第3話 夢の中の異世界
微かな振動がメイの全身に伝わってくる。はっと目を開けて、まず視界に入って来たのは上品なフリル満載のスカートだった。手探りで布地をたぐって、それがメイの身に着けている真っ白なドレスだと気づく。
顔を上げる。知らない景色だ。少なくとも日本でないことは確かだ。
中世ヨーロッパ風、と言えば誰もが思い浮かべるような、石造りの街並み。前方を見上げれば、視界の半分を覆うくらいに巨大な城が聳え立っている。その後ろには、星々が煌く見事な夜空が広がっていた。
振動の正体は馬車だった。天井が無く、座っていると上半身が剥き出しになる形状のものだ。その馬車が、車が三台は走れそうな広い道を、ゆっくりと進んでいる。前後には鎧を着こんだ兵士らしき人々の列が続いている。
道の両側には人々が集まり、口々に喝采を叫んだり、紙吹雪を撒いたりしていた。まるでパレードのようだ。
「セオさま! メイさま! おめでとうございます!」
「万歳! ばんざーい!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
(なに、これ……)
あまりにも現実感がないのに、頬に触れる風や伝わる振動は本物だった。あと、揺らされている尻の痛みも。
「……斎宮さん?」
声をかけられて、初めて隣に誰かが座っていることに気が付いた。
「都々理、くん?」
セオが、少しだけ眠気の残る目つきでこちらを見ている。彼も真っ白なタキシードを着ていた。
「驚いた。……こんな夢を見るなんてね。どうでもいいと思ってるはずなのに、自分が思う以上に婚約のことが気になってるのかな」
話しかけるというよりは、独白のような言葉だった。
(これは、夢だ)
間違いない、と確信した。でなければ、彼と一緒にいるわけがない。
「セオさま、メイさま。よろしければ、民に向かって手を振ってくださいませ。みな喜びます」
御者台に座る男が、こちらを振り向かないまま言う。
真っ白に塗装され、花で隙間なく飾り付けられた馬車。それから、同じように白い正装に身を包んだメイとセオ。
ぽかんとして隣に座るセオを見上げると、珍しく目を丸くして彼もこちらを見ていた。
メイたちが無言で見つめ合っていると、御者が再び言う。
「お二人の結婚パレードですから。このエルソラの地に住まう者にとって、今日は特別な日になるのです」
メイたちは無言のまま、同時に頬をつねった。
そんなことをしても、特に意味がないことは分かっていたが。
パレードの列は粛々と進み、見知らぬ人々から祝福を受けながら城まで辿り着いた。城門だけでも人が縦に三人並んだよりも高い。首が痛くなるくらいに見上げると、奥の方に尖塔の先がいくつも並んでいるのが見えた。
城門と城の間には、広い庭園が広がっている。街や城の荘厳さとはうって変わって、ただ広いだけで少し寂しい印象を受ける。少し眺めて、花壇に花がほとんど咲いていないせいだと気づいた。
馬車は城門をくぐり、庭園の中央で止まる。両側の扉が開いて、降りるためのステップが用意された。行列の兵士たちは庭園の周囲を囲むように整列した。
恐々とセオの様子を伺ったが、彼はもう平常心を取り戻したのか、いつもの涼しい顔で周囲を見渡していた。
「都々理くん、どうしたら……」
「どうせ夢なんだし、なるようになるんじゃないかな?」
そう言って、さっさと馬車を降りてしまうセオ。メイも慌てて馬車を降りて、引きずる裾をたくし上げながらセオに駆け寄った。
「斎宮さん、あれ見て」
セオが指さしているのは、庭園の奥、城に入る大扉の前の広場だった。何人かがメイたちを待っている。
「立派な服を着てるけど……。国家元首と、宗教関係の人と、官僚らしい人が何人か、って感じかな」
「せ、せめて王様と神官と大臣とか言おうよ……。雰囲気的に」
ただの夢のはずなのに、セオがあまりにも予想外の行動を取るので、メイはおろおろしてしまう。
(それとも、夢だから……かな)
だって、所詮はメイが頭の中で作り出している妄想にすぎないのだから。
夢は記憶の整理だと聞いたことがあるから、もしかするとセオの本当の性格を知ったせいで、突飛な言動を取らせているのかもしれない。
(それはそれで、都々理くんに申し訳ないな……)
顎に手を当てて何かを考えているセオをちらっと見上げると、視線に気が付いたセオは微笑んでくれた。
「とにかく、行って話を聞いてみようか」
「大胆だね……」
「夢だからね」
堂々と歩いていくセオの後ろに隠れるようにしてついていく。
「セオさま、メイさま。よくぞいらしてくださいました」
待ち構えていた人々の内、最も地位の高そうな壮年の男が頭を下げた。王冠をつけているから、セオの言う通り国王かそれに類する国家元首で間違いないだろう。それに続き、周りの臣下たちもさらに深く頭を下げる。
「君たちは誰?」
セオの態度はあまりにも普段通りだった。後ろで様子を伺っているメイの方がぎょっとしてしまうくらいに。
しかし国王たちは質問に答えること無く、頭を下げたまま口上を述べた。
「この度は、お二方の結婚を心よりお祝い申し上げます」
「それが分からないな。僕たちは婚約しただけで、結婚はまだなんだけど」
「異なる世界からいらっしゃった星の英雄と、同じく星の巫女であるお二人の結婚には、大いなる意味があります。我らエルソラの民は、あなた方の来訪をずっとお待ちしておりました」
「……君たち、言葉が通じないの?」
セオが少し苛ついている。普段はどんな相手にも怒っているところは見たことがないが、夢の中だからだろうか。
(本当に、普通の夢なのかな、これ)
小さな疑問が脳裏をよぎったが、国王たちが一斉に顔を上げたので、びっくりして思考の隅に追いやってしまった。
「この世界を救うため、どうか、あなた方の力をお貸し願いたいのです。お二人でなければできないことです」
神官が宥めすかすような口調でそう言った。まるでよくあるファンタジー小説のようなセリフだ。よくありすぎて、陳腐ですらある。
だが、密かに白けるメイとは違い、セオは興味を持ったようだった。
「世界を救うってどういうこと?」
苛立ちで僅かに低くなっていた声が浮上する。それだけでなく、顔が明らかに輝いていた。
セオが興味を示したからか、神官や大臣たちが口々に説明を始める。
「我々の世界、エルソラは、完璧な世界として作られました」
「太陽の神と月の神が、手を取り合って作った完璧な世界です」
「ですが神々は、この世界を去ってしまいました」
「もはや猶予はありません。世界は崩壊を始めました」
「太陽と月が残した光の欠片、夜空の星々の力だけでこの世界は危うい均衡を保っています」
「――だから、呼びました。星の力を扱える存在を」
じっと見つめられて、メイはたじろいだ。
神官たちの目には確信が宿っていた。だが、セオはともかくメイにそんな価値があるとは思えない。
「つ、都々理くん」
セオの左腕に手を伸ばし、タキシードの袖を摘まんで引く。無駄に豪華なカフスボタンがついていた。
メイを見下ろしてきょとんとしたセオは、ふわりと笑った。
「そんなに怯えなくてもいいのに」
何故だか上機嫌になったセオは、国王に向かって言い放つ。
「面白い話だけど、僕たちが結婚する意味は?」
「巫女は夜空から星の力を降ろすことができます。ですが、その力を英雄に宿す
ためには、強い結びつきが必要なのです」
「ふうん。斎宮さんが僕に星の力を降ろして、それで世界の崩壊を食い止めるってこと?」
「そういうことです」
国王たちの期待に満ちた視線が、痛い。
どうしたらいいか分からない。期待されていることをこなせなければ、酷く失望されることをメイは知っている。
だが、「できない」と言えば怒られる。「何故できないのだ」と。
何を言えばいいか、どう答えればいいか、逡巡で喉が詰まる。
「いいよ、やろう。ゲームみたいで楽しそうだし」
「ひょ」
そこへセオがあっさりと承諾したものだから、メイは詰めていた息を妙な音と共に吐き出してしまった。
「別にいいよね、斎宮さん」
「あ、いや、でも」
「何か迷うことがある? だってこれ、夢だよ」
「それは……、そう、だね……」
何か違和感はあるものの、確かに今の状況は夢でないとありえない。楽しそうにしているセオに水を差すのも悪い。それに、メイはともかくセオならば、期待を裏切ることなど無いのだろう。
そう自分に言い聞かせて、メイは頷いた。
二人の意見が揃ったのを見て取った国王たちは、一斉に歓声を上げた。
「そう言ってくださると思っていました! さあどうぞ、城内へ。結婚式の準備はできております!」
大臣がわたわたと大扉に飛びついて、重そうな動作で引き開けようとする。控えていた兵士たちが駆け寄って来て、大扉がゆっくりと開かれていった。
扉の向こう、城のホールにあたる場所には、華美に着飾った貴族らしき人たちがひしめき合っていた。中央には真っ赤な絨毯が伸びていて、バージンロードというよりはレッドカーペットのようだ。
参列している人々は、誰もが安堵と喜びに満ちた顔でこちらを見ている。中には泣いている女性さえいた。
一斉に注目され、生唾を飲んで固まってしまったメイの背中を、セオがそっと押す。
「緊張しなくても大丈夫だよ。ほら、行こう」
「……う、うん」
言われるがまま、メイは絨毯の上に足を一歩踏み出した。
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