第23話【第五章】

【第五章】


「到着だ。出たまえ」

「……」

「聞こえないのか、風見柊翔? 車を降りろと言っているんだ。何をぼさっとしている?」

「……」

「風見! 風見柊翔!」

「そこまでにしておけ、三尉。後片づけは私が済ませておく」

「し、しかし……」

「ここは、彼と親交の深い者が話さなければ何も進まない。分かるな?」

「はッ、か、畏まりました!」


 何も聞こえていなかったわけではない。

 全部分かっていた。車が停車するのも、皆が車から降ろされるのも、女性の黒服が俺の腕を強く引いているのも。


 だが、俺は反応しなかった。いや、したくなかった。

 だっておかしいじゃないか。大人が人数と腕っぷしに任せて、俺たちを拉致したのだから。

 のみならず、俺たちのうちの一人、月野美耶の身柄を長期間手元に置くという。


 そんなことが許される道理はない。今更だが、ふざけるな、と叫んだ時の摩耶の声音がまざまざと思い出される。


「柊翔様、お気持ちは分かります。しかし今は、我々に逆らわない方が賢明です。わたくしとて、あなたとこれ以上拳を交わしたくはない。お分かりでしょう?」


 俺は溜息をついた。と、思ったのだが。

 

「は、んぐっ! げほっ……」


 咳き込んでしまった。それを見て、何も言わずに俺の背中を擦る弦さん。どうやら俺は、沈黙する時間が長すぎて言葉の発し方をド忘れしたらしい。

 すっとミネラルウォーターのペットボトルが差し出され、不覚にも俺は奪うようにして引き寄せてしまった。


 ええい、毒を食らわば皿まで、というじゃないか。勢いよくキャップを外し、ぐいっとボトルを口に宛がう。口元から零れた液体が、顎を伝って喉仏を滑り落ちていく。


「ペットボトルはそのままお持ちください。さ、こちらへ」


 俺はキャップを閉め、ゆっくりと助手席からアスファルトに足を下ろす。

 どこへ連れてこられたのか? 疑問と不安の原因が、ごちゃごちゃと混ざり合う。だが、そんなことは杞憂でしかなかった。


 何ということはない。ここはセーフハウスだった。一連の事件に巻き込まれてから、俺と弦さんが二番目に訪れた居住地。


 不安げなルリアと希美、その周囲にいる黒服たちに噛みつきまくる摩耶。しかし黒服たちとてプロだ。巧みに包囲している。

 ん? ああ、誰かいないと思ったら寛だ。上手いことあの状況から脱したらしいな。流石というか、何というか。


「あなた方にはご迷惑をおかけするが、しばしこの家屋からの外出は控えていただきたい」

「はあっ? 人の妹さらっといて、どの面下げて――!」

「待てよ、摩耶」


 俺は彼女の肩を掴んで後ろに引き、自分の身体をずいっと乗り出させた。

 今は黙って従うしかない。アイコンテクトでそう伝えた。


「食べ物と飲料水は、屋内の警備ヶ所に一ヶ月分の備蓄がある。生憎だが、武器になりそうなものは武装解除しておいた。だからナイフもフォークもプラスチック製だ。窓も防弾・防爆仕様で、割って凶器に転用することはできん」


 サングラスをかけ直し、腰に手を当てた弦さんが淡々と述べる。服装以外はいつもの姿だ。


「さあ、月野摩耶さん、ルリア・フォスターさん、夜桜希美さん。邸宅の方へ。危険は何もありません」


 そう言ってから、女性の黒服は玄関ドアを引き開けた。

 俺が最後に見た時と、外観と玄関には違いがない。早計ではあるが、安全だと仮定して事態打開のきっかけを掴むしかない。


 しかし、だ。

 俺は気づいた。いつの間にか、点呼される時に、俺の名前が呼ばれていないのだ。

 元々このセーフハウスに滞在していたから、特別促される必要はないということか。


 結局、皆をセーフハウスに促す役割は俺のものになった。俺の背後には女性の黒服が、そこから数メートル後方に弦さんが『休め』の姿勢で立っている。

 俺は弦さんに振り返ったが、その表情から感情を読み取ることはできなかった。

 弦さんは、そのまま大股で近づいて来て、俺の背中を軽く押した。自分で内側から施錠するつもりなのだろう。


 俺たちは全員が会議室に押し込められ、再度ここでの生活についてレクチャーを受けた。

 取り敢えず安全だし、被害を与え得るであろう現象は発生し得ない。それが大前提だ。

 と、いうことが、繰り返し弦さんの口から発せられる。


「それから、この部屋での滞在期間だが、一週間程度を想定している。もちろん、衣服の着替えも十分量確保してあるし、気に入らなければここにいる黒服たちに要請して構わない」


 俺は再度、美耶について尋ねようと立ち上がった。

 が、弦さんはそれを無視して退室してしまった。既に美耶は、俺たちとは別なところへ連れていかれている。


「くっ……」


 俺が奥歯を噛み締めていると、ルリアの声が響いた。


「摩耶さん!」


 その鋭さに、俺も希美も振り返る。

 そこにいたのは、ルリアの腕に抱かれて薄目を開けた摩耶だった。気絶しているらしい。


「急いで誰かを呼んできて!」

「いや、インターフォンの方が早いでーすよ!」


 俺は、女性陣の輪から抜け出し、ドアわきに設置された警報機に伸ばされた希美の腕を掴み込む。


「何してるんや、柊翔はん!」 


 希美の声が飛ぶ。俺は何かを喋ったが、自分でも何と言ったか分からない。馬鹿を承知で手を伸べた。その向かう先は自分のスマホだ。

 手先に目を遣ると、数字入力用のタッチパネルに指先が触れた。だが、直に反応はない。一一九を押すも、帰ってきたのはこれだけだ。


《お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません。繰り返し――》


「んな馬鹿な!」

「ちょ、ちょっと! 柊翔くん!」

「畜生!」


 希美がそっと俺の手を取ってくれた。が、俺はそれを振り払い、自分のスマホを壁に投げつけた。――あまり派手に破砕される様子は見られない。俺はこんなに非力なのか?


「くそっ! 俺がもっと強ければ……!」


 そうすれば、弦さんを倒し、摩耶を救出し、あいつらの研究とやらを頓挫させることだってできたかもしれない。全ては、俺の責任だ。


「俺さえ上手く立ち回っていれば、皆でこんな目に遭わずに済んだのに!」

 

 その時だった。俺の胃袋下方から、強烈なアッパーカットが打ち込まれたのは。


「ぐほっ!?」

「ちょ、ちょっと! 希美さーんまでどうしたというんでーすか!?」


 今の声はルリアのもの。俺は摩耶からはやや距離を取っている。

 つまり、俺に一泡吹かせるだけの距離感と打撃力を有する人物は――。


「ちょっとは目が覚めたかしら? お兄さん」

「夜桜……希美……。お前、か……」

「あなたをダイニングまで連れていきます。トイレの前を通るから、吐くならそこでお好きにどうぞ」


 彼女の口から発せられた言葉。それはそれは、実に標準的な日本語だ。どこの訛りも感じられない。それに、言葉の一語一語を取ってみても、すっと美麗な印象を受ける。


 これって、やはり芸能人、取り分け歌手や演者の仕事をこなしているからこそ身に着けられるものなのだろうか。関西弁バージョンもあるし。


 なんとも展開に脈絡のない鉄拳制裁、そして冷淡極まりない希美。現実として直視するには、この状況を読み解かなければならない。

 だが、その手間は希美がきっちりと果たしてくれた。


「ルリア、摩耶の状態は?」

「うん、今トイレに籠ってまーす。やっぱり、唐突に緊張の糸が切れて、その反動で全身が脱力してしまったようでーすね。内臓も含めて」

「ありがとう」


 確認作業を終えて、希美が俺に代わって先頭に立った。

 しかし俺は、これに従う気にはなれなかった。


「何をしているの、柊翔さん?」


 永久凍土のごとき冷感と重圧を以て、俺に振り返る希美。端的に言って、俺は竦んだ。


「い、いきなりどうしたんだ、お前……!」

「ダイニングに着いたら皆に話す。今は黙って従って」


 歯がガチガチ鳴りそうなくらい全身を震わせながら、俺は刻々と頷いた。


         ※


 ダイニングに着いた俺たち四人、すなわち、俺、摩耶、ルリア、希美は、各々目配せしながらテーブルに着席した。

 ううむ、姿勢を変えるとまた痛みと吐き気が這い上がって来るな……。


 そんな俺を無視して、希美は摩耶だけにエチケット袋を差し出した。もうだいぶ、吐き気は収まっているようだ。っていうか、俺の分はないのかよ。


「で、私が考える暇も与えていないにも関わらず、皆はついてきた」


 ぎこちなく、しかし確実に頭を上下に振る俺たち。

 

「つまり、私たちは自分のやるべきことを、きっちり把握している。そういうわけだね」


 いや、つまり、って突然言われても何が何だか……。

 

「これは飽くまで提案の域を出ないのだけれど、皆、美耶さんを助けたいと思わない?」

「思いまーす!」


 真っ先に食いついたのはルリアだ。

 その姿を認め、希美はルリアに頷き返した。

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ダメなダメ兄による優秀妹のための絶対妹防衛戦 岩井喬 @i1g37310

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