第17話 任務遂行




「さぁさ、お立会い! 今宵もまた世にも珍しき有象無象、異類異形の鳩形鵠面をご覧に入れます!」



 高座に座る魚種の中年男が、小気味良く喋り始める。


 机に扇子をタンタンと打ち付けながら良く回る舌で軽快に張り上げた声は、満席の邪気寄席ざけよせの末席まで爽快に響き渡った。



「見るも無残に痩せ細り、薬のまやかしで日々を慰む滑稽なその姿まさに醜悪至極! されど人の心を惹きつける悲しき化け物を、どうぞ皆々様の御力で御救済くださいませ!」



 タタンタン! と拍子をつけて机を叩くと、男は小さく礼をして、サッと退いた。幕下から駆け寄った小僧が座布団と机を回収して一緒に下がっていく。

 

 舞台は暗転し、緞帳が下ろされると溜め息があちこちから漏れ出す。窓の無い邪気寄席には月明かりも入らず、会場中に灯された蝋燭の炎だけが辺りを仄暗く照らし上げている。


 前座の奇談怪談で客席は十分に温まっていた。



「この雰囲気が毎度たまらないんだよ」



 客の一人が隣の連れ合いに耳打ちする。口角の広い口から剥き出しになった歯が小石の様に白く浮かび上がる。


 生唾を飲むのは何もこの男だけではない。邪気寄席に来る全ての客は、これから始まる人身売買ショーを楽しみに、毎度解禁夜に社交場へ足を運ぶのだ。


 最前列に陣取る、北街では数えるほどしか居ない富裕層が、競いながら奇形を買い叩く光景は興奮の極みだ。


 目の前で自分よりもずっと醜い姿の人間や動物が、金で買われて奴隷になる瞬間を、客は涎を垂らして食い入る様に見つめる。

 

 娯楽の少ない北街に、これ以上刺激的な愉しみは無いのだ。



「今日はどんな醜女が出てくるかね」



「そろそろ始まるぜ」



 下卑た笑い声と立ち昇る汗の匂いが邪気寄席の劇場を眩むような背徳感で包んでいく。


 無機質なブザーが鳴り、緞帳がゆっくりと上がると同時に、舞台の上には強い照明が当てられた。


 壇上には幕間に運び込まれた大きな横長の檻が鎮座しており、白く浮かび上がって見えた。


 客たちは眩しさに目を凝らしながら身を乗り出す。檻には、痩せ細った人間が十人、吊り下げられていた。



「さあ、今夜も始まりました。古今東西世にも奇妙な生き物たちのお披露目で御座います!」



 どこからともなく放送だけで流れる司会の声は、先ほどの漫談師だ。


 おおっ、と、どよめく客席からの音と視線だけで事切れそうなほどに衰弱した人間たちは、皆一様に檻の上から吊るされた革帯で脇の下から支えられ、力の入らない足で無理矢理起立の体勢を取らされている。


 最前列の富裕層は、審査員さながらに品定めする顔で端から順番に点数などを付けている。



「私は人間より動物の方に興味があるんだがね」



「うちもです。奴隷ならもう足りてるし、観賞用には人間は醜すぎる。愛嬌がない」



「まあまあ折角ですから、前座も楽しみましょうよ」



 お楽しみは最後にって言うじゃないですか、と付け足し、富裕層同士笑い合う。


 富裕層のすぐ後ろの列には人買いのブローカーたちが首を揃えていて、どの人間の組み合わせで買えば売れやすいかという様な事を話しあったり牽制しあったりする声も上がった。


 どの客も魚種だが、富裕層のコレクションを見に来るのもブローカーから人を買うのも、基本的には獣種の貴族たちだ。


 彼らは美術品と同じ様に見目の変わった人間を家に飼ったり、ホルマリン漬けにしてコレクションすることで権力を誇示する。


 ただ、獣種だけがそういうことをする訳ではない。  


 鳥種の芸術家が絵や創作のモデルにしたいと買いに来ることもある。邪気寄席の主人・太刀たちの様に、魚種が獣種や鳥種の特徴を持つ奇形をわざわざ選んで飼うこともある。

 

 どの種族にも、同じ様に下衆は居る。誰が下衆かどうかは種族の違いでは図れないのだ。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら、亜海鼠あこは袖から舞台の檻を眺めていた。



「亜海鼠ちゃん、受付はもういいの?」



 次の檻に入っている動物に鎮静剤の注射を打ちながら、下っ端の一人が話しかけてきた。


 亜海鼠は邪気寄席の受付嬢として社交場解禁夜も普段の昼間も切符もぎりをしている。


 下っ端たちとも顔馴染みだし、太刀の甥の鯉市りいちと恋人同士だということも公然の秘密だ。



「受付は、他の女の子たちがやってくれてるの」



 亜海鼠が作り笑いで振り向くと下っ端の若い男は口角を目いっぱい開きながら



「亜海鼠ちゃんはいいよねえ、鯉市さんと懇ろになったから、特別扱いなんでしょ」



 と、下卑た声音で返した。寒気がする様な視線に振り向くと、袖で他の檻の準備をしていた他の大勢の男たちも、一様に薄笑いを浮かべて亜海鼠を舐める様な視線で犯した。



「そ、そうかしら……。よく分からないわ」



 亜海鼠は嫌な汗を掻きながら、何とかそこから逃げ出す為に、視線で鯉市を探した。


 しかし、鯉市は袖には来ておらず、司会が檻の人間たちの競りを仕切る間中、幕下で追い詰められる様な時間を過ごした。

 

いやらしい目で見てくる下っ端たちの管理する檻には、先ほど蔵で逃がした白い異形の入っていた檻もあった。


 白い異形だけは居なくなっていたが、残りの人間たちは逃げる気力も体力も無くなっていたのか、全員座り込んで虚ろな目をしている。


 それを小声でどやしつけながら、下っ端が革帯をきつく結んでいく。もう呼吸するだけでやっとの人間たちは脇の下から締め付けられ、苦し気に立ち上がり吊るされていく。



「あなたたちって、この仕事辛いなって思ったりしないの?」



 亜海鼠は思い切って、下っ端の一人に訊いた。祈る様な気持ちで訊いた。



「はあ……無いね。コイツらが居るから俺らは仕事が貰えておまんま食えてる訳だからさ」



 下っ端は、亜海鼠の意図が分からず、白けた顔で次の檻を舞台へ運んでいった。その隙に亜海鼠は吐きそうになりながら邪気寄席の外へと飛び出していった。


 幕下から表へ出ると、煌々とした月明かりが巨大な鯉幟たちを禍々しく照らしていた。その光景が、何もかもを詳らかに暴いていく様で胸が空いた。


 自分が何者なのか分からなくなる毎日に嫌気が差す。それでも果たすべきことがもう一つある。

 

 鯉市の姿が見えないことが多少気になったが、恐らくは先ほど逃げられた白い異形――再来のウサギを大慌てで探しているのだろうと予想はついた。


 鯉市は太刀の唯一の血縁者というだけで随分優遇されているが、実際は愚鈍で無能だ。


 この邪気寄席で管理者をしているとは思えないほど優しさを失わず気弱な性格だが、太刀を死ぬほど恐れているので命令には絶対に従う。そういう男だ。


 太刀は普段、解禁夜の『商品』を一つ一つ確認することはない。しかし珍しい上物が入ったときには下っ端たちが太刀に報告をしに行きその情報だけは太刀の知る所となる。


 自分のコレクションに入れる場合もあるし、特別金払いの良い客にとんでもない値段で売り付けることもある。


 どちらにせよ、恐らく太刀は自分の手元にウサギが来たことを把握しているはずだ。

 

 亜海鼠は、深呼吸を一つして、そのまま邪気寄席の隣に建つ太刀の豪邸に向かって歩き出した。


 

***




 社交場解禁夜、太刀は必ず邪気寄席の特別室からあのショーを眺めている。今なら確実に留守宅に忍び込めることが分かっていた。


 邪気寄席の蔵の白さに相反する様に太刀の屋敷は黒い。壁に黒光りする最高級の御影石が、これでもかと嵌め込まれているからだ。


 それがじめじめとした北街の湿度を跳ね除けるかの如く圧倒的な大きさと迫力で、太刀の権力を誇示している。


 入り口の大門には屈強な身体をした柄の悪い用心棒が二人立っていた。亜海鼠はあえて堂々と歩み寄り



「ねえ、鯉市に呼ばれてるんだけど、通してもらえる?」



 と小首を傾げた。少年の様に短く切られたくすんだ茶金色の髪の毛だが、しっかりと化粧を施した透き通る様な白い肌と真っ赤な口紅を引いた横に広い唇は、魚種の中の正統派美人と言える。


 胸の大きさが分かるピッタリとしたシャツも、細い腰のくびれや形の良い尻が際立つ細身のパンツも、全ては亜海鼠が少しでも男たちに与しやすい相手だと思わせる為に考えて身に着けたものだ。


 亜海鼠は、鯉市と恋仲になるだけではなく、邪気寄席のたくさんの男たちに自分の存在を広く認知させていた。


 先ほどの舞台袖の様に、大勢の男に囲まれて嫌な思いをしたりヒヤッとすることもこの二年間幾度もあったが、それでも男に媚びを売ることをやめなかった。大義があったからだ。



「兄貴は今ここには来てないぜ?」



 用心棒の一人が小馬鹿にする様に返事をした。亜海鼠はその逞しい二の腕に指先で触れた。



「後から来るわ。ねえ、寒いから中に入れて? シャワー浴びて待ってたいの」



「ハハッ、とんでもねえ女だな、亜海鼠。太刀様に殺されるぞ」



 もう一人の用心棒が横から口を挟んだ。二人とも亜海鼠の身体を上から下まで無遠慮な視線を寄越してくる。


 亜海鼠はそれを意識しながら二人ともっと距離を詰め、耳元にしな垂れかかる様にして囁いた。



「大丈夫よ、太刀様のお風呂、使ったことあるの。私」



 内緒よ、と片目を瞑る。二人の用心棒は亜海鼠が太刀のお手付きと察し、慄く様に道を開けた。



「ありがと」



 亜海鼠は何の感情も無く機械の様に二人の頬に一度ずつ口付け、サッと屋敷へ滑り込んだ。


 無論、鯉市と待ち合わせはしておらず、ここへも初めて入る。


 だが、今夜で終わる生活ならば嘘などいくらでも付ける。この街を出ていく自分には取り繕う必要はもう無いのだから。

 


 屋敷の中は豪奢な照明や南街から買い付けた芸術品で溢れていた。調度品はいかにも成金趣味の金製のものが多く、どこもかしこも眩しく輝いている。

 

 亜海鼠は、目的の物を探して駆け足で二階へ上がった。盗まれる心配をせず、毎日ぐっすりと眠りたいのなら、大切な物は手元に置いておくはずだ。


 階段に近い部屋から順に次々と扉を開けていく。書斎、客室、書庫、衣裳部屋と続き、五番目の部屋の扉を開けると、広々とした主寝室に行きついた。


 素早く立ち入り、絢爛豪華な寝台の奥の作り戸棚を開けていく。一番隅にある小さな棚の戸を開けると、そこには頑丈そうな鉄製の金庫が入っていた。



「あった……」



 しゃがみ込み、三つのダイヤル錠をなぞる。とても単純な数合わせで開きそうには見えない。


 それでも社交場解禁夜が明けるまでに、とにかくやるしかない。


 知り得る僅かな太刀の情報を思い浮かべながら、亜海鼠は一つ目のツマミをゆっくりと回した。  


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