3


 促されて取った目隠しの向こうにあったのは、横長に切り取られた夜空だった。

 出口だ、と思ったが、そこから向こうは切り立った崖らしかった。洞窟の最奥にできた、裂け目だ。おそらく外から見れば、岩肌が薄く口を開けるようなかたちに見えるのだろう。外に桜の木でもあるのか、花びらが雪のように舞っている。


 その裂け目からは青白い月光が差し込み、夜目にも比較的はっきりと、あたりの姿をうかがい知ることができた。

 僕達がいるのは、横に広い部屋だ。そこに4つ、手術台のような平たい岩が、裂け目の方を向きながら、間隔を開けて横一列に並んでいた。

 その上に置かれたていたのは、汚れた人骨だった。僕は思わず息を飲んだ。すべての台に、死体が横たわっている。台よって状態が違い、そのうちの一つは、まだ肩に肉が残っていた。その肉に桜の花びらが一枚、静かに降り立った。


 ここは風葬墓なのだ。


 ツンとした臭気の中、アンナは台の合間を縫って、一つ一つ死体の状態を確認していく。

「うん。これはもう全て片付いとる。ここにしましょう」

 台を二つ、順に指さした。紙を顔に貼り付けた人々が、馬車の周りに集まる。千音寺はまた、馬から少女の姿に戻っていた。

 アンナの指示に従って、馬車に積まれた死体が運ばれていく。竜胆もそれに加わり、僕もまたそれを手伝った。


 アンナはまず、千音寺と二人で台に残った人骨を集めはじめた。袂から紫色の美しい風呂敷を取り出し、集めた骨をそこに包む。

 きれいになった台に、今度は僕達が運んできた死体をのせる。担架から外し、布を解いて、死体だけを台に残した。


 新しい二つの死体が、月光に照らされた。彼らはまだ、眠っているようだった。桜の花が、祝福するように一気に流れ込む。

「この台の上で、体は自然に朽ちるのを待つんだ。」

 竜胆は静かに僕に語りかけた。

「ここは不思議な場所でね。朽ちるスピードが段違いで早いんだ。だから台も四つで事足りるのさ。」

「……死体はどうなるの?」

「肉は虫に食われて消える。

 骨は風穴に撒かれて溶けるのを待つ。

 それからたましいは、風穴を通って外に出て、好きなところに行く」


 その時、僕の脳裏を夏の昼の光がよぎった。

 遠くから踏切の警報音が聞こえる。

 トンネルを抜けてやってくる、快速の列車が目の前を通り過ぎた。友達が壊れていく。


「不思議な景色だろ。」

 竜胆の声で我に返る。彼はいつものあの目で笑っている。

「俺も初めてここに来たときは肝をつぶしたぜ。肉体なんか儚いもんだってつくづく思ったよ。

 だから、体のことは必要以上に大事に思う必要はないんだ。俺はそれをここで学んだ」

 彼は横でタバコを咥えた。ライターのジュッという音がして、甘い香りの紫煙があたりをゆらゆらと漂った。

「……タバコ、いいの?」

 話を聞いていたらしいアンナが振り返って、笑った。

「いいよぉ。この子らへの餞にもなるでねぇ」

 竜胆の吐く煙は、仏前の線香のように揺れた。時折、外からやってくる風がそれらを薄く引き伸ばしていく。


――体のことは必要以上に大事に思う必要はないんだ。

 それは竜胆にとって、喫煙の言い訳にもなれば、男遊びの言い訳にもなる。あるいは、僕の自傷癖への慰めにも。

 そうなのかもしれない。

 それでいいのかもしれない。

 竜胆が僕をここに連れてきた理由が、少しだけ理解できたような気がした。


「俺は人間だから、死んだら火葬かもな。でも、これを見るとな、こういう死に方も悪くないって思うんだよ。」


 アンナは袂から小さな筒を出した。指でその中に触れ、続いて死体の額に何かをなすりつけた。赤い染料のようだった。

「お祈りするよぉ」


 アンナの声で、散り散りになっていた人々が新しい死体のすぐ側に集まった。しばらくして、笛のようなアンナの歌声が、洞窟の中に柔らかく響き始める。


 くぬぶむうてぃきぬなばるみせ……


 それに続いて、千音寺が、竜胆が、紙をつけた人々が歌う。


 知らない言語だった。目隠しされて通ったあの洞窟で、話されていた言葉に似ていた。

 秩序のない洞窟の空気が、歌によって整えられていく。

 歌声は洞窟のあちこちで反響して、そこにいるあらゆる生物がこの二人の死体のために歌っている、そんなふうに聞こえた。


 風が吹き、桜が舞い込む。月の光に照らされて、死体はその陰影を台に残す。

 何度も繰り返され、やがてふっと途切れるまで、僕も、死体も、その歌を静かに聴いていた。


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