第34話 同志たち




 王宮から逃げ出した獣種の若者と悪のウサギは、あっという間に馬車に乗り込み、必死で追う『くじら』の若者たちを尻目に去って行った。


 夜府座よふざの車寄せにはまだ大小二台の馬車が待機していたが、北街には馬車が無い為、勝手が分からない。


 道路が整備された今でこそ偶に車が走っているが、馬車全盛期の頃の北街は悪路が多かったために、その文化は伝わず終いなのだ。



「オレたちも乗ろう!」



 一番大きなキャリッジの中に駆け込んでいく慎牛しんごの後を追い、躊躇っていた三人も後に続く。


 後ろから駆け付けた『木天蓼マタタビ』の武闘派たちが、夜府座まで乗って来ていた自分たちの車に素早く乗りこみエンジンをかけたので、馬車に乗り込む直前に、持っていたゲバ棒や鉄パイプを車目掛けて投げつけ、フロントガラスを思い切り割ってやった。



「あの、前のクーペを追いかけて下さい!」



 御者は残りの三人が魚種と見るやギョッとした顔をしたが、行先を叫んだ慎牛が獣種だと気付くと、黙って前を向き、鞭を振った。


 初めて馬車に乗った鮒未ふみ



「馬車に乗れる日が来るなんて……」 



 と、口にした後、ハッとした様に黙り込んだ。


 鼻息荒く興奮していた慎牛が、毒気を抜かれて少し口元を緩める。

 

 緋鰤ひぶりは鮒未を庇う様に、無理して笑顔を作って二、三度頷いた。


 鱚丞きすけは何も言わず、ただ幌の外に顔を向け、むっつりと黙っている。


 四人の頭の中は、先ほどの獅子王ししおうの姿で一杯だった。


 崩御は見届けられなかったが、恐らく『木天蓼』の銃弾によってウサギと共に命果てた筈だ。


 四人はそれぞれ違う境遇の若者だ。


 中流家庭出身の鮒未、商売人の娘の緋鰤、漁師の息子の鱚丞、そして下級だが生家は貴族の慎牛。


 彼らは同じ志を持つ者同士だが、主義主張が全く同じという訳ではない。



「なあ、お前ら……」

 


 眉間に皺を寄せていた鱚丞が、風の速さで過ぎる外を眺めたまま呟いた。



「王を殺すとこまで、覚悟出来てたか?」



 幌の合間を夜風がびゅうと吹き抜け、鮒未の草場色のポニーテールが揺れた。唾を飲み、鱚丞は続けた。



「俺たち、死ぬ覚悟は出来てたぜ。だが、誰かを殺す覚悟って、本当にあったと思うか」



 馬車の振動の所為か恐ろしさの所為か、緋鰤が震える両手を胸の前で組み反論した。



「殺したのは『木天蓼』でしょ。私たちじゃないよ。鱒翁ますおうさんと美鹿みろくさんは、獅子王にきちんと言葉で訴えてたじゃない」



「……でも、結果的には、『鯨』が獅子王を夜府座へ呼び出した所為で『木天蓼』の襲撃が成功したのよね」



 鮒未が、不安そうな瞳で三人の顔を順に見渡した。



「ねえ、鱒翁さんたちは、あの悪のウサギをどうするつもりなのかしら」



「どうって……」



 慎牛が質問の意図を理解出来ずに呆けた顔をする。



「サライの大使が次の偽王になればまた西街の王宮が続いていくことになるから、あいつからウサギを取り上げるのは当然だろ」



「そうじゃなくて! その後よ!」



 鮒未が焦れた様に声を荒げる。馬の蹄よりも響く声で叫ぶ。



「ウサギを使って『鯨』が次の王権を得ようとしてるのかってことよ!」



 幌の中はシンと静まり返り、四人は顔を見合せた。


 もしそうなれば魚種の差別は無くなるだろう。なにせ魚種の鱒翁が王になるのだ。


 今までとは何もかも真逆の世界になる。魚種が優先され、獣種は地に落ちる。


 だがそれは、あまりに理想とかけ離れた行動だ。


 自分たちの組織のトップが獅子王と同じく悪のウサギと分かっていながらその卑しい力を借りて、偽王になろうとしているなんて俄かには信じられなかった。



「鱒翁さんは、多分、そんな人じゃないよ」



 最初に口火を切ったのは緋鰤だった。


 緋鰤は、まだ震えている手から少しずつ力を抜き、自分の地味な作業着の膝で手の汗を拭いた。


 彼らの揃いの作業着は『鯨』に入った日に支給されたものだ。女性や若者は特に華美を控え、体制に勝利するその日まで己を律する為に着用してきた。 



「獅子王と同じことをしたら、世の中は変わらない。魚種は救われるかもしれないけど、今度は獣種がひどい差別を受けて苦しむもん。そんなこと、きっと考えてないよ」



「そうかな」



 緋鰤の不安の見え隠れする声を、慎牛が遮った。獣種特有の尖った耳と黒い瞳が真っ直ぐに緋鰤に向く。



「オレは、それでも良いと思うよ」



 慎牛の瞳は、そのとき目の前の緋鰤を映してはいなかった。


 慎牛の瞳は、緋鰤の向こう側の何百年も差別に苦しんできたたくさんの魚種たちを見ていた。


 彼らは皆一様に貧乏で、痩せ細り、文化も娯楽も奪い取られ、寒さの中で倒れる。


 獣種に唾を吐かれ、鳥種に馬鹿にされ、汚れ仕事を安い賃金でやらされるのだ。


 その人々が何処の誰なのかは知らない。


 だが、慎牛は高等教育を受けた後に異種の差別について大学で勉強していた。


 惨い仕打ち、辛い記録を不鮮明な写真や映像と共に知った。


 自分の暮らしとはかけ離れた人々を知り、打ちのめされた。


 自分のやるべきことはこれだと、ショックを受けた。


 そして夢中になった。


 研究者の論文を読み漁り、講演会へ足繁く通い、学友と討論を重ね、どんどん魚種の差別という事象に傾倒していった。


 やがてそれだけでは飽き足らず大学を辞め、親に勘当されてまで『鯨』へ入った。


 その情熱は魚種への偏愛と神聖化、そして獣種への嫌悪に全て注がれている。



「オレ、あの王宮で飼われていた悪のウサギを使ってでも、鱒翁さんが王になるべきだと思ってる。例え逆差別の世の中になったって、そうする権利が魚種にはあるよ」



「そうする権利って、だってそれじゃあ美鹿さんや慎牛は……」



 緋鰤が反論しようとした時、街にPの声が響いた。公衆伝達を聞くため、御者が慌てて手綱を引く。


 鱚丞が乗り出して先を見たが、サライの大使とウサギを乗せた前のクーペは走り続けていく。



「おい! 早く追いかけろ! おい!」



 御者に掴みかかるが、獅子王の崩御を聞いて青ざめた御者は、ただ呆然と揺さぶられるままだ。



「どうする慎牛! このままじゃ見失うぞ!」



 鱚丞が焦って幌の内側に振り向く。慎牛は、



「この方角には、もう聖堂しかない。オレが道案内するよ」



 と、馬車を降りた。三人もそれに倣い、ここからは歩いていくことにした。



「王太女が今、ウサギはもう一匹いるって言ったわ……。それが、おとぎ話の通り善のウサギだったら、そっちを捕まえた方が良くないかしら」



 社交場からも生活区からも離れた寂しい夜道を、月明かりだけを頼りに歩く。心細さからか急に怖気づいた鮒未がそう提案する。



 おとぎ話か、と心の中で反芻し、慎牛はこの高等教育を受けず世の真実を知らない可哀想な者たちに一層の愛着を感じた。


 彼らは、自分たち獣種と同じ様に高い知能と豊かな感受性を持ち合わせている。


 それなのに学ぶ権利、知る権利を剥奪され、何も知らない阿呆共と誹られてきた種族だ。


 こんなのは間違っている。


 慎牛は、自分が魚種ならどんなに良いだろうと思っていた。


 魚種として、反差別を訴えたい。


 もっと思い切り。


偽善者と呼ばれずに。



「どうやってウサギが王を選ぶのか具体的なことは分からないが、あんな小さな子供の姿をしていてもウサギとしての力を備えているとしたら、一刻も早くあの獣種から引き離さなきゃならない。折角近くまで来たんだ。まずはアイツを捕獲しようぜ」



「……鮒未、大丈夫。きっと何もかも上手くいくよ」



 鱚丞の言葉に続き、緋鰤が鮒未に手を差し出した。二人は緊張で震える手を握り合った。


 慎牛は、この先にあるのは聖堂だと言った。それはつまり宗教組織『木天蓼』の本部のことだ。


 自分たちはこれから獣種の群れの中に飛んで入る。それがどんなに恐ろしいことか、慎牛には分からないだろうと鮒未は思った。


 同志の間に種族間差別など存在しない。それは自分たち四人が口にせずとも頑なに守ってきた鉄の掟だ。


 ましてや慎牛や美鹿たち獣種の『鯨』会員は、ときに魚種よりも魚種を過大評価し、魚種よりも獣種を憎んできた。


 まるで魚種が美しい種族だとでも言う様に。気高く清廉で誇り高いはずだと押し付けてくる。


 獣種よりも魚種の方が価値のある種族だと植え付けてくる。

 

 鱒翁たち上の世代はそれが心地よいかもしれない。緋鰤もそんな美鹿や慎牛に信頼を寄せている。


 だが、自分は、そんなことを求めては居ないのだ。


 獣種よりも優先されるべきだなんて、獅子王は殺されて当然だなんて、そんなことまで、考えては居なかったのだ。

 

 ただ、平等でありたい。


 顔を見ても笑わないで欲しい。


 横に広い口角を蔑まないで欲しい。


 鱗を指さして陰口をたたかないで欲しい。


 ただ、それだけだ。


 それだけ叶えてほしかった。

 

鮒未は鱚丞と緋鰤を見た。彼らも自分と同じく、これから受ける獣種からの蔑みの目に怯えている。


 そして慎牛を見た。慎牛はそのことに気付いても居ない。


 こんなに差別を憎んでくれているのに、その溝は決して埋まらない。


 獅子王が死んでも、魚種が王になっても、慎牛との差は埋まらないんじゃないかと、鮒未は絶望的な気持ちで、黙って月明かりに照らされて白く浮き上がった夜道を歩いた。

 



 ここに、差別がある。

 

 ここに、苦しみの全てがあるのだ。


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