第3話 坑道調査
「はぁ~…何やってんだよお前」
「うっ悪かったよ…」
朝日が窓から差し込むギルドの食堂では、空いている席がぽつりぽつりとありながらも賑わいを見せている。冒険者の野太い注文の声と店員の返事の声が飛び交う中、食堂の隅にあるテーブル席で二人の冒険者は会話を交わしていた。
飲んだくれ…もとい冒険者のダックと、よく食べることで知られているフォッセだ。テーブルの横には朝食が収まっていたのであろう食器が乱雑に積まれている。
「一昨日お前が飲み過ぎたせいで護衛のクエストが受けられず?」
「うっ」
「珍しく街から出るチャンスを逃したし?」
「がっ」
「挙句の果てに昨日は二日酔いでゲロるお前の介抱をしたわけだが?」
「ソレニツキマシテハタイヘンアリガトウゴザイマス」
「はぁ…ま~なっちまったもんはしょうがねぇか~。とりあえず、なんか実入りの良さそうなクエストでも受けねぇとな~…ん?」
「どしたよ?」
ダックの酒癖の悪さは今に始まったことではない。そう思いダックを叱るのをあきらめたフォッセは、クエストを探そうと掲示板の方へ目を向けた。大きく膨らんだ腹を揺らしながら掲示板へ向き直ると、見覚えのある少年が掲示板を見つめているのを発見した。
「あれ、リオンじゃないかぁ?」
「だな。って事は、ちゃんと帰って来れたって事か」
「あいつ、ちゃんと戻ってこれたんだな。話しかけに行こうぜ」
「へへっそうだな…まだ早えってかなって思ってたりもしたけど、何とかなったみたいで良かった。って、あいつ誰と話してんだ?」
掲示板を見つめるリオン…の横には見慣れない少女が立っていた。大体リオンより若干背丈が上の少女がリオンと話し込んでいる風景は、普段一人で行動していたリオンを知っている二人にとって異常な光景だった。
「そうか、あいつがなあ…」
「今までなーんかパーティを組んだりそもそも他の奴と絡んだりしなかったよな」
「いやぁあいつも日々成長してるって事なんだろうな~。いい事だ」
温かい目でリオンを見つめるダック。今より背の低い頃のリオンを思い出し、しみじみとした感情が胸の中で溢れ出す。温かくスッキリとした自身の胸にさらに甘い蜜を注ごうと手を挙げて―――
「酒は頼むな」
「はいすみません」
「つかさ、あんなきれいな奴いたか?」
「いやぁ、俺は知らね。知ってるのは飯だけだ。おまえこそどうなんだよ?」
「いや、多分見た事は無いな…」
暫くの間、二人はリオンと金髪の少女を見つめながらひそひそと会話を続けていた。
「一緒に掲示板見てるって事はよぉ、一応パーティ組んだって事なんだよな?」
「だと思うけどよ、なんだってまたリオンと組んでんだ。そもそもあいつ、俺が組めって言った時もなんか組もうとしなかったしよ」
「だよなぁ…少なくても自分から組むような奴じゃぁ無かった」
「まさか、彼女か!」
はっとした顔でダックはフォッセを見つめる。フォッセも思わず口を開けて
「いやねぇだろ」
「だよなあ」
フォッセの即答にダックが頷く。
「じゃあ、あの姉ちゃんはなんなんだろうな?」
「…まさかよ、美人局じゃ」
「ブフゥーーーーーー、いや、お前じゃねんだからあり得ないだろ!」
「てめぇ…覚えてろよ?」
以前実際に引っかかったのを思い出し吹き出しながら脇腹を肘でつつくフォッセ。つつかれている方は青筋を立て睨みつける。
「さすがに美人局でもガキ相手にやらないだろ。この街も昔と比べて随分と人が減ったしな、そんな詐欺まがいな事してもすぐ見つかるだろ」
かつて大規模な鉱山都市として各地から労働者が集まり賑わっていたこの街は、年々鉱石の産出量が減少の一途を辿っていた。街の要である主要産業が衰退し、鉱山に沿うように開発され高低差が激しくなったこの街は、もはやかつての賑わいを取り戻すことが難しくなっていた。
「まぁ、そうだよな」
ダックが周りを見つめて呟く。新たな仕事を探しにギルドに集まってくる冒険者で大きな賑わいを見せる食堂だが、端の方へ行くにつれて徐々に席の空きが目立っていた。その寂しげな光景を目にして、ついさっきまで青筋を立てていたダックの怒りは静かに引いていく。
「でもあん時は酷かったよなぁ、折角宝を持って帰って来れたのに全部取られちまって」
「馬車のおっちゃんに話を通しておいて助かったわ…分け前は要求されたけど」
「あぁ。まぁとは言え、リオンはそもそも金持ってねぇだろうしな…」
「そうそう、俺たちみたいな凄腕のぉ?二人組でもない限り金なんて貯まんねぇし?」
近くに居た冒険者が自身を睨みつけるのを流し目で見るダック。ため息を付きながらフォッセが会話を続ける。
「煽んなよ…とにかくリオンが美人局に合ってる可能性はねぇ」
「そうだな…そうだよな。わりぃ、なんか心配になってたわ」
「…よし、それじゃぁ俺たちもクエスト探すか」
「おう!まぁ流石に、金持ってねぇ奴を相手にはしないか!金目のもんも持ってねえ…し…?」
リオンの腰に付けているダガーがきらりと光って二人の視界に入る。一介の冒険者には相応しくない上等な物。再度顔を見合わせた二人は、後輩を守る為に掲示板に向かって歩いて行ったのだった。
朝日が当たり明るく照らされた掲示板。ギルドの中でも特にこの周辺の人口密度は高めであり、多くの冒険者が受けるクエストを吟味している。ユドルはそんな人混みをするすると避けながらリオンに近づき、手に取ったクエストを見せた。
「これとかどう?」
「取って来てくれたんですね。ありがとうございます」
軽くお礼をしながらクエストを見つめるリオン。ユドルの鉄製の籠手からぶら下がる紙には、仁王立ちする熊が描かれている。因みに、これはこの街で上位のフルパーティが受けるクエストだ。
「歯応えがありそうでいいと思うのだけれど」
「…多分僕が足を引っ張ってしまいます。それに大熊は大抵コボルトもセットなので、戦うとなるとかなり不利になりそうです…」
「コボルト?なんでセットになってるの?」
「えっと…何だったっけな…」
「コボルトと大熊はなぁ、この時期限定で共存関係になるからな」
リオンの解説を補完するようにフォッセが会話に割り込んでくる。一瞬驚いた顔をしたユドルは文句を言ってやろうと口を開けようとするが、続くフォッセの解説によって阻まれてしまう。
「この時期の大熊は冬眠に向けて特に他の動物を食い荒らし始める。森の中で暴れまわるから、こうして討伐依頼が来て冒険者に狙われる。そこで、食った物の残りをコボルトに与え、自身の近くに置いておくことで群れを作るんだ」
「よーうリオン。元気そうじゃねぇか」
「…どうも」
ダックがリオンに話しかけながら一方的に肩を組んでくる。肩を組まれた側のリオンは顔を逸らしながら若干面倒くさそうに返事をした。
「彼らと知り合いなの?」
「えっと、一応先輩の冒険者のダックとフォッセです。肌が黒いのがダックで、太ってるのがフォッセです」
「おいおい釣れねぇじゃねぇか。もっといい恰好よく紹介とかしてくれてもいいんじゃないのぉ~?」
「…すごくうざいけど、確かな知識と経験はあります」
「うざいは余計だなぁ」
「そ、そう…」
リオンの不機嫌そうな表情をみて若干引き気味に頷くキャロル。
「で、姉ちゃんの名前は何だよ?」
「ユドルよ。一応剣士ね」
「おう!よろしく。んでよ、ちょうど今から俺たちもクエストを探そうとしてたんだよ。どうだ、一緒にやらねえか?」
「…私は構わないけど、リオンはどうなの?」
「大丈夫です…ほんとに、性格は何ありだし何ならこの前フードにゲロ吐かれましたが、実力は確かなのでグッッ」
「よ ー し 決 ま り な !じゃここはひとつ、クエスト探しは俺たちに任せてくれ。見た所、ユドルも駆け出しっぽいだろ?」
ダックが余った方の手でユドルのポケットを指さす。ポケットからは、僅かであるが木製の板が見え隠れしていた。因みにもう片方の腕はいらないことを口走ったリオンを締めあげており、ユドルは呆れた様子でスルーする事にした。
「えぇ、でも腕には自信があるわ」
「ギブ…!ギブっ!」
「ほんじゃ腕試しも兼ねて廃坑道の定期調査はどうよ?もし危なくなっても来た道を走れば何とかなるしな」
「坑道調査と…おっ?丁度いいのがあったぞ~」
「わかったわ、それでいきましょう」
タイミングよくフォッセが紙を持って来る。紙には木材で枠が作られた洞窟の絵が描かれていた。フォッセはついでとばかりにユドルが持ってる紙を回収して掲示板に貼り直す。
「そんじゃ、早速請けに行くかね。行くぞーお前ら」
「ほーい」
「えっ、あっちょっと引きずらないで」
「…そろそろ離してあげたら?」
四人は言葉を交わしながらクエストを受けに行くのだった。
________
街から山の方へ一時間程歩くと、鉱山で働く労働者が集う広場がある。何名かの警備兵が欠伸をしながら暇そうに会話を交わしているのを尻目に、もう使われていないほとんど獣道になってしまった道を進んでいく。
暫くすると、地面の傾斜がより一層厳しくなっていく場所にたどり着く。ほとんど壁のそれには木枠で囲われた穴がぽっかりと開いており、錆びたランタン、崩れた木板、使われなくなった朽ちた道具が寂しく置かれていた。
「ここが指定された場所だな」
フォッセが紙を取り出して呟く。ユドルは紙を眺めるフォッセに質問を飛ばす。
「思ったんだけど、こういうのって基本閉鎖とかするんじゃないの?」
「知らねぇ。昔の奴らはそんな考えとかなかったんだろなぁ」
「おいリオン、これ見ろよ」
「…あっ足跡!結構な数あるよ」
ダックに締め上げられているリオンが地面を眺めて返事をする。それを聞いたフォッセがあからさまにめんどくさそうな顔をした。
「まじかよ。何の魔物だ?」
「この感じだとゴブリンじゃねーの?めんどくせーな、あいつ暗闇でもある程度目が効くし」
「僕もそう思う。歩幅が短いし、アンデッドほど不規則じゃないし」
ここでダックは美人局疑惑が掛かってるユドルについての情報を得ようとリオンにそれとなく会話を交わすことする。
「おう。そういやあの姉ちゃんとはどうしてパーティ組んだんだ?」
「街の鍛冶屋で会って…それから色々あってパーティ組んで欲しいってお願いしたんだけど」
「お前から!?いつも一人でボッチだったのになんでまた」
「え!?」
理由を聞かれて思わず声を上げるリオン。昨夜の出来事を改めて思い出して、初対面の人に何てこと言ってんだと恥ずかしい気分になってしまう。
(ひょっとしなくても昨日柄にもない事をしてしまったのでは…?まずい、考えれば考えるほど顔が熱くなってきた)
「…どうした?」
「え、えーとその…理由はちょっと、言えません…」
「!?」
そっと締め上げていたリオンを離すダック。そそくさとフォッセの方へ近づいていく。リオンはそれを困惑した顔で見つめている。
「どうだった?」
「ヤバそう」
「まじかぁ」
ユドルに対する疑惑は深まるばかりだった。
リオンとユドルが不思議そうに見つめてくるのをなんとか誤魔化しながら最終チェックを進めていくフォッセとダック。バックの中にランタン用の油、包帯をはじめとした最低限の救護用具などを詰めていく。
リオンもそれに倣って靴紐が緩んでないか確認する中、ユドルは聞きそびれていたことをダックとフォッセに質問した。
「ねぇ、貴方達ってどんな武器使うの」
「おっといけね、忘れてたわ」
声を掛けられたダックが腰に差してある剣を持ち上げユドルに見せる。一回り大きくなった鉈のような剣を持ち上げるダックの顔は誇らしげで、事実彼の冒険者人生において戦いからキャンプの薪作りまで様々な場所で活躍して来たのだろう。だが、その武器とは別に背中には物干し竿のような棒を背負っていた。防具は動きやすさを重視したのか、胸や肩など急所になる部分を防ぐのみになっている。
「これ、実は槍なんだぜ」
「俺も見せとかないとなぁ」
フォッセも続いて両の手にそれぞれ持っている武器と盾を見せる。左手に持っている武器はトゲ鉄球が付いた如何にもなフレイル。右手には横幅の広い彼には少々心もとないが
「ふっ…どうよ」
「いわゆる量産品だけど、色々手を加えてきたんだよなぁ」
「いつもはフォッセが前衛って感じなの?」
「そうだな。今回も俺が前衛でいいか?」
「じゃあ俺が後衛で、あいだにユドルちゃんとリオンな」
「…あ、僕も紹介した方がいいですか?」
「知ってるからいい」
「あっはい…」
「んじゃあ出発な!」
話し合った通りに高速で暗くなる通路を進んでいく。ごつごつとした岩肌のトンネルは、外と比べて一層冷え切った空気になっている。暗闇を照らすランタンは二つ、前衛のフォッセと後衛のダックが腰に付けている。
(冒険者に対する依頼って、やっぱ町や国ごとに違うんだよな)
目の前を歩くユドルの後ろ姿を見つめながらダックはほくそ笑む。
(特に今回の依頼を出す街は滅多に無い。美人局は基本的に小金を貯めこんでる冒険者を狙ってあちこち街を転々とするが、まともにクエストをしないから経験が無いし、内容を察することも出来ねぇ。そして、今回の依頼は体力勝負…!)
「まずはここを右から見ていこうかぁ」
「…?。一本道じゃなかったの?」
やっぱり来たな、とダックが喉の奥で声を出す様に思う。
「あれ?そうだったっけ?あー悪りい悪りい、確かに来た道を走れば何とかなるって言ったよなーそう思っちまっても仕方ないよなぁーホントすまん。
「つうどう…ひおし…?」
悪かったな、このまま帰ってくれてもいいんだぜと言わんばかりの喋りでユドルに話しかける。
「やっぱり、まだまだ知らないことはたくさんあるわね」
「意味は後で教えてやるよぉ」
「多分メインで掘るのが通洞でこの横道が𨫤押でしょ?でもこれだと予想以上に時間が掛かりそうね」
「…悪かったな。なんだったら帰っちゃっても大丈夫だぞ?」
「いいえ、全然大丈夫よ」
ユドルの楽しそうな声色を聞いて虚を突かれた気分になるダック。
「一応ゴブリンが居ることわかってるし、あんま喋らない方が良いんじゃ…」
「わーってるよ」
リオンの発言から静かになった一行は、坑道内を慎重に進んでいく。ランタンの弱弱しい光が、狭くも暗闇を切り開いてくれる。暫く進むとぶわりと暗闇の中から壁が現れる。一行はフォッセとユドルを見張りにしながらダックとリオンで何かしらの痕跡が無いか確認する。
「無さそうだね…」
「どれどれ…確かに、足跡は無いわけじゃ無いが…ここは使われてないようだな。一度戻るぞ」
確認を終え、またフォッセを先頭にリオン、ユドル、ダックの順で来た道を返す。通洞へ出たら、また奥へ向かって次の𨫤押坑道へ向かって歩みを進める。
「次は左か」
左に曲がり、進んでいく。魔物がいない事、もしくはそこにたむろしていた痕跡が無いことを確認し、戻り、また進む。
「また左だなぁ」
進み、確認し、戻る。
「今度は右か」
進み、確認し、戻る。
「敵がいると解っている分、結構疲れるわね…」
「いや、よくやってるよ…ほら、リオンを見てみろよぉ」
「はぁ…はぁ…」
「力み過ぎだ、力抜けよ」
この岩肌の陰に魔物が潜んでいるんじゃないか、一行が歩みを進めるたび、新たな影が現れ、各々が気を配りながら進んでいく。立ち止まったは立ち止まったで揺れるランタンの火によって影は新たな姿形へ変形し、またこの影達に気を取られる。坑道全体が斜めになっていて常に坂道なのも大きい。
特にリオンはこの圧力に耐えかね、著しく体力を消耗していた。
「ほら、チェックするぞ」
「う…うん…」
またフォッセとユドルが見張りをする中、リオンとダックが静かに地面や壁を睨む。リオンの出した汗が、ぽたりと地面に落ちる。今まで僅かな会話と装備品の擦れる音しかしなかった坑道内においてそれはやけに大きく聞こえてしまう。事実、探索を進めるなか唯一発見している足跡は風化が進んでいないものが増えており、それに合わせて足跡の数、そこから予想されるゴブリンの最低人数も増えていた。
「最低でも15…いや、足跡が小さいのも含めたら27はいるだろうな」
「やっぱり、一度帰った方が良いんじゃ…」
「ここまで来てしまった以上、返るわけにもいかないわね…」
「…そっちはなんか見つけたか、リオン」
「いや…何とも…ん?」
地面の足跡を確認して立ち上がった時、リオンの鼻孔を擽られる。空気が停滞しやすい坑道内において、立ち上がる行動だけであっても空間内の空気をかき混ぜる原因になった。
リオンは臭いのより濃い方へ向かって岩肌の奥へと慎重に進む。
「何だこの臭い…って臭っっ!?なんだこれ…」
「何か見つけたか…って、うんこか」
唐突に濃くなる臭いに耐えかねて二人揃えて鼻を抓む。
「便所…って事?」
「まぁそうだなぁ…この通路、今までの中で一番長かったし都合が良かったんだろ」
「つまり、連中の居住区域が近くにあるって事だ。気い引き締めるぞ」
「わ、わかった」
もう一度並び直して来た道を戻る。ここから、様々な場所で痕跡を見つけるようになっていく。
「今度は…なんだこれ?」
「若干腐ってるけど、豚肉っぽいなぁ」
「人の肉…じゃ無いわよね…?」
「何とも言えねえ…だがどんな形であれそもそも人がいたという痕跡が無い、可能性は低いと思うぜ」
「ここの地面、灰がやけに多いわね」
「豚肉もあったし、多少は料理できるのかもな」
「…こっちは砂がたくさんある、寝床かな?」
「もしそうなら、まだここの奴らが人を襲ったことは無いんだろうなぁ。大抵、人の来ていた服を地面に敷くから」
一行はもう何度繰り返したかは分からないが、通洞へ戻りまた奥へと進んでいく。
「もう十中八九いるのは間違いないなぁ…」
「そうだね…あれ?」
ぐらりと、視線が傾く。リオンが自身の異常に気付いた頃には壁に手を当て、体重を壁に当てた手の方へ預けてしまっていた。
「大丈夫?」
「すいません、ただの立ち眩みで…ちょっと緊張しすぎちゃったみたいです」
「おいおい、リラックスリラックス」
「俺も駆け出しの頃はそうだったなぁ…でも鉱山で働いてた時に何回か戦闘したことあんだろ」
フォッセが後ろに振り向いてリオンの肩を叩く。
「ごめん、気を付ける…あれ?」
「どしたよ?」
壁に当てた手の端に違和感を感じる。立ち眩みですぐには気づけなかったが、薬指の先が岩の隙間の奥に妙に入り込んでいる。
リオンはユドルと顔を合わせ、念の為ナイフを隙間に差し込む。想像以上に奥まで入り込んだナイフをかき回すと、岩の隙間からポロリと棒状の何かが落ちる。先ほどみた光景も相まって茶色く固そうな材質のそれは一瞬渇き切ったうんこに見えたが、どうやらただの木の棒だった。
「これ…木?」
「おう、ちょっと見せてみろ」
地面へ落ちた木の棒は拾ったリオンから奪うようにしてダックの手に渡る。ダックは腰を曲げながら左腰に付けたランタンへ近づける。
「片端がちょっと黒いな、焦げてる。多分松明か何か…」
ダックの動きが止まる。
「どうしたの?」
「まっっずいランタン隠せ!」
ダックが叫んだ瞬間、フォッセのランタンが破壊された。
「やべぇ矢だ!?」
「くそったれがよ!」
フォッセの報告と共に前方の視界が一瞬にして暗闇に飲み込まれる。ダックは右手に持っていた剣を素早く腰の後ろへと回す。
回し終えると同時に乾いた金属音と共に剣の先端から衝撃が走ってくる。後ろから放たれた矢が地面に落ちるが、もし一瞬でも判断が遅れていたら左腰に付けていたランタンも破壊される所だった。
「ユドルは俺と後ろ!リオンはフォッセと前!」
「了解!」
「来いリオン!」
「わ、わかった!」
「リオン、これ持っとけ!」
「おっ熱っつ!?」
ダックは腰にぶら下げたランタンを素早く外しリオンに投げつける。ガラス部分に触れ火傷しそうになるのを何とか堪えながら受け止めた。
「良く気付いたわね?」
ユドルは自身の数歩前で剣を構えるダックに声を掛ける。暗闇の中から不気味な薄緑の肌をした子供のような魔物がわらわらと現れる。
「今回は俺が馬鹿だった。あんまりにも見かけないからゴブリンどもは奥の方に引っ込んでると思ってたが…よ!」
後方からやって来たゴブリンの内一人が再度矢をつがえて放ち、タイミングを合わせて他のゴブリンが軽快に走り距離を詰めてくる。ダックは瞬時に剣を盾のように構え矢を受け止める。そこに迫って来たゴブリンをユドルがダックの脇からするりと抜けて前へ進む。ゴブリンの足を踏みつけて動きを止め、相手が痛みで顔を歪めた所に剣を突き立てた。
「グギャア⁉」
「あらかじめわかってた数からして見かけない訳がねぇ。俺たちに気づいててここまで誘い込んでたんだ!」
「なるほどね」
「というかやるなユドルちゃん!んでリオン、それ壊されるなよ!」
「いやわかってる!!わかってるけど」
リオンはパーティの進行方向、坑道の奥の方を目線を移す。唯一防具で覆われてない顔を隠すように小盾を構えるフォッセがフレイルを振り回しながらゴブリン達を牽制している。
「こっちの方が数が多いよ!!」
「流石に受け止めきれるか怪しいなぁ」
業を煮やして突っ込んできたゴブリンの頭をフレイルで殴打し、続いて突っ込んできたゴブリンを盾で受け止めながら盾中心の一本棘に引っ掛けるようにして側面の壁へと吹き飛ばす。
「ギャ!?」
「もらった!」
壁に激突して動けなくなったゴブリンにリオンが止めを刺し、飛んでくる矢を屈んでよけながら急いでフォッセの後ろへと戻る。
それぞれが対処する中、同胞の死によってより激昂したゴブリン達は数に任せて突撃してくる。幸い、坑道内の通路はもともと人が二人すれ違えるかどうかの幅の狭さであったため、三匹以上から同時に襲われるという事は無かった。
「分かってると思うけど、ナイフは投げるなよぉ?」
「投げ返されたら面倒だからね、分かってるよ」
「ならよし。次来るぞぉ!」
「さ、流石にきつい!」
フォッセが叩き潰し、リオンがフォッセの隙を潰すように突っ込む。ナイフで喉元を突き刺しランタンが破壊されないよう即座に戻る。
この一連の動きは一見隙が無くゴブリン達を捌き続けて居られるように見える動きではあるが、徐々に消耗していく体力、それによって生じる僅かな動きのブレ、そして仲間の死体すら盾にして突っ込んでくるゴブリン達の猛攻により、じりじりと後退を強制させられていた。
「チッッ、あいつらを助けに行きたいが…こっちもこっちで精いっぱいだ!」
ダックが叫びながら突撃するゴブリンをいなして腹に突き立てる。突き立てたゴブリンを持ち上げて飛来する矢を受け止める盾にし、振り払いながら絶命したゴブリンを剣から抜く。
しかし、新たなゴブリンが二匹現れ立ち塞がる。たまらず苛立ち交じりにダックが叫ぶ。
「畜生、全員まとめてぶっ潰してやる!」
その時、ダックの視線の端で金色の何かが映る。
「えっ…」
ダックがその正体を確認しようと目の前から意識をずらす。勢いあまって後ろへ振り向いてしまう。後ろにはフォッセとリオンが迫るゴブリンの猛攻を何とかしのいでいる。急いで前へ視線を戻した時、ゴブリンの内一匹が首から上を消失し、もう一方のゴブリンの顔が逆様になっていた。
荒々しく揺れるランタンに照らされる金髪にはダックの影が映る。後姿を見せるユドルが、二匹のゴブリンの首を一瞬で切断していたようだった。
「こっちは任せて」
「ちょっ、はぁ!?」
一瞬でゴブリンが死に、何故かそのゴブリンの頭がユドルの手の上に乗せられている光景を見せつけられたダックは思わず素っ頓狂な声を上げる。
そんなダックを気にも留めず、ユドルはゴブリンの頭をボールの様に弄ぶ。数回手を上下させ片手でキャッチボールをしたユドルは、不意にゴブリンの頭を掴む手を深く下に下ろしたのち、頭をぶん投げる。
「フギャ!!」
ぶん投げられた頭は今まさに弓をつがえて矢を放とうとしていたゴブリンの額に命中しゴブリンを気絶させる。
完全な不意を衝かれた他のゴブリン達も思わず動きを止め、気絶したゴブリンを注視してしまう。そこに向かってユドルは一気に距離を詰め細剣を横薙ぎに、それも、壁に剣が当たらないよう鞭のように腕を動かし、前方にのみ剣先が伸びるような動きで一閃する。
「…やべ、前!」
ボトボトと落ちてくるゴブリンの肉片を唖然とした表情を見ていたダックは、急いで意識を戻して自分の役割を全うしようと動き始めた。
「おい、助けに来たぞ!」
「後ろは大丈夫なのかよぉ!」
「あぁ、あの女、詐欺師かと思ってたら蛮族だった!」
「どういうこと!?」
ダックの突然のユドル=詐欺師からの蛮族呼ばわりに困惑するリオンを無視してフォッセとダックは会話を続ける。
「んで、状況はどうよ?」
「御覧の通り、ジリ貧。俺は大丈夫だがリオンがきついな。何とかしねえと、よっ」
「ギャアッ」
会話の合間に、フォッセが軽々とした顔でゴブリンの腹に鉄球を叩きつける。
「よし、リオン、お前はいったん下がれ。俺が変わる」
「う、うん」
「無理すんなよぉ、リオン」
「二人こそ、大丈夫なの?」
「「当たり前だ!!」」
リオンの問いかけににやりと笑顔で応じるダックとフォッセ。これを聞いたリオンは攻撃の合間を縫ってリオンとダックがポジションを入れ替える。これにより、大きく肩で息をしていたリオンは何とか休憩をとることが出来た。いまだリオンには生命線であるランタンを守るという役割が残っているが、それでも戦い続けながらやるよりはマシだった。
「た、助かった…」
思わず弱音が口から洩れるリオン。その言葉を聞いたダックは、静かにフォッセと共に前を向く。
「悪いな、お前は休憩なしだ」
「新人と一緒にするなよぉ」
そんな軽口を叩きながら、二人はゴブリンに向かって得物を振り回す。
リオンは呼吸を整えながら周囲を見渡す。先ほど話に出てきた後ろを見ると、ユドルが軽々とゴブリンを切り捨てている。
(ユ、ユドルさん強え~)
後方は全く問題が無いようだ。むしろ後方のゴブリン達が全滅しそうな勢いだった。
(何で蛮族って言われてたんだ?格好いいくらいだけど)
前方ではダックとフォッセがゴブリン達と戦っている。直接見ている訳ではないが軽口を叩きあいながらゴブリンを何匹も倒せているだろう。そう思えるくらいには、リオンにとってダックとフォッセはいい先輩だった。
あの二人なら大丈夫だろうと、そんな大きな信頼を寄せられる程に。
(前はフォッセとダックが戦ってくれてる、あの二人、全然余裕そうだった!僕のやる事は、このランタンを守る事だけ…!)
そう思って前を見つめる。すると、自分と同じように肩で息をしている先輩が目に映った。
「…」
リオンは、二人が戦っている光景を見つめる。フォッセが振り回したフレイルがゴブリンの頭を潰す。ダックの鉈のような剣から放たれる突きがゴブリンの鳩尾に刺さりこむ。
だが、二人は傍目から見て限界に近かった。
リオンは、目を閉じて深呼吸をする。そうして荒い息を無理やり整えると、自分に出来ることは無いか行動を始めた。
「キリがねえな、クソっ」
「次から次へと湧いてきやがるなぁ」
ゴブリンを相手にしながら軽口を叩きあうダックとフォッセ。
「これは予想していた数よりもよっぽど多いだろうなぁ」
「後ろは…大丈夫そうだな」
隙を見て後ろを流し見ると、ユドルは暗闇に向かって仁王立ちしていた。恐らく、敵わないと察したゴブリン達が暗闇の中へ逃げて行ったのだろう。ユドルもそれを追いかけずにあくまでランタンの光が届く範囲で戦う事にしているようだ。だが逃げたゴブリンが暗闇の中から見つめている可能性が高い為、前への応援にはこれ無さそうだ。
「やべぇな…美人局と疑って、ナンカスイマセン」
「んな事言ってる場合かよぉ」
戦いながら笑いあう二人。
「…ん?リオンは何処だ?」
「は?ランタン持ってるんじゃ無いのかよ?」
「ちょっと失礼!!」
「ちょ!?」
「おいリオン!?何ランタン抱えたまま前行ってん…ん!?」
リオンは、火のついたランタンを抱えて前に立つ。ポケットから小さな金属缶を取り出すと中の物を口に含む。
「というか、何で明るいんだ!?」
ダックが声を上げる。ゴブリン達は急に飛び出てきたリオンに警戒し距離を取った。
だが、この動きが命取りとなる。
リオンは、素早く投げナイフで近くに居たゴブリンを攻撃し動きを止め、火のついた割れたランタンを顔の前に持っていくと、口に含んでいたランタン用の油を吹き出した。
霧状に吹き出された油は、ランタンの中の火を高速で通過し着火、狭い坑道内を一気に埋め尽くしゴブリン達へ押し寄せる。
「うぇまっずい!!」
「そりゃそうだろうよ!!お
リオンの叫び声に突っ込みを入れたダックが火で熱されて蹲ったゴブリンを奥へ蹴っ飛ばしていく。ズボンのポケットに手を突っ込んで見たが、中に入っていた油の缶は無い。
ランタンの火と油を利用した火炎放射、それは狭い坑道内ではゴブリン達を一網打尽に出来るとリオンなりに考えた策だった。
だが、たかが替えの油でゴブリンを燃やし尽くすには油の量が圧倒的に足りない。だからこそダックが一番近くのゴブリンを蹴り飛ばしたのだ。おかげでゴブリン密度の高い奥の方で腰巻に火が付いたゴブリンが滅茶苦茶に体を暴れさせ、それから逃げるように他のゴブリンが仲間を踏み付けながらバタバタ走り回る。
ゴブリン達は完全にパニック状態に陥っていた。
明らかに食用ではない粗悪なオリーブ油の味に苦しまされながらもリオンは立ち上がりナイフを構えて突き進む。
「ふんっっ!」
「ギャァ!?」
まずは右も左も分からなくなり武器も捨てこちらへ逃げてくるゴブリンの胸に一刺し。僅かの鳴き声と浅い呼吸を繰り返したのち、力なく倒れる。
「ーーーフッ!」
「ぁ…」
先ほど倒したゴブリンが踏ん付けた別のゴブリンの喉元に上半身の体重を乗せながら突き刺す。声を出す事すら許されずにゴブリンは呼吸を止めた。
「ソイヤーーーー!!」
「ギャアァァ!」
リオンに気づいてゴブリンがこん棒を握りしめて襲い掛かる。しかし、ゴブリンの背丈は人間の子供、10・11歳程。当然力もコボルトよりは無い。それが集団ではなく一匹だけなのであればリオンの敵では無い。落ち着いてこん棒を籠手で弾き、相手が自分の武器に振り回されるタイミングで籠手のついた手で頭を掴んで目にナイフを突き立てる。
目に突き立てたナイフは頭蓋骨の穴を通り脳へと到達する。
しかし、両手を使ったタイミングで更にゴブリンが襲いかかってくる。
「ギギャアアア!」
「やっべ!?」
爪を立たせて飛び込んで来るゴブリン。リオンは何とか対応しようと掴んだ頭を振って即席の盾を用意する。しかしゴブリンの攻撃が盾に当たる前にゴブリンが坑道の奥へと吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたゴブリンと入れ替わる様にしてフォッセがリオンの横に立つ。
「なんだぁ?今年の新人は道徳心落としてきちまったのかぁ?」
「別に俺たちは騎士でもねぇんだ。どんな手でも使え…って、教わったけど?」
「おう、その通り!」
ダックがするりと二人の間を抜けゴブリンを切りつける。三人はダックを先頭にして武器を構える。
「そんじゃ、お前ら!突っ込むぞ!」
「「おう!!」」
三人は未だパニック状態になっているゴブリン達に向かって突撃したのだった。
________
「やるなユドルちゃん!!」
坑道内を歩きながらダックがゲラゲラ笑う。無事ゴブリン達を一掃する事に成功した四人は最深部へ向かって進んでいた。どうやらユドルに対する疑いは晴れたようだ。
「俺たちが戦ってる時に後ろのゴブリン達を倒しちまうとはなぁ」
「丁度リオンが壊れた方のランタンに火を灯して持っていくのを見たから、余ってる方を借りたの。といってもいたのはせいぜい五体くらいだったけど…」
「いやぁ、大したもんだぞぉ。おかげでこっちは前だけに集中できた訳だし」
「そうですよ、まさかユドルさんがこんなに強かったなんて…」
フォッセの言葉にリオンが相槌を打ちながら反応する。だが、ランタンを火炎放射器にしたリオンは自身の火炎放射とランタンを下から掴んで持ち上げた影響で片手に火傷を負っていた。両手を合わせて手の痒みを誤魔化しながら進む。
「…ねぇ、ちょっと手を見せなさい」
「えっ、ちょっと!?」
ユドルに手を掴まれるリオン。ランタンに光に当てられた手の平の皮膚は明確に赤い跡が出来ていた。急に異性から手を掴まれたリオンは思わず顔が赤くなる。
「ちょっと、火傷してるじゃない」
「だ、大丈夫ですって。幸い痛みをそんなにしないんで放っとけば治ります!」
リオンは自身の照れを誤魔化すようにしてまくしたてながら返事をする。そのままそっと掴まれた手を引っ込めようとするが、掴む力を強くしたユドルに引っ張り返されてしまう。
「そう?ならせめて軟膏、塗っときなさい」
「え、えぇ~っと?」
ユドルがリオンの手を掴みながらもう片方の手でバックから木製のケースを取り出す。対するリオンは視線をあちこちへ揺らすばかりだ。
ケースの中に入った脂を指先で掬い、掴まれたリオンの手のひらへと移す。
「あっあの!自分で出来るんで!!」
「?。いやでも軟膏取っちゃったし…」
「じゃぁそれだけ貰っちゃいます!」
「そ。じゃぁこれ取っちゃって」
「は、はい!」
ユドルの指先の軟膏を自身の指先へ移したリオンは、おいて行かれないよう歩きながら軟膏を火傷に塗る。その様子を見たダックは全員に向かって声を出した。
「そんじゃ、残りも片づけるか!」
「あ、それならもう次で終わりだと思う」
「は?何でそう思うんだ?」
「まあ、ただの勘なんだけど…空気がより一層冷えた気がする」
「なんじゃそりゃ」
先頭を進むダックの背中へ話しかけるリオン。その後をフォッセとユドルが顔を向かい合わせて首を傾げながら付いて行く。
「鉱山が閉鎖される理由はいくつかあってね、なんとなく分かったんだ」
「ほーん、じゃこの先に何があるってんだよ」
「うん。それはね…」
リオンがそこまで呟いたところで、狭い坑道から非常に大きな広い空間へ出る。ランタンの明かりが一部の地面に反射するようになり、空中にはぴかぴかとあちこちでランタンと同じ光が煌めいていた。
「地底湖とか、水が多く溜まってる場所に当たってると思うんだ」
「ほう、こりゃあ…」
「すごい…とても綺麗ね…」
「おぉ~こりゃすごい」
反射する地面は、長い期間を掛けて染み出した水がたまった水面。空中で煌めく光は、天井から垂れ下がる鍾乳石。それらはランタンの光に反射し地底の星空を生み出し、ランタンが揺れるたびに万華鏡のように姿形を変化させる。
自然が生み出した絶景。時代が違えば観光スポットとしての人気を得ていたであろうその景色は、小さくも長い彼らの冒険を労わるようにその煌めきを見せつけていた。
一行は、しばらくの間この絶景を眺めたのち、帰路へと就くのだった。
ドリームキャッチャー 春鮫 @0harusame0
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