第16話 持たざる者




 門前で出迎え業に戻っていた鴒次れいじは、鳩兵衛きゅうべえの報告に小さく頷き、視線はチラホラと疎らに入店が続く参道を向いたままだった。



「鴒次さん……あれが北の社交場に居たということは、次の王は太刀たち殿ということになりませんか。それを、無理矢理連れてきてしまったのだとしたら、鳶はどうなりますか。この胡蝶屋こちょうやはお取り潰しですか?」



 鳩兵衛は縋る様な気持ちで鴒次を見上げた。胡蝶屋の世話役の息子が起こした事件だ。知らぬ存ぜぬでは通せないだろう。



「うーん。まあ、事実を確認してみないことには何とも。ただ、ウサギなんてものが本当に存在しているのか私にはイマイチ信じられないんですよ」



 鴒次は少しだけ視線を鳩兵衛に向けて、苦笑した。



「鳩兵衛、少し疲れているんじゃないですか」



 鳩兵衛は、これ以上鴒次に訴えかけても無駄だと悟り、重たい足取りで来た道を戻った。


 大入り満員の胡蝶屋は、どの部屋もどんちゃん騒ぎの音で溢れかえっているが、秋風の吹きすさぶ従業員用の通路には、従業員が忙しく食器を運ぶ音だけがやけに甲高く響いている。

 

 行き交う従業員を尻目に渡り廊下から見上げた月は、美しい満月だ。呆けて立ち竦む鳩兵衛の後ろに、煌々と照る月の光が暗い影を落としている。


 再来サライのウサギ伝説は、高等教育を受けた者なら皆知っていることだ。


 長い間西街にしかウサギが現れないということに疑念を持つ者も多く居るし、再来のウサギ自体が、人の姿を借りた神の化身なのか、精霊の様な目に見えない加護なのかという議論も研究者の中では活発に議論されている。


 鳩兵衛は、金貸しに勤める父と焼き物の絵付けをする母の居る家庭に育った。商売人の家でも職人の家でもない。生活区に暮らす裕福では無い家の三人兄弟の末っ子だ。


 上二人は見目麗しい鮮やかな髪色で産まれ、鳩兵衛だけが山鳩色だった。


 自分たちもあまり良い色ではない髪色を持つ父と母は、兄たちと自分を区別無く愛してくれたが、鳩兵衛は劣等感のせいか人付き合いが苦手な子供に育った。


 唯一の拠り所が読書や勉強をすることで、自分の知的好奇心を満たすことに夢中になるあまり、いつも学校では一番の成績を修めていた。


 兄二人は九年間の学業を終えると、それぞれ墨絵のモデルとして有名になったり有名な卸問屋の娘との縁談がまとまったりとあっという間に親孝行をした。

 

 鳩兵衛は本当は学者になりたかったが、貴重な資料や論文や学術書を集めた高等図書館や高等教育を受けられる大学や研究院は西街にしかない。


 それゆえ南街の研究者や学者は皆、西街で学んでから南で本や論文を書いたり、研究所を開いたりしている。


 自分の様な人間には、親に金を無心してまで西街へ留学する価値はないと思った。


 独学で多くのことを知っていた鳩兵衛は、これからも働きながら本を読めば良いと割り切って、胡蝶屋に就職した。


 見目の悪い鳥種は下働きの仕事にしか就けない為、南街では貧困に陥りやすいが、胡蝶屋では表方も裏方も他より高い給金を支払われる。


 鳩兵衛は親孝行の為なら一生皿洗いをするつもりで就職したが、蓋を開けてみると、案内役という人目につく仕事を与えられた。



「初めは皆、案内役として表に立つんです。そして、この胡蝶屋にどういうお客様が来ていてどういう作法でそれをおもてなしすれば良いかを何年かかけて学びます。その後、従業員として裏でも働かせて頂けるか再度審査があります。ここで長く働きたいのならば、しっかりと学びなさい」



 案内役初日に鴒次に言われた言葉だ。世話役でなくても、見目が美しくなくても、人前に立つ仕事を貰ったことに大きな驚きがあった。


 社交場解禁夜ではない普段の日中、胡蝶屋は懐石料理を楽しめるお座敷として開かれている。価格帯は相当高く、扱うのはどれも極上品ばかりだ。


 ある日そこに、着古した背広の男と年代物のウールのワンピースを着た女が来店した。精いっぱいめかし込んで無理をして食べに来てくれた鳩兵衛の父と母だった。


 出迎え業で門前に立つ鳩兵衛を嬉しそうに涙を溜めて何度も目で追っていた。


 どんなに善人でも、どんなに頭が良くても、この街では良い暮らしは出来ない。鳩兵衛はそれを知っていた。


 見目が良くなくては、産まれつき幸運でなければ、南街では慎ましやかな暮らしを押し付けられるのだ。



「若旦那様は、大店のご長男だから、高等教育を受けてらっしゃるかもしれないな」



 虚しさを心いっぱいに抱えながら、鳩兵衛はそう呟いた。自分と同じ知識のある人間と話がしたかった。


 確かに自分の様な者にも高い給金を与え、人前に立たせてくれたこの胡蝶屋は、鳩兵衛に自尊心を与えてくれた。


 それでも、鳩兵衛は学びたかった。世の真理を知りたかった。


 その飢えた頭脳に、あの白い少女は稲妻の様な衝撃を与えた。


 あれは、どう見ても、伝説の通りの見た目をしていた。見えない檻にずっと囚われている鳩兵衛の心は革命を欲していた。


 あのウサギが、今夜、何かを変えてくれるかもしれない。だとしたらこの機会をどうしても逃したくなかった。

 

 誰かにこのことを伝えなくては。鳩兵衛はそう決心して、叱られるのを承知で鷲一郎がお世話に入る予定の各客間を回ることにした。



「あらぁ、月が綺麗ねえ」



 固く拳を握り、踵を返すと、お椋が隣で笑っていた。


 紅藤色の、珍しい髪色が月に照らされ、藤の花の様に涼やかに揺れた。鼻に掛かった柔らかな声音だ。



「鳩兵衛ちゃん、鳶のお世話をしてくれたんだってねえ。ありがとねえ」



「あ……いえ、あの」



 全く気配に気づけなかったことと、女郎花一の美しさに動揺して、鳩兵衛は口ごもった。



「うん?」



「えっと、あの、早く、行ってあげてください。鳶は、きっとその、心細いと思うので」



 やっとのことで言葉を繋いだ。


 そうだ。母親の元へとはいえ、社交場解禁夜に異形を連れて異種の街へ来た飛は、心を張り詰め続けていて今にも折れそうに見えた。


 思わず朱鷺だけを置いてきてしまったが、朱鷺がまた無神経なことを言っていないとも限らない



「優しいのねえ。ありがとう」



 お椋はにっこりと笑って鳩兵衛の頭を優しくポンポン、と撫でてから裏口の方へゆっくりと向かっていった。


 鳩兵衛は母のことを思い出して泣きそうになるのをグッと堪え、目的を達成する為に客間へ急いだ。

 


***




 上得意のお客様をおもてなしするための一等部屋の辺りへ着くと、角の詰所に大男の影があった。


 短く揃えられた橙色の髪の下で難しい顔をして何かを話し込んでいる。男郎花おとこえし鷹助たかすけだ。


 その陰からチラッと鶯色の羽織りと金糸の髪が見えたので、鳩兵衛は慌ててそこへ駆け寄り、礼儀も忘れて二人の間に割り込んだ。



「うおっ! なんだオメエ」



「失礼します、若旦那様! 大変なんです、鳶が連れて来た娘、起きたら目が赤かったんです!」



 息せき切って案内役の新人が不躾なことを言うので、鷲一郎は怪訝な表情でまじまじと鳩兵衛を凝視した。


 普段賢く落ち着いて仕事をすると評価していた鳩兵衛の取り乱す姿に唖然となる。



「オイ、話の順序がなってないぞ。落ち着いて事実だけを報告しろ」



 鷹助は世話役の指導もしているため、突然のトラブルに見舞われた新人の対応には慣れていた。鳩兵衛を深呼吸させ、「ほら、言ってみろ」と、優しく二の句を促す。



「はい、監視中の異種の一人が、再来のウサギです」



 落ち着きを取り戻した鳩兵衛はやっとのことでそう報告した。驚いた鷲一郎と鷹助は括目して押し黙り、互いに目を合わせて生唾を飲んだ。



「どうして、そう思う」



 鷹助が先に口を開いた。古株の鷹助がどういう出自でいつから胡蝶屋に勤めているのか知る者は殆ど居ない。


 当然、新人の鳩兵衛は知る由もなかった。けれど、再来のウサギの話を笑い飛ばさないとなると、恐らく良家の出身で高等教育を受けているのだろう。



「白い髪、赤い瞳、長く垂れ下がった耳を持つ女の姿をしています。鳶が言うには北街の社交場・邪気寄席の蔵に居たそうです。街一番の大店に満月の夜いたとすれば、再来のウサギとして条件は合っています」



 鳩兵衛は、知識をため込んだ自分の脳みそが心地よく動くのを感じた。鷹助は鷲一郎を見た。どう思うかと訊いている。鷲一郎は珍しく困った顔で一度うん、と頷いた。



「鳩兵衛、今まさにその話を鷹助としていたんでい。こいつは目が人一倍利く。今まで見逃した輩は居なかったのに、異種は二匹居た。あの白い娘は人非ざる者じゃねえかって。けど、まさか再来のウサギとは思いもつかなかったな」



「……ここ三百年、ウサギは西にしか出なかったと聞いてます。ウサギの姿を目にした者は居らず、本当に存在するのかと疑う人間も少なくありませんが、何でも、ウサギが居ないと王位を保つことは出来ないんだそうです。新たなウサギが新たな王を選ぶと、旧き王はその力尽き果て、死を迎えるのだそうです」



「獅子王の野郎が死んだって知らせはまだ届いてねえな」



 鷲一郎が薄く嗤った。



「それは、本来ならば太刀殿が王になる予定のウサギを運んでしまったからではありませんか」



 鳩兵衛は先ほど鴒次に訊いたことをもう一度訪ねた。


 種族の中で最下層であることを強いられている魚種が王位を手にするとなれば、世界はひっくり返る。


 この南街も魚種を差別してきた側だ。特に八十年前の魚種差別撤廃宣言が発令されてから、納得のいかない南街では一層魚種差別がひどくなったという。


 自分たちよりも酷く扱われている立場の者があれば耐えられてきたことが、『平等』になった途端、不満として噴出したのだと歴史を考察している本で鳩兵衛は知った。


 鳥種は見目麗しい者だけを擁護する社会に見える様に、選民意識が強い。魚種よりも秀でていると信じ込んでいた自分たちが同じ地位にされたことが許せなかったのだろう。


 そしてまた、どの種族よりも美しく商才に長け、優秀であるはずの鳥種が、鉄鋼分野で財を成しただけの獣種に種族として支配され続けていることにも不満が溜まっている。


 それゆえ、『制空会』の様な輩が大きな顔をしてのさばっているのだ。彼らは南街の誰もが感じていることを大声で代弁している。


 本当に王都に相応しいのは、この南街だと。



「初めからウサギが太刀を選んで北へ入ったのか、最終的にウサギが選んだ者が王になるのか。前者ならば、邪気寄席へウサギを返すべきだが、後者ならばこちらに分がある。これは一世一代の好機だな」



 鷹助は鳩兵衛を諭す様に低く答えた。静かな目の奥に怒りに似た野心が垣間見えた。



「ウサギかどうかは正直分からねえから、まずはあの娘と話すしかねえな。お勤めはもう暫し待って頂いて、鳶の所へ戻るぜぃ」



 鷲一郎は羽織を翻し、また大股の早足で足音もさせず滑るように廊下を戻りだした。



「しかし、鷲さん。今夜の稼ぎが少なければ、獅子王に納める額に届かないかもしれません」



 鷹助が小声で咎めると、鷲一郎は明るい顔で振り向き



「阿呆。ここが王都になりゃあ、西に納める税金なんて要らなくならあ」



 と、少年の様に笑った。




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