第7話 双方の違い
「今日はありがとう」
「言い出しっぺは母さんだから、礼を言うのはこちらかな」
夕飯の時間、少し前。いつも習い事をして帰って来るのと同じくらいの時間に、芽依は家の前まで送ってもらった。
ついてきてくれた瀬央は、やはり普段と変わらない態度だ。だが、親子の会話を目にした後では、少し違って見える気がする。
「お母さまと仲が良いんだね。都々理くん、ちょっと楽しそうだった」
「あんなもんだと思うけど。君の家がおかしいだけだよ」
「……そう、だね」
それは嫌というほど理解した。都々理家は確かに普通の家庭ではないだろうが、親子の絆という意味ではとても理想的に見えた。
芽依には持ち得ないものだ。
瀬央はほんの少し首を傾げ、「僕は母さんみたいに普通の優しいことは言えないんだけど」と前置きした。
「少なくとも、今日の君はいつもより楽しそうだったよ。何かあったら、うちに来ればいいんじゃない?」
確かに、楽しかった。あんなに楽しい団欒の時間は、初めてだった。
「……うん、ありがとう」
「それじゃ、もう帰るよ。……あ、そうだ」
車に戻りかけていた瀬央が、何かを思い出したように芽依に向き直る。
「行きの車で話してた、夢の話。分からないことが多いけど、もしまた同じ夢を見たら答え合わせしよう」
夢のことを完全に忘れていた芽依は、「あ」と間抜けな声を上げた。瀬央は苦笑するように唇を緩める。
「不思議な夢だけど、面白そうだからね。僕はまた見たいと思ってるんだけど、どうかな」
「そうだったら、楽しいかもね」
「うん。でも、斎宮さんにあのドレスは似合ってなかったな」
いきなりなんてことを言うんだと、次に苦笑するのは芽依の番だった。悪意がないことは分かっているから、もう失礼な言葉も気にならないが。
車に乗り込みながら、瀬央はうっすらと笑った。
「結婚式は白無垢の方が、斎宮さんには似合いそうだ。候補に入れておくね」
それじゃ、おやすみ。と。
さらりと言い残された言葉に固まっていた芽依には、最後の挨拶は聞こえていなかった。
フリーズ状態からどうにか再起動して家に入ると、リビングの扉から明かりが漏れていた。母がいるらしい。
都々理邸に行く前や、瀬央と話す時とは種類の違う緊張が、胸を満たす。
芽依は何度か深呼吸をして、ほとんど無意識に足音を殺しながら、そっとリビングの扉を開いた。
「た……、ただいま」
盟子はどこにも座らずに、リビングの中をうろうろと歩き回っていた。芽依が帰ってきたことに気付くと、大股で近寄って来る。鬼気迫る表情で、初対面の子供だったら泣いてしまうであろう迫力だった。
「どうだったの!? 都々理さんとはちゃんと話せたの!? おかしなことはしなかったでしょうね、ちゃんと大人しく話は聞いてた? 無駄なことは言わなかった?」
「……っ」
盟子の基準なら、今日の芽依の言動は赤点だろう。言わなくていいことを言ったし、勧められるがままにケーキを二つも食べてしまった。チーズケーキとザッハトルテ。
その後ろめたさが、もしかしたら顔に出ていたのかもしれない。すぐに答えられなかった芽依に、盟子はみるみる真っ赤になった。
「この馬鹿娘!」
バチンッ、と高い音が鳴って、それが頬を平手打ちされた音だと気が付くのに時間がかかった。
「ちゃんと気に入られてきなさいと言ったのに! いったい何をしたの!」
「ち……、違います。ごめんなさい」
「何が違うって言うの!?」
「都々理くんのお母さまは、私のことをすごく気に入ってくださって、あの、メッセージでもやりとりがしたいと、連絡先を交換してくださったんです。すぐに返事をしなくてごめんなさい」
衝撃で飛んでいた痛みが、遅れてやって来る。じんじんと熱を持つ頬をさすりたかったが、そんなことをすればまた怒られるのは目に見えていた。芽依は代わりに、自分のスマホを取り出して母に差し出した。
メッセージアプリの一覧に都々理夫人の名前があることを確認して、盟子の顔がパッと明るくなる。
「なんだ、それなら早く言いなさいよ。良かったわ、お前一人でちゃんとできるか本当に不安だったの。やればできるじゃない」
「……ごめんなさい」
「ああ、殴り損だわ。手が痛い……。もういいわよ、芽依。冷蔵庫にご飯が入ってるわ。ついでに保冷剤か何か、持ってきて」
ぽい、と放られたスマホを受け止めて、芽依は早足で台所へ移動した。冷蔵庫にはガパオライスが冷やしてあったが、食べる気分ではない。ケーキのお陰で、空腹でもなかった。結局冷凍庫から保冷剤だけを取り出し、近くの棚にあったガーゼタオルで包んで、母の元へ戻った。
保冷剤を渡したが、既にドラマを見始めていた盟子は生返事だった。
芽依は自分の部屋に引っ込むことにした。
階段を登る足は、重いのに早い。扉を閉める音が、やけに大きく聞こえる。
鞄を机に放り投げて、制服のままベッドに倒れ込んだ。
(……自分の保冷材も持ってきたらよかった……)
また、瀬央が夢に出てきてくれたらいいのに。そう思いながら、目を閉じた。
人形巫女と星の神様 神野咲音 @yuiranato
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