第4話 獣耳の姫君は魔術王の国で強くなりたい

「……時間通りに来たようだな」

「はい。おはようございます、陛下」

「ああ。それでは行くぞ」

 アナに本当に起こされて、それから準備をしてファリナはアルカナス王の待つ裏庭に続く廊下までやってきた。

 ドレスなどではなく昨日と同じく軽装備に頭巾をきちんと被っている。明るい時間に、獣耳を見せつけて歩くことがどれほどはしたないことなのかは、さすがにファリナでもわかっている。

 昨日はあれだけのことがあったというのに交わした言葉はそれほど多くはない。アルカナス王はそっけなく、ファリナが来たことを見届けると、さっさと歩き出してしまう。ファリナもそれに黙ってついて行く。

 ファリナの腰には、セレスティアルがあった。

「その剣」

 振り向きもせずにアルカナス王が声をかける。ファリナもすかさず言い返す。

「……護身用ですが、何か」

 アナも微妙な顔をしていたが、昨日のことを考えてみれば、護身用のものがなければ安心できない。そういえばアナは引き下がってくれた。王も何か言ってくることは想定済みだった。

「何か、特殊な力を帯びているな。魔力ではない、もっと特殊なもの」

「はい。フェアリーレイン国の宝剣。王の血筋を引く者しか扱えない剣です。それ以外のものが使おうとしても、ワラは一つ切ることはできません」

「そうか。良い剣だ。大切にしておけ」

 てっきりそんなものを腰に下げておくな、と否定されるかと思った。

 貴様のようなものに、そんなものを下げ渡すなど宝の持ち腐れだと言われるかと思った。事実、親戚筋の騎士団長からは、獣耳のファリナがそんな宝剣を持って嫁ぐなど、言語道断だと拒絶された。

 だから同じような反応をするかと思ったが、アルカナス王の言葉は意外にあっけない。

「この先だ」

 そのまま二人で扉を抜けて、庭の方を歩いていく。

(裏庭ということは、個人的な庭であるはずなのによく手入れされている)

 王宮でも、来賓などを迎えるための庭先は、とてもよく手入れされているものの、王やその家族が団欒するための庭はそこまで手入れはされていない。もちろん季節の花が咲き乱れて、雑草が生い茂ったりしないようにされてはいるものの、それでもその程度なのだ。王宮の権威を示すための巨大な建築物や彫刻は控えめに、畑なども小さくではあるが存在している。ファリナもそこでよく剣の訓練をしていたものだ。

 だが、そんなフェアリーレイン国の裏庭とは違い、ドラコニア国の裏庭は、どこもかしこも花が多く咲き乱れていた。

(ここにも魔力を大量に使っているようだな)

 バラやラベンダーが咲き誇るその隣で、 カーネーションやシクラメンが大輪の花を風に揺らしている。その光景はどこか異様なものだった。魔術師の中では、そういう植物を操る魔法に長けているものはいるらしいが、そんな者たちであっても、ここまで美しく、季節の花々を一気に咲かせることは難しい。

「これは私の個人的な趣味だ。魔力は消耗するが、ここだけはどうしても譲れなかった」

 そういいながら、アルカナス王は花の中でもよく美しく咲いているものを摘んでいく。

「貴様も持っていけ」

「はあ」

 まるで絵面だけ見れば、王とおつきの騎士のような状態で、花を押し付けられる。詰んだ花は、まったく萎れる様子もなく、そのまま美しい状態だった。

「行くぞ」

 それから何十本もの花を持ってから、アルカナス王は歩き出す。

 庭先を抜けて、巨大なドラゴンの彫刻が並ぶ門をくぐる。そこにはまた魔法による鍵が施されていた。

「昨日、貴様の部屋にかけたものと同じものだ。中からは簡単に開くが、外側からはまともに開くことはない。外側から開けることができるのは私だけだ」

「……どうしてそんなもの?」

「ここは貴様と違って、内側から開く者はいないからな」

 意味深にアルカナス王は笑って、その緑の瞳を細めた。その瞳がどこか寂しそうな光を宿していたのは、きっと気のせいだろう。

 そのまま小高い丘を登る。

「……これ、は」

 そこにある光景に、ファリナはぎょっと目を見張った。

 そこに広がるのは墓石だった。

 丁寧に名前の刻まれた墓がちょうど二十三。

 それは、アルカナス王の殺された妃の数とちょうど同じ。

「貴様も、昨日の夜に殺されていれば、ここに今日入る予定だった。代わりに兵士が二人、殺された。貴様を守るためにな」

「……」

 綺麗な御影石の墓石。その一つ一つには花の飾りが添えられている。アルカナス王はその墓に近寄ると、静かに花を添えていく。わずかでも埃があればそれを払い、花が萎れていれば、それを新しい花を入れ替える。

「これだけの人間が犠牲になってきたのか」

 二十三人、という人数を噂で聞いていたが、これほどまでの人数であると突きつけられると圧倒されてしまう。

「そうだな。そういうことになる」

 あまりにあっさりとした言いぐさにまたぎゅっと拳に力が入る。

 ふざけるな、と思った。

 こんな男に嫁ぐことを選んだのは、ファリナ自身だ。自らの国を捨てて、ドラコニア国に嫁いできた。最初からわかっている。この国が決して安全ではないことくらいは理解できる。

「ここは魔物の脅威に常に怯えている国だ。どれほど魔法で強化しても、どこからか魔物が侵入し、我の周囲の人間を殺していく。貴様も、その対象として目をつけられたということだ」

 しかし、こうしてお前も墓に入るのだ、と突きつけられているのは我慢できない。

 殺される為に嫁いできたわけではない。ここで生きるために、ファリナはドラコニア国を選んだのだ。たとえ訳ありであろうとも、この男の妃となるために。

 たとえ、誰からも差別される獣耳であろうとも。

 風が吹き抜ける。朝の、澄んだ空気を含んだ風。冷たい風が、ファリナの熱を冷ましてくる。

「怯えたか?」

「……私は死んだりしない。殺されたりなど、するものか」

 拳を握りこんだまま、ファリナがそのままの感情を口にする。胸元のアミュレットの緑色の光が強くなる。

 それを見つめて、アルカナス王は目を細めた。何を考えているのか分からない。ただ、何か眩しいものでも見るかのように、ファリナをじっと見つめていた。

「それならば、楽しみにしている。せいぜい、生き残るがいい」

 そこで初めて、アルカナス王は唇を緩めた。冷徹そうだが、整った顔立ちは、確かに美しいとは思う。魔術王という名にふさわしい、威厳に満ちた表情が、まっすぐにファリナに向けられていた。

(初めて、この男は私を見た気がする)

 昨日の今日でやってきた二十四人目の妻を愛する、なんてできるはずがないことはわかっている。

 しかし、何の式典もなく、少し話しただけの男が、真正面からファリナを初めて見た。

 妃や獣耳や、そんなものを抜きにして、ファリナという二十四人目の妻を。やっとまっすぐに。

 そんな気がした。




「……訓練にも参加を許してくれているのだな」

「陛下が、ファリナ様がそうしたいのならば、と。もちろん、すべての訓練に参加することは難しいかもしれませんが、できる限りの便宜を図ってくださるそうです」

「……騎士団の中でちやほやされたいわけではない。ただ、普通の一兵卒と同じように訓練に参加させてもらえればそれでいい」

 アルカナス王の目的なんてわからない。墓参りをして、そのまま部屋に帰った。あれから特に会話なんてまともになかった。ただ、「この墓には、貴様一人では入れぬ」と言われて、魔法による結界を張るところまでをきちんと見せられた。

 一つだけ納得することができたのは、ファリナの部屋にかけられた魔法が相当強い魔法であるということだけだった。部屋に帰るまでも廊下や部屋の扉などを注意深く見渡してみると、やはり魔物が襲撃した痕跡が色濃く残っている。

 そんな中であの裏庭だけがなぜか、一切の魔物の襲撃がないというところに関しては、確かに納得することができる。アルカナス王の強い防御魔法によって、あの墓には誰も近づくことが出来ない様にされているのだ。夜になると魔物が徘徊しているというのならば、死肉は確かに御馳走だろう。それもこの国に嫁いで魔物に殺された悲劇の姫君たちの怨念がつまっているのであれば余計に。それが荒らされた形跡がないほどの魔法を、魔術王はかけているのだ。

「アナ、もう一度確認してもいいだろうか」

「は、はい」

 その日も冷めたスープと、香草のほとんど使われていないサラダ。それに硬くならない程度のパンは健在だった。メインの料理が朝なのか軽めの鶏料理になっている。それを食べながら、ファリナはアナに声をかける。

「昨夜、ファリナはどこにいた?」

「私はファリナ様のお食事を見届けた後は、皆様と同じようにメイドたちの宿舎の方へ泊まりました。夕食を食べて眠ったのです」

「その時に、外には出てはいけないのだな」

「はい。私たちメイドも絶対に外に出てはいけないと言われています。どうしても外に出たい場合は、アミュレットを身に着けて、魔物に対抗することができる騎士達が付き添う事になっているのが決まりです」

「……そうか」

 ファリナは考える。アミュレットを身に着けることで魔よけになるのは理解できる。

「街の方に魔物は出ないのか?」

「城下町にはほとんど出ないそうですよ。騎士団が対処しなければいけない程の強力なものが出たのならば、それこそ私達の耳にも入ってきます。ですが、それもありません。もちろん夜間の外出は危険なので、ほとんどの人はしませんけれど」

「フェアリーレイン国と同じだな」

「もちろん強力な魔人や魔人と呼ばれるような、とんでもない力を有している魔物は、アルカナス王の魔術結界にかかりますので、こちらに来ることはありませんが……それでも、弱い魔力しか持たない魔物たちは、魔術の防御壁をすり抜けてきてしまうのです」

 魔界からは遠いフェアリーレイン国であっても、夜間に一人で街中を出歩くことは危険である。だが、どうしてもの時はアミュレットで退けることはできる。その代わりにアミュレットは一人一つではなく、家に一つあればいいだけの、昨日戦ったような、ウルフやリザードのような魔物は上位の魔物一人いれば、いくらでも増えることができる。その上魔力もそれほど高くないため、魔術の防御壁をすり抜けることができる。

 結果、アミュレットなどの魔物が嫌がるお守りを、メイドや妃も四六時中つけておかなければいけないのだろう。

「ここは……そういう国なのだな」

 地理的なことから、多少は覚悟はしていた。

 ファリナは拳を握る。

 魔物に襲われるかもしれない。上位の魔物と接触する可能性もある。

 しかし、城内に侵入するなんて前代未聞だ。

「やはり、訓練をしなければな。強くなるために」

「そうですね。剣だけでは難しいです。お洋服は用意しましたが……やはり、陛下に頼んで……え?」

「レオニス殿に頼んでしっかりと訓練をしてくる。昨日に約束をしたし、それに魔物を切るのならば、やはり剣を振るって少しでも腕を元に戻さなくては!」

 ファリナは迷いなくうなずいた。

 昨日のウルフやリザードは対処できないほどではなかったが、あれよりも強い魔物を対処することになるのならば今のままでは足りないということは、ファリナもよくわかっている。だからこそ強くならなくてはならない。

「アナ。私は騎士たちと同じように訓練をするもしも何かどうしても王妃でなくてはできないことがあるのならば、その時は声をかけてくれ。それまでは一人の騎士として、私は過ごしていたい」

 そういって立ち上がる。セレスティアルは置いていった方がいいだろう。

 さすがに訓練時にまで宝剣を持っていくことはためらわれる。それに、セレスティアルは人を守るための剣だ。訓練のためとはいえ、不必要に人間の血液で染めることはためらわれた。

「アナも気を付けて。昼間とはいえ、魔物が襲ってくるかもしれない」

「それは、そうかもしれませんが……あ、お待ちください!」

 ファリナはアナにそう告げると席を立ちあがる。

 きっちり朝食は食べている。これから訓練なのだから食事をおろそかにしてはいけない。そのままアナが静止する声も聞かずに、頭巾に耳と髪を隠してさっさと走っていく。

 胸元には一応、アミュレットもあるがそれも隠した。それくらいはアルカナス王の言葉を尊重しようと思ったのだ。


「待たせたか?」

「いえいえ。大丈夫ですよ、ファリナ様。それよりも、ずいぶんと思い切った姿していますね」

 ファリナがやってきたのは、昨日言われていた兵舎裏にやってきた。

「もちろん。一兵卒として潜り込ませてもらえればそれでいい」

 ファリナはひっそりとレオニスに会いに行った。

 騎士としての訓練とはいえ、一兵卒の顔を全て覚えている将は少ない。

 だから騎士の服と獣耳を隠せる目立たない頭巾を用意してもらっている。それで毛先と分からずにこっそり騎士団の訓練に潜り込めるはずだ。

 アナからも獣人が騎士団にも何人も混ざっていることは確認している。

 特に一兵卒ならば、目立たないだろうということも。

 獣人は獣としての特徴が強く表れているものも多いから、特に兵士としては重宝されやすいのだ。ほかの職業では差別される者も多いが、兵士だけは差別されないからと、あえて兵士になる者はフェアリーレイン国でも多かった。

「ですが、本当にいいんですか? ちゃんと妃として、最高のトレーニングをするっていうことも……」

「それでは強くなれない。昨日も魔物に兵士が襲われただろう。そういうところでどういう訓練をしているのか、きちんと見ておきたいと思っている」

 ファリナがうなずくと、それ以上はレオニスも言ってはこなかった。言ったところで、ファリナの意思が固いということを理解しているのだろう。

「わかりました。それじゃあ、出来るだけ危険なことはしないでくださいね。もしもどうしても危険なことになったら、すぐに俺を呼んでください」

 「そうじゃないと、さすがにアルカナス王に顔向けできませんので」とレオニスは端正な顔を曇らせていった。

「わかっている。迷惑はかけない」

 万一怪我をしてしまえば、その時にレオニスも必ず何か言われるに違いない。ファリナに釘をさしているのだろうということはわかる。

 だが、ファリナもフェアリーレイン国では騎士として、戦場を駆け抜けたこともある。

「じゃあ、こっからは特別扱いできませんよ。普通に話をさせてもらうからな」

 レオニスの口調が変わる。それがどうやら本来の口調であるらしい。ファリナは力強くうなずいた。

「すまないが、よろしく頼む」

 レオニスとともに兵舎の入り口をくぐり、訓練場へと入っていく。

「おはよう、みんな! 今日も張り切って行くぞ!」

 レオニスが声をかけると、すでに集まっていた騎士たちが一斉に挨拶をする。

 まだ朝だというのに、もう汗のにおいがしている。人間が密集して動くのだから、当然といえば当然だ。懐かしい匂いにファリナは耳が動きそうになるのをこらえた。

「隊長! おはようございます!!」

「今日もいい天気っすね! あれ、その方は?」

 若い兵士たちが挨拶をしてくる。その中には瞳が猫のような形をしている者や、犬のしっぽが生えている者も見える。レオニスの率いる隊では、獣人も珍しくないようだ。

「うちの隊の面々だ。ああ、少しうちで訓練するようになった。俺の親戚筋の獣人の子でな。家業を継ぐために、体力を身に着けたいということだ。訓練を一緒に参加するんだが、よろしく頼む」

「そうなのか! そりゃあ歓迎するぜ!」

「獣人だからって遠慮するなよ。ここじゃそういうのは王様が禁止してんだ。ほら、今度のお妃様は、獣人らしいし」

「でもすげえ綺麗なんだって。今までと毛色が違う綺麗さって言うの? 式典のぞき見してたやつが言っていた」

「おい、お前たちそういう会話は後にしろよ」

「よ、よろしくお願いします」

(いきなり最初からここまでフレンドリーに接してもらえるとは思わなかった)

 ファリナは兵士たちの人懐っこさに面を食らいながら、とりあえず頭を下げた。

 ファリナがフェアリーレイン国で騎士をやっていたころは、もちろん表立って差別はされなかったが、陰口は言われていた。他の兵士とうまくやれずに孤立していたこともあった。

 だがここでは、どうやら違うらしい。兵士達からは好意的な雰囲気が伝わってくる。

 中には物珍しそうにファリナのことを見るものもいたが、それもごくわずかだった。それがとても新鮮で、嬉しいことだった。

「さて、今日はランニングからだ。まずは体を温めてもらう」

「うえ……まあ、やりますか!」

「新入り、あんま無茶するなよ? 最初から飛ばすと、後がもたないからな」

 全員が揃ったことを確認して、レオニスが指示を出す。何人かの兵士は不満そうに声をあげたものの、レオニスに逆らうものはいない。彼はこの隊の隊長であり、誰よりも強い戦士でもある。そんな男に反論などできるはずもない。

「それから、いつも通り柔軟体操をしたら素振りに入るぞ」

 そうして始まった朝の訓練メニューに、ファリナは驚きに目をみはった。

「……なんだこれは」

 思わず声がこぼれてしまうほどに。

 まず驚いたのは、とにかく走る距離が長いことだ。そして走っている間の姿勢や動作を細かく指示されていることだ。走り込みだけではなく、腕立て伏せや腹筋運動といった筋力トレーニングも含まれていることに驚く。さらにランニングをしながら、弓の練習まで始めているのだ。馬上で弓を射ることはあっても、短弓を動きながら的に当てるのはファリナであっても至難の業だった。

「驚いたか?」

「はい。かなりの練度ですね。しかも、戦争のためではない」

「そりゃあ、こんな国。人間なら誰も戦争しようとは思わないさ。ここを攻めればそのまま後ろの魔王にまで目をつけられる」

 まさかこの国でこれほどまでにハードな訓練をしているとは、思わなかったのだ。確かに騎士団のレベルは高いと思っていたのだが、予想以上だ。おそらくフェアリーレイン国の軍隊よりも厳しいのではないだろうか。いや、フェアリーレイル王国軍はどちらかというと訓練というよりも、戦争を想定しているから対人戦を意識している。だが、このドラコニア国での訓練は、どちらかといえば大小さまざまな敵を倒すために特化しているような気がする。

 それらがすべて、魔物のためだということは、ファリナも気が付いていた。

「……すごいものだな」

 素直に感嘆する。感心していると、レオニスが笑う。

「だろ? 実は俺も驚いているんだよ。他の国に演習しに行ったときなんかは、弱いってバカにされるんだけどな。なにしろ対人ではなく、対魔物の訓練ばかりだから」

「そういう、ことか」

 ファリナはうなずく。魔術王のいるドラコニア国。その国はあまり兵士は強くない、といううわさはあった。

 それが、国の特性であるならばうなずける。この国は人間と戦争をしている暇はないのだ。それよりももっと大変な脅威に直面しているのだから。

「ああ。だけどこれがこの国のやり方なんだよなあ。俺が言うのもなんだけど、ここの人たちは変わってるんだよ」

 そう言って笑った後で、ふと表情を引き締める。

「だから俺はここで育ったんだけど……だからこそ、あんたを鍛えることができると思う」

「……」

 その言葉だけで十分だ。レオニスもまた、この国を守るために戦っているのだとわかるのだから。

 そうこうしているうちに、一通りの基礎訓練が終わり、今度は武器を扱う練習に移るようだ。剣や槍を振るうには広い場所が必要なので、兵舎裏にある練習場へと向かうことになる。

「さて、少しは対人の訓練もしないとな」

「新入り、お前も来いよ……」

 気のいい兵士たちがそんなことを言いかけた時だった。バタバタと兵舎に駆け込んでくる音が聞こえた。

「おい、レオニス隊! 早く広場へおこしください!」

「どうしたんだ?」

 驚いたように顔をあげるレオニスに、一人の兵士が叫ぶように言う。

「レオニス殿、早く広場へ来てください。騎士団長が演説されます! 今朝、その連絡が来ていたでしょう?! 昨日の件で話があると!」

「そのようなことが?」

 騎士団長といえば、隊長であるレオニスよりもはるか上の階級である。そんな騎士団長が演説するのなら、さすがに朝から連絡があるだろうし、それを忘れているなんてありえない。

「いやあ、聞いた覚えはないがな。まったく聞いていないままでよかったのに」

 しかし、レオニスは慣れたように驚いた様子もなく、腰を上げた。

 どうやらこういうことは初めてではないらしい。部下の兵士たちも慣れているのか、やれやれと言った様子で肩をすくめるだけだ。

そんな様子を見て、ファリナは少し興味を持った。騎士団長の演説というのは興味深い話だし、もしかしたら王も知らないかもしれない話にもつながる可能性があるからだ。

 それに、騎士団長はいったいどんな人物なのかというのも気になるところだ。アルカナス王のところに行ったときに見たことはあったが、ずっと目線などあわせずに厳かな雰囲気をしているばかりで、顔さえまともによくわからなかったのだ。

「よし、じゃあ行くか。まあ、階級つきの連中だけでいいだろ。あ、お前さんは来るといい。せっかくの経験だしな」

 レオニスは慌てることなく、ぞろぞろと全員で連れだって歩いていくと、すでに多くの兵士が集まっていてざわめいていた。ざっと見た感じでも二、三百人は超えているようだ。レオニスの言葉が本当なら、役職持ちとその護衛だけでもこれだけの数がいて、その数十倍の兵士が王宮にいることになる。

(なるほど、これだけの人数がいれば、魔物の群れにも立ち向かえるだろうな)

 ファリナはその大所帯に納得する。

 魔物対策として兵士として働いていることは聞いていたが、騎士団の連隊がここまで多いとは思っていなかった。ここまでの数がいるとなると、やはり魔物への対策が大きいのだろうと思われる。

(だが、それだけではなさそうだ)

 ファリナは周囲を見渡しながら嫌な感じを覚えていた。何かはわからないが、何か異様な空気が流れている気がするのだ。何よりも、ファリナに視線が集中している気がする。何か、視線を感じる。それはファリナの生国であるフェアリーレイン国で、よく味わったことのある視線。

「……」

(国王が禁止していても、さすがに獣人の差別はあるのだろうな)

 獣耳は隠していてもすぐにばれる。顔に獣の特徴があるせいで隠すことが難しいのだ。そのため、堂々とさらしている獣人は多いが、そうでないものもいる。

「我慢してくださいね」

 レオニスがぼそりと言った。それにファリナもうなずこうとした。だが、それよりも先に雷鳴のような声が広場に響き渡った。

「貴様ら、たるんでいるぞ!!」

 その瞬間、思わずファリナも姿勢を正した。立派な服を着こんだ老齢の隻眼の男が立っていたからだ。白髪交じりの髪と、深く刻まれたしわが男の年を感じさせるが、瞳の強さだけは年齢を感じさせないものだった。腰に剣もファリナでもわかるほどの魔力を宿している。そのせいかぞくりと、ファリナの背中に冷たいものを感じた。

 男はぐるりと兵士たちを見回した後で言った。

「貴様たちは何のためにここにいる? 平和ボケして怠け者になっている場合ではないぞ! いつまたあの恐ろしい魔物が出現するかわからないというのに! そんなことで我らの国を守れると思っているのか!!」

(この男を、私は知っている)

 ファリナはその男に目を見開いた。

 昨日、ファリナがベールを脱ぎ、アルカナス王の前でその獣耳を自ら見せたときに、ファリナを批判した男だった。

(どこかの大臣かと思ったが、騎士団長とは)

 アルカナス王が獣人の差別を禁止していてもそれでも抗ったその男。それが騎士団長だったことに対して、驚きを隠せない。

「特にそこの新入り! お前は何をしに来たんだ! 獣人ふぜいがこのような場所に!」

 急に話を振られて、ファリナは思わずびくりと体を揺らせた。いきなり話題が自分のことになったので、驚いてしまったせいだ。慌てて否定しようとするのだが、その前にレオニスが先に口を開いた。

「……いえ、違います。こいつは俺の隊に配属された新入りです。アレス騎士団長の強さを見せようと思いまして。どうしても魔人バフォメットを討伐した英雄が見たいと」

「……ふん。獣人はたとえ階級持ちでも、私の目の前に現れるな、と言い聞かせていたはずだが?」

「それは、ほら。立場をわからせるのに、いい機会でしょ?」

 にやりと笑って言うレオニスに、アレスは眉をしかめる。

「……まあよいだろう。そこの新入り、よく覚えておけ。獣との混ざりものごときが、この国で強くなれると思うな。結局貴様らは魔物と人間との盾となれ。我がアルカナス王の尊き犠牲になるがいい」

 あっさりと言われた言葉に、ファリナは何も言わない。ただじっとアレスを見つめていただけだった。さすがに王の禁止されている獣人への明確な批判に、周囲からざわめきが起こる。だが、ファリナはまったく表情を変えなかった。まるで興味がないような無関心さで、ちらりと見返すだけだ。

 そんな態度を見て、アレスは憎々しげに口元を歪める。

(そんなことで怒りなど出すものか)

 ファリナは慣れ切ったその瞳に、感情を波立たせない。

(そんな言葉、祖国でいくらでも受けている)

 敵がわかっただけでいい。それがファリナにとっては、ありがたいことでさえあったのだから。


「先ほどは申し訳ありませんでした」

 アレス騎士団長との演説が終わってから、レオニスは深々と頭を下げた。

 ファリナは気にした様子もなく、レオニスに言った。

「別に構わない。むしろあのような場所につれてきてくれてありがたかった。ああいう高官とはなかなか接触する機会がないからな」

「……あの方はかつて魔王の直接の部下であった魔人バフォメットさえ討伐した伝説の方なのですが、どうしても差別意識が高くて。それ以外は、とてもいい方なんですけれどね。まあ、最近はすっかり耄碌して、なんだか誰にでも厳しいですが」

「アレス騎士団長はレオニス殿の……」

「ええ、師匠でした。だから今でもああいうことをしても、多少は見逃してくれるんですよ」

 レオニスの言葉にファリナもうなずける。

 ドラコニア国には魔王の直接の部下である魔人を討伐した騎士がいると、フェアリーレイン国でも有名だった。魔界に住む魔王は、とてつもない魔力を有している。それこそ魔術王のドラコニア国と小競り合いをしていなければ、この世界を全て魔物たちの国に変えようとすることを本気でやるぐらいには、野心の強い王である。人間側の魔力持ちが次々と魔物に狙われている状態で、まともに魔王と対話できるのは、アルカナス王だけとも。

 だからこそ、ドラコニア国は産業の乏しい小国でありながら、ほかの国からは絶対に攻められることはない。

 ドラコニア国の消失は人類が魔物の家畜になり下がるのと同じなのだから。

「それにしても、兵士の練度はなかなかに高いな」

「俺たちは小物専門ですけれどね。魔人クラスとやりあえるのは、アレス騎士団長か、アルカナス王くらいのものです。アルカナス王は最近は防護壁を固めているせいで、ほとんど戦闘はしていないんですけれど。昔は結構すさまじかったですよ」

「そうなのか?」

「はい。あの方は次の状態では剣を振ることもそれほどできる方ではありませんが、魔法で肉体を強化していれば、魔人とも互角に渡り合えます。魔人のような上級の魔物はそれこそ生まれるだけでも百年単位の時間がかかりますからね。魔王もせっかくの優秀な手駒を失いたくないんでしょう。アルカナス王の命を狙っていても、殺されるとわかって魔人を送り込むような馬鹿な真似はしませんよ」

「……魔人か」

 ファリナも魔人に対峙したことはない。かつて、魔人の血を大量に分け与えられたゴーレムを討伐した程度である。

 それでさえ、複数の仲間を失ったし、ファリナも宝剣セレスティアルと共に戦ってなければ命は危なかっただろう。

「魔界のことも、私はまだ何も知らないな」

「たぶん、うちのターンに入ってれば、魔界の方に近づくこともあるでしょう。それまでにファリナ様が生きて帰れると判断すれば、遠征も検討しますよ」

「本当か?!」

 レオニスの願ってもない提案にファリナは目を輝かせた。

 この国をもっと知りたいと思っていた。だからこそ、レオニスの提案はひどく魅力的だったのだ。

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