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「……なんか話してよ」

 信号待ちをする車内でせがむと、竜胆は少し悩んで、

「俺が最初に出た葬式の話でもするか、」

 と言った。僕は彼がその話題を選んだことに驚いたが、素直に聞くことにした。


「俺は施設で育ったから、葬式に縁がなくてな。初めて出たのが21のときだった。勝手がわからなくって、大変だったよ。大事な人の葬儀だった。世話になった兄貴たちだった。みんな一度に死んじまったんだ、」

 信号は青になり、深い山の中へと続く道をゆく。


「――中学卒業と同時に施設を出て、漁港で勤め始めた。朝は海に、夜は定時制の高校に通う生活だった。体力的にはキツかったけど、漁港のみんなは俺のことを親戚の子みたいにかわいがってくれた。ここで一生生きていくんだと思ったよ。

 けどそれは一日で消えた。冬の日の早朝だった。海が信じられないくらい急変して、黒く荒れた。俺たちが乗っていた船は波に飲まれて、バラバラになった。

 潮が引いたあとに残されたのは、俺だけだった。よく俺を、本物の親父みたいに叱ってくれた船長も、俺に酒とタバコをこっそり教えてくれた兄貴もみんな、みーんな死んじまった」

 フロントガラスの向こうは、ただ暗い森があるだけだった。その先を、竜胆はじっとみつめた。


「葬儀が済んだあとだった。俺の部屋にいかついオッサンが来てさ。――死に近づいたお前に、任せたい仕事がある、――そんなことを言ってね。それが萩野のオヤジだった。俺はそれまでの名前を捨てて『萩野竜胆』になって、荷物と死体を運びはじめたんだ」

 竜胆の様子を窺い見る。彼はいつもどおりのあの眩しそうな目で笑っていた。僕は急に心細くなった。

「死に近づいた?」

「ああ。一度死にかけた人間や、死を目撃した人間は、あっちの世界が少しだけわかるようになるんだ。鼻が利くっていうのかな、匂いがするようになる」

「……どんな?」

「土とかかびとか……そんな感じ。最初は戸惑ったよ。変な匂いがするな、って。それが自分からするってわかったときは気持ちが悪かった。幸い、タバコと香水でなんとか消えたけどな。

 町を歩いてても、結構遭遇するんだぜ。信号待ちしてるときとかさ、不意にふわっとあの匂いがして。ああ、こいつどっちかな、って思うんだ。人間じゃないのか、それとも、死に損ないなのかって。

――なぁ夏生」

 竜胆はなぜかそこで僕を呼んだ。思わずギクリとする。


「お前もその匂いがするんだよ。だから、お前があの店で働き始めてすぐ、俺はお前に気がついたんだ」


 その瞬間、キン、とこめかみが痛んだ。

「夏生。……お前はどっちだ?」

「そんなの、……」

 意味がわからなかった。疑うまでもなく僕は人間だ。一般的なサラリーマン家庭の、一般的な青年だ。あっちの世界とやらと、繋がりがあるはずもない。

 だが、その土の匂いには心当たりがあった。


「俺はお前のことが知りたい」


 息が苦しくなる。不意に、頭の奥でカン、カンという音がなった。遮断器が降り、列車がやってくる。

――さっきの目眩に、また襲われる。

「……気持ち悪い」

「薬、まだあるぜ。飲めよ」

 あの薬。頭の中が変に明るくなる、得体のしれない薬。それを飲めば、僕は少しずつ、後戻りができないところへ連れて行かれてしまう気がする。怖い。

「竜胆さんは、僕をどこに連れてこうとしてるの」

「さっきも言ったろ。楡井山だ。……どうしたいかはお前が決めろよ」

「僕……」


 僕はどこに連れて行かれるんだろう。何を見せられるんだろう。何か、取り返しのつかないことをしているのではないか。

 だが、それに答えを出せるだけの確かな情報がなかった。竜胆を信用していいのかすらわからない。

 彼がわけのわからないものを運んでいることも、謎の薬を持っていることも、施設で育ったことも、海で死にかけたことも、今日初めて知った。これまで漠然と彼に抱いていた好意のようなものは、その上澄みに対する感情でしかなかった。


 僕は何も知らない。


 その気持ちが、彼の差し出す薬を受け取らせた。

「……もう少し、ついてく。僕も、知りたいことがある」

 知るべきだと思った。これから起こることを、竜胆のことを。


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