第24話 而今




 南街一帯を走り終えた後、『制空会せいくうかい』の一団は西街の富裕層の暮らす生活区へと乗り込んだ。


 灯りは消え静まり返っているが、親が夜府座へ行って留守の間、金持ちの子供たちが恐ろしそうに窓から覗いている。


 解禁夜は毎回同じルートを回り、この後は北街の貧民街を冷やかして南街へ戻るのが常だ。


 夜間警察の包囲網に引っかかったことは何度もあるが、猛スピードで走り去り、時には何手にも分かれて逃げていく『制空会』について来られた試しはない。


 改造した車体からとんでもない排気音とクラクションを盛大に鳴らし、いつだって風の様に疾走していくのだ。

 

 今夜は異種を見かけたり、かつて『制空会』総長だった鷲一郎しゅういちろうが現れたりと、総長の夕鶴ゆうづるは苛立っていた。


 それでも獣種の人間たちに対する威嚇行動は制空会の心をとびきり高揚させる。


 

 群団の後方、若い男の後部座席で無邪気に歓声を上げている金髪の少女、うずらは、まだ十六歳の未成年だ。


 彼女は楽しそうに笑いながらも、時折髪の毛に指を突っ込み、地肌をポリポリと掻いた。


 人形の様な人工的な艶のある金髪はくるりとカールして、化粧の濃い鶉に似合っているが、それは本当の姿ではない。

 


 二ヶ月に一度の社交場解禁夜、『制空会』は結集し、三街を騒音を立てながら暴走する。揃いの群青の上着を着て朱色の旗をたなびかせ、我ら鳥種がこの世で最も美しく活気のある種族だと知らしめて回る。


 しかしそれ以外の日常は、犯罪行為に手を染める訳でもなく、真っ当な仕事に就き、労働して日々の糧を稼いでいる。


 『制空会』は鳥種の民の声を代表していることもあり、街では密かに支持されていて、彼ら自身も特段隠すことなく、趣味でも話すかの様に制空会の活動の話をすることもあった。

 

 鶉は、そんな見目麗しい鳥種の宣伝塔に憧れた一人の貧しい少女だ。


 幼い頃に両親が蒸発し、生まれ持った赤褐色の髪色と華の無い地味な顔立ちの所為で親戚をたらい回しにされてきた。寂しさと厭世観から素行が悪くなっていき、そのうちに学校へも通わなくなった。

 

 学も無く見目も悪いという境遇の彼女は現在、南街の缶詰工場で朝から晩まで立ちっぱなしの仕事をしている。


 安い日銭で暮らしを凌ぎ、友達も作らず、何の楽しみも無い毎日を過ごす。


 大嫌いな赤褐色の髪の毛は短く切り、化粧もせず、いつもフードを被って俯いて歩く。


『制空会』の人間とすれ違ったこともあるが、気付かれたことは一度も無かった。


 社交場解禁夜、幼い頃に親戚の家の窓からこっそり外を眺めていたことがある。


 地鳴りの様な音を立てて走り去っていく見目麗しい派手な髪色の集団。その光景が胸を焦がしてたまらなかった。


 家を飛び出した後、少ない給料を更に切り詰めて貯金した。


 整形手術も髪の染料も、美容技術の進んだ南街には存在するが、それは獣種の大金持ち向けの娯楽の為のものだ。


 自分たちの外見に誇りを持っている鳥種がもしも何らかの理由で利用すると仮定しても、その大金を払えるだけの稼ぎがあるということは必然的に美しい外見でしか就けない仕事をしているということになる。


 本当に外見で苦しんでいる人間には絶対に手が届かない。鶉も初めからそんなことを夢見ていた訳ではなかった。


 髪の染料はどんなに高級でも水に濡れれば流れてしまうが、舞台俳優の為に作られた鬘ならばずっと使える。


 鬘も鶉にとっては高級品だったが、爪に火を点す様な生活で、何とか手に入れた。


 安い化粧品も一緒に買い揃え、晴れて憧れの人間へと変貌したのだ。


 短い髪の毛は鬘を留める為だけに残してある。二ヶ月に一度、一時間かけて化粧をし、鬘が絶対に落ちない様に何か所も留めた後、地肌にも粘着テープで貼り付ける。


 この夜の煌びやかな集団に仲間入りするひとときの夢だけが鶉の生きる目的なのだ。



 ***




 気持ちよく夜間警察を置き去りにした後、突然街頭スピーカーから大音量の放送が流れた。


 総長の夕鶴が思わず手を上げ、後ろを制して停車する。


 ドッドッドッドッというエンジン音と真っ赤なテールランプが前から順に消えていき、鶉の乗っている単車もストンとエンジンを落とされた。


 暗闇の中のシンとした路上で、『制空会』は『木天蓼マタタビ』の夜府座よふざ占拠と、獅子王ししおうの崩御を知った。


 月だけが煌々と照る晩秋の夜、暫くは誰も口を聞けなかった。夕鶴が単車から降りてスタンドを立て、振り向く。



「聞いたか、おい」



 声は小さく、少し青ざめて見えた。肩を落とし、呆然としている様子は、かつて鶉の憧れた夕鶴の姿ではなかった。



「夕鶴さん、なにショック受けてるんですか! アタシは獅子王死んで嬉しいですよ!」



 鶉は誰も返事をしない陰鬱な空気を甲高い声で切り裂いた。


 三十歳の夕鶴とは違い、若い鶉は獅子王のことについて深く考えたことはない。自分の生活が貧しいのは見目の悪いせいだし、異種である魚種の差別についても同情したことはない。


 獅子王に対する個人的な憎しみは無く、『制空会』の悲願が叶い次の王が鳥種になったとしても、自分の外見では生活は何一つ変わらないだろう。

 

 けれど、夕鶴があんまり暗い顔をしていたので、励まそうと思った。



「これでウサギを捕まえれば、鳥種が王になれるじゃないですか!」



 鳥種至上主義の『制空会』にとって、その言葉は一種の呪縛だ。この合言葉さえあれば、今まで何をやったって自分たちの中には正義が宿った。



「いや、そうじゃねえ」



 夕鶴は静かに首を振った。



「ウサギを殺せって、王の娘が言ってたってことは、王宮の兵隊もウサギを追ってるってことだ。それが悪のウサギだっていうなら『木天蓼』も殺しに向かってる。もう手遅れかもしれねえ。知らねえうちに獣種同士で王権を取り合ってて、俺らはそこに入り込めてもいねえ」



 自分たちが迷惑行為で満足している間に『木天蓼』が獅子王を殺したということが、夕鶴に大きな衝撃を与えていた。声高に主義を叫びつつも具体的なことは何も実行出来ていなかった自分たちの幼稚さを恥じていた。



「不甲斐ねえ……」

 


 夕鶴の周りの男たちもバツの悪そうな顔で項垂れた。鶉はそれを見て焦った。そんな姿を見たくはなかった。何とかいつもの覇気を出して欲しいと頭をいつもの倍の速さで回転させる。



「ふっ、双子って言ってましたね! ウサギはもう一匹いるって!」



 鶉の場違いな明るい声が、再び場を静まり返させた。


 夕鶴の隣で副総長を務めているつばめという女が黒と赤の混じった派手な髪を肩で払い、呆れ顔で振り返った。



「お姫様は、ウサギは皆殺しにしろって言ってたのよ? 王宮騎士団が今頃両方殺しに行って……」



「いや、待てよ」



 燕の言葉を夕鶴が遮って黙った。顎に手を当て、何か考えている。それを制空会の構成員たちは固唾を飲んで見守った。



「夕鶴?」



 燕が訝し気に顔を覗き込むと、夕鶴はパッと明るい顔を上げた。



「伝説だとこうじゃねえか? 一匹が悪のウサギならもう一匹は善のウサギだ。王の娘がウサギを皆殺しにしろっつったのは、獅子王の子孫の自分は真の王に選ばれることはねえからだろうが、『木天蓼』は違う。『木天蓼』は長いこと善のウサギを待ちわびてたはずだ」



「つまり、王家で飼われてたっていうウサギは殺しても、この世のどこかにいるかもしれないもう一匹は『木天蓼』が保護して連れ帰るってわけ?」



 燕が口を尖らせて首を傾げた。それが何なのだと言いたげな顔だ。



「三街の何処にいるか分からねえウサギ共を探してても埒が明かねえし、俺ら制空会は出遅れてる。なら、『木天蓼』の総本山に行って待ち構えてやるんだよ。王宮の兵隊は人数が少ねえ。数なら『木天蓼』が勝つ。だがこのままじゃ王権が獣種から獣種に移るだけだ。『木天蓼』が善のウサギをひっ捕らえてきたのを俺らが奪ってやろうぜ」



 夕鶴は再び『制空会』総長の力の籠った顔に戻った。金髪を靡かせ、美しい眉を上げ目を輝かせて声を張る。



「おめえら! これより『制空会』は西街の外れにある『木天蓼』本部を目指す! そこでウサギを待ち伏せして、奪う! これは鳥種の命運をかけた大勝負だ! 俺らの肩に南街の未来が乗っかってると思え!」



 おおおっと言うどよめきと覇気が『制空会』全員を熱く包んだ。彼らは再び命を吹き込まれ、単車に跨りエンジンを思い切り噴かす。鶉も慌てて後部座席に飛び乗った。



「行くぞ!」



 夕鶴の号令に呼応して、闘気のクラクションが盛大に鳴らされる。『制空会』は夜を劈く排気音を響かせながら『木天蓼』本部へ爆走を開始した。


 群青色の纏と朱色の旗をはためかせ、風になりながら鶉は少し泣いた。


 自分の夢の時間は、鳥種が王になった瞬間終わる。


 今だけでいい。今を精一杯味わいたい。終わった後のことは考えられなかった。


 後少しだけ美しく、強い、憧れの姿のままで居たかった。



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