第7話 白髪の少女




 夜の小路を、子供が二人歩いている。

 背丈も歳の頃も同じくらいだ。浅葱色の髪をした少年が後ろをトボトボと歩く白髪頭の少女の手を引き、引きずる様にして足早に進んでいく。

 社交場解禁夜の未成年の外出は厳しく取り締まられているが、北街の道路整備は全く十分ではなく夜間警察が把握していない農道や裏道が無数にある為、他の街に比べて隠れやすい。彼らが今通っている小路も、雑木林の中にある道とも言えない道だった。

 それでも、絶対に安全だという確証など無い。少年が急ぎ足になるのは道理だった。

 背後から聞こえていた、引きずる様な足音が急に無くなり、繋いだ手がぐんと重くなった。少年が振り向くと、少女は地面に膝をつき、苦しそうに唸った。

「もうすぐ街境に出る。あとちょっとだ」

 少年が少女を強い語調で促す。少女は真白の髪の毛を揺らしながら何度か頷いたが、疲れが顕著に表れていた。肩は震え、無造作に切られた髪の隙間から見える項には脂汗が浮いている。

「おい、どうした?」

 あまりにも苦しそうな様子を見て、少年の声が和らぐ。

「大丈夫か? 具合、悪いのか?」

 俯いたままの少女の背をさすり、顔を覗き込むと少女は無理をして少しだけ微笑んだ。

「担いでやるよ、乗っかれ」

 少年が膝をついて背を見せる。少女は驚いたように首を振ったが少年は顎で急かす。

「早く。見つかったらどうすんだ」

 どうしたら良いのか分からずに青ざめた顔のまま狼狽える少女の気持ちを少しでも和らげるため、静かな声で少年は促した。

「大丈夫だから。早くしな」

 少女はおずおずとその背に手をかけ、倒れこむように体重を預けた。少女が顔を埋めた少年の項には魚種特有の虹色に光る鱗が一筋、まだその若さを主張する柔らかさで並んでいる。少女はその小さな花弁の様な皮膚を朦朧とする意識が眠りに着く僅かの間、ぼんやりと眺めた。

「寝たのか」

 少年は同じ年頃の子供よりも体力のある方だが、それでも殆ど背丈の変わらない人間を背負って舗装されていない夜道を歩くのは骨が折れる。それを苦とも忌々しくとも思わないのか、小さな寝息を立てる少女を肩越しに見遣るまなざしは柔らかい。負荷が掛った体は先程の歩みの倍はある速度で小路を進んでいく。少女を気遣って彼なりに精一杯抑えていたつもりだったが、本当は一刻も早く北街の街境を越え、目的地である南街の胡蝶屋へ辿り着きたいのだ。

 夜間警察に捕まれば、子供でも保護という大義名分で監獄へ入れられると聞いた。家族も厳しく尋問や取り調べを受け、親に監督不行届の処罰が下されることもあるという。少年の家族は父親一人だが、家業は大昔から代々続く老舗料理屋だ。

 何十人という従業員やその家族にも迷惑がかかるかもしれない。問題を起こせば顧客離れも進む。常日頃から父にそう諭され厳しく躾けられてきた少年には、自分の身が自分一人のものではないということは重々分かっていた。

 それでも今夜のこの浅はかで危険な行動は、慎むわけにはいかなかったのである。

 少年は焦燥感に耐え切れなくなり、とうとう走り出した。派手な足音は立てられないため全速力でという訳にはいかないが、人一人を背負っているにしては随分なスピードだ。

「神様、見逃してください」

 湿った裏道を走りながら、少年は無意識に心の内を唱え続けた。

「どうか、こいつを助けてください」

 幸い、祈りの言葉は荒い息の中に消え、すぐ脇の大通りを警邏する車両までは届かなかった。


 事の発端は北の社交場、邪気寄席ざけよせの蔵へ侵入しようという悪戯心だった。

 社交場解禁夜の日は街中が夜を中心に動く。社交場以外のありとあらゆる店は休業日となり、学校も昼前には切り上げられる。

 真っ直ぐ帰宅する様に耳にタコが出来るほど言い聞かせられはするが、遊び盛りの子供たちが言うことを聞く筈がない。空き地に溜まり、空腹になるまで暇を潰すのがいつしか習慣になっていた。

「オレ、邪気寄席に行ってみてぇなあ」

 解禁夜ということもあり自然とそんな話題になった。一人がそう言いだすと周囲の子供たちも皆こぞって同意した。

 ただ一人、浅葱色の髪の少年、トビだけを除いて。

「なんだよ飛、お前、行ってみたくねーのかよ」

 級友の一人、周りより頭一つ分大柄な、坊主頭の蛸八トビが芝居がかった大声で仰け反った。鯒家こちやの一人息子、飛は益々押し黙る。周囲は皆首を傾げた。

 北街は貧しい街だ。学校へ通うことの出来る子供たちは限られている。漁業が地場産業のこの街で、皮肉にも漁師は貧困層。中流階級以上の家庭はその殆どが店を開いている家だ。店を開いている以上、いつかその最高栄誉である社交場に選ばれることを夢見て暮らしている。家庭の中でも自然と邪気寄席の話題は上るのであろう。

 中流階級ということもあり、親が社交場へ出向いている者も少なくない。子供には絶対に社交場で何が行われているのか漏らすことはなかったが、噂話は何処からでも立つものだ。

「おれ、聞いたことあるぜ。邪気寄席って、なんかすげー珍しい動物を見せたり競りにかけたりするらしいぞ」

「うわ、面白そう。おれ一度でいいから見てみてぇ」

「オレも、オレも!」

 皆が盛り上がる中、飛は一人ぽつんとしていた。出来ればこの場を離れてさっさと家に帰りたかったが、目立った行動をとって何某かの邪推をされるのが嫌だった。

 その内に誰かが言った。

「なあ、今日の解禁夜で見せる動物って、もう仕入れてんじゃねーの? こっそり覗きにいかねぇ?」

 退屈な筈の時間が急に面白くなり、子供たちは俄然盛り上がった。あっという間に話が纏まり、全員で邪気寄席の蔵へ忍び込む算段が組まれた。

「ねえ、飛。どうする?」

 一人の華奢な少年が、仏頂面で騒ぎを静観している飛に近づいて小声で訊いた。

 鼠色の長い前髪の間から覗く視線は、この計画に怖気づいているというよりも飛の家の事情を知る数少ない友人としての同情の色を帯びている。露骨に気遣われ、飛は深い溜め息を吐いた。

うぐいは行ってもいいぜ。俺は親父に仕込み頼まれてるから、帰る」

 鯏が何か返そうとするのを遮って蛸八が驚いた様に飛を見た。

「お前本当に来ねえ気かよ? 良い子ぶりやがって」

 蛸八は身長も体重も自分よりは小さい飛に、力比べで勝てたことがなく、何かにつけて突っかかってくるのだった。腰巾着の同級生たちは、この計画から誰か一人が抜けることで告げ口を恐れている。安い挑発や野次に乗るタイプの性格ではない飛だが、喧嘩になるのではと焦った鯏が

「いい加減にしなよ! みんな知らないかもしれないけど、飛の家は昔ねえ!」

 と、言い返したものだから結局「分かったよ、行くよ」と言うしかなくなった。普段気の弱い鯏が大きな声を出したのに少し面喰った様だったが、抜ける者は居なくなったと分かると、同級生たちはまたああでもない、こうでもないと邪気寄席の蔵への侵入方法を話し合い始めた。

「……おい」

「ご、ごめん。僕、つい」

 苛立った顔でじとっと睨まれ、鯏は首を竦めた。気は弱いが優しさのある鯏がこういう空回りをすることは良くある。飛は鯏のそういう部分を別に嫌ってはいない。それでも責めずにはいられなかった。それほど、邪気寄席という場所を嫌悪している。

 父親から愚痴を聞かされたことがある訳ではない。むしろ、鯒家は息子に十六年前にどのようにして社交場が交替になったのかも伝えなかった。飛が太刀との因縁を知ったのは、つい二年ほど前のことだ。教えてくれたのは古株の板前だった。

 飛は父がどんなに仕事に気を遣い、伝統の味を守っているかを知っている。もう一度美食堂びしょくどうを社交場に返り咲かせる。その目的の為に人付き合いをせず、唯一の家族である自分とも仕事の話しかしない。

 いつ休んでいるのか一緒に暮らしている自分ですら把握できない様な生活の中に、何の楽しみがあって生きているのだろうかとずっと疑問だった。その理由を知ったからといって、父に対する反発心や寂しさから起こる憎しみが消える訳ではなかった。むしろその秘密を自分に打ち明けてはくれないということが父に対する大きな猜疑心を生んだ。

 飛がそれでも板前の修業を、それまで以上に励んでいるのには理由がある。父をそんな心の無い人間に変えてしまった邪気寄席に打ち勝つには、やはり社交場の地位を奪還する他ないということが分かっていたからだ。

 その憎い敵である邪気寄席に、何が嬉しくて潜り込まなくてはならないのか。そんな飛の馬鹿馬鹿しく思う心とは裏腹に、同級生たちは俄然盛り上がってきた。蛸八が意気込む。

「それじゃ決まりな。動物の世話のために係が出入りする隙に忍び込むぞ」

 任されている仕込みは、そう大変なものではない。芋の皮むきや野菜の泥落とし等の雑用だ。それでも仕事に妥協は許さない鯒家が十歳の時には既に板場に飛を入れるくらいに、任された仕事はきっちりとこなして来た。時間は惜しい。

 鼻息荒く邪気寄席の塀を乗り越えている同級生たちを

「おい、俺は仕込みがあるんだよ。さっさと覗いて、さっさと帰ろうぜ」

 と急かす。

「おい飛、ビビってんのかよ」

「だったらなんだよ。解放してくれんのかよ」

 普段よりも心持ち表情の硬い蛸八に顎をしゃくってやると、

「ふざけんな。お前が先頭いけよ」

 と震える声で一蹴された。まだ昼過ぎだというのに、蔵の立ち並ぶこの辺りは鬱蒼としており、生え放題の雑草と昨夜の雨でぬかるんだ土が子供たちの足を重くさせた。

「あ、おい、誰か来たぜ」

 声に振り向くと、赤毛の男と茶金の髪の女がこそこそと蔵の中へ入っていくのが見えた。南京錠が開けっぱなしになっているのを確認し、飛を筆頭に全員でゆっくりと侵入する。そして殿の鯏が滑り込もうとしたとき、突然強風が吹いて扉が激しく音を鳴らしながら閉じ始めた。

「やべえ! 逃げろ!」

 大きな音に驚いた少年たちはまだ入ってもいなかった鯏を押し出す形で蔵の外へ駆けだした。一瞬出遅れた飛の目の前で、蛸八がにんまりと嗤いながらゆっくりと扉を閉めるのが見えた。

「捕まって大好きな親父に迷惑かけねえようにな!」

 飛が怒りのあまり怒鳴る前に、外から南京錠を嵌めるカチンという音がした。

「クソ、蛸八の野郎」

 真っ暗になった蔵の中で飛は激しく後悔していた。鯏は蛸八に意見は出来ても喧嘩では敵わない。そもそも鍵を持っていないのだから、成す術もないだろう。暫く扉の前に蹲っていたが、やがて先程入った男女の探る様な足音が近づいてきた。飛は取りあえず近くの間仕切りの内側へ身を隠した。

「鯉市、扉が閉まってるわよ」

「まずいな。ここの鍵は、ボクと叔父貴しか持ってないんだ」

 鯉市と呼ばれた先程の赤毛の男が、焦った様にキョロキョロと辺りを見回しながら飛のすぐ前を通っていった。外側から施錠された扉をガタガタと揺すり、拳で叩きながら

「おーい! 誰かそこにいるのか? いるなら開けてくれ!」と叫ぶ。

 音を遮断する構造で作られている上に、外側から誰かが施錠してしまったとあれば、不審に思ってこの蔵を訪ねてくる者も暫くはないだろう。社交場が始まってから鯉市が準備しておく筈の「家畜」たちがいないことに誰かが気付いてから、ようやく騒ぎになるといったところだ。

「人の声も少し聞こえたし、多分他の作業員が締め忘れだと思って気を利かせたんだろ」

 諦めた声音で吐いた深い溜め息と舌打ちが聞こえた。忌々しげに扉に凭れかかった男と視線が合いそうになり、飛は身を縮めた。間仕切り一枚の距離では見つかるのも時間の問題だ。もう少し離れた場所で扉が開くのを待つ方が懸命に思える。

 でも、この距離じゃ動けない。

 飛は嫌な汗を浮かべながら、機会を伺うことにした。そのうちに、男の方が沈黙を破った。

「しまった。さっきの檻、扉だけ閉めて鍵をするのを忘れたな」

 赤毛の頭を面倒そうに掻きながら呟く男の方へ、女はゆっくりと腕を伸ばした。

「私あそこへ戻るの、少し怖いわ」

 そう言いながら、男の首に抱きつき、震えた様だった。

「まあ、あいつらには枷だけじゃなくてヤクも何種類か打ってるんだ。意識朦朧、夢か現かって感じであんまり騒がないだろ? 手足にも相当ガタが来てると思うな」

 女の茶金の髪の毛を優しく梳く。くすぐったそうにその手をやんわりと払いながら、女は男の腰に手を回した。

「なあに? こんな時に」悪戯っぽい声でくすくすと笑う。

「夜までまだ何時間もあるんだよ。退屈じゃないか」

 二人の声が闇に溶け込んだ溜め息の様に深くなっていくのを、飛は生唾を飲み込みながらじっと聞いていた。二人がもう少し夢中になり始めたら、逃げるチャンスかもしれないと高揚する気持ちを抑えながらじっと様子を伺う。

亜海鼠あこ、ボクがさっき言った意味、ちゃんと判ってる?」

 鯉市が亜海鼠を扉に抑えつけ胸のあたりに顔を埋めた。声がくぐもって、甘くなった。

「君に邪気寄席の実態を受け止める覚悟はあるかって、アレ?」

 相変わらずくすぐったそうに身を捩りながら、亜海鼠も俯き、鯉市の赤毛に顔を埋めた。今だ、と飛は慎重に腰を上げ、身を屈めながらそろりと、しかし素早く間仕切りの外へ出た。

「そう。ボクと結婚してほしいんだ。叔父貴が死んだ後、ボクと一緒にこの店を継いでほしい」

 背中で聴いたプロポーズに、女がなんと答えたのかは聞こえなかった。

 三つ先の間仕切りの中に一旦身を隠した飛の口を、自分と同じくらいの少女が両手で塞いできたからだ。

「っ!」

 私は敵ではない、ただここに隠れていただけだ。そう訴えかけてくる弱々しい瞳の色は、この暗闇の中でも宝石の様に薄明るく煌めいている。口角も広くない。魚種でないことは一目瞭然だった。薄ぼんやりと浮き上がる白い髪は背中の中ほどまで長く垂れ、垣間見える耳は下に垂れ下がっている。

 獣種の特徴も鳥種の特徴も無い。奇異な外見だったが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。それに飛は、異種同士の産んだ子供の場合は両方の血が混じってどちらにも似たり、どの種族にもない変わった特徴が出ることがあると知っていた。

 真っ直ぐに少女を見返し、一度頷くと、少女は身体の力を抜きながら両手を静かに降ろした。それから安心した様にほんの少しだけ笑った。飛はハッと目を見張った。たった少しの表情の動きなのに、花が開く瞬間を見た様な衝撃だった。そのくらい美しかった。

 暗闇に慣れてきた目で、土壁に指で「どうしてここにいる?」と書いてみた。少女を振り返ると、大きな目を逸らさずに小さく首を振るだけだ。さっき自分の口を抑えてきた手には指がついていた。それでも書けないとなると――文盲か、と考えついてから飛は自分で驚いた。

 北街では学校に通えない子供たちもかなり多く居るが、それでも読み書きと簡単な計算だけは出来る。親兄弟が生活のために教えているのだ。そのくらいは出来なければ生きていけない世の中だ。ここがどんな施設で、この少女が何故自分と同じ様に隠れているのかは判らないが、きちんとした保護者がおらず、教育を受けて来られなかったことは容易に想像できた。

 整った美しい顔立ちをしているのに、肌には細かい擦り傷がたくさんある。大人用のシャツの様なぼろを見に纏っただけの身体は随分痩せている。おまけに裸足で、近づけば僅かに饐えた匂いがする。

 孤児か何かで、施設から逃げ出して来たのだろうか、と飛は考えた。しかし例え美しかろうとも種族の判別が難しいこの外見ならば、親元からでさえ逃げ出したくなるはずだ。飛は、自分が幼い頃を過ごした南街の人々の異種を見る冷たい目を思い出して思わず震えた。

 母親が仕事に行っている間、自分は同年代の子供が預けられる託児所ではなく、家の中で女中に世話されていた。自分も友達と遊んでみたいと空想しもしたが、街ですれ違うだけでも自分の外見を蔑視され続け、徐々にその空想も枯れていった。

 飛は学校に上がる少し前に、大好きな母親と別れ北街の父方へ引き取られた。運良く鳥種の特徴を一つも受け継がず魚種そのものの外見で生まれた自分は、北街でようやく差別されることなく一人の人間として認めてもらうことが出来た。

 目の前の少女は、どの人種とも共通点が無い。自分と同じ様に異種の間の子だとしても、そのどちらの親にも全く似ず、親からも愛されなかったのかもしれない。そうでなければ、傷だらけで薄汚れて文字も読めない様な境遇には陥らないだろう。

 飛は出そうになる溜め息を飲み込み、後頭部をガシガシと掻いて苛立ちを紛らせた。

 少女は飛に何かを伝えようとはしてこなかった。何処か焦点の合わない目でただぼんやりと見つめてくるだけだ。飛は焦れて、試しに相手の手に、ゆっくりと触れてみた。

 その瞬間、怯えた様に肩が上がった。それからさっきまでとは違う固い眼差しでこちらを凝視しながら身体の力を少しずつ、抜こうと努力しているのが分かった。

先程は飛の口を塞ぐ様なことをしたのに、受け身になった途端に触れることが恐ろしくなったのだろうか。

 ここにこいつを置き去りにして、こいつは果たして無事に逃げ切れるのだろうか。

 少女の顔には、飛に縋る様な表情は浮かんでいない。少女は自分に助けを求めてはいない。それだけは、はっきりとしているのに、それでも飛は少女の掌に触れさせた自分の指先を動かせずに居た。

 湿度の高くなった蔵の空気と意識の向こうで微かに聞こえる水音が飛の庇護欲を掻きたてる。こんな汚い所に、留まらせてはおけない。 

 少女の傍にゆっくりと寄り、白い髪のかかる耳に唇を寄せた。

「……おれと、いっしょに、いくか?」

 蚊の鳴く様な声でそう訊くと、少女はゆっくりと大きく一度頷いた。口をぐっと結んで飛も深く頷いた。

 この蔵は一体何なんだ。こいつは何をされたんだ。他にも何かを隠しているのだろうか。一体邪気寄席とは何をやっている社交場なのか。

 それから夜になるまで、本当に助けは来なかった。扉の前で情事を済ませ、休んでいたらしい二人が邪気寄席の下っ端らしき若者に呆れられながら身支度する音を注意深く聞き、飛と少女は間仕切りの裏で息を潜めた。

 蔵の扉が開いたことで隙間明かりが入り、傍らの少女の瞳に美しい真紅が灯った。

 そしてその美しさが、身なりの悲惨さをより一層克明にした。綿雪を思わせる真白の髪の毛はふわふわと緩い曲線を持っているものの不揃いで、毛束によって背中の中程だったり耳の下辺りだったりと長さがかなり違っている。そしてその毛先は、燃えてちりちりに痛んでいたり刃物でざっくりと切られていたり汚れでくっついていたりと、様々だった。身に纏ったぼろには泥汚れの他に、茶色く渇いた血の染みが至る所に散っている。

「それじゃあ、急いで運びます! 兄さんは頭の部屋へ行ってください。お話があるみたいですから」

 自分たちの間仕切りの中など見向きもせず、下っ端が奥へ走っていき、変な形をした鳥がたくさん入った籠と首の三つある犬の入った檻を台車に乗せて蔵の外へ出て行った。

「行くぞ」

 短くそれだけ告げ、飛は振り向きもせず少女の手を強く掴んで蔵の外へ駆けだした。

 煌々と輝く大きな月に照らされ、二人は脇目も振らずに塀を越え、闇に紛れて消えた。

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