第42話 仮初めの親子




 その二十日ほど後に鹿錬貴カネキ邸の惨殺が巷を騒がせた。


 駱仁らくとの訃報を受け、大瑠璃おおるりは夜の闇に紛れて長屋へ駆けつけた。駱仁の警告通り邪気寄席ざけよせ太刀たちが関わっているとすれば、大瑠璃も相当危ない橋を渡っていることになる。


 太刀は目的の為ならば手段を選ばない男だ。鹿錬貴の養子として王侯貴族に顔が利く一方で多くの闇社会を牛耳っている。


 駱仁との約束を守るには、秘密を知る老婆ごとウサギを移す必要があった。


 自ら提灯を下げて長屋の一番隅の部屋へ近づくと三人の男たちが口論する声が聞こえた。


 金の話で揉めている様だったが罵声の合間に、もう待てないからガキを売るという言葉があったので大瑠璃はおおよその事態を察して静かに長屋を後にした。


 老婆が消され、大瑠璃にはもう使い捨てられる駒が思い当たらなかった。


 駱仁の不帰までは預かっていたのだから遺書によって遺産は受け取れるだろう。あのチンピラ風情の男たちを始末することも簡単だ。


 だがその後にウサギを預ける人間が思い当たらない。後釜が決まらなければその間は胡蝶屋こちょうやで預かるしかないが、大瑠璃は胡蝶屋に直接ウサギを関わらせることだけはしたくなかった。


 今の胡蝶屋にはかつて『制空会せいくうかい』で極右思想に傾倒していた鷲一郎しゅういちろうが居るからだ。折角稼業に落ち着き出した息子を乱す様なことは避けたい。


 ウサギを王宮へ返還するとしても方法が思いつかない。


 駱仁の一存で行われたウサギの譲渡は恐らく王の逆鱗に触れるだろう。鹿錬貴邸襲撃の関与を疑われる可能性もある。

 

 どうしたものかと考えを巡らせながら足早に進んでいた大瑠璃の足袋が、突然じわっと濡れた。


 ハッと顔を上げると、いつの間にか道を逸れ、河原の濡れた砂利に足を突っ込んでいる。南街一汚れた貧民窟の川の臭いに気付かなかったことに驚く。


 提灯で足元を照らしながら慌てて後退ると、濡れた小石が鈍く光って小さく鳴った。

 


***




 Pの母親の葬式の日も、こんな風に河原で足を濡らした。


 針の様な細かい雨が川面を刺す、冷たい午後だった。鷲一郎が戻ってくる何年も前のことだ。


 十五歳のPは母の骨壺を胸に抱え、大瑠璃が用意した立派な喪服の裾が濡れるのも厭わず、胡蝶屋近くの美しい河の中で立ち竦んでいた。



企鵝きが、何をしているんだ」



 先代の行った愚かな行為を償うため金銭面で母子の生活の面倒を見ていた大瑠璃は、葬式も盛大に上げてやっていた。


 しかしその行為は誰の心も晴らさなかった。



「……母の人生は、無意味なものだったそうです」



 曇天を見上げるPの横顔は儚く、今にも消えてしまいそうに絶望していた。


 Pの母親は最期まで息子に恨み言しか零さず、怒りと恨みと後悔に支配され、この世を呪って死んでいった。



「苦しむだけの無意味な人生だったと、今際の際に。母の最期の言葉です。その一番の苦しみは、きっと私という子の存在だったでしょう」



「戻ってきなさい」



 川の深い所へフラフラと進んでいくPを追い、大瑠璃もまた冷たい川へ足を突っ込んだ。


 静かな時間だった。


 鳥も鳴かず魚も跳ねず、虫も飛んでいなかった。


 髪の毛の一本一本に霧雨の小さな滴が付き、眼球の無い片目を隠す長く伸ばしたPの前髪を重たく窪ませた。



「私さえ生まれなければ、母には再婚の道もあった。私に不具が無ければ、王宮へ入れていたかもしれない。母に死ぬまで苦しみを与え続けた私に、どうして母の死後も生きる権利がありますか」



「それ以上、行くんじゃない!」



 大瑠璃が思わず大きな声を上げると、Pは静かに顔を向けた。


 Pは全く泣いていなかった。


 青白い顔には悲しみも怒りも無かった。


 がらんどうの心がポツリと一つ、大瑠璃を不思議そうに見つめる。



「悲しませる人のない人生です。大瑠璃様も楽になる」



 大瑠璃は思わず駆け出し、Pの頭を掻き抱いた。



「わたしの息子になれ、わたしの息子として生きていけ! 企鵝!」



 獣種の特徴を持つPの痩躯は、出て行ったきり戻らない息子とは似ても似つかない。


 それでも大瑠璃はその時、鷲一郎とPを重ねて堪らない気持ちだった。

 

 川の水をたっぷり含んだ袴が重たく脚に張り付く。


 驚いて片目を見開いたまま、Pは自分を護る様に胸の骨壺をギュッと抱き締めた。



純血ほんものの鳥種ならばその道もあったかもしれません」



 Pの呟きは誰にも届かなかったため、成人して西街へ旅立つまでの間、まるで鷲一郎の穴を埋める様に大瑠璃はPの後見人となった。



***




「……誰かの子供の世話をするのも、存外悪くありませんよ。駱仁様」



 まだ使える駒を思い出し、大瑠璃は深い闇を見上げて笑った。


王宮で王太女の執事という要職に就いているPに上手く口利きをさせれば、胡蝶屋に傷が付くことなく獅子王にウサギを引き渡せる。


翌早朝、胡蝶屋とは別に飼っている下男に王宮使用人棟の門を叩かせた。


物乞いの格好でPの昔の知り合いだと出鱈目を伝えると、中庭からPが駆け付けてきたという。


書簡を手渡すだけにしては多めの金子を受け取り、下男は恵比須顔で去って行った。


書簡にはPの母親の命日だけを記した。下男が出来心で読むかもしれないしヘマをして落とすことだってある。内容はもとより宛名も危険だ。


その夜、随分更けてから胡蝶屋近くのあの美しい河原にPが来た。だが十年以上ぶりの『親子』の逢瀬は、二人きりという訳にはいかなかった。



「貴方があの日のことを覚えておられるとは思いませんでした」



 随分低くなった声音でPは大瑠璃に声をかけた。夜の川のせせらぎの奥に、もう一人見知らぬ獣種の若い男が見える。


大瑠璃は視線だけでPに誰なのか尋ねた。素性の知らない人間を挟んで出来る話ではない。



「運転手だと思ってくれて構わねえよ」



 Pが口を開くよりも早く、男がそう言って鼻で笑った。着古した軍用コートを翻し、裾が濡れるのも厭わず大瑠璃に大股で近づいてくる。



「『木天蓼』の犬遊だ。以後お見知りおきを。胡蝶屋の大旦那殿」



 慇懃な態度でお辞儀をすると、犬遊は大瑠璃に手を差し出した。大瑠璃はその手を叩き落とそうか迷い、反体制団体の『木天蓼』というのが効いて結局握った。


少なくとも獅子王に密告する可能性は無い。誰がどう役に立つか分からない状況で駒の種類が増えることは決して悪くない。



「『木天蓼』と付き合っているのか、企鵝」



 水を向けるとPは小さく頷いた。



「お父さんに友人を紹介出来て、私も嬉しいです」



 幼い頃能面の様だった顔は、今や立派な鉄面皮を被り、微笑を浮かべている。呼び出しの用件が何であれ自分たちは取引材料を持ってきたという圧を感じて舌を巻く。



「そちらの話から先に聞いた方が良さそうだな」



 大瑠璃もまた、商売人の顔でにっこりと微笑み返す。


あの時確かに守ってやりたいと思った儚い少年の姿はもう何処にもなかった。



「俺たち『木天蓼』には、もう一度王宮を襲撃する計画がある」



 大瑠璃の管理する小さな丸太小屋へ場所を移してから、最初に口火を切ったのは犬遊だった。



「……何を馬鹿なことを」



「だが中々金が集まらない。一枚噛まないか、大瑠璃さん」



 大瑠璃の提灯とPのカンテラが重なり合って床を仄暗く照らす。


大瑠璃は明け透けな犬遊の態度を不審に感じた。


十年前のテロは大失敗し、テロ組織としての『木天蓼』は事実上解体した筈だ。トップの処刑と共に現在は宗教組織に生まれ変わっていて、反体制とはいえ信仰や説法で現王政を批判するだけのものだと聞いている。



「わたしは王宮に仇成す者ではない。陛下との面会を取り付けてもらうために企鵝を呼んだまでだ。世迷言は聞かなかったことにしてやるから、わたしを巻き込むな」



 緊張を気取られない様、慎重に言葉を返す。犬遊は歯を剥き出して嗤った。



「だがあんたは俺と握手した。俺が反体制側の人間だと知ってて手を取ったんだ。本当は獅子王の作るこの世の中に不満がある。それが本心じゃないのか」



 Pが燕尾服の内ポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出す。数字だけが羅列している例の書簡だ。



「これほどまでに慎重な文面、そして何よりもう縁の切れた私の様な人間を呼び出すとあれば、かなり深刻な問題を抱えてらっしゃるのではないかと考えました」



 Pの表情は柔和で、何の感情も読み取れない。


駒だと考えていた人間に徐々に形勢を逆転されていることに気付いたが、大瑠璃は上手く二の句を告げずにいた。



「不肖の息子を頼って下さったこと、どんな理由であれ嬉しかったです。何にお困りですか」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る