第4話 マド カラノ ライホウシャ アリ

 ハッとして目を開けると、僕は見覚えのない天井に向かって右手を伸ばしていた。

 目を覚ました部屋は日が落ちてしまったのか、灯りもついておらず薄暗い。辺りは穏やかな静けさで満ちていて、あの頭が揺らさせるような拍動もすっかり落ち着いていた。

「夢……?」

 ぼすっ、とベッド上に手が力なく落ちる。

 そう、僕は夢を見ていた。

 体の輪郭が解けてしまいそうな温かな暗闇の中。

 僕は漂っていて、そして

「そうだ、あの声……」

 ノイズに邪魔されていたが、最後のあの声は、確かに僕を呼んでいた。

 あの暗闇での声を思い出して、噛み締めるように反芻する。相変わらず、僕については何も思い出せない。どこから来たのか、何者なのか…… でも、あの声は自分のことを呼んでくれていた、それだけは分かる。

 僕はそっと布団を抱き寄せながら、

(誰、だったんだろうな)

 と、再び微睡が訪れるのを待った。

 しかし、訪れたのは微睡ではなかった。静寂の中にコンコン、とガラスを叩いたような音が転がり込んできた。

「えっ」

 驚いて布団の中から少し上体を起こし、辺りを見回す。ノックされたようなその音。部屋は薄暗く、詳細までは見えないがベッドと対角線上にある部屋のドアからではない事は分かった。

 もっと近い場所、そう思った矢先、再びコンコン、コンコンと同じノックの音がする。


 その場所は――窓。

 

 ベッドに対して平行に、一メートルぐらい離れたところに窓があった。薄手の白いカーテンが閉めらている。

 ――どうやらノックの主はその外にいるらしい。

「え、ここ窓…… え?」

 ベッドから起き上がり、ノックが聞こえてくる窓へと近づく。少なくとも窓から来訪者が来ること、それは何も覚えていない僕でも(窓ってそういうモノじゃないような……?)という印象を受ける。

 僕がそんなノックの聞こえる窓を、開けようかどうか迷っていると、


 ばんっ、と窓が開けられた。


「うわぁっ!?」

 カーテンの向こうは、上下にスライドするタイプの窓だったようだ。それが勢いよく上に引き上げられたことによる衝撃音で跳ねる僕の心臓。

 ――フワリと外の風を孕んだカーテンの向こうに見えたのは人影。

 びっくりした拍子に体制を崩し、ベッドに尻もちをつくように座り込む。そんな僕を開いた窓から吹き込んでくる風が撫ぜ、それに乗って街の喧騒が聞こえる。

「お、なんだ開いてんじゃねぇか」

 深緑色の短髪が目を引く男性がぬっと顔を出した。器用に背負っている大きな四角いリュックを引っ掛けぬように、窓枠から部屋へと足を降ろす。

 すらりとした長身、深緑色の短髪からピアスの付いた耳が見えている。ピアスの赤い石は街明かりなのか外の明かりを受けて煌めいていた。

「なんだ、起きてんじゃねぇか。クーからは寝てるって聞いてたんだが」

 男性はそう言ってこめかみをぽりぽりと搔いている。

「えっと、どなたですか……?」

 体を起こして謎の人物に声をかける。突然現れた謎の人物に身構えずにはいられなかった。

 

 もし、危ない奴だと分かった時には、その時には――


「ん? あぁ、俺か。俺はハチ。クマの知り合い…… っていうか友達か……?」

 クマさん、さっき僕の手を取ってくれた、あの女性のことか―― その名前を理解して、少しだけ警戒が解けそうになる。

 ハチと名乗った男性は、ベッドサイドに背負っていたカバンを下ろしつつ、そう言って首を傾げた。

「とりあえず、だ。病み上がりはそのまま寝てろって」

 クマさんとはまた違う、低めの少しけだるそうな、それでいて嫌悪感を感じさせない、不思議と落ち着く声だった。大きな手で身構えた、僕の頭にポンポンと軽く触れる。

「あ、あんまり暴れるなよ。ここ三階だし、窓から落ちても責任取れんぞ」

「三階? え、あなた今、窓から「あ、これお前さんのな」

 僕の言葉を遮るようにこちらに放られたのは、男性が小脇に抱えていた白い布達だ。僕の短い驚きの声をかき消して降り注ぐソレは、乾いた太陽の香りがするシーツと柔らかなバスタオルだった。

「とりあえず、アイツ呼んでくるから」

 僕がもぞもぞとシーツ達の白い山から顔を出すころには、今度は窓ではなく部屋のドアを開け、ひらひらと手を振って出て行くところだった。閉まったドアの外を足音が遠ざかっていく。

「どういうこと……?」

 三階なのに、先ほどの男性は窓から現れたというのか。僕は恐る恐る男性が入ってきた窓へと歩み寄る。そっと、カーテンを捲り、窓の外を見ると、確かに眼下に路地と思しき道、地上が見えた。僕はそっとカーテンを閉めた。

「ほ、ほんとに三階……?」

 僕が驚いたのは、実際にこの部屋の位置が三階だっただけではない。窓の外にはベランダはおろか、足場になりそうなものは何もなく、グレーに塗られた壁があるだけだったのだ。

 

 窓から突然現れた男性、熊の上顎マスクをした先程の人物――クマさんに、何も覚えていない僕。

 僕は再び力なくベッドに腰かけた。

 相変わらず分からない事は多く、困惑する僕だけが穏やかな静寂の部屋に残されている。

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