1話 白日の下に




 地下牢から伸びる通路は、城塞都市の外へと通じている。


 一方の道は都市の内部に。住民たちの利用する共同墓地に通じている。

 もう一方は、都市の外壁の向こう側へ。


 都市の周囲を壁で囲い、四方にある大門以外からは出入りできないようにされているにもかかわらず、なぜ地下でそのような構造になっているのか、アルヒナには知る由もない。分かっているのは、地下牢から通じる道はいずれも死へと繋がっているということ。


 囚人は人知れず、あるいは時に大々的に見世物のように処刑され、アンデッドとならないように火葬され、地下にある無銘の墓地の灰塵に加わる。アルヒナが進む道も中程までは同じだ。しかし火葬はされない。無銘とはいえ墓地に葬られることもない。


 地下道は壁の外にある、公開処刑の舞台へと通じている。アルヒナはこれからそこで見せしめに、殺されるのだ。


 ……昨夜、顔も知らない男が言っていたことが思い出される。


 死体は野に晒される。


 それは暗に、焼かれることもなく放置され、アンデッドになる様を以て"見せしめ"にする、ということだ。


 幼いころに見たアンデッドの姿が脳裏をちらつき、自分もまたその一体に加わるかもしれないという未来に恐怖を覚える。足が竦み、壁外へと続く通路の途中で思わず歩みを止めてしまう。


 アルヒナの前後にいるエン・ビギニーゲンの兵士もまた足を止めたが、その腰に下げた剣で彼女を急かすような真似はしない。


 エンリングス帝国の人間は、個人の意思というものを尊重する。それが彼らの礼節というものであり、東国エアスト貴族のあいだでは特にそれが顕著だ。

 それゆえに、そうした他人の権利を無視するような輩を……囚人となるものに対して、容赦がない。他者の権利を侵害し、意思を損ねたのなら、その者も同様に己の権利を失ってしかるべきだという考えがある。苛烈であるが、公平な思想が染み渡っているのだ。


 ……わたしは、どうなのか。


 アルヒナは考える。足を前に、踏み出す。


 今朝、「王女の友人だ」という人物が面会を求めに来た、らしい。兵士がアルヒナのいる牢の前にやってきて、「会うかどうか」の確認にきた。その足音に刑の執行を予感していたアルヒナにとって、それは思ってもみない展開だった。


 友人など、いない。少なくともこのエン・ビギニーゲンには。東国には。


 何者だろうと考えた。そして昨夜のことを思い出した。あの男か、それとはまた別に胸に策謀抱く人間か。なんにしても、だ。アルヒナは面会を断った。兵士は大人しく引き下がった。……昨夜は、なんの前触れもなく貴族の男を通したくせに。どうしてわざわざ確認をとるのか。


 それはつまり、彼らにとってアルヒナは「囚人」ではない、ということを示している。もしかすると同情や憐みすら抱いているかもしれない。かといって、アルヒナをここから逃がしてはくれないだろう。


 アルヒナにも、逃げるつもりはない。足を前に踏み出す。前に進む。この道が正しいものだと信じて。


 なぜなら、彼女は囚人ではないのだ。囚われてはいても、罪は犯していない。いったい誰の意思を無視し、その権利を損ねたというのか。わたしは何も、していない。悪いことは、何も。


 これは神の導きだ。そうであるならば、罪に汚れたものが堕すというアンデッドにわたしが変わることもないだろう。この心は穏やかに、あの月の裏にあるという永遠の都市へと誘われるはずだ。


 ふと、視線の先、足元に光が差した。それが徐々に大きく広がっていく。前に踏み出す。聖なる炎に包まれたのかと錯覚した。冷え切っていた体に、熱が広がる。


 ……あつい……。


 地上に出たのだ。階段などはなく、緩やかな傾斜がそのまま地上へと繋がっていたようで、すぐにはそうだと気付けなかった。


 しかし、この懐かしくすら感じる温度――太陽の陽射しだ。


 体力を奪い、湖を涸らし、木々を枯らす――荒野に生きたかつての人々は、そうした陽光を注ぐ太陽を「悪」だと考えた。そして満ちては欠けてを繰り返す、月に神性を求めたのだ。


 ……だけど、今は。


 その感傷を罪深いものだと、アルヒナは振り払った。




   *




 エン・ビギニーゲンは巨大な城壁に囲まれた城塞都市の一つだ。

 都市の内外を繋ぐのは、壁の四方に配置された大門。その内の一つ、西門前に広がる平原が第二王女の処刑場所だった。


 そこには多くの人々が集まっている。


 エン・ビギニーゲンは城壁の外に農業地帯を持っている。人々は門から外に出て、日中はそこで汗水垂らして仕事に励み、日が暮れる前に壁の中に戻っていく。夜になればどこからともなく亡者と、その"おこぼれ"を狙う野獣が現れるためだ。


 現在、仕事のために出ていた者たちの外にも多数の人々が、壁の下にあるという地下通路から地上に上がってきた王女を一目見ようと大門近辺に集まっていた。


 帝国内の城塞都市の中には、罪人の処刑を見世物にする風習があったという。エン・ビギニーゲンでは廃れた、野蛮な文化だが、今日この時ばかりはその時の熱狂がにわかに蘇ったかのようである。


 地上のみならず城壁上の通路にも多くの人が押しかけている。


 聖女フィセスらもまた、ハッキンブロール辺境伯と共に壁上の観覧席から、地上の様子を見下ろしていた。


 ……彼女を助けることは出来ない。いや、出来る。だけどそれは、別のかたちの戦争に繋がる。


 ならばせめて、と。フィセスは不浄王の手にかかる前に、友人をこの手で浄化しようと考えていた。


 地上でどよめきが起こる。フィセスが立ち上がって地上を見れば、前後を兵士に囲まれ、何者かが絞首台へと続く道を進んでいる姿が確認できた。


 その人物は、頭に布袋のようなものを被っていた。


 ……あれは? と、子爵の方を見やると、彼も多少戸惑ったようだったが、


「首吊り死体の形相は酷いものだと聞きます。おそらくは、せめてもの慈悲でありましょう」


「…………」


 慈悲があるのなら、とはもはや言うまい。自分も同房の囚人である。


「……リイン……」


 せめて、友人が苦しまずに逝けるよう――


 などと、


「出来るか……!」


 気付けば、フィセスは壁上から身を乗り出し、声の限り叫んでいた。


「あんたはそれでいいの!? こんなところで……!」


 周囲の人々がどよめき出す。護衛隊の騎士が凄まじい形相で止めに入り、傍らのシィレーヌは控え目ながらもフィセスの軽聖套の裾を引く。


 地上の少女がわずかに足を止め、頭上を見上げた。布袋には切れ目があり、そこから外を覗けるようだ。十メルテルほどの高さがある壁上だ。その距離からフィセスの姿を見つけられたかは怪しい。


 少女はそれ以上の反応をせず、絞首台へ続く歩みを再開した。


「クソシッド……! こんな意味のない、下らない、無益なことで! なんであんたが犠牲にならないといけないの!」


 実に流暢で、そして乱暴な共通語だった。


「××××だわ! どうせ誰かに殺されるなら、このあたしがぶっ殺してやる! 今すぐそのグズを止めなさいよっ!」 脳ミソ腐ってんのか東国軍人どもはぁっ!」


 これが偽らざる、聖教会"第三位"聖女の真の姿である。あまりにも言葉遣いが悪いために、補佐官の用意した台詞を読み上げるだけの"操り人形パーマネンドール"――


 しかし、その"強い御言葉みことば"は確かに人の意思に作用する。


 ……たとえば現在、ハッキンブロール子爵が白目をむきそうなほど仰天していたりとか。聖女付きの騎士隊長は頭を抱えて今にも叫びだしたそうな顔をしつつも、壁上から飛び降りてしまいそうなフィセスを取り押さえ、横のシィレーヌは苦笑交じりに首を振っている。

 周囲の人々については語るまでもない。見目麗しい聖女様からあんな罵詈雑言が溢れるはずがないので、自分の耳がイカれているか、たぶんあれは陽光の生んだ悪い幻なのだろうと納得することにした。



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