黒いドラゴンは悲鳴を上げながら、地面に落ちていく。地面に激突する前にその巨体は大きな音を立てて地響きを起こした。土煙が舞い上がり、視界が遮られる中、誰かが走ってくる音が聞こえてくる。

「ファリナ!!」

 その声に驚いて振り返れば、そこには血相を変えたアルカナス王の姿があったのである。

「死ぬな、ファリナ!! ああ……絶対に死なせん、我がすべて癒す!! 二度と我が妻を失うものか!!」

(ああ、そうか……)

 その華奢な体が自分をふわりと抱き留めるのを感じながら、ファリナは思う。

 やっとわかった。

 いつかのレオニスの言葉を思い出す。

 冷めた食事も、夜になれば放っておくように部屋に閉じ込めたのも、そして式典や政に参加させずにファリナの好きにさせてくれていたことも。

 全部、全部、ファリナと同じだった。

(あなたは、私と同じ)

(ひどく、不器用なだけだったのか)

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