五. てらされたい
1
トラックは国道を通りながらいくつか山を越えた。もうしばらく信号を見ていない。
僕達はあれから、一言も喋らなかった。ハンドルを握る竜胆の横で、僕は彼の仕事について考えながら、違う種類の知恵の輪をガチャガチャといじり続けていた。
死体を運ぶということは、その死体に関わる人間と取引をするということでもある。
今まで何人の死を、またその死を悼む人々を、竜胆は見てきたのだろうか。知恵の輪を触る手に、あの足の重さが蘇ってくる。
どれほど時間が経ったろう。トラックは止まった。最後の目的地、楡井山についたらしい。
そこは山の入り口というより、山間の広大な公園だった。青い芝のグラウンドや、奇妙な曲線を描くアスレチックを取り囲むようにして、いくつもの山がそびえ立っている。この中のどれが楡井山なのかは、僕にはわからなかった。あるいはこの当たりの山々を総称してそう言うのだろうか。
僕達は公園の駐車場で車を降りた。あたりにはソメイヨシノの木が無数に植わっている。カンと冴え渡る空気の中、竜胆は当たりを見回している。ここで何かを待っているようだ。
「竜胆くん」
突然、背後から声をかけられた。さっきまで誰もいなかったはずの駐車場に、どこから現れたのか、黒いバンと、親子らしき二人の影があった。
親の方は着物を着た妙齢の女性。そのすぐ後ろに、短パンにウィンドブレーカーを羽織る、中学生くらいの少女。
その二人に向かって、竜胆が笑顔を見せた。
「アンナさん、千音寺さん。こんばんは。元気でした?」
「元気よぉ。竜胆くんは、相変わらずええ男だねぇ」
着物の女は山奥のイントネーションでそういうと、白い歯を出して笑った。よく通る縦笛のような声だった。着物は夜目にも鮮やかな淡い藤色の小袖で、白い桜の花とメジロが染め抜かれている。
「アンナさんも。相変わらず綺麗ですね、」
どうやら着物のほうがアンナらしい。
その名前には聞き覚えがあった。竜胆のくれた、あの黒い薬の作り手のはずだ。
彼女は僕を見ると、わずかに目を広げた。
「あらぁ、こっちのキリッとした兄やんは?新人さん?」
「いや、体験中の夏生くん」
アンナが身を乗り出すようにしてじぃっと僕を見つめる。リスのような可愛い目だが、そこにはよそ者を品定めするような気配があった。彼女は何かを嗅ぎ取るようにわずかに鼻を動かす。それから、
「ほうかねぇ、」
と言った。
おそらく、あの土の匂いだ。
「じゃ、早速始めようかねぇ。今日は、二人になったんよね?」
「そ、一人増えたんです。たまたまね、バイクの事故だって。」
「まぁ、それは切ないにぃ、」
竜胆が荷台の後ろに回った。ガチャガチャと鍵を揺らし、その荷台の封印が解かれる。
竜胆はまず、ダンボールを外に搬出し始めた。それが始まると、バンの中から突然、しかめっ面をした黒スーツの男が出てくる。
「あ、ユウヤさん、これ頼まれてたやつね」
「ん、」
男はバンのトランクを開け、そこに積まれていた荷をおろし始めた。竜胆と男は互いの積荷をせっせと入れ替えている。あっと言う間に、すべての荷の交換が完了した。男はすぐに車に乗り、そのまま去っていった。
「今の……」
「ユウヤさん?同業者だよ。このあたりの細かな配送をしてる。いつもすぐ帰っちゃうんだよな。ま、信頼できるやつだよ。
じゃ、夏生、今から死体運ぶから。そっち持って」
促されるまま、行きに積んだ担架をトラックから運び出す。どこから来たのか、桜の花びらが数枚、担架の上の布の塊に張り付いた。
「こっちこっち、」
アンナがすぐ側に立って僕たちを誘導した。
彼女の示す方向には、さっきまで無かったはずの木製の巨大な手押し車が現れていた。荷台は平らな板になっていて、寝そべったままの人が三人ぐらいは運べそうだ。
運んだ死体を手押し車に担架ごと横たえる。同様にもう一体の死体も運び出す。
「こっちは魚の子でね。鳥の彼と違って、事故じゃなく自殺だったんだ、」
二人分の死体が押し車の荷台に収まる。
「千音寺ちゃん、よろしくね。」
アンナの声で、黙っていた少女が手押し車に近づく。僕がまばたきをした次の瞬間、少女の姿が消え、かわりに優しい目をした鹿毛の牝馬がそこに立っていた。頭を垂れて静かに尾を揺らす。アンナは何食わぬ顔でその馬の――千音寺の背を撫で、さっきの手押し車につなぐ。あっという間に馬車が完成した。
トラックから運び出された二人分の死体は、馬に曳かれながら山道に入っていく。僕と竜胆、そしてアンナが、その後ろを歩いてついていった。
暗く静かな山道は、松の葉の匂いがする。
竜胆とアンナは、歩きながら世間話をしていた。親父さんは元気か、とか、桜のきれいな季節になった、とか、最近の竜胆の男遊びの様子とか。この間のトイレの話になると、アンナは「相変わらずやることが最低やのぉ」と言って笑っていた。相変わらずということは、他にも竜胆の最低な話をいくつか知っているのだろうか。僕は聞いてみたくなったが、二人があまりに親しそうに話すので、結局聞けずじまいだった。
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