第22話

 俺は全身全霊をかけて、この言葉を吐き出した。脳みそも声帯も、ヒリヒリと焼かれるような熱を帯びている。いや、最早完全に焼き尽くされてしまっているかのようだ。

 

 俺が肩で息をすると、この期に及んで弦さんが顔を顰めた。眉間に皺が寄り、口元がぐっと一文字に引き伸ばされる。

 

「……なるほど、なるほど。そういうおっしゃり方をなさいますか、柊翔様」

「どっ、どういう意味だよ?」

「わたくしにとってあなたのお父様、風見武夫・二等陸佐は命の恩人。先日申し上げましたな。二佐は、あなたが我々の計画に参加することに希望を見出しておられます。また、必ず参加することになるだろう、とも」

「計画……?」


 俺が拳を下げて、弦さんと目を合わせようとしたその時。

 待てよ。弦さんは、今何と言った?


「二佐は、希望を見出しておられる……。俺が必ず参加する……」


 この二言が有する違和感は、なかなかに強烈だった。これではまるで――。


「親父が生きてるみたいじゃないか……」

「左様。我が主、風見二佐は存命でいらっしゃいます。いろいろと不都合が合って、表社会に出るのが困難だったので、戦死扱いとされただけです」


 俺は、自分の目玉がぐりん、とひっくり返りそうになるのを直に感じた。

 親父が、生きてる……? そして弦さんは、そんな親父の下で今でも執事を、いや、護衛役に就いている、ということか?


 俺は額に手を当てて、その場でがっくりと膝をついた。


「ちょっと、柊翔さん? 大丈夫でーすか?」

「無理に動かんといて。ウチがなんとかしてはるさかい、な?」


 俺はすっと片手を上げて、ルリアと希美に『近づくな』とサインを出した。

 じりじりと後ずさりしていく二人の気配がする。


 弦さんは腕を組み、じっと俺を見下ろしている。さっきの白兵戦で勝ったから、気分がいいとでも言うのだろうか?

 いや、違うな。今の弦さんは、いつも通りの冷静さと思慮深さを維持しているように思える。あんな白兵戦、それこそ子供のお遊戯会とでも思っているのかもしれない。


「俺たちをどうする気だ?」

「身柄を拘束いたします。なあに、長期間には及びません。ざっと一週間、というところですかな」


 そう言うと、弦さんは無造作に自分たちの元来た方へと首を曲げた。さっきと同型の、真っ黒い高級車が滑り込んでくる。

 車両は緩やかに減速し、綺麗にもう一台の後方に位置づけた。運転手側の扉が開けられ、またも黒服が下りてくる。今までと違うのは、その黒服が女性だということだ。

 その黒服が助手席側のドアを引き開けると――。


「あーったく! こんなフェイスマスクなんてつけさせやがって! 周りがどこなのか、さっぱり分からねえじゃんか! おい運転手! お勘定はこっちの姉ちゃんに請求頼むぜ!」


 バタン! と強引にドアを閉める。その人物は。


「ま、摩耶ちゃん!」


 希美の声がする。はっとして、俺は勢いよく頭を上げた。


「摩耶、無事か!」

「ほわーあ、無事だし平和だし健康だよ。まったく、こいつらどうしてあたいのことまで誘拐したんだか」

「へ?」


 俺が首を傾げると、摩耶もまた頭を傾けた。


「い、今、美耶は一緒じゃないのか?」

「月野美耶こそが研究対象です。我々以外にも、彼女の力を活用すべく多くの諜報機関が血眼になって探している」


 俺は躓きかけながらも、今話すべき人物の正面に立った。摩耶だ。

 勢いのまま、両肩をがっしりと掴む。そして、瞳を覗き込んだ。


「摩耶、何故だ? どうして美耶がいないんだ? 途中ではぐれたのか?」

「いや、あたいがこの車に乗せられる時に、別な車に乗ったんだ」

「それ、は……」


 摩耶が嘘をついている可能性は低いだろう。大人の持つような傲慢さを唾棄し、権力というものに逆らい、家出をしたくらいなのだから。


 考えてみればすぐに納得できるはずのことだった。摩耶と違い、美耶は臆病で繊細な女の子。姉を見習えという方が無理な相談である。


 俺と同じように俯いてしまった摩耶。俺は深呼吸しながら、摩耶ではなく女性の黒服の方に顔を向けた。ショートカットの黒髪に、顔の半分を覆うようなサングラス。衣服は全て黒で統一されている。

 弦さんはやや離れたところで、耳元にイヤホンを押し当てていた。


「あの、訊いてもいいですか」


 ええ、と乾いた声を発する女性の黒服。


「美耶はいつ帰って来られるんですか」


 そう問いかけると、黒服は肩を上下させた。言葉による返答はない。

 きっと、二度と解放されることはない、という意味なのだろう。


 だんだん意識が麻痺してくる。絶望したとか混乱したとか、そんな有体な言葉では表現しきれない、空虚さが俺の胸を締めつける。


 知りたいことはたくさんある。美耶の居場所や居住環境、過度な実験に付き合わされていやしないか、等々。

 だが、それが言葉となって発せられることはない。理論的に話を進めるには、今の俺はあまりにも心を抉られすぎている。


「ちょ、ちょっと柊翔くん……」


 背後から近づいてきたのは、声からしてルリアだろう。

 俺はそっと差し伸べられた手を、振り返りざまに弾き飛ばした。


「きゃっ!」

「あっ、ご、ごめん……」


 ふむ、俺はどうやら謝ることだけに関しては天賦の才があるのかもしれない。情けない限りだが。


 完全に頭が茹ってる俺の背後から、黒服がするりと身を挟んだ。ルリアになんらかの書類を手渡したようだ。


「こ、これは……?」

「月野摩耶宛だ。くれぐれも、部外者の手に渡らぬように」


 女性にしては低い声で、耳から恐怖感を捻じ込んでくる黒服。

 この期に及んで、俺はようやく周囲の状況を把握した。


 警官隊や機動隊員たちは、皆ピシリと踵を合わせ、この暑い中で直立不動を保っている。

 黒服の連中の方が偉いのか? それもあり得るな。美耶に関する情報の堰止めを担うくらいなのだから。

 

「はッ、了解しました、風見二佐」


 突然名を呼ばれ、俺は振り向いた。弦さんがイヤホンを外し、通信機器担当と思しき黒服に差し出している。


「さて、こちらにいらっしゃる風見柊翔様、月野摩耶様、ルリア・フォスター様、夜桜希美様。こちら四名の身の安全は、我々が命を賭してお守り致します。ただし、情報漏洩を防ぐため、わたくしのセーフハウスにしばらく滞在していただくこととなる」

「おい待てよ! 美耶もいねえのにそんな……!」

「これは要請や依頼、はたまたお願いなどではありません。あなた方に拒否権はない。というより、拒否するだけの不都合は生じない。月野美耶は安全な場所で、最高の教育及び研究の対象として、今以上に幸福な人生を全うするはずです。喜ばしくはあっても、悲観する必要はない。ご不満とおっしゃるのなら、定期的に通信連絡を取ることのできる環境をご用意致しましょう。ただし、直接的な接触は避けて――」


 そこまで耳に届いた時、俺は圧倒的な殺意が背後で立ち昇るのを感じた。

 ゆらり、と、質量を持った影が湧き出て、周囲の光を吸収していく。

 それから空気をつんざくようにして、ドッと怒声が爆発した。


「ふっざけるなあああああああ!!」

「ッ!」


 手で耳を塞ぐ間も与えられなかった。

 摩耶だ。摩耶が全身を震わせて、これだけの空間を揺さぶっているのだ。


「あんた、人間か? あたいにとって美耶がどれほど大切か、分かってねえんだな! 美耶はあたいに、たった一人残された最後の家族だ! それを……それをあたいから奪おうなんざ、一兆年早いんだよ!!」


 これには流石の弦さんも、僅かとはいえたじろいだ。

 俺は驚きを隠せず、目を見開いたまま振り返る。


 一気に発声したせいで、摩耶の喉からはヒュー、ヒューと空気が漏れだすような音がした。

 大丈夫なのか、こいつ? 俺は衝撃を隠せないまま、摩耶の方に振り返る。

 そして理解した。ああ、これが兄弟愛、姉妹愛というものなのか。


 俺の意識に、一人の幼子の姿が浮き上がってくる。

 俺は摩耶が美耶を思うほどに、春香のことを思いやっていられただろうか? 

 ――分からない。


 親父とお袋は論外としても、俺は兄として、家族として、春香に寄り添っていられたのか。

 やはり分からない。

 畜生、何がどうなっていやがる。

 思考が深まっていくのにつれて、俺は全身に震えを覚えた。夏の暑さが感覚的に逆転し、驚くほどの冷気が俺を取り巻く。


 振動の絶えない掌を顔に当て、現実から自らを守るように爪を立てる。瞼が痛み出したが、もうどうにもならない。

 俺は誰かに手を引かれ、車の後部座席に押し込まれた。

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