ドリームキャッチャー

春鮫

第1話 リオンという少年

 とある宿屋の一室。部屋の位置の都合により、昼飯時の2,3時間前にも関わらず薄暗い。そんな残念な間取りで寝泊まりしているリオンは、適当に身支度を整えた後、床の板を軋ませながら朝食を取りに下に降りた。


 「おはよう、ねぼすけさん」

 「おはよう、ダイアスさん」


 初めに声をかけて来たのはこの宿の主人ダイアス。きれいな頭皮と青い目を持ち、筋骨隆々の体格をしている。ダイアスは元ベテラン鉱夫であり、今は妻のシアと共に宿「アスシア」を切り盛りしている。


 「ダイアスさん。朝食をお願いします」

 「あいよ。いつものでいいかい?」

 「はい、お願いします」

 「了解。んじゃ待つついでに裏の水瓶で顔洗ってこい。シア!」

 「あいよ!」


 キッチンから威勢のいい返事が返ってくる。リオンはそれを聞いた後、宿の裏にある小屋へ移動する。小屋に備え付けられている水瓶の水を深めの木製の器で掬い上げ、顔を洗う。

 水面に映る顔は、今年で14になる少年の顔が映る。その顔は小麦色の髪、すこし目じりが垂れた深藍色ふかきあいいろの目をしていた。肩までかかるぼさぼさの髪を尻尾のように適当にくくっている彼は、眠気が完全に消えたところで水を捨て、表に戻る。


 「丁度いいな!できたぞリオン!」

 「はーい」

 

 急ぎ席に着くとシアさんがキッチンから分厚い焼鶏を挟んだライ麦サンドイッチと水、レモン汁が掛かったサラダを盆に乗せ持ってくる。


 「あいお待ちどう、召し上がれ!」

 「いただきます!」


 そう言い終わるとリオンはサンドイッチにかぶりついたのだった。

 朝食を取り終えたリオンは、一度部屋に戻り、大型のダガーや手投げナイフやいくつかのアイテムを腰に巻き付けポーチにしまった後、冒険者ギルドへ向かった。


________


 「ようリン。もう昼前だぞ?」

 「昼前から飲んだくれている人間に言われたくないねぇ」


 リオンは最近蝶番を取り換えてすっかり軽くなった扉を開ける。酒臭い息を吐きながら絡んでくる先輩の冒険者のんだくれに返事をしつつ、依頼が並ぶ掲示板へと目を通した。

 掲示板には乱雑に依頼が張り付けられており、そこから好きな依頼を選び、ギルド職員に持っていきクエストを受注する。シンプルな仕組みだが冒険者は依頼を簡単に確認できる、職員は楽をできると昔から重宝されている方式だ。リオンは前々から気になっていたコボルト討伐の依頼を眺める。


「おいおい、コボルトに手を出すか。お、ひょっとして、俺がこの前洞窟に潜ってたんまり稼いだのに嫉妬してるのかぁ~?」


 のんだくれがテーブルに置いてある果物を口へ放り込みながら話してくる。


「違うってば…でも、それなりに依頼をこなしてきたし、いい加減挑戦してみたいじゃん」


 そういってリオンは掲示板の依頼の張り紙を剥がす。丁寧に掲示板に貼られていた張り紙が一切の跡を残さずきれいに剥がれる。

 

「…まっ、死なないようにがんばれよ~」

「はいはい」


 リオンに最後の一つの果物を押し付けて、そのまま背中を叩きギルドを出ていく…恐らく酒場をはしごする気であろうのんだくれを尻目に、受付カウンターへ依頼を持っていく。


「ほーう、とうとう討伐系依頼を受けるかぁ」

「はい、お願いします!」

「…わかった、場所はこの町を出て北東にある村近辺でのコボルト討伐だ。すでに被害も出ているからな、気を付けろよ」

「はい!」


 受付カウンターのお兄さんとの会話を終えたリオンは、準備もそこそこにギルドを後にするのだった。


_________


 ごわごわとした灰色の毛、黒く鋭い爪、二足で歩くでかい犬。一般的にコボルトと呼ばれるその魔物達は、森林の奥深くで静かに暮らしている。

 基本的に、彼らの生活圏にわざわざ行かなければ彼らに襲われることはない。それなりに人に危害を加える強さは持っているが、追い払うだけなら冒険者でなくても出来る為、リオンのような新人冒険者にはうってつけだ。

 依頼人との挨拶をほどほどに、指定された森へと踏み込んだリオンは、様々な動物たちが残した足跡を念入りに確認する。

 コボルトが一般的に残す足跡は形状でいえば犬とそうたいして変わらない。だが二本足で体を支える都合上、かなり大きな足跡だ。


 「バカの大足だよ」


 リオンの脳裏に浮かぶのは、冒険者を始めたての頃に教えてくれた例ののんだくれの顔だった。


 「動きは確かに素早いがな、頭が悪いからちゃんと観察すれば攻撃ぐらい簡単によけられる…。まぁ今のお前じゃ不安だがな」

 「ダメ…ですかね?」


 記憶の中の自分が呟く。


 「やるなら止めはしねぇよ。でも死ぬ可能性の方が高いね」

 「うっ…わ…かりました」

 「おう。おとなしく土木とか炭鉱に参加して体力付けな」

 「そうそう、まぁでもバカの大足はお前にこそ必要だよな千鳥足。元からバカだしノーリスクじゃん!」

 「おおう上等じゃねぇか表出な!」


 プルプル震えていたのんだくれの足を思い出しながら地面を注意深く観察する。

 少しの間地面を観察していたリオンは、湿って柔らかくなっている地面に特徴的な足跡を見つける。


 「これだな」


 足跡を発見したリオンは、森の奥へと足を進めた。

 森を進んで一時間ほどが経過した時、遠く離れた地点から動く影を発見した。散々リスと鳥にビビらされたリオンは注意深く対象を観察する。背の高い針葉樹のせいで若干薄暗いが、辿っていた足跡は間違いなく動く影に伸びている。

 例の影をコボルトと仮定したリオンは、バレないように間隔をあけながら尾行する。途中から靴の中に匂い消しとして体中に被った泥が入って来たが、炭鉱や土木の経験を得ていたリオンには苦にもならなかった。

 

「ワウ…?」


 だが、腐っても犬並みの嗅覚はあったのだろうか。人間にはおおよそ感知できないほんの僅かな異臭を嗅いだコボルトはリオンの方へと向く。


「スンスン…」


 コボルトの急な動作に何とか反応出来たリオンは木の陰に隠れる。実は少しだけ服の裾はみ出てはいるのだが、緑を基調とした服装が保護色となっているのが幸いした。

 だが続けて匂いを嗅ぎ続けるコボルトの鼻音。水、鳥、動物…様々な音が聞こえる針葉樹林にて、この鼻音だけが否応なしに大きく聞こえてきた。


「……」


 コボルトが匂いを嗅ぎながら移動を始める。ザッザッザッとコボルトが地面を踏む音が聞こえてくる。慎重に音を聞き続けると、音が徐々に大きくなってくるのが分かった。

 やがて何かを確信したかのように、足音の鳴る感覚が短くなってくる。研ぎ澄ました聴覚が、大きくなる足音と同時に、擦れる毛の音や呼吸の音が必要以上にリオンの鼓膜を叩いた。


「グルルルルル…!」

「…っ!」


 リオンの視界の端にキュートな鼻先が入ってくると同時に、コボルトが唸り声をあげる。体格だけ見れば下手な大型犬より大きい為、唸り声が相当腹に響いてくる。


「グルルルル…グウ!?」


 だが、入念に匂いを嗅いでいたのが返って悪影響となったのだろう。コボルトは鼻を抑えると、森の奥へと駆け出していった。

 リオンの右手にはオレンジ色の汁がついていた。

 この汁の正体は、酒場でのんだくれが食べていた果物。リドの実と呼ばれるこれは、一皮剥けばとんでもない異臭を放つ。

 この独特な臭みと味が一部の人には人気だが、鼻が利きすぎるコボルトには非常に耐えがたいものだった。逃げ出した時、リオンが微かに見たコボルトの顔はトイレでこれでもかと踏ん張るおっさんの顔そのものだった。

 リオンも同じ顔をしていた。


_________


 「なぁなぁ、本当にリオン一人で大丈夫なのかよ」

 「仕方ねぇだろ、あのガキ自分でパーティを作ったりしねぇんだよ」


 のんだくれはそう合流した飲み友達に言い返す。

 のんだくれの名前はオリバー。長身で鋭い目をしている青年だ。そしてこの町ではあまり見かけない黒い目、黒い肌を持っている。最も、今その顔は赤いが。


 「でもよぉ、万が一負けて帰ってこなかったらどうするんだよ」

 「まぁ、そんときゃそんときだろう」

 「冷てぇ奴だなぁ、あっお姉さんこれもう一つ」

 「いたお前まだ食べんのかよ!」


 これでもかと積み上げられた皿を指さしてオリバーは苦笑いの表情でツッコむ。どうやら飲み仲間というのはかなりの大食漢らしい。

  

 「そりゃぁ、俺ら洞窟からでたばっかじゃんか~」

 「二 週 間 前 な。いい加減腹いっぱいなれよ!」

 「えぇ~。でも結局、あんまり良いの無かったよね~あそこ」

 「言うなって」

 

 昼前、リオンに無駄に見栄を張ったことを思い出し思わず渋い顔になるオリバー。

 (思えばリオンとは初めて会った時からかれこれ一年近くなるな…)

 当時新人だったリオンが、勇気を振り絞ってオリバーに話を掛けたのが始まりだった。


 「でもリオンの奴、最初の内は事あるごとにゴブリン退治だのなんだのしようとしてたよなぁ」


 豪快に焼かれ雑に塩を振りかけられた肉にかぶりつきながら飲み仲間が喋る。


 「そうだったなぁ、で、俺がイッチョ先輩として一発ボコしてやったのよ」

 「大人げねぇー」

 「うるせえって…まぁ、あいつなら大丈夫だろ、誰に教わったのか知らねぇけどなんだかんだスジは良さそうだし」

 「まぁ、そうだな。そう願おう。」

 「そうだな」


 二人の会話は一度途切れ、オリバーは酒を飲みながら天井を眺める。と、そこに店員が現れた。

 

 「お待たせしました~」

 「おっ、来た来た!」

 「ほんとよく食べんな…てか、酒は?飲まねぇのかよ」

 「え?だって明日馬車の護衛任務じゃん。逆に何でそんな飲んでんだよ」

 「え…」

 

 二人の会話は一度途切れ、オリバーは酒を飲みながら天井を眺める・・・


 「すいませんお姉さんもう一杯」

 「お前なぁ」


_________


 「ここで間違いないな…」


 追跡を始めておよそ二時間。すでに夕日が沈もうとしている時だが、コボルトが住処にしている廃坑を発見したリオンは、ひっそりと廃坑の中に進んだ。

 (見張り続けて確認したコボルトの数は2体、特にこれといった武器も持っていなかった…!)

 コボルトは素人でも倒せる相手だ、そう自分に言い聞かせながら壁に這うようにして進む。岩壁の冷たくごつごつとした感触が背中に伝わる。

 (やっぱりだ…)

 廃坑はそんなに深くまで続いていない。恐らく崩落により放棄されたのだろう。おかげで廃坑の最奥まで太陽の光が届く。最奥の空間は狭い通路と比べて広めのスペースとなっており、二体のコボルトが木の実を食べていた。

 リオンはベルトから手投げナイフを取り出し二体の内鼻をしきりに鳴らしている方に向けてよく狙いを付ける。

 数回の素振りをした後にナイフを飛ばす。


「キャウン!?」

 

 投げたナイフはコボルトの左肩に当たった。致命傷にはなっていないが、予想だにしない激痛にコボルトはその場に倒れるようにして蹲る。もう一体のコボルトが歯を剥き出しにしてリオンへ向き直る。

 通路を走り抜け、無傷の方のコボルトへと詰め寄るリオン。併せてコボルトも迎撃しようと構え、力任せに黒い爪を使って袈裟懸けに切りつける。

 カンッ!

 右手にはめた籠手でなんとか受け止めるリオン。成長期に肉体労働をした結果、細い体でありながらそれなりの筋力を手に入れていたようだ。

 そのまま相手の攻撃を押し返し、左手に握ったダガーを相手の喉元に突き刺す。

 悲鳴も上げずに前方へ力なく倒れこんだコボルトを上げた左足で受け止め、そのまま短剣を引き抜こうとしたところに、後ろからもう一体のコボルトが腹の底からの雄叫びをあげながら飛び掛かる。


 「ワオオオオオォォォォォォォォンンン!!!!!!!」

 「うっせ!?」

 

 喉をかれたコボルトの右手を掴んだリオンは、上げた左足で地面を蹴り飛ばし、右足を軸にしながら、百八十度ターン。右足が地面を僅かに削る音を聞きながら、死にかけのコボルトを盾にもう一体のコボルトの攻撃を受け止める。黒い爪がコボルトの背中に深く入り込み、その感触がリオンに伝わる。

 だが、流石に二体のコボルトの重量を受け止めきれず、後ろに倒れそうになる。リオンは右手を死んだコボルトの胸元へ掴み直し、そのまま倒れる方向に向かって左足を地面に叩きつける。

 

 「うおおおりゃゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 「ウガアァァァァ!?」

 

 体が倒れる勢いを利用してコボルトを二体一気に背負い投げ。まだ生きているコボルトは食い込んだ爪に引っ張られる形で地面に叩きつけられる。

 左肩に刺さっていたナイフの痛みがまた現れ、更に上から自分と同じ体格の重し

がのしかかり、思わず意識を手放しかけるコボルト。しかし、持ち前の生存本能でなんとか歯を食いしばって耐え抜いた。

 直後、リオンに頭を蹴り飛ばされて気絶するのだった。


 最後の一体の喉元にナイフを突き立てたリオンは自身の刃物に着いた血を拭き取りながらあたりを見渡す。木の実、ぐちゃぐちゃになった動物の肉、抜け毛…なんともコボルトなりの生活感を感じる住居だ。

 ふと、壁際に寄せられた不可思議な物体を見つける。自分の陰に隠れて少し見えずらいが、大まかな形は四角の上に歪んだ丸、細部の形を見ると、丸みを帯びていた。

リオンは目を薄めながら、物体に近づいた。そして気づく。


 これが頭部を破壊され四肢を食い千切ちぎられた、人間だった物だという事に。


 口元を思わず抑える。呼吸のペースが大きく乱れながらもそれから目が離せない。必然的に、それのあたりには鞘と引き裂かれた布、ペンダントといった遺物も確認する。

 喉から出かかった強い酸味の液体を無理やり飲み込み、震える奥歯の振動を感じながら、なんとか一呼吸おいたリオンは受付のお兄さんが喋っていた言葉を思い出す。

 

 「すでに被害も出ているからな、気を付けろよ」


 その言葉を思い出したリオンはあれが被害者なのだと結論づけた。ならば依頼は完了したはずだ。もう用はないだろうと足早に出口に向かおうとする。何もリオンは悪くないのだが、後ろめたい物から逃げるように、足を動かそうとする。しかし、その光景から依然として目が離せない。

 ただ人間の慣れとは恐ろしいもので、こんな状態でも脳は次第に幾ばくか落ち着いてくる。まだ心臓は激しく暴れているが、それを見続けるのに僅かな余裕が生まれた。

 ふと、リオンは自分の陰の上から一本の線が伸びているのに気付いた。


 「寝ぐ…いやなんだこれ」


 独り言を呟き、後ろを向こうと体を捻る。

 意識が別の物に向いたことで、脳に掛かる極度の緊張から緩和される。物事を考えるのにちょうどいいストレス状態になったリオンの脳は、自身の捻った上半身が後ろに向き切る前に正解を弾き出した。

 地面に突き刺さる銀の光、より一瞬早く背中の方向へと飛びのいたリオンは、僅かに前髪のみを刈り取られる。

 逆光により一層際立つ光は細剣。剣を握っている黒く染まったシルエット。仲間の鳴き声を聞き急いで戻ったコボルトは、背後に近づき剣を振り下ろしていたのだ。

 これを好機と見たリオンは即座に短剣を抜き取る。狙うは敵の首。攻撃を行い確実な隙が生まれたコボルトにとっては避けられない致命傷だ。ダガーを逆手に持つと、相手の首へ振りかざす。

 ザクッ!

 しかし、リオンの攻撃は狙った場所の遥か手前、相手の右肩に固く食い込んだ。

 (革鎧!)

 恐らく襲った人間から奪ったのであろう。リオンの一撃を食い止めたそれは、あろうことか深く食い込んでダガーを離さない。

 

 「ウガアアアアアアアァァァァァァ!!」


 仲間を殺され、怒りに呑まれるコボルト。リオンの攻撃が失敗したのを見るや否や、剣を握っていない拳を握りしめて左フックをかます。


 「こはっ…」

 

 左フックは腹部に直撃し、肺から空気が抜けだす。あまりの衝撃に耐えきれず、後ろに倒れてしまう。何とか起き上がろうとするが、コボルトが上から覆い被さる。


 「グラアアアアアア!!!!」

 

 大きく口を開けたコボルトは、このままリオンの頭部を噛み砕こうとする。リオンは右手を突き出して抵抗するが、コボルトはお構いなしに息を深く吸い込み、顎を閉じようとした。


 「グウッッ」

 

 一瞬コボルトの動きが止まった。息を深く吸い込んだ瞬間、信じられない悪臭が鼻の中に漂った。昼間、リオンが握る潰したリドの実の残り香が残っていたのだ。

 昼間自分がした顔と全く同じ顔をしているコボルトを見たリオンは、先程された

左フックを相手の顔面に叩き込む。


 「フン!」

 「ギャウン!?」


 一瞬の隙を捉えたリオンは、コボルトが右へ倒れこむのと同時にナイフを抜く。

 そのまま上にのしかかり、両足で相手の前足を踏んづけたリオンは、相手の喉元にナイフを突き刺したのだった。

 コボルトの不意打ちを何とか凌ぐことに成功したリオンは、コボルトの牙を回収した後、空間の真ん中で倒れこんでいた。

 (…恐らく、最後の一体がリーダーなんだろうな。装備品とか独り占めしてたし…)

 改めてあたりを見渡し、状況を確認する。

 (最後の一体は…恐らく仲間の遠吠えを聞きつけてきたんだろうな。結局一体しか来なかったから、この廃坑にいるのは三体)


 「コボルトはゴブリンと違って大きな群れを作れない。バカの大足だから。…これもオリバーさんから教えてもらったっけ」


 リオンはもうほとんど沈みかけてる夕日を見つめる。

 (これで依頼は完了、急いで町に帰らなきゃ)

 そう思い体を起こした時…すっかり頭から抜け落ちていたそれを目視してしまう。

 ハエがたかり、あまりにも無惨なそれから思わず目を逸らす。

 先程と違って目を逸らすことに成功したリオンは、なるべく視界に捉えないように廃坑の出口へ歩き始めた。 

 だが、一度目視してしまった為に、何度も頭の中にそれの光景がフラッシュバックする。喉から込み上げてくる吐き気に耐えながらなんとか頭から追い出そうと別の事を考える。


 (どうして腕と足だけ無いんだよ…)

 いいや違う。今考える事じゃない。

 (顔が完全に潰れてて誰なのか分からなかった…)

 考えるな。思い出すな。

 (そうだ、思い出すな、忘れろ、忘れろ!)


 必死に、とにかく別の事を考えるリオン。今日のオリバーとの会話を思い出したり、いつも寝泊まりしている宿屋に初めて泊った時の事、なけなしのお金を握りしめて、馬車に揺られながらひたすら逃げた事。

 様々な事を考えている内に、正直言ってあまり思い出したくない思い出が蘇る。

 しかし、頭にこびり付く光景と比べれば些細な事だ。そう思ったリオンは、より強く、昔の記憶を呼び起こす。

 そんな中、リオンの記憶の中で強烈であるがゆえに思い出さないようにしてきた記憶が掘り起こされた。

 それは、青と赤の二色をメインにデザインされた鎧を着た男が、はるか彼方、その大きな胸に剣を突き立てられる姿。

 その光景を思い出し、あと一歩踏み出せば廃坑から出られるはずなのに、足が止まる。そして、腰に付けたダガーを見る。そのダガーは鞘から柄に至るまで、豪華な装飾が掘られている。明らかに一介の冒険者、それも新人が握るには豪華すぎる品だ。

 リオンはしばらくそのダガーを眺めると、ひと際大きなため息を付きながらまた奥の空間へと進むのだった。


_________


 「本当に、有難うございます」

 「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」

 「狭い所ですが、ゆっくりしていってくださいな」

 「いえそんな…」

 完全に日が沈み町に帰ることを断念したリオンは、依頼人の老夫婦に頼み込んで一泊させてもらう事にしていた。現在はテーブルを囲むように置いてある椅子に座り、老夫婦と会話を交わしていた。

 「それにしても、本当に有難うございました。最近はよく村の近くに現れては作物を食い漁っていきましてね」

 「そうだったんですか」

 「まだ村に残っていてくれたアーロという若者が進んで退治に出たのですが、残念ながら…」

 「…」

 老夫婦とリオンの間に重苦しい空気が漂う。蝋燭の火が部屋の中をぼんやりと照らし、三人の影が揺れる。

 恐らく、この老夫婦がまだ若かったころはこの村も繁盛していたのだろう。しかし、崩落により坑道が使えなくなり、炭鉱夫たちの補給基地となっていたこの村も収入源の柱を失ってしまった。

 リオンは、老人の話を聞きあの死体を思い出した。表面上では何事も無いように取り繕っているが、また食道を逆流してくるものと格闘していた。

 

 「あ、そうでした。これをどうぞ」

 「おや、これは一体?」

 

 リオンは背中にロープでくくりつけていた細剣に手を掛ける。鞘ごとそれを抜き取ると、テーブルの上に置き、続けてポーチの中に入れていたロケットペンダントを老夫婦に渡す。

 

 「多分なんですけど、それはアーロさんの遺品だと思うんです」

 「まぁ…」


 おばあさんがそう呟き、おじいさんが受け取ったペンダントのチャームを開ける。チャームの中には写真が埋め込まれてあり、着飾った二人の男女が映っていた。

 しばらく見つめていたおじいさんが口を開け、小さく何かを呟くと、はらはらと涙を零した。

 

 「ありがとう…本当にありがとう…」

 「おじいさん…?」


 大丈夫ですか?と声を掛けようとする前におじいさんが席を立つ。猫背の背中に無理やり細剣を括り付けた。


 「本当にありがとうリオン君。早速、元の持ち主に預けてくるよ」

 「え、もう外も暗いですよ!?」

 

 リオンの制止も聞かず、おじいさんは外に駆け出していく。一連の動きを見ていたおばあさんもよいしょと席を立った。

 

 「じゃ、あの人が返ってくるまでに晩御飯作っちゃうわね。リオン君も食べてね」

 「えっあ、ありがとうございます!手伝います!」

 「ふふっ、ありがとうねぇ。それじゃお願いしちゃおうかしら」

 

 この日リオンがご馳走してもらった晩御飯は山菜が中心の食事だった。正直な話町で出てくる食事の方が味が良いのだが、久しぶりにテーブルを囲んで食べるご飯はとても美味しかった。

 翌日、早朝の村の玄関口に三人の姿があった。

 

 「本当にありがとねぇリオン君」

 「もう少しのんびりしていってもいいんじゃぞ?」

 「いえいえ、早く帰らないと心配してしまう人がいるので」


 そういいながらリオンは宿屋の二人を思い出す。

 

 「そう、そしたらまたおいでね、ご飯ご馳走してあげるから」

 「それはいいのう、また来なされ」

 「ありがとうございます。それではまた」

 「元気でね~」

 

 リオンは町へ向かい、歩き出す。しばらく歩いてから後ろを振り向くと、老夫婦はニコニコと手を振っている。リオンは手を振り返し、再び歩き出した。


 「待って!そこの男の子!」

 「ぬお!?」

 「ジェシーちゃん!?」

 

 老夫婦の間を走り抜けた女性ジェシーが、リオンの元へ駆けていく。リオンも歩みを止め、どうしたものかとそれを見つめていた。

 リオンの元へ辿り着いたジェシーは、そのままリオンを強く抱きしめた。


 「えっあっっちょ」

 「ありがとう!!!」

 

 全く異性経験がないリオンは顔を真っ赤に染め困惑する。だが、自分の抱きしめる女性の腕が強く震えているのを感じて落ち着きを取り戻した。

 

 「ありがとう…本当に…」

 「いっいえ本当に大丈夫ですよ!?」


 女性の両肩に手を置き、そっと距離をとったリオン。抱擁から解放されちょっと残念な気持ちを抑えて上を向いて女性の目を合わせる。


 「主人の形見をとって来てくれてありがとう!もう、私や村の人たちじゃ取りに行くことなんてできなかったから、何も残らないと思ったの。だから、本当にありがとう!」

 「…それを聞けて、本当に良かったです」


 真っ赤に泣きはらした目の女性を見て、そう答えるリオン。大切な人を亡くす悲しみはリオンも痛いほどわかる。しばらく女性の感謝の言葉を聞いたリオンは、今度こそ町へ向かい歩き出した。


 (…今回の依頼、大変だったな)


 町へと歩く間、そんなことを考える。確かに、今までやっていた土木や炭鉱といった仕事は大変であったが、今回の仕事に比べれば命を落とす確率は低かった。今でもあの死体を思い出すと吐きそうになる。しかし、リオンは非常にすがすがしい気分だった。


 

 

 

 

 

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