リグさんの観察日記
dede
第1話
私はズレた王冠の位置を直すと、日記帳に鍵をかけカップの中の冷めた紅茶を一気に飲み干した。
飲み干す時に頭を傾けたのでまた王冠がズレた。シャランと鳴った。
窓から注ぐ陽光が眩しい。ふむ、今日も良い天気だ。
今日もこの街は賑わっている。
私がこの帝国に訪れてから久しいが、どこの街も同じぐらい活気があった。きっとこの国の民衆にとっては善い国なのだろう。
ただ……
「待ちたまえ」
私は私にぶつかった少女の腕を取った。
腕を掴まれた少女は、私をキッと睨むと振りほどこうと必死にもがく。
ただ、こんな細い腕の女の子に振りほどかれるほど、私もヤワな鍛え方もしていない。
「取ったものを返してくれたら何もしない。返してくれないか?」
彼女はもがくのを止め、悔しそうに懐から私の日記帳を取り出した。それを私は受け取る。
「ありがとう。だが、財布ではないのだな?」
私の懐には財布もあった。それはそれで取られるのは困るのだが、彼女は日記帳を選んだ。
これはさては……
「少女よ、すまないな。気が変わった。一緒に来て貰おう」
私が態度を変えたことに少女は怒っているようだが構わない。
私は抵抗する彼女の腕を強引に引くと、ひきずるように私の借家まで連れてきた。
「さて、私の質問に答えて貰おう。YESなら縦に、NOなら横に首を振って貰おうか。返事は?」
かの少女は今、私の住居で縄でぐるぐる巻きにされていた。猿ぐつわもされている。
改めて彼女を観察する。薄汚れた格好で、ボロをまとい頬はやつれて顔色もよくなかったが、その大きな目には不思議と力強さを感じた。
彼女は、コクコクと二回頷いた。
「誰かから依頼されて盗んだのかな?」すると彼女は首を横に振った。……ふむ?
「私を誰だか知ってるか?」またもや彼女は首を横に振った。……ふむふむ。わからん。
私は彼女のさるぐつわを取った。
「何の目的で私の日記を奪おうとしたんだ?」
すると彼女はまたもや首を横に振った。
「……お前、喋れないのか」
彼女は頷いた。
「少女よ、すまなかったな。ただ、どうしたものか……お前、文字は書けるか?」
彼女は頷いた。
縄を緩めて右手だけ自由にしてやる。
併せて、私は日記帳の鍵を解錠すると、白紙のページを一枚破ってペンと一緒に彼女に渡した。
「これで書けるだろう。それで、何の目的で私の日記帳を盗んだ?」
すると、彼女は床の上でスラスラと破った紙にペンを滑らせて、こう書いた。
『私は18。少女ではない。たぶんあなたより年上。子供扱いするな!』
おっと、想像よりも辛辣な返答だった。
しかし得体の知れない男に掴まって、身体の自由を奪われた状態でよく言い返せたものだ。……ああ、そうか。彼女も。
「これはすまなかった。確かに私は16歳。年上とは露知らず、申し訳なかった。私はマーキスという。あなたは?」
『リグと呼ばれてる。日記帳とかどうでもいい。紙が欲しかった』
「紙?……ああ、筆談したかったのか」
『譲って』
「ただでは無理だ。まだまだ貴重だからな。……そうだな、交渉といこうか?」
交渉と聞いてリグは首を傾げる。……年上だと分かったが、その仕草が可愛い事に変わりなかった。
『マーキス 終わった』
リグは紙の上を指差すと、単語単語を指でつなげて報告してきた。
「そうか。ありがとう。助かるよ」
『仕事 問題 ない』
「仕事であることと、感謝の気持ちを抱くことは別物だ」
以前は紙に文章を書いていたが、最近は紙面のスペースをケチって、単語だけを書いてそれを指差すようになった。
結局交渉の結果、賃金と紙を提供する代わりにしばらく家事手伝いをして貰うことになった。
空き家などを渡り歩いて寝床にしていたようなので、住み込みである。
『夜 仕事 しない』
と、そこだけは頑なに主張してきたが構わない。夜になる前に夕食の支度は済ませてくれている。
あとは精々冬になったら暖炉の管理ぐらいだろう。それぐらい私でもできる。
リグと出会ってから1週間ほど経った。
お湯で体を清めて貰い、清潔な衣服を与えるとなかなか可愛い容姿をしていた。
最近は私と同じものを食べているので、体に肉が付き顔色も良くなってきた。
姿勢は良く、所作も美しい。思えば読み書きもできるぐらいには教育を受けてるのだ。きっと……
そんな事を彼女を眺めながら考えていると、私の視線に気づいた彼女が持っていた紙をこちらに向け再び指を滑らせる。
『用 ?』
「あ、いや。……でも、そうだな。買い物に行くから荷物持ちで一緒にきてくれるか?」
『仕事 問題 ない』
「では、行くか……ん?」
出かけようとすると、リグが私の服を引っ張り注意を引いた。そして私が見ると、彼女は頭を指差す。
「ああ、忘れていた。そうだな」
そういって私は頭のタンバリンを机の上に置いた。
『タンバリン なぜ ?』
気になっていたらしい。住み込みで働きだし1週間、ようやく聞かれた。奇異な目ではずっと見られ続けていたが。
「これはだな、王冠だよ」
『?』
「私はね、王様なんだよ。王様は王冠を被っているものだ」
彼女は嫌そうに紙に『タンバリン』と書き込んだ。
『タンバリン 違う』
「たまたま持っていたモノで一番見た目が近かったんだよ」
『民 どこ ? 場所 どこ ? 私 違う』
その彼女の返事に私は満足して思わず微笑む。
「ああ、もちろん君は私の民ではない。君も君自身の王なのだろう?」
『意味 わからない』
「私がいる所が私の国土であり、私自身が私の国民なのさ。
私は私の国民の生命と誇りを守るために全力を尽くす素敵な王様でありたいと、常に思っているのさ」
『意味 わからない』
リグは真顔でそう言った。
「そうか」
『でも』
彼女は、星座のように言葉と言葉を指先でつなげていく。
『私 も たぶん 同じ』
「……そうか」
私のごっこ遊びを笑わないでくれただけで十分だったのだがな。……そうか、同じと言ってくれるか。
そして更に紙に『頭』と書き加えた。
『でも タンバリン 変 おかしい 頭』
「似合わないか」
リグはこくりと真顔で頷いた。
それはさておき、二人で外に買い出しに出かけた。
ちょうど先週、リグがぶつかってきた通りに出た。
ちらりと、横のリグを見る。
狼狽えたりこそしなかったが、気まずくはあるのか目線が合うとリグの方が目を逸らした。
通りは賑わっている。露店には商品が並び、客を呼ぶ声が至るところから聞こえる。
しかし一方路地裏の方に目を向けると、先週までのリグみたいな、薄汚れた格好の浮浪者が、老若男女無視できない人数が無気力にへたり込んでいた。
この帝国は、帝国民至上主義だ。そして拡大主義中でもある。
そのため隣接する国家を滅ぼし続けて今の広大な国土を手に入れて、国民は富むことに成功している。
しかし帝国民でない、滅ぼされた国の民にこの国は冷たい。
税金面で明確な差をつけているし、国民意識としても差別意識が強い。
それでもまだ、農民や職人はマシらしいが、貴族は見る影もない。何の保証もないまま立場は奪われた、何の技術も持たない元貴族達は路頭に迷うものが多いと聞く。
路地裏に行けば、元は高貴な血筋の者ばかりだ。
おそらくは、リグもそういう者たちの一人なんだろう。聞きはしないが。
彼女の事だから聞かれてないから言わないだけ、という可能性もあるが聞かれたくないという可能性も拭いきれない。
まあ、正直私としても重要とは思ってないのだ。誰だって聞かれたくない事の1つや二つあるだろうし、敢えて聞くまい。
私は路地裏から目線を大通りに戻すと、目的のお店に向かって歩いていく。
途中、この街の中心にある広場を通りがかった。
服が引っ張られたので振り返ると、私の裾を掴むリグが紙を見せた。
『あれ 何 ?』
リグが広場の人だかりを指差す。
「……あまり面白いものではない。刑罰の執行中だ」
『何 ?』
「この国の刑罰の1つだ。茨の冠を被せ、磔にし、鞭打ちの後に1週間野ざらしにされる死刑があるのだ」
その時、広場で誰かが名前を叫ぶ声がした。
「……愚かな事を」
『何 ?』
「この刑では、執行中に罪人の名前を呼んではいけない。呼ぶと呼んだ者も仲間と見なされ同じ刑罰に処される」
『ない いい』
……ああ、『呼ばなければいい』ってことか。
「呼ぶ事に意味はある。呼ばれなかった罪人は墓石に名前は刻まれない。国営民営問わず記録から名前が消されてしまう。徹底的に痕跡を消されるのだ」
だから親しい者ほど呼んでしまう。けれど、帝国の兵はしつこい事で有名だ。
結局、呼んだ相手の代わりに記録が抹消されてしまう。二人とも死んだ上でだ。それでも親しいものがいなかった事にされるのは耐えがたいのだろう。
記憶は曖昧だ。いくら強く想っていても、形に残さなければ揺らいでしまう。
大切な、大切に思っていた相手が、いたのかどうか不安を覚えてしまう、自信が持てない。それはとても恐い事だ。
「たまに広場でやっているが、リグは初めて観たのか?」
彼女はこくりと頷いた。
ふむ……この街に来て日が浅いのか、それとも広場に近づかなかったので知らなかったのだろうか、どっちだろうか。
私たちは、それ以上広場に関わらないことにし、目的のお店に向かった。
リグとの雇用関係が始まって一か月経った。
だからという訳じゃないが、ペンよりも鉛筆と消しゴムの方が勝手が良さそうなのでプレゼントしてみた。
泣きださんばかりに喜んだ。もっと早くあげればよかった。
何度かリグに紅茶を入れて貰った。渋い。
料理は上手なのだが何故だか、紅茶の入れ方は下手だ。
入れてる様子を観察していると、どうも蒸らす時間が早いのと、カップに注ぐ時乱暴なのが原因だと思う。
今日も自分で入れた紅茶より、幾分渋い紅茶を飲む。
今日もリグがご飯を作ってくれたのだが、案外レパートリーが多い。
理由を聞いてみたのだが、昔料理が上手な人に教えて貰ったらしいのだ。
この近所の識字率は高くない(だいたい絵に金額だけだ)。どうも今の生活の前に覚えたらしい。
意外だったのが、彼女は肉よりも野菜、特にキノコ類を好む。
よく肉料理を作るので、てっきり肉が好きなのだとばかり思っていた。
理由を尋ねてみると
『マーキス 肉 喜ぶ』
と、指が動き、最後にニタリと笑った。
言った覚えはないのだが、彼女も私の事を観察していたらしい。
最近は、紅茶も上手になってきた。
ようやくエグ味のない紅茶が飲めるようになったのだが、今ではあの紅茶が懐かしい。
1年経った。手持ちの紙が増えてきたので
最近のリグは紙に書き込んでいる言葉をよく整理している。
選べる言葉が増えた事にご満悦で、恍惚とした表情で言葉の位置を変えたり、紙の順番を入れ替えている。
その様子を見ていると、年上だと分かっていても微笑ましく思ってしまう。
その私の生ぬるい目線に気づくと、我に返ったリグは慌てて恥ずかしそうに紙をしまってしまう。
そして赤い顔の彼女は、私に抗議するのだが恥ずかしいのか紙は使わず、黙って私の腕を軽く叩くのだ。
そこまで含めて、私はこの時間がとても気に入っている。
もっと渡す紙を増やそうか。そうすれば、単語ではなく文章でも話して貰えるかもしれない。
ずっとリグの事ばかりだったの久しぶりに自分の事も。
今日は一人で街を歩いていた。すると広場では1年ぶりに刑罰が執行されていた。
覗くつもりはなかったのだが、遠目に罪人の姿が目に入った。
磔にされていたのは困った事に私の、幼馴染で親友だった男であった。罪状は、国家転覆を目論んでいたらしい。
悲しくなる。なんてバカな事を。今更帝国がなくなったって元には戻らないのに。
どうして自分の生活のために生きれなかったか。
民を守れなかった国など忘れて、自分のために生きてよかったのだ。既にない国のために、なぜ今生きてるお前が命をかける必要があるというのか。
私は、見たくないものから目を背けるため、誰にも悟られることなく踵を返した。
その時、ふと父の姿が脳裏に浮かんだ。
「××××っ!!」
気付けば叫んでいた。
首だけを動かし、彼を見る。血まみれの恰好で目を見開き、口をパクパクさせている。擦れた音しか聞こえなかった。
私はそのまま走り出し、その場を後にする。
確かめようがなかったが、今更世間話もあるまい。きっとこう言っていただろうという確信がある。
(殿下、お逃げください!)
あいつは、そういう男だ。私が逃げ切るまでずっと私を守ってくれていたのが彼だった。
さて、ここからは完全に想像で書くことになるのだが。
今は何とか兵士の目を搔い潜り、これを書く余裕ができたのだが、今後逃げ続ける事ができるかというとそれは厳しい。
何せしつこい事で有名な帝国兵だ。
きっといずれ捕まり、親友や父と同じく、茨の冠に鞭打ちの末、磔だろう。
それまでに、この日記帳と鍵をリグに渡すつもりだ。だが、実際どうなるかは未知数だ。
本当なら親友を無視して良かったのだろう。だが、もう無理だ。父の時と同じ行動は取りたくない。
ましてや、彼は私の民となるハズだった人間だ。その不幸を看過しようなど、何のための王か。
……この日記帳の1ページ目に記しているのは父の名前だ。忘れてたくなくて記したが、次第に薄れていく。
私が忘れてしまえば、父が生きた痕跡はどこにも残らない。留めたい。それでも薄れていくのが止められない。
そんな境遇に親友もさせれなかった。
叫んですぐに、ちらりとリグの顔が脳裏をよぎった……って今更なので吐露してしまうが。やっちまったなぁーと思う。
という訳で、ここからはリグがこの日記を読んでいる想定で書いている。
それ以外の方が読まれているのなら、どうか、頼むから、このまま火にくべて欲しい。
さて、リグ。ここまで君の事ばかり書いていて、気持ち悪くてココまで至っていない可能性もあるが。
私がいなくなったのはこういう訳だ。どうか事情を察して欲しい。
できれば私が処刑される時は、広場に来ないで欲しい。できれば、情けないトコロは見られたくないから。
あまりこういう事は言うべきではないのだけど、君が声を出せなくて本当に良かったと思っている。
君は、案外と優しいから。私の名前を呼んでいたかもしれない。私の気の回し過ぎかもしれないけれど。
この日記帳は君に譲るよ。日記帳に限らず、私の持っている全てのモノは君に譲る。好きにしてくれ。
まだこの日記帳は白いページが多いだろう?私が埋められなかった白紙は、君が好きなように言葉をつづって欲しい。
最後に。私は君に救われたんだ。私のごっこ遊びを笑わないでくれて。同じだと言ってくれて。
あまり信じて貰えないかもだけど。愛していたよ。どうか私のことは忘れて、幸せになってくれ。祈っている。
「なあ、リグ。その日記を返してくれないか?恰好つけて残した数ページだけでいいんだ。破り捨てさせてくれ」
しかしリグは首を横に振り、楽しげに白紙のページに書き加えていく。
『ダメ。くれると言った。もう全部私のモノ。これからのあなたを、今度は私が書き綴る』
リグさんの観察日記 dede @dede2
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