第15話 牡丹




「ああ、綺麗な色ですね」



 一行が静かに胡蝶屋こちょうやの裏口に着いたとき、鴒次れいじが小さく呟いた。


 トビの背中におぶさった少女の髪が、行燈の明かりに照らされ白銀の様に光ったからだ。



「フン、そんな地味な色じゃあ女郎花おみなえしの末席も汚せねえよ。せいぜい飯炊き娘だ」



 鷲一郎しゅういちろうが機嫌悪そうに意地悪を返す。


 異種は一人と言われて行ってみたら子供が二人いたことにも腹が立っていたし、古巣の『制空会せいくうかい』に砂をかけるようなやり方でしか守れなかった自分の格好悪さにも苛立っている。



「まぁた、鷲さんは口の悪い……」



 鴒次は苦笑いしながら裏口の戸を開け、鷲一郎を通し、それから飛にも目で促した。



「あの、こいつのこと、怖くないんですか」



 飛は、種族の分からない見目をした少女のことを、二人が何も指摘しないのが不思議だった。



「あ、そっか、ここでは俺もか」



 はたと気が付き、飛は自虐的な顔で俯いた。


 魚種である自分は南街では好奇の目で見られる。種族が判明しているとはいえ、目の前の大人たちにとって、自分は少女と大差ない「見目の悪い異種」に変わりなかった。



「阿呆」



 鷲一郎が振り向き、小さく舌打ちした。



「俺ぁこう見えて結構歳いってんだよ。この世には、色んなヤツがいるんでい。鳥種、魚種、獣種、そんでその間の子、それからどこにも仲間が居ねえ変わった見た目のヤツも居る。わんさか居る。おめえはまだジャリで何も知らねえだけだ。別に珍しくもなんとも無え」



 鶯色の羽織りに美しい金糸の髪。眉目秀麗な顔が得意そうに鼻を鳴らしてさっさと奥へ去って行った。


 飛は呆気に取られて棒立ちしていたが、俯いた自分が可笑しくて少し笑った。心の隅がじんわりと温かくなるのを感じた。



「鷲さんは、本当はどっちかというと差別主義者です」



 後ろで鴒次が笑った。


 上背の高い鴒次の吐息を見上げると、茶色の猫っ気を揺らし、色白の顔が夜に浮かび上がって儚く見える。


 臙脂色の作務衣から伸びた白い腕を伸ばし、飛の背中から少女をゆっくりと受け取ってくれた。


 随分長い間おぶい続けてきた飛の手は痺れていた。


 道中ずり下がりそうになるのを弾ませて担ぎ直しても、少女はぐっすりと寝入って一度も起きなかったのに、鴒次が抱きかかえるとむずかる様にして眉間に皺を寄せた。



「私は骨ばっていて抱かれ心地が悪いんでしょうかね」



 鴒次はまた可笑しそうに笑うと、優しく少女の頭を撫でた。長く垂れた耳も白い髪の毛も、「変わった見た目」の中でも特別奇妙だろうに、鴒次はまた少女の髪を美しいものを見る目で見つめた。



「南街は美しくない者の価値が低いですからね。ある意味私の様な髪色の者も区別され続けていますよ。異種ほどではないけれど、人権も無いかな」



「鴒次さんのどこが、美しくない者なんですか」



 飛は軽くなった身体に人心地つきながら訊いた。


 魚種は口角が広く髪も褪せた様なくすみ色が多い。


 飛からしてみたら、色白に柔らかい髪の色、おまけに人種ヒエラルキーの頂点に立つ獣種の様に上背が高い鴒次は十分「美しい」基準を満たしている様に思えた。



「いやいや、鳥種では派手で煌びやかなものが美しいとされています。私のこの茶色の髪では、一生底辺の人間です」



 お道化た鴒次は、寒いので中へどうぞ、と促し奥へ行ってしまった。飛は、釈然としない気持ちのまま、後を追った。



 胡蝶屋の中は裏とはいえ煌びやかで、至る所に美しい欄間がある。


 彫り物や塗り物は南街の有名な伝統技術で、大昔、差別が無かった頃は魚種でも学びに行けていた様だが、その残骸しか街には残っておらず、今では北街にはそういう職人は一人も居ない。


 故に、建物の設えは簡素で飾り気が無く、海が近いためあまり木材も使わない。土壁やコンクリートばかりの街は魚種の髪と同じくくすんでドドメ色だ。


 ただ北街で唯一煌びやかな邪気寄席ざけよせの大旦那・太刀たちは、南街から大枚を叩いて大広間や社交場の金屏風や欄間を誂えさせたらしいと、噂好きの蛸八たこはちから聞いたことがある。


 胡蝶屋は全て木造の様で、廊下も木の匂いがした。


 鴒次に案内された部屋は、意外と広く、十畳ほどの客間だった。


 物置き部屋か納戸を宛がわれると思っていた飛は、本当にこの部屋か問う様に鴒次を見上げた。



「本来、社交場解禁夜に未成年が出歩くことは禁止。おまけに異種がよその街の社交場に向かうなんて自殺行為です。更に、それを民家ならまだしも社交場である大店が匿うとあっては見つかればお取り潰しになるかもしれない大変危険な行為です。鷲さんは先ほども言ったようにどちらかと言えば差別主義者で、おまけに鳥種至上主義です。獣種だろうが魚種だろうが異種を毛嫌いしています」



 鴒次は部屋の奥に少女をゆっくり横たわらせると押入れから布団を出して手際良く敷いていき、再び少女を抱えると布団に寝かせてやった。


 『制空会』から自分たちを守ってくれた時、そんな風にはまるで見えなかったと、飛は静かに驚いた。


 そして、自分のやったことがどれだけ危険で世間知らずなことだったかをようやく自覚して肝が冷えた。



「でも、うちの男郎花おとこえしさんという一番の稼ぎ頭が目の利く人でね、街境を越えてくる異種の子供を見つけたんです。どうしてか分からないけど、子供が捕まったら可哀想と思ったのかな。鷲さんに進言して君を保護して欲しいって頼んだみたいで。鷲さんはもしも胡蝶屋までたどり着いたら部屋に匿ってやれって他の案内役には指示を出したのに、結局私を連れて街境に探しに行ったんです。私は事情を全く知りませんが、恐らく君は、特別な子なのかな」

 


鴒次がゆっくりと飛に振り向いた。何者なのか探る様なじとっとした視線に耐えられず、飛は口を開いた。



「あの、俺……」



「おい、今おめえのお袋の部屋に言伝頼んだからよお、それまで茶でも飲んで休んでろ」



 廊下から飛び込んできた鷲一郎が、それだけ告げるとサッサと部屋を出ようとしたので、鴒次は慌てて呼び止めた。



「ちょ、ちょ、ちょっと待って鷲さん! 待ってくださいよ、この少年少女は、誰かの隠し子なんですか? だとしたらえらいことになりますよ、だって……」



「お椋」



 しれっと鷲一郎が暴露した。



「は?」



「お椋」



「え?」



 ポカンとして要領を得ない鴒次に苛立ちながら、鷲一郎は早口で捲し立てた。



「女郎花一番の稼ぎ頭おむくの息子のトビだ、そいつぁ。客の子じゃねえ。隠し子でもねえ。胡蝶屋に入るずっと前から居たんでい。北街の元社交場・美食堂びしょくどうの若旦那……あ、いやあすこの大旦那はもう死んじまったから今は旦那の、とにかく鯒家こちやって男との倅で、今は北街に住んでる。娘の方は俺も知らねえ」



「嘘! お、お椋さん? 嘘、だって、えっ、異種と……子持ち……? えええ……」



 目を白黒させながら混乱している鴒次に痺れを切らし、鷲一郎は怒鳴った。



「とにかく、俺ぁ忙しいんだ! 今夜はふた月にいっぺんの大事な社交場解禁夜。ここで稼がなきゃ糞獅子王に馬鹿高え税金納められずに胡蝶屋は落ちるんでい! オメエも案内長の仕事に戻んな、誰か下っ端にコイツらの見張りさせろ!」



「え、見張り……?」



「異種のジャリが胡蝶屋の中ウロウロしねえように見張ってろってことでい! それから茶と飯くれえ出してやれ! 寒けりゃ火鉢も!」



 それだけ吐き捨て、今度こそ鷲一郎は飛び出していった。約束していた客人たちの所へ顔を出して回らなければならない。


 酉の刻に開かれた社交場ももう戌の刻を随分回っている。若旦那自ら客を煽てて愛想を振りまき、もっともっと高い酒と料理を注文してもらい、高い世話役をたくさん侍らせて貰わなければならないのだ。

 



 今から八十年ほど前、三代目獅子王は魚種差別撤廃宣言を出した。


 不平等な関税が掛かっていた北街はここ南街と同じだけの税金で取引できる様になった。


 しかし、今まで獣種に高い税金を納める代わりに北街には安く済んでいた南街にとっては、北街への税金までも高くなり、商いは一層苦しくなった。


 南と北、鳥種と魚種を差別していたのが悪かった。


 これからは平等社会だといえば聞こえは良いが、それならば何故、王都というだけで西街との取引は平等にならないのか。


 西街だけが特権階級として南北とは一線を画している。


 全ての商いには西街に有利な関税が、そして更に社交場ともなると、高い納税義務が課せられる。



 胡蝶屋は確かに南街一稼いでいる。社交場の客入りは他の店の追随を許さない凄まじいものだ。


 そしてそれは記録に残り、翌年もまた街一番の大店として社交場の許可が下りる。


 だが、その儲けは殆どが王都西街へ納める税金として流れていく。


 人より良い暮らしをしている自覚はある。世話役や案内役だけではなく、厨房係や雑用係に至るまで金では困らせていない。


 それでも、もっと受け取れる筈の自分たちが稼いだ大金を、王都だからというだけの理由で奪われることに納得がいかない。


 もっと自由になればいいと、鷲一郎はいつも思う。


 社交場制度や夜の営業禁止や西街への高い納税義務。そんなものがどうしてまかり通るのだろうか。


 どの店も、どの種族も、好きな様に好きな時間に商いできたらいい。そしたらもっと、街は栄える。人の暮らしは豊かになる。


 豊かになれば心に余裕が出来て、もっと人に寛容になれると、若いころからずっと鷲一郎は憤っていた。



「そうしたら、街も人も自由に交流できて、もっと繁盛するのによお」



 話には聞いていたが、お椋と一緒に暮らせない魚種の外見を持つ息子を、実際に目の当りにすると妙に感傷的にはなった。同情も多少はする。


 それでも自分が守るものはまずは胡蝶屋、そして鳥種だ。


 この大店に雇えるだけの者を雇って、それだけでも豊かにしてやると決めている。


 そしていつか言い伝えの通りウサギが現れたとしたら、絶対にその時は、鳥種の自分が王になるとも決めている。



「まあそりゃ、夢物語か」



 低く呟いて独り言ち、鷲一郎は手始めに毎度大金を落として帰る上客の一人、華族の血筋を引く大富豪の孫娘の待つ客間へ、今日一番の笑顔を貼り付けてスルリと滑り込んだ。



***




 面食らったままの表情で、鴒次は寝ている少女とその傍に座って気まずそうな顔をしている飛の頭をポンポンと撫で、部屋から出て行った。


 飛は静かにため息を吐き、少女の寝顔を眺めた。明るい部屋で見ると、目の下に隈が見えた。お椋が来たらこの少女を風呂に入れて着替えを借りられるか訊いてみようと思った。


 鴒次が出て暫くすると、飛より少し年上という風情の少年が戸を開けて入ってきた。山鳩色の髪なので、鴒次と同じく「地味」で「底辺」なのだろうか。



「初めまして。案内役の鳩兵衛きゅうべえと申します。お椋さんが来られるまで、お相手させて頂きます」



 戸口で正座して、深々と頭を下げると、盆に乗ったお茶と握り飯を静々と運んだ。


 ちゃぶ台に湯気の立つ食事を用意してもらい、飛はホッと一息吐きながら、ゆっくりと食べた。


 鳩兵衛は特に何も事情を訊いてこず、ただたまに、お茶のおかわりを勧めたり、寒くないか確認してくるだけだった。



「あの、すみません。俺のせいで他の仕事できないですよね」



 飛が済まなそうに言うと、鳩兵衛は首を振って笑った。



「案内役の仕事は、お出ましとお帰りの時間帯以外は存外暇なんです。いつもは門の前で夜通し立っていなくてはならないので、今夜は助かります」



 鳩兵衛は、魚種の自分を見て、一度も顔をしかめない。目を背けたり、見下すこともしない。


 鷲一郎や鴒次は大人だからそれを上手くやってのけたのかもしれないが、同年代の異種にこんな風に心地よく接してもらえたのは、産まれて初めてだった。


 飛はここに居ると、自分の外見を忘れそうになる。握り飯を皿に戻し、左手でそっと首の後ろを触った。


 鱗の感触がする。自分は魚種だ。本当は半分、あなたたちと同じ鳥種の血が混じっているんだ、同族なんだと言いたいほどに心地よかった。


 だけど、自分は魚種だ。外見も、そしてもう心も、自分はあの貧しくて鼠色で水に囲まれた街の人間だった。


 煌びやかで華やかで木の匂いのする温かなこの建物は、飛の劣等感を刺激して堪らない。早く母に会いたかった。



「オーッス! サカナってこの部屋?」



 ガラッと引き戸が勢いよく開けられ、待ち人と違う長身の男がドカドカと入ってきた。



「あっ! お前? 魚種? お前お椋さんの息子なんだって? え、全然似てねえ! まんま魚種じゃん! 間の子要素ゼロ! 不思議だなー」



 ど派手な赤い髪を鶏冠の様に乱雑に逆立てた大きな声の世話役・朱鷺ときは、矢継ぎ早に喋りながら大きな目で不躾に飛を見つめてきた。


 飛は先ほどとは真逆に、南街で差別にあって来た頃の気持ちを思い出し、押し黙った。


 それに気付いた鳩兵衛が、飛を庇う様にして朱鷺との間に割って入る。



「朱鷺! やめなよ、怖がってるよ」



「おーい鳩兵衛。同期のよしみじゃん。ケチケチしねえで、おれも仲間に入れてくれよお」



 それでも黙って睨みつけてくる鳩兵衛に何かを悟ったのか、朱鷺は初めの勢いを失い、静かに「なんだよ、悪かったよ」と頭を下げた。


 鳩兵衛が振り向いて飛を見てくれたので、飛は気にしてないという風に笑った。この上、可哀想だと思われるのは勘弁してほしかった。



「おれさ、こんな頭じゃん? 外見でちやほやされて生きてきてっからさ、勉強とかあんましてなくて。だってする必要ねーじゃん? この後も南街にいりゃ人生勝ち確だし。けど、ごめん。魚種の差別のこととか、あんま知らなくて。会ったこと無かったからテンション上がっちゃっただけで。でも、悪かった」



 鳩兵衛が朱鷺を廊下へ引っ張っていって、何か教えた様だった。戻ってきた朱鷺は、深々と頭を下げてくれた。飛はその姿を見て、知らない、ということが差別に繋がることももう一つ学べた。


 鳩兵衛もまた、街内一の秀才が集う学校に通い、主席で卒業した自分は、この外見の所為で人生を楽だと思ったことは無いなと、朱鷺の弁解を複雑な気持ちで聞いた。



「けどさあ! 外見が醜いとかいうけど、全然そんなことねーじゃん! おれもっとヒキガエルみたいなの想像してた。それにその、鱗? それすげえいいよ。うん」



 朱鷺が卓上の握り飯を勝手に食べながら、飛の首の後ろを指さした。若いまだ柔らかく生えそろったばかりの鱗が虹色に輝いている。



「すげえ綺麗」



 朱鷺がうっとりと呟いた。


 飛は俯いた。自分が勘違いして現実に引き戻されて、また勘違いしてを繰り返していることは理解している。


 苦しいし傷つくし、もう諦めた方が楽だということはずっと前、幼い頃に思い知った筈なのに、それでもまだ期待してしまう。



 魚種の自分でも、この外見でも、認められる瞬間を。


 種族やしがらみを超えて、個人と個人で対等に付き合える関係を期待してしまうのだ。



「朱鷺、こんなところで油売ってていいの?」



 鳩兵衛が火鉢の用意をしながら訊いた。朱鷺は少女の為に用意されていた温くなったお茶を啜りながら、



「おれ今日はもう指名ないんだ。あとは予約なしで来たお客さんの相手すればいいだけ」



 とぼやいた。



「顔にも髪色にも恵まれて、俺って人生楽勝と思って生きて来たけど、やっぱ社交場・胡蝶屋は格が違えわ。俺なんか知識も作法もまるでダメだからさ、人生で初めて死ぬ気で努力してるわ」



 力無くハハッと笑うと、飛の後ろで布団がもぞもぞと動いた。



「あれっ? そっちの白い子、起きたんじゃね?」



 飛が振り向くと、よく眠って少しだけ顔色の良くなった少女が、むっくりと起き上がっていた。



「お前、大丈夫か? 痛い所とかないか?」



 首を振り、少女が口を開いた。



「いたいとこ、ない」



「あ、お前……」



 口は利けるのか。と飛は驚いた。文字は読めず、その後もずっと黙っていたからてっきり言葉も話せないのだと思っていた。少女の声は外見よりも幼く、舌っ足らずだった。



 薄汚れてはいるものの、髪は白く、瞳は赤く、耳は垂れ下がって長い。



「鳶……それ、その子……どこで会ったの?」



 鳩兵衛が息を飲むように訊いた。飛は北街の社交場・邪気寄席の見世物小屋に出されそうになっていたところを助けたと説明した。



「マジか。お前やるじゃん。勇気あるわ」



 朱鷺が飛の背中をバシッと叩いた。しかし、鳩兵衛は青ざめて震えた。



「鳩兵衛さん……?」



「その子は、ただの奇形じゃないと思う。北の社交場に居たなら尚更……」



 口元に手を当て、鳩兵衛の臙脂色の作務衣姿が少しずつ戸の方へ後退っていく。飛が少女を見ると、少女は小首を傾げ不思議そうな顔で見返して来た。本人に思い当たる節は無いようだった。



「おい、鳩兵衛! なんだよ、ハッキリ言えよ」



「その、その子、ウサギだよ、多分。再来のウサギだよ」



 ゆっくりと戸口まで下がった鳩兵衛は、上に報告してくるとだけ告げて、静かに部屋から出て行った。


 碌に学校の授業を受けなかったという朱鷺とは違い、飛は『再来のウサギ伝説』を知っている。まだ子供向けの絵本でしか知らないが、それでも何となくは知っている。


 この世が争いばかりだった頃、神が一匹のウサギを放ち、真の王を選ばせたという話だ。しかし悪いウサギによって偽王も生まれてしまった。二人は戦い、最後には真の王が生き残った。今でも王はウサギが選んでいるそうな、という結びで終わっていたが、あれはおとぎ話では無かったのだろうか。



「お前、ウサギっていうのか?」

 


 少女に小さな声で尋ねると、首を振って



「……ぼた、ん」



 と呟いた。白い髪と赤い瞳が、なるほど牡丹の花の紅白に似ていた。


 こいつにもきちんと親が居て、名前が付けられていて、かつては一瞬でも愛されていたのかもしれないと思うと、飛は心底安堵した。


 この少女を救うことに繋がる細い縁を手繰り寄せられた気がした。



「へー。牡丹ぼたんか。お前のその耳……いや、おれは朱鷺」

 


外見についてまた何か言いそうになるのを飲み込んで、朱鷺は短く自己紹介した。



「俺は飛。もうすぐ俺の母ちゃんが来るから、そしたら風呂に入れてもらって綺麗にしてきな。飯も食べな」



 飛が残っていた握り飯をそっと渡すと、牡丹は嬉しそうに少しだけ微笑んでそれを受け取った。牡丹の笑顔が自分の心をじんわりと喜びで浸すのを感じた。



 牡丹の外見は確かに変わっている。見世物小屋に売られたのも分かる。


 白い髪も赤い瞳も垂れ下がった耳も、珍しい。恐らくどの街に行っても差別を受け、辛い思いをするだろう。


 文字が読めないのも気になる。ぼろを纏っていて傷だらけなのも可哀想だ。


 それでも今、飛は牡丹を否定する気持ちにはならなかった。


 牡丹はとても、か弱くて、控えめで、笑顔が可愛らしかった。


 有り体に言えば、飛は、この世の不幸を詰め合わせた様なこの少女を相手に、恋に落ちたのだった。


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