第31話 公爵家の秘密




 赤ん坊のウサギがサライの大使と共に隠れ家へ籠ってから三年がたった頃、馬綾まあやは初めて『鬼』の住む奥の間へ入ることを許された。


 当時馬綾は十五歳。『鬼』と獅子王の目合いを見せつけられ、そうしてウサギの力を深く感じなければ保たぬほどに父が衰弱していることを知った。



「のう、子獅子よ」



 鈴の鳴る様な美しい声を掛けながら『鬼』が父に絡みつく。



「そろそろ喰らわねば、そちが辛かろう」



「いや、まだ早い。六つの子供を喰ってもたかが知れておるだろう。あと数年は辛抱できる」



 獅子王ししおうが『鬼』の首筋に縋り付きながら横目でチラリと馬綾を見た。



「これから些末な政務は主に任せる。これも後継者の務めぞ」



 それきり一度も顔を向けない獅子王に深々と頭を下げ、馬綾は初めて再来のウサギという存在に疑問を持った。


 ウサギが居なければ獅子王は死んでしまう。


 サライの大使が育てている再兎を喰らってまだ生き永らえようとしている。


 あの鳥籠に入った赤ん坊は元々その為のものだったが、馬綾は自分の戴冠の為に用意されたウサギだと思っていたために父が心変わりしてしまったのだと悲しみに暮れた。


 人の寿命をいたずらに操作し、百年もの時を王として過ごさせるウサギの力の妖力に憑りつかれ獅子王は、身体だけではなく心までも人ではなくなりつつあると感じた。


 サライの大使が育てているウサギが王家の再兎に喰われるためのものならば、もう片方の双子だけは何としても自分の為に確保しなければならない。


 王になり、ウサギという存在の謎を解き明かし、人の世と断絶しなければと強く考え始めた馬綾は、奥の間に入り浸る獅子王の目を盗み、寝る間も惜しんで王宮の収支記録を片っ端から調べた。



「馬綾、一体なにがあったの? お願いだから少し休んで。倒れてしまうよ」



 当時馬綾の側仕えだった亜栗鼠アリスは、実家が裕福になってから仕送りをする必要が無くなり、以前よりも艶のある美しい黒髪を生前の十毛朱ともみに似せて一つに結わえていた。


 獅子王への絶対的信頼感が揺らぎ不安定になった馬綾は取り乱し、初めは秘密を一人で抱え込んで亜栗鼠を遠ざけようとした。


 しかし何かを一心不乱に探している様子を知っていた亜栗鼠は、馬綾を説き伏せた。



「あんたと私は友達でしょう? そう思ってるのは私だけ?」



 馬綾が毎晩膨大な資料の中で仮眠を取る様になった頃、亜栗鼠は泣きながら抱き締めてくれた。


 その姿が十毛朱に似ていて、疲れ切っていた馬綾はついに秘密を打ち明け、亜栗鼠に凭れ掛かってしまったのだった。


 二人は、獅子王が何処の誰に双子の片割れを預けたのかを探し続けた。


 政務の記録に残っていなくても、金の使い道を探れば、自ずと浮かび上がってくると踏んでいた。


 しかし、サライの大使の隠れ家の様に定期的に仕送りをされている場所は他には無く、公共事業に使われているもの以外は殆どが王宮の贅沢品を購入する為に使われていた。



「……ねえ、これ変じゃない?」



 ある夜、月明かりを頼りに政務室で資料を見ていた亜栗鼠が、眉を寄せた。

 

 馬綾が覗き込んでみると、それは支出ではなく収入の帳簿で、西街の公爵家・鹿錬貴カネキ家からの多額の寄付金が記されていた。



「鹿錬貴って、あの鉄鋼王よね。西街の鉄鋼業の礎を築いたっていう、大富豪の」



「ええ。鹿錬貴公爵は西街の鉄道事業に始まり、鉄橋や建物、油井櫓や車輪作りまで事業を拡大したことで有名な方ですわ。晩年は民に寄り添い、差別に憂う有名な博愛主義者だったとも言われてますの」



 鹿錬貴という男自身はもう死んでいる。


 二代目獅子王の時代、まだ整備の甘かった街の隅まで近代化する為の鉄道業が国を挙げて始まった。


 鹿錬貴はそれに多額の投資をし、莫大な富を得た男だ。王宮外の人間でありながら王の相談役を務め、公爵の爵位を与えられた。


 一族は彼の亡き後も大富豪の証としてその名を冠している。



「社交場よりも多くの金額を王宮に入れているのは何故?」



 亜栗鼠の指摘はもっともだ。


 鹿錬貴は、確かに晩年篤志家としてあちこちに建物を建てたが、何処よりも豊かな王宮に多額の寄付をしているというのはおかしな話だった。


 また、それを一度ではなく毎年続けているのも不自然だ。


 資料を遡ってみると、寄付が始まったのは八十年ほど前、魚種差別撤廃宣言が出された年だった。



「今の鹿錬貴家は嫡男が二代目当主を務めていますわ。ただ……」



 馬綾はあまり興味なさそうに首を傾げた。



「再来のウサギを預けたのは三年前。それより何十年も前からの寄付と関係あるかしら」



 ここまで多額とはいかないが見返りを求めた何らかの理由のある寄付金ならば他の貴族たちからも受け取っている。もし獅子王が鹿錬貴に大きな貸しを作っていたとしたら特段珍しいことでもない。



「それがね、三年前から……そう、三年前。ほら見て、馬綾。額が半分に減ってるの」



 亜栗鼠が帳簿を窓際へグッと近づけた。月光に反射した白い紙束に帳簿係の丁寧な数字が並ぶ。



「三年前から、社交場の上納金にも満たない額になっていますわね……」



 馬綾は静かにその数字をなぞり、そして亜栗鼠を見た。


 それは、獅子王が鹿錬貴に借りを作り返したということを意味する。


 三年前、息の掛かった場所、つまり貸しのある大富豪の広い屋敷にもう一匹のウサギを紛れ込ませたのかもしれない。



「明日、鹿錬貴公爵の邸宅へ向かいますわよ」



 はしゃぐ馬綾に反して、亜栗鼠は首を横に振った。



「馬綾、後継者が動けば、それは獅子王陛下の命と同じ意味を持ってしまうわ。当然、陛下の御耳にも入ってしまう。今まで頑張って築いてきた後継者の地位を失ってしまうわ」



「……どのみちこのウサギが手に入らなければ、わたくしは永遠に王にはなれない名ばかりの後継者ですわ。お父様はもう随分弱ってらっしゃるの。今はまだウサギが小さいからと再兎に喰わせるのを我慢させてらっしゃるけど、再び心変わりされて両方のウサギを一度に使ってしまう可能性だってありますわ。どうしても、このウサギだけは、来るべき時に備えてわたくしが掌握しておきたいのです」



 馬綾の言葉は不安を纏い、やや冷静さを欠いていた。



「どうするつもりなの?」



「二代目当主を買収しますわ。今払い続けている寄付額は昔の半分になっているとはいえ、かなりの高額。これをわたくしが色を付けて肩代わりする代わりにウサギを引き渡してもらうのです」



 馬綾の陳腐な提案に、亜栗鼠は眉を顰め、難色を示す。



「鉄鋼王の子息が、お金で動くかしら」



「亜栗鼠、それは違いますわ。実業家はむしろお金でしか動かない者たちですのよ」



「でも、陛下の指示を受けているのよ。バレたら当主も馬綾も首を刎ねられる」



 亜栗鼠は引かなかった。


 馬綾の見通しは甘く、世間知らずなお姫様の考えそのものだ。頼めば周りの人間は絶対に頷く。そういう暮らしをしてきた人間の哀しい楽観だ。


 それでも亜栗鼠は、懸命に世のことを考えている馬綾を助けたかった。


 この問題が解決しなければ、馬綾は夜通し資料を漁り、泣いて過ごす日々に逆戻りしてしまう。



「馬綾、私に任せてみてくれない?」



 そして、亜栗鼠は王宮を離れた。


 実家が立て直した貴族の娘が仕事を辞めるのは自然なことなので、訝しまれることは無かった。むしろ獅子王は幼い頃から馬綾の話し相手だった亜栗鼠に労いの言葉までかけてくれた。


 馬綾は前日の夜まで泣いて嫌がっていたが、その日は腹を決めたのか何か言いたげな顔をしながら堪えてくれた。  



 亜栗鼠は馬綾とは関係の無い人間として鹿錬貴邸に潜入することにした。


 下級とはいえ貴族の娘なので晩餐会に忍び込むことも考えたが、動きやすさを考えると使用人として仕えた方が良かった。身分を偽り侍女として雇われ、その時が来るのを待つことにした。


 

***




 鹿錬貴一族の二代目当主は名を駱仁らくとといった。


 襲名せずに当主を継ぐことは名家では珍しい。八十歳と聞いたが紳士的な好々爺といった風情で、穏やかな人物だった。



 ある昼下がり、広大な屋敷の王宮に勝るとも劣らぬ立派な庭で駱仁はティータイムを楽しんでいた。



「駱仁様は、この広い御屋敷におひとりなのですね」



 多くの住み込みの使用人を抱えてはいるが、家族が居ないことに驚いた亜栗鼠が尋ねた。



「私は父の事業を継ぎ父の遺産で暮らすだけのボンクラ息子だからね、残す様な血統ではない。鹿錬貴カネキの本家は私の代で終わりにすると決めているんだよ」



 訊かれ慣れているのだろう。駱仁は、使い古した台詞の様な返答をした。


 新入りの侍女にまで愛想よくしてくれる大富豪は、自分が死んだら爵位や事業は親戚の者に譲るつもりで、自分は結婚もせず子供も作らないのだという。


 立派な髭を蓄え、優雅に音楽や読書を楽しみ、朗らかに人と接する姿はまさに上級貴族そのものだ。


 しかし、亜栗鼠は彼を夜府座で見かけたことは一度もない。社交界を避け、権力を捨て、隠居生活を送っているとなると、獅子王と特別親しい間柄とは疑わしかった。



「お父上の鹿錬貴様は、西街の発展にご尽力された有名な御方ですよね。迫害されてきた尼たちが神に祈るための聖堂を建てたり、南街北街まで線路を敷いて交通網を整備されたとか。ああそれから、種族関係なく多くの孤児を引き取って育てた御方だとも伺っております。その頃のお屋敷はさぞ賑やかでしたでしょう」



 亜栗鼠は紅茶のおかわりを注ぎながら駱仁の反応を見た。


 寄付金を始めたのは駱仁ではなく鹿錬貴だ。まずは鹿錬貴が認知されている通りの人物なのか確かめたかった。


 駱仁は物思いに耽った後、静かに答えた。



「……賑やかなんてもんじゃなかったよ。私は鹿錬貴の一人息子だという実感は全くない。そのくらい大勢の大小様々な子供たちを、父は死ぬ直前まで引き取っていたんだ」



「鹿錬貴様がお亡くなりになった後は、駱仁様が引き続き?」



 その異種の赤ん坊にもしかしたら三年前、再来のウサギを混ぜたかもしれないと、亜栗鼠はさりげなく訊いた。


 駱仁は白い顎髭を不機嫌そうに二、三度擦り、



「いいや。皆、棄てた」



 と短く答えた。


 亜栗鼠は意味が分からず、ただ沈黙する他なかった。



 ある晩、珍しく駱仁が外泊する予定があった。鹿錬貴の兄弟や従兄弟たちの子孫で構成される親族会に顔を出すとのことだった。


 高齢の主人とあって大勢の使用人たちが同伴したが、新入りの亜栗鼠は、門番や下男たちと一緒に留守番となった。

 

 鹿錬貴邸には半年ほど居たが、仕事の合間を縫って探索しても誰かを監禁している様子は無かった。


 この好機に手掛かりが掴めなかった場合は、諦めて振り出しに戻るしかないと馬綾に報告するつもりだった。

 

 いつもの半分以下の使用人が寝静まった夜中、亜栗鼠は駱仁の書斎に忍び込んだ。


 貴族の家には大抵後世に名を遺す為の家族史がある。西街一の実業家で公爵家となれば必ずそれは見つかる筈だった。


 読書家なことも手伝ってか壁一面の書棚を端から舐めていく。しかしそれらしい背表紙は見つからない。三回ほど往復した後、亜栗鼠は諦めて書斎を出た。


 まだ広い屋敷の廊下はしんとしていて誰が起きる気配も無かった。書斎に保管していないとなると主寝室か、と足を向けようとした時、駱仁が人格者として名高い鹿錬貴の名を何故か継いでいない不自然さが胸に引っかかった。


 少し悩み、地下の物置へ向かうことに決めた。地下へは何度か庭仕事の道具を取りに来たことがある。


 かなり雑然としており古びた調度品や古書も積まれていた筈だ。

 

 使用人たちの眠る部屋の前を忍び足で通り過ぎ、ギシギシと軋む古い階段を下りる。


 亜栗鼠は曲がりなりにも貴族の娘であり、長い間王宮で王太女付の侍女として暮らしてきた。隠してはいるがこの屋敷に勤める侍女たちとは身分が違う。


 それが今、盗人の真似事をしてコソコソと卑しく秘密を嗅ぎ回っている始末だ。


 身を低くして階段を下りながら、亜栗鼠は空虚な気持ちになった。

 

 気持ちを奮い立たせる様にして地下室のランプにそっと火を灯す。


 仄暗い灯りが辺りをぼんやりと浮かび上がらせ、部屋の一角に乱雑に積まれた古書や巻物、捨て置かれた額縁を照らした。



「……この顔」



 亜栗鼠は壁に立てかけられている壊れた額縁を拾い上げた。気難しそうな厳しい表情ではあるが駱仁によく似た非常に高齢の紳士の肖像画だ。



「鹿錬貴公爵の肖像画だわ」



 一族の長、鉄鋼王として莫大な財を成し、篤志家として街や種族の隔てなく惜しみなく金を使った博愛主義者の立派な顔が、薄暗い地下室にゴミと共に捨てられている。


 亜栗鼠は、あの穏やかそうな好々爺の駱仁が、どうして父親の名を襲名しなかったのか理解した。


 深い嫌悪と憎しみを感じる。


 そして、その父親との系譜である家族史は当然ここに捨てられている。


 古びた鏡台に雑然と積まれた本の埃を払いながら、一冊ずつ表紙を確認していく。


 薄明りでよく読めないが、意外にも鉄鋼事業の本は見当たらない。


 亜栗鼠には良く分からない医学書や生物学の本が多い。集団遺伝子学、優生学、進化論、そして、モスグリーンのベルベットに金の刺繍が施された豪華な装丁の本が顔を出した。

 

 そっと表紙を開くと、薄茶色く変色した最初のページに大勢の人間の集合写真が載っていた。


 古い時代の写真の為、不鮮明で荒いが、中央に肖像画よりも若い七十代前後の鹿錬貴の笑顔が確認できる。


 そのすぐ脇にはボウタイにサスペンダー姿の十歳くらいの少年が立ってこちらを睨みつけている。


 この子供だけ服装が上等なので、恐らく駱仁の少年時代だろう。母親らしき人物は見当たらない。


 残りの人間は、異種が多い。総勢三十人ほどの写真に魚種や鳥種の若者たち、それに不鮮明で種族の分からない者たちと、ほんの少しの獣種が集い、皆一様に笑顔を向けている。


 引き取られた幸せな孤児たちだろうか。成人していそうな者もいれば赤ん坊や幼児も居る。


 獣種の侍女に抱かれた魚種の赤ん坊は、顔が小さいからだろうか随分と口が大きく裂けて見え、一般的な魚種より特徴の誇張された、より「らしい」顔に見えた。


 写真は古く、とても三年前にウサギを預かったかどうか確認できる時代の物ではなかった。

 

 ページを捲る。


 時折吹き込む空気に入り口付近のランプが揺れて、影の形をゆらゆらと変えた。


 内容を読み進めていくと、驚くべきことに執事に書き留めさせた記録ではなく、鹿錬貴自身の手記だと分かった。



「今日も、混血児を二人、買い取る。十五歳と十八歳。交配には、丁度良い、年頃……」



 脳を介さず文面を読み取ることにだけ集中していた亜栗鼠が、口に出してから、ハッと息を飲んだ。


 次のページを捲る。時折個人が大きく載った写真を交えながら、手記は延々と続く。



「鳥十二番と獣三番の子、無事着床。特徴の割合は五分五分に調整済」



「魚二十番、誕生。操作の通り外的特徴は強、健康状態良好、停留精巣の可能性あり」



 読み上げながら、まるで呪文を唱えている様に頭に内容が入らない。


 ふと、目を逸らすと、先ほど除けた鏡台の上の古書のタイトルが目に入った。


 まるで文字に迫られて絡め取られそうで、亜栗鼠はベルベットの表紙を勢いよく閉じる。


 混乱したまま入り口のランプを吹き消し、何も考えない様にして来た道を引き返した。

 

 雇われた時に宛がわれた共有の使用人室には、今夜は亜栗鼠だけ残っている。


 小さな自分の私物入れにショールに包んだ鹿錬貴の手記を突っ込み、震えながら粗末なベッドへ潜り込んだ。

 

 自分は、今とんでもない闇に触れたのではないか。そう考えると怖くてとても眠れなかった。


 ウサギとの関連は何も掴めず終いだというのに、亜栗鼠には予感があった。


 駱仁がいつあの孤児たちを「棄てた」のかは分からない。


 しかしもしも異形の赤ん坊を隠すとしたら、この屋敷は非常にお誂え向きだっただろう。多額の寄付金を獅子王に納めていた意味も分かる。




 かつて鹿錬貴はこの屋敷で、孤児を使った種族間交配を繰り返し、人種の淘汰を行っていたのだ。


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