第5話 グンジョウ ニ シュウゴウ

 数分もしないうちに、ドアの外から何かを話す声がし始めた。

 ガチャリとドアが開いて、オレンジ色の光が部屋に差し込む。間もなくしてぱちり、と電灯のスイッチが押された。

「お、良かった。気がついたみたいだね」

 聞こえてくる、少し安堵したような声。

 僕が白い光に目を瞬かせていると、先程の男性と倒れる前と同じ熊の被り物をしたクマさんが部屋に入ってきた。

「なんだ、思ったより顔色も良さそうじゃねぇか」

 そう言ったのは先ほどハチと名乗っていた緑髪の男性だ。ベッドサイドの丸椅子に腰を下ろして短く息を吐く。

 さっきは暗がりだったせいもあってよく見えなかったのだが、黒いピタッとしたハイネックのインナーに白いジャンパーを前のチャックを開けて羽織るように着ている。

 そして、灯りの下で明らかになったのは、彼の首元から右頬に向かって広がる緑色した艶やかな鱗だった。

(鱗……?)

 と、僕が彼の右頬を見つめていると、クマさんの手が額に触れた。

「とりあえず熱も落ち着いたみたいだし、大丈夫そうだね」

 ひやりとした柔らかい手が離れていく。

「あの、僕は一体……」

「そうだな…… さっきの事、どの辺まで覚えてる?」

 そう言いながらクマさんもベッド傍の椅子に腰を下ろした。

「クマさんと出会って…… 名前とかどこから来たのかとか聞かれたんですけど…… 思い出せなくて。あとは握手したような?」

 そう言って順に思い出して行く。クマさんと会話した内容までしっかり覚えていた。でも、それより後ろの事は、ぷつりと途切れたように何も思い出せなかった。

「うん、それで大体あってるよ。君は俺の部屋に突然現れ、そして倒れた」

 倒れた、何となくそんな気がしていた。握手した時のクマさんの手の感触、脈打つ心臓、覚束ない足元、そして遠のいていく意識――

「おでこを触ってみたら、もうびっくりするくらい熱くて…… さすがに俺一人じゃ手に負えないかもって思って、ハチにも連絡して色々買ってきてもらったりしたんだ。あ、ハチ、頼んでた電池ちょうだい」

 椅子に座っていた男性はカバンの中を漁り「ほれ」と言って小さなボタンのようなモノをクマさんに手渡した。

「普段使わないからさー…… 体温計の電池切れちゃってて」

 そう言って、クマさんは僕の脇の下に棒先を当てがって腕をそっと押さえた。数十秒でピピピ、と音が鳴りだした。

「三十六・五…… 平熱、かな?」

「見た目的には真人間だし、そんなもんじゃねぇか?」

「そうだね。どこかの爬虫類さんは体温低めだもんね」

 そう言ってクマさんは口を尖らせている男性の方を向いてくすくすと笑った。

「爬虫類……?」

 僕の疑問の声を聴いたからなのか、

「さっきも名乗ったが、俺はハチ。爬虫類のハチ、だな。あ、〝さん〟はいらねーぞ。このクマに頼まれてお前さんの諸々必要そうな服とか買ってきた、この街の運び屋〈トランスポーター〉だ」

 と、自分に向かって親指を立て、丁寧に説明してくれた。

「まったく、突然連絡が来るから何事かと思えば…… 大したことなかったんじゃねーか? てか、どうせコイツ寝かせた後に時間あんだから、買い物なら魔法便でも使ってジョンに連絡すりゃ良かったんじゃねーの」

 クマさんは少し思案するように腕を組み、

「ホラ、人手はあるに越したことないだろ?」

 と、頷いた。口を尖らせながらハチは

「巻き込みたかっただけだろ…… 俺ちょうどトキさん所だったから、色々見てもらおうと思ってたのになー?」

 短く呻いたのはクマさんだ。

「あーもー拗ねるなよ~…… というか、トキさん所だったら回診頼めば良かったか……」

「あ、これ預かってた荷物な」

 そう言うが早いか、今度はカバンから出した小さな紙の袋をクマさんに投げ渡した。

「ちょ、一応人の荷物なんだけど!?」

「いや別にワレモノじゃねーだろ」

 突然投げ渡された紙袋を何とかキャッチしたクマさんと、悪戯したり顔のハチさんがその後やいのやいのと言い合うのを、少し羨ましく眺めていた。

 

 ――ともかく、僕はどうやら助けられたらしい。


 二人の言い合いがひと段落したところで、僕は口を開いた。

「えっと、その…… ありがとうございます、クマさん、それにえっとハチ、も……」

 クマさんは短く困ったように息を漏らして、

「そんな畏まらなくて良いよ、こうなったのも何かの縁だしね」

「そうだな、俺の場合はクーに『巻き込まれた』のも何かの縁だからな」

 そんな二人のテンポの良い会話に、思わず笑みがこぼれる。

「そういえばクーって、クマさんのお名前なんですか?」

「あぁ、それは俺のあだ名。ハチは昔から俺の事クーって呼んでくれるんだ」

 そうなんですね、と言いつつ僕の視線がベッド落ちる。先程の夢で見た、いや、聴いた声が頭の中でリフレインしていた。

「ふーむ…… 何か思い出せたりしたのかい?」

 ハッとして僕は顔を上げた。クマさんの被るマスクの、大きな黒い瞳が僕をのぞきこんでいる。どきり、と心臓が跳ねて身が竦む。

「っと、すまない。無理に聞き出そうとしてるんじゃないんだ。ただ、君の名前ぐらいは呼んであげたいからね」

 僕が言葉に詰まっていると、クマさんはそう離れながら申し訳なさそうに言った。

 僕の視線は再びベッドに落ちる。頭の中ではノイズの混じったあの声が、確かに僕を呼んでいる。

「……ユウ、だと思うんです」

 上げた視線が再びクマさんとかち合う。僕がそう言ったのを聞いてか、「ほう?」と零し、クマさんの口元に笑みが浮かんだ。

「さっき夢を見てたんです。その中で、誰か…… 僕じゃない誰かが、僕の事をユウ…… って呼んでくれてて…… でも名前っていうよりニックネームを呼ばれてるみたいな……?」

「ユウ…… ユウか」

 クマさんは腕を組み、右手を思案するように口元にあてて窓の方へと歩み寄っていく。

「シンプルでいいじゃないか。まぁ、『ユウ』が本当の名だとは言えないかもだが、ここでの通り名としては十分じゃないかな」

 クマさんはそう言って、先程ハチが入ってきた窓の閉じられたカーテンをザッと開け放つ。見れば窓の外はすっかり日が落ちていて、濃紺色の夜空にキラキラと星々が輝き出していた。

「それじゃあ、改めて」

 向き直ったクマさんは、少し咳払いをして

 

「ここは宵街。ささやかな魔法〈ファンタジー〉と慎ましやかな機械〈テクノロジー〉が生きる街」

 

 開け放たれた窓から冷たい夜風が部屋に入って来て、僕とみんなの髪を梳くように揺らす。

 

「ようこそ、宵街へ。――歓迎するよ、ユウ」

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宵街ブース 月輪雫 @tukinowaguma

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