第5話 獣耳の姫君はワイバーンを討伐する

 昼はレオニス隊で訓練をして、夕方までには部屋に戻る。

 家業があるせいで、レオニス隊では昼間しか訓練に参加することができないと言ったら、気のいいレオニス隊の面々はそれを特に疑うこともなく寧ろ「仕事の手伝いまで大変だな」と言ってくれた。

 国政には参加しなくていいし、式典も出なくていい、とアルカナス王がいっていたせいで、ファリナはほとんどなにもしなくていい。

 その状態なので、アナにも「もうファリナ様がいない間にお掃除するところもなくなっちゃいましたよ」と愚痴を言われてしまった。

 だが、ファリナにはもう一つやらなくてはいけないことがあった。

【血ダ……肉ダァ……新鮮ナ肉ヲ、寄越セ!!!】

「……今日も来たか。三日ぶりだな」

 訓練が終わってベッドで眠っていると声が聞こえてくる。それを反応するようにピクリと起き上がると、ファリナは宝剣セレスティアルを握る。

 そして扉を開いて、外に出ていく。アルカナス王の封印はどうやら、内側から開いても、強力な魔力があれば「修復」できるようになっているらしい。そしてファリナは魔力は持ち合わせていないが、この程度の魔力を修復したところで、余りあるほどの魔力を秘めているアミュレットを持ち合わせている。そのため、帰るときにはアミュレットをかざしておけば、とりあえずは修復されたことになるらしい。

 魔法についての基礎知識をもとにして、適当に試してみたらそうなったので、多分間違ってはいないのだと思う。初日以外は、アルカナス王に何か問い詰められることもなかった。

(というよりも、ここ三ヶ月ほどはほとんど顔も会わせていないが)

 ちなみに、この時点で二十三人の妻の中では十番目ほどには長生きをした方なのだと言う。最短記録はたったの三日。最長の最初の妻でも三年というのだから、本当にアルカナス王の妃というのは命が短い。

「……だが、これ以上の犠牲を出すわけにはいかないからな」

 そう思いながら、ファリナはアミュレットを外して、その辺の松明に括りつける。その瞬間、ぞわりと足元を駆け上ってくる寒気と、複数の獣の気配を感じる。

「いつものリザードに、ウルフ……それから、今日はどうやらゴブリンもいるらしいな」

 獣の気配だけで数を察すると、ファリナは静かに構えて、目の前の敵を見る。数は二十匹ほどで、いずれも下級の魔物だ。いくら夜とはいえ、城内に蠢く音は把握している。普段ならもう少し多くの数がいたはずだと思いながら、冷静に状況を判断する。

「……さて、来い!」

 先手必勝とばかりに突っ込んできたウルフをひらりとかわすと、そのまま背後に回り込んで首を斬り落とす。一匹仕留めてしまえばあとは簡単だ。群れで襲ってくるのなら、まず頭を潰せばいい。それが一番効率がいいことを、ここ数か月のうちに学んだからだ。

 そもそも、一対一なら負けることはないし、集団戦ならば殲滅するまで叩き潰すだけ。それならば何も難しいことではないのである。

次々と襲い掛かってくる狼やトカゲの魔物たちを相手にしながら、確実に急所を突いて仕留めていく。時には避けきれない攻撃もあったが、そこは持ち前の身体能力を活かしてうまく避けることに徹する。

 そうして、最後の一体を切り伏せた瞬間、ふっと空気が軽くなった気がした。

「……全滅、か」

 魔物があっさりと殺されていく。

 彼らの狙いが妃であるファリナであることはなんとなくわかってきていた。

 なにしろ、このアミュレットをこうして括りつけた瞬間に、それまで城の中を探し回っていた魔物たちが一斉にファリナの方を向いてくる。

 それを殺して殺して殺しまわって、それから適当に放置する。腐った匂いを放つ魔物はすぐに見つけられやすい。あとは夜警の騎士たちが自分の手柄にするか、報告するかのどちらかだが、王にまでは伝わっていないらしい。

(狙いは明らかだから、あの獣人嫌いな騎士団長殿が嫌がっているのだろうな)

 それに、魔物たちは必ず複数で現れる。つまり、ファリナを狙っているということだ。

(ということは、誰かが私を狙っているということか? いや、だとしても一体何のために……?)

 そんなことを考えながら、ファリナは自室に戻っていった。

 妃としては一切夜に夫が尋ねてこないのは致命的ではあったが、それでも生き残ることの方がファリナには最優先で、一度も夜に来ないのはむしろ喜ばしいことでさえあった。

「あの、陛下がおよびです」

 そして、もう一つ気がかりなことがある。

「今日もか?」

「お嫌ですか?」

「いや、呼ばれるのもちょうど三日ぶりだな」

 ファリナが魔物退治をした翌日は、ほとんど確実にアルカナス王に呼び出されるのだ。それを朝にアナが伝えてくる。

「ここでしか話はできないのだから、夫婦という関係にはなれそうにはないが」

「ですが、陛下もかなりいろいろなところに心を砕いているようです。貧民街の獣人に対しては、手厚い支援を行うようにといっていますし、差別の撤廃についても呼びかけています」

「……それを私のいないところで行うのだから、たかが知れている」

 本気で妻を喜ばせたいと思うのであれば、そういうところこそ相談して欲しかった。しかし、そんなことはアルカナス王はしてくれない。

 勝手に決めて勝手なこと言ってるだけだ。獣人のことを支援すれば何か都合のいいことでもあるのだろう。だから、妃を言い訳につかっている。

 ファリナにはそうとしか思えないのだ。

「だが、陛下に誘われたのならば、それに応えなくてはいけない。少し、行ってくる」

 いつものレオニスたちとの去年のときよりは少しだけ整った格好をしてそのまま、ファリナは頭巾をかぶってすっかり進みなれた王宮を歩いていく。そして裏庭へと向かう。夜にお王宮は移動しているために、大体の場所は分かってしまっているのだ。さすがにそれをアナにばれてしまうわけにはいかないから、できるだけ隠してはいる。

「……来たか」

 二十三の墓の前に、アルカナス王は静かに立っている。

「はい。およびでしたので」

「そうか」

「花を供えても?」

「ああ」

 朝の日差しを浴びたアルカナス王の姿しかファリナは知らない。

 そもそもアルカナス王が外出することは稀だ。それも、日が落ちきらないうちに帰ってくるようにしている。どうしても時はすさまじく強い魔力結界を張っているらしく、そういう時はファリナでも肌で感じて分かる程である。

 そして夜は、決して城の中で結界を張っていて、姿を見せない。

「……昨夜もこうはならなかったらしいな」

「いつもの戦い慣れたものたちばかりでした。魔物たちも、さすがに数を減らしているようです」

 墓に花を手向けながら、ファリナはアルカナス王の言葉に短く返す。

 アルカナス王はわかっているようだった。ファリナが魔物たちとの先頭に明け暮れていることも、部屋をこっそり抜け出してはアミュレットの力でその結界をまた修復していることも。しかし、それを止めようともしないのだ。

「そうか。もしも疲れているなら、今日の訓練を休んでおけ、またいついかなる時にやってくるとも限らない。奴らはお前を狙っている」

「この程度で休んでいるようでは、騎士なんて勤まりませんから」

 アルカナス王のわずかに優しい言葉聞こえる真意なんてわかるはずもない。

 だからファリナはぶっきらぼうに答えることしかできなかったのだ。


「どうやら魔法障壁の近くでワイバーンが出てきたらしいですよ」

 いつものように訓練をしに行こうとすると、逆にレオニスがやってきた。

 最近ではすっかり朝からの訓練にも慣れ切っているのだが、そのせいかレオニスを見ると瞬間的に背筋を正したくなってしまうのは、今までの騎士としての慣れだろうか。

「まさか、それを討伐に?」

「はい、めちゃくちゃイライラしているアレス騎士団長に言われちゃいました。最近は魔物討伐も多くなってきてますけれど、代わりに城内には魔物も少なくなってますからね。そのせいでアレス騎士団長は怒っているんでしょう」

「どういう意味だ?」

 城の中に魔物がいないということはいいことなのだろう。ファリナは一匹のこらずに倒すように工夫している。アミュレットを囮にすれば、それまで何かを探していたものであっても、その魔力に惹きつけられる。特に守る対象を見失ったアミュレットの発する波動は、魔物達にとっては格好の餌なのだ。

 城内の中に忍び込む魔物によって、ケガをしたり命を落としたりする兵士も減ったし、ファリナにとっても貴重な実戦経験の場である。

 誰にとってもいいことずくめだと思っていたが、例外がいたらしい。

「アレス騎士団長は城の中の魔物を駆除することで地位を上げてきたものですからね。ほら、アルカナス王に巨大な魔法障壁を作ることを提案したのも、アレス騎士団長だそうですよ」

「そんな過去があったのか?」

「そりゃあ、アルカナス王と並んでドラコニア国では、唯一魔人にも対処できるお人ですからね。その人が魔物について提案すれば、とうぜん発言力が強くなります。たとえどれだけ獣人のことを差別していようとも」

「そうだな」

 ファリナもわかっている。

 このドラコニア国で、ファリナの地位はここ三ヶ月でもあまり好転しているとは言い難い。

 なにしろ、昼間はレオニスの親戚ということで兵士に混ざってを受けているし、夜になれば体力を温存するために早めに食事を取って眠ってしまう。

 結果、城内で「ファリナ王妃」を見かけることは、普通の貴族や大臣はそうそうないのだ。しかも、アルカナス王はファリナ王妃を冷遇し、政や式典にも参加させようとはしない。その結果、すでにファリナ王妃は死んでいて、墓の建設が間に合わないために、その死を秘匿されているのではないか、というろくでもない噂が出回っているほどである。

「ワイバーンか」

「空中攻撃が厄介ですが、まあうちの連中は走っていようが、馬に乗っていようが、弓を引ける連中ばかりなので、そこに対してはあまり問題はないでしょう。ただ、魔法障壁を破られると厄介です」

「魔法障壁は魔術王が作り上げたものだから無敵ではないのか?」

「それこそ無茶ですよ。そもそもアルカナス王の消耗もあの魔法障壁は大きいんです。だから、障壁は昼間は弱く、夜に強くなっている。魔物は陽の光があるといくら魔素が強くても弱体化しますからね。だから、昼は消費魔力を押さえている。ですが、ワイバーンなんかは、その体を硬化させることで弱点かをかなり防ぐことができる。そのせいで髪の毛や血なんかで出来上がる魔物よりは作ることが難しいらしいんですが、今回はかなり数が多い。敵も本気なんでしょう。なので、ちょっと応援に行かなくてはいけなくて」

「……そうか」

「ま、大丈夫ですけどね。でも、王妃様にはこの国をちゃんと見てほしいんです」

そう言い切ったレオニスを見て、ファリナは思わず笑ってしまう。

(なんだか不思議だな)

 最初は、ただの軽いだけの男なのかと思っていた。だが、実際には自分の意見をはっきりと述べることのできる男だ。それが悪い方向に向いているわけではない。むしろ、自分にはないものを持っていると感じさせられることが多い。そして、それは決して不快なものではなく、どちらかといえば心地いいものだった。こんな部下を持っているアルカナス王は幸せ者だとは思う。

「わかった。準備をする。私も連れて行ってほしい」

 そんなアルカナス王は妻になど興味はないだろうから、まあすぐに許可をもらえるだろう。

「じゃあ、陛下に聞かないとですね。アルカナス王は自室にいます。一度訪ねてみては?」

「……本気か?」

 アルカナス王の自室など、近寄ったことはない。あそこは魔力が濃すぎて、ファリナでも近寄りがたい。しかし、レオニスのにこやかな提案に、ファリナは目を見開いた。

「ファリナ様は王妃なんですし、別にそこまで嫌がる必要もないでしょう?」

「それは……そうかもしれないが……」

 確かに、もう自分は王妃なのだから、これくらいのことはしてもいいのかもしれない。いや、むしろしなければならないことなのかもしれない。

「それに、そろそろファリナ様もちゃんと陛下のことを知ってください。お互い、何も知らないのでしょう?」

「……それもそうだな」

 それならば、自分で行ってみるほうがいいかもしれない。そう思って、頷いたのだが、いざ行くと決心してもなかなか足が進まない。案内されなくてもアルカナス王の居室はわかっている。星に一番近い場所。塔の真上の部屋がアルカナス王が魔力を高めるにいい部屋であるらしい。そこへおずおずと行ってみる。許可をもらわなければ、魔法障壁の側には近寄らせてもらえない。それでは、この国の姿を確かめられない。城に魔物が出現している理由も知りたい。

「陛下。ファリナです」

「なんだ?」

「お話があります」

「入れ」

 しかし、ノックをしてみると意外にもあっさりと入室許可が出た。

(なんで、こんな簡単に?)

 そう思いながら鉄製の扉を開く。するとそこには「魔術王」の称号にふさわしい部屋があった。広い空間には本棚や本が溢れんばかりに積み上げられ、机の周りにも山積みになっている。その上に無造作に置かれた書類の数々を見ると、本当に多忙なことがわかる。天井からは大量のアミュレットやタリスマンがぶら下がり、奥の五つほどある暖炉では魔法薬らしきものが煮えたぎっている。思わず逃げ出したくなるほどの匂いに、ファリナは少し顔を歪める。

「……っ!」

「どうした?何かあったのか?」

 椅子に座ったまま、顔だけこちらに向けてきたアルカナス王は、やはり相変わらず無愛想だった。

 ファリナは負けずに思い切って聞いてみることにした。

「は、はい、実はワイバーン討伐についていきたく」

「聞いている。アレス騎士団長がレオニスの部隊を推薦したとか。貴様もそれについていくと?」

「はい」

「……それならば」

 アルカナス王は小指をわずかに振った。その瞬間、机の上の羊皮紙に書かれた魔法陣がふわりと浮き上がり、そのままクシャクシャと丸まって形を作り、小さな指輪に変化した。そしてそれはふわふわとファリナの方へ飛んでいくと、左の薬指にすっぽりと嵌る。

「これをつけていけ。それだけでなんとかなるだろう」

「こ、これは?」

 指輪の魔力は感じるが、何の意味があるのかファリナにはわからない。しかし、アルカナス王は詳しく教えてくれない。

「安心しろ。必要な時にしか発動せん」

「はあ」

 よくわからないまま、ファリナは返事をするしかなかった。

「……それでよければさっさといけ」

「はい……あの、陛下」

 そのまま帰ろうとしたファリナは、動きを止めた。

「なんだ?」

「アルカナス王はずっとここで夜は魔法障壁を?」

「……そうだな」

「それは、あなたは眠れているのですか?」

 その時、アルカナス王の動きが止まった。ゆっくりと立ち上がって、そしてファリナの前に立ちはだかる。その瞳にはしっかりと隈がついている。それはそうだ。考えてみれば当然のこと。魔法障壁を国境に配備するなど。普通ではない。そのために一睡もできないなど、簡単に考えられる。そして魔法で疲労は癒すことはできても、その苦痛は発狂するほどではないのか。

「行け」

これ以上聞くなとばかりに、再び冷たい声が返ってくる。

結局それ以上は何も聞けず、ファリナはすごすごと退散することとなったのだった。




 それから数時間後、アレス騎士団長率いる騎馬部隊は城門の前に集合していた。

「いいか、お前たち!今回の目的はワイバーン退治だ!いつものように連携を忘れるなよ!!」

「はっ!」

 全員が整列して敬礼をすると、先頭にいたアレスは馬を走らせた。その後ろを兵士達がついて行く。

 ファリナはその隊列の一番後ろにいた。隣にはレオニスがいる。彼もまたいつもの格好ではなく、全身を魔法の詠唱が縫い付けられたマントを羽織っていた。

「さすがに、いつものような格好では戦えませんからね。これで少しは防御力もあがります」

 レオニスが他の兵士には聞こえないように教えてくれた。

 鉄の装備よりも魔法での装備の方が、ドラコニア国では主流というのは興味深い。

「魔物の攻撃も防げるのか?」

「ある程度は。ですが、もちろん、アルカナス王の加護だけではなく、自分の力もないと意味ないですし」

「そうか」

 さすがだな、と思いつつ、前を走るアレスの背中を見る。彼の背中はいつも頼もしいものだ。

 そんなことを考えつつも馬を走らせて、数時間。目的の場所へたどり着いた。そこは岩の広がる荒野で。ひらけた場所であった。

「あれが魔法障壁……」

 そこには緑色の壁が張り巡らされていた。網目のような糸が天空まで伸びていて、その中を白い光が走っている。ちょうど巨大な蜘蛛の巣のようだと思った。その巣の中心に大きな宝石がある。魔法でできた核なのだろう。そこから光の筋が伸びていて、それが地面に刺さったり、あるいは上空を覆ったりしている。それがまるで城を守るかのように存在していた。

(これが……魔法障壁)

 改めて見ると、圧倒されてしまう。この中にいれば魔物に襲われることはないのだ。そんな強さがある。

 だが、よくみるとその魔法の核にはわずかに曇りがあった。目を凝らさなければわからない程度だが、確かに黒点が一つ。そしてその宝石の黒点に沿うようにして、蜘蛛の糸のような魔法障壁に、ひび割れが広がっていた。

(あれがきっと、魔法障壁を弱めている)

 そこからワイバーンたちがひび割れから身をよじるように入っていく。

 そこに多くの兵士が集まっているのがわかる。その中央に巨大な翼を持つ生き物がいた。あれがワイバーンなのだろう。大きさ的には大人二人分くらいはあるだろうか。鋭い牙と爪を持ち、尻尾の先端にも棘がついている。空を飛び回りながら急降下してくるので、油断すれば大怪我をすることになる。

 ワイバーンは一匹だけではない。ざっと見ただけで、数十匹はいる。大きな翼を広げて、悠々と空を飛んでいるのだ。ワイバーンは上空から攻撃する方が得意だ。だからこそ、空からやってくる魔物に対して、地上からの迎撃は非常に不利になる。

「弓兵部隊、矢を放て!」

 隊長らしき男の号令に合わせて、一斉に弓矢を放つ。ワイバーンたちを鉄の矢が襲う。しかし、それらも数匹の翼を奪った程度で、本体にあたったところで、ワイバーンたちはびくともしない。

「……強いな」

「ワイバーンは基本的には首の下以外は、刃での攻撃は不可能です。一応魔術師もいるのですが……」

 その時、マントで顔を隠した男が杖を振り上げて詠唱完了した魔法を唱える。光の輪が一匹のワイバーンを取り囲み、そのままワイバーンは地面に倒れ伏す。それを合図に次々と兵士が攻撃を仕掛けていく。どうやら、ワイバーンの飛行能力を奪う魔法であるらしい。

 それでもワイバーンは手ごわい。抵抗するワイバーンのすべての攻撃をよけられるわけではなく、何人かの兵士の腕や足に噛みつかれていたり、尾で叩かれたりしている者もいる。それでも数人で仕留めている。そして魔術師もまた詠唱に入るが、かなりの時間がかかるようで、それを護衛する者も必要となる。それほど効率のいいやり方ではない。

(それでも、弓で翼を落とすべきか)

 ファリナが剣を握った瞬間だった。

【見ツケタァ】

 城内で響くのと同じ声が響く。

 瞬間的に、すべてのワイバーンの視線がファリナに向いた。

「な……っ!」

 明らかに自分を狙ってきている視線に、思わず声が震える。

(まさか……ここでも私を狙っているのか?!)

 幸いなのは、まだワイバーンの群れの中に入っていないことだ。群れの中に入れば間違いなく死ぬだろうことは容易に想像がついたからだ。だが、このまま逃げても追い付かれるだろうこともわかっていた。ならばどうするのか。

 一瞬のうちに考えた結果、一つの答えを出す。

「……走れ!」

 そう叫ぶと、ファリナは手綱を引いた。そのまま馬がいななきを上げて疾走する。その中をファリナは叫ぶ。

「狙いは私だ! 地表に降りてきたところを仕留めろ!!」

 そう叫びながら、あえて先に交戦していた他の部隊を突っ切り、そのままレオニスの部隊へと突っ込む。

「あの方を守れ!! 一撃で喉を仕留めろ!!」

 瞬間的に、レオニスもファリナの言葉の意図を理解したらしい。すぐに指示を飛ばしてくれる。

れに応えるように、兵士たちが雄叫びを上げる。その声に反応するように、一気に速度を上げた馬は、あっという間に大地を駆け抜けていく。しかし、飛竜の動きは速い。すぐさまファリナを追いかけるように降下してきた。

(このままでは追いつかれる……!)

そう思った時、前方から槍が大量に飛んできたのが見えた。ファリナを避けて、ワイバーンたちを貫いていく。喉を貫かれたワイバーンはそのまま地面へ落ちていく。レオニスの槍だった。

「ここは任せてください」

 振り返ると、レオニスはすでに次のワイバーンを倒している。それにファリナはにやりと笑い、そして自分も宝剣セレスティアルを抜いた。

「助かる」

 それだけ言うと、さらにスピードを上げていくのだった。だが、他の兵士は苦戦を強いられていた。

「くそっ、こいつら倒しても倒してもキリがないぜ?!」

「弱音を吐くな! もう少しで援軍が来るはずだからそれまで耐えるんだ」

 レオニス隊の兵士たちは目の前のワイバーンに向かって剣を振り下ろすが、硬い鱗に覆われた体にはなかなか傷がつかない。反対に、こちらの体の方が傷だらけになっていくばかりだ。

 しかも、すでに何匹か倒しているというのに、一向に数が減ったような気がしないのである。むしろ増えているのではないかと思えるほどに、空に浮かぶワイバーンの数は増えていく一方であった。

(これでは、犠牲が……っ!)

 ほんのわずかに他者のことを考えているのが悪かった。

「ファリナ様!」

 一瞬、死角からのワイバーンを見逃した。気が付いた時には眼前にワイバーンのかぎ爪が迫っている。

「あ……!」

 間に合わない。

 防御しようにも手を出せば確実に殺されるだろう。せめて、急所だけは避けなければ、と体を動かそうとした時だった。目の前に黒い影が躍り出たのは。

【ギャアアアア!!】

 悲鳴とともに黒こげの血飛沫が上がったのはほぼ同時であった。

「アルカナス王?!」

「貴様! 油断するなと言っていただろう!」

 アルカナス王の姿がファリナの前にあった。そして、叱責を飛ばしながらアルカナス王が魔法をさらに叩き込む。ワイバーンの体が炎を上げて、そのまま地面に落ちる。それを見て、慌ててファリナは体勢を整えると、同じように別のワイバーンに斬りかかった。

「なぜここに?!」

 周りを見ながら戦っている余裕などない。だから、視線を前に固定したまま、声だけで問うと、アルカナス王も同じような声で返してきた。

「もう妻を失うつもりはない。そのために、貴様に指輪を渡した。まったく、油断も隙も無い。こんな魔法は我とて、日に何度も使えぬのだぞ」

 その言葉と同時に、アルカナス王が放った魔法がワイバーンを襲う。まるで生きているかのように動く炎がワイバーンの体を燃やし尽くしていく。その様子を横目で見てファリナは思う。

(指輪の召喚式で、来てくれたのか)

 召喚魔法は膨大な魔力を消費する。伝説級の魔法。それこそ、名の知れた魔術師であっても、命懸けの魔法である。それをこうも軽々しく使うとは。やはり、この男は侮れないと思った瞬間だった。

「さあ、行け」

 ファリナの体の傷がふさがっていく。それがアルカナス王の補助魔法だと、ファリナもそこで気が付いた。

 それからどれほど経った頃だろうか。ようやく全てのワイバーンを倒すことができたようだ。しかし、その頃にはすでに日が傾き始めていた。空に浮かんでいたはずのワイバーンの姿はなく、代わりに大量の死体が転がっているだけである。

「はぁ……なんとかなったようだな」

 額の汗をぬぐうと、ファリナは大きく息を吐いた。辺りを見回せば、あちこちに騎士たちが座り込んでいたり、寝転がったりしている。無理もない。あれだけの戦闘をしたのだ。無理はない。

「まだだ」

「え?」

 だが、アルカナス王はまだ臨戦態勢を解かない。そして、ファリナにもう一度同じ言葉を繰り返した。

「まだ、終わっていない」

 そう言って指をさしたのは西の方角だ。複数の宝石がアルカナス王の指先で光る。

「これ、は……」

 日が落ち始めている。それなのに見えるものがあった。それは赤い光だ。それも一つではない。いくつもあるように見えるのだ。それがこちらに近づいているようにも見える。それは間違いではなかった。だんだんと近づいてくる赤の光に、ファリナは思わず呟く。

「まさか、ワイバーンの群れ……?」

「それだけではない。オークに、ゴブリン。この魔術王の魔法障壁が弱っていることを知って。はは、魔王め、本当に我と我の妻を仕留めに来たらしいな」

 それは数にして数百匹はいようかという数のワイバーンであった。数十だけでも苦戦する相手だというのに、これほどの数を相手にするのは不可能だ。ましてや、こちらは疲労困憊しているのだ。

 ファリナはセレスティアルを握りしめ、そしてアルカナス王に向き直った。

「……っ、お逃げください、アルカナス王!」

「なに……?」

「私が囮になりますから! あなたはどうか安全な場所へ!」

「何を言っている、貴様は」

 何を言われているのかわからない、というような表情をしているアルカナス王にファリナは言った。

「ここはあなたの国だ。だからこそ、あなたは生きる意味がある。あなたに今、命を助けられました。それならば、私もあなたの命を救います」

「なんだと……」

 何を言っているのかわからない、といった表情のままのアルカナス王にファリナは続ける。

「あなたが死ねば、この国も終わります。でも、あなたが生きていれば、この国はどうにかなる。そうでしょう?」

 そこまで言って、ようやくわかったのだろう。アルカナス王は眉間にしわを寄せると、言った。

「それで、貴様が死ぬと?」

 絶望を隠してセレファリナに、アルカナス王はわずかに笑う。

「これならば、どうだ?」

「え……っ」

 その瞬間、疲労も何もかもが吹っ飛んだ。それがアルカナス王の本気の大魔法だと理解するのに数秒。その間に、アルカナス王は詠唱もなく魔法によって他の兵士たちの疲労とケガを癒していく。信じられない顔をして、兵士たちが立ち上がる。

「まだ戦えるだろう。それとも、逃げるか?」

 そんな問いかけ、拒否できるはずがない。ファリナは笑う。

「いいえ。私は、この国の妃ですので」

「……そうか」

 それを合図に、全員が武器を構える。もはや戦う気力さえ尽きていたはずなのに、全員の瞳には闘志が戻っていた。いや、それ以上にぎらぎらと輝いているのがわかる。きっと自分も同じような顔をしていることだろう。そう思いながら、ファリナは剣を構えたのだった。

(大丈夫……勝てる)

 そんな確信があった。それは魔術王が傍にいるからかもしれない。

「貴様のアミュレットは我の魔法が届くようになっている。いくらでも回復魔法も補助魔法もかけられている。存分に暴れろ」

「感謝します、アルカナス王」

 その言葉にうなずいて返すと、ファリナは一気に駆けだしたのだった。



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