第46話 終章
蜜月の様な日々は続き、南と西の大国同士が潰し合う間に、
北の大国へ攻め入った際、昉妃に対してウサギという言葉を使う声が聞こえた。ほんの少しの老人たちだったが、大国には森へ逃げた一族の迫害について聞き知っている者が居た。
「あの恐ろしい力を掘り起こしてきたのか。呪われるぞ」
縛られた老人の一人にそう目を剥かれ、晴は思わず笑みを浮かべた。
この世代を一掃すれば昉妃を迫害する者は居なくなるという指標を見つけたからだ。
傍らで息を飲む昉妃の目の前で老人たちを一人ずつ刺し殺す。辺りから悲鳴とすすり泣く声が上がったが、こうすることで昉妃の望む世界を創ろうとしていることを昉妃自身に伝えたかった。
晴は次第に、小国の貧しさを解消することや純血の人間と混血の人間が分け隔てなく生活できる世界を創ることよりも、昉妃とその一族の力を如何にして認めさせるかということに注力する様になっていった。
やがて晴とその小国同盟は、消耗戦により冷戦状態に突入していた南と西の大国に介入し昉妃の力で天下を獲った。晴は昉妃を抱えて世界に勝利宣言をした。北の老人たちが虐殺されたことを知って居た南と西のウサギを知る者たちは口を閉ざし、時が来るのをただひたすらに待っていた。
「昉妃よ、荒れた土地を耕し、美しい国を作ろう。誰もが平等に暮らせる豊かな国を。そして完成した暁には、そなたたち気高き一族を呼び寄せ軍神として崇め奉ろう」
晴は昉妃を抱きかかえ片時も離さなくなっていた。離れると心が不安定になり無気力になって立ち上がることも出来ない。
それを、恋慕による精神的な症状だと晴は疑いもしなかった。そして昉妃もまた、何も知らなかった。
それが何を意味するのか、自分たちの力が人にどの様な副作用を及ぼすのか、何も知らなかったのだ。
世を統べる王に君臨して幾何か経った頃、晴は再び背中を刺された。あの日と同じ様に月の隠れた真っ暗な夜のことだ。
戦友に裏切られた古傷の中央に、あろうことか老いた父王が大剣を突き刺した。
「……赦せ、我が愛しい王子よ」
痩せて小さくなった父は目に涙を浮かべ、首から上を真っ赤にしながら全身の力をかけて晴の内臓を何度も何度も傷つけた。
混乱しながらも晴は後ろ手で父の手を握り、力任せに大剣を引き抜く。口から水の様に血を溢させながら壁に後退り父と向き合った。父は、震えていた。
寝台に共寝していた筈の昉妃の姿が見えない。晴は混乱しながら残り僅かな息を荒く吐く。父王は静かに語り掛けた。
「北街の王たちから話を聞いた。妃は、ウサギという呪われた一族の者だそうだな。人ではないと。お前の心を巣食い、身体を蝕み……やがてお前は妃の傀儡となってこの世を滅ぼす……なんと恐ろしい……」
「……王? 王だと……」
晴は引き裂かれた内臓を押さえながら血と共に憤怒の言葉を落とした。
「王は俺だ! 王とは、この晴、ただ一人の為の呼び名だ!」
激昂し目を剥く変わり果てた息子の姿を前に、父王は大剣を自分の喉元に当てた。
「せめてまだ清い心が僅かでも残っている内に、父と逝こう。王子よ」
その大剣は北街の魚種の王が渡した毒剣であった。晴が見せしめに殺した筈の老人たちは一部でしかなかった。ウサギの存在は北街で広く知られており、捕虜として生き永らえていた魚種の王は晴の父にその危険性を吹き込んだ。
心優しい晴の父は、息子が偽王と成り果てる前に引導を渡す役を引き受けたのだった。
晴は、息絶えるその一瞬まで昉妃を想った。眠り薬を吸わされ、寝室の扉の向こうで大勢の兵士によって縛り上げられていた昉妃は、その晴の息絶えた瞬間に覚醒した。内臓を焼かれる痛みと脳の溶ける苦しみで目を覚ましたのだ。
昉妃は晴の死を確信した。知識としては知り得なかった、人と自分たち一族の同化を、本能的に感じ取っていた。
「人の世……これより、我が一族の力なくして……王は立たせぬ……」
昉妃の唇から呪いが零れ落ちる。覚醒に気付いた兵士たちは慄き、剣先を首に当てた。しかし戦場での大立ち回りとは違い、昉妃は今にも息絶えようとしていた。
最早何を動かす力も湧かない。何故なら晴は死んでしまったのだ。
晴の死んだ世界で自分は誰を癒すことも誰を殺すこともしないだろう。昉妃は最後の力を振り絞って続けた。
「我が命……一族の悲願を果たすまで……何度でも繰り返し、再び王を」
ガクン、と首が落ちた。そして物凄い瘴気が辺りを包んだ。
兵士たちは悪臭と毒気に次々と倒れていく。武器と鎧がガシャガシャと音を立てて床に当たる中、縄で縛られた昉妃の姿はみるみるうちに溶けて流れていった。
その汚液が扉の縁から向こうの部屋へ流れ出していく。寝室には、同じく腐臭を放つ汚液と化した晴の亡骸があった。
汚液同士は少しずつ近づき、やがて合流すると大きな水溜りを作った。
窓の外の空はいつの間にか晴れ、雲間から覗いた大きな満月が、その汚液に映った。
その命に善も悪も無い。
そこにあるのはそれぞれの愛の形の違いであった。憎しみの形の違いであった。
理想の形の、平和の形の、平等の形の隔たりと無理解だけだ。裁きは要らない筈だった。
しかし魚種の王は、それを悪と断じた。
善悪という楔を打ったのだ。
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