第6話 夜府座


石畳の道路を靴音高く、歩く。



「あおいちゃん、再兎さと、こんなにワクワクしたことない」



 嬉しそうにはしゃいで自分の腕を抱きしめる再兎を、青猪あおいは物憂げな気持ちで見ていた。


 再兎を自分の手に預かってから六年。再兎を一般人から隔離するために雲の上に閉じこめていた青猪もまた、貴族と関わることの無い生活をしてきた。


 長い間敬遠していた社交場へ赴くことに自然と心が暗くなる。何も案ずることはない。


 来るべき時が訪れただけのことだと、胸中で自分に言い聞かせ、青猪は再兎の明るいおしゃべりに精神的に凭れ掛かりながら何とか夜府座まで到着した。


 重厚な外観の西洋屋敷、ベルベットの赤絨毯。金細工の手すりに着飾った貴婦人達。

 

 再兎は玄関口から垣間見える夜府座の姿に見惚れていた。



「あおいちゃん、ここ、すごい。すごく綺麗。どうして今まで連れてきてくれなかったの? こんな素敵な場所」



「僕は社交場が好きじゃない」



 普段の穏やかで何にも囚われていないような彼とは、取り巻く空気がまるで違う。


 再兎は、はしゃいでいた自分が恥ずかしくなり、笑顔のまま俯いた。



「少し待っておいで」と再兎の手を離すと、そのまま一人で夜府座の入り口へと向う。



「招待状を拝見させて頂きます」 



 受付にはカクテルドレスを纏った長身の女性と、燕尾服を着込んだ初老の男性が並んで立っている。


 黒髪あるいは白髪と、年齢的な違いはあれど、瞳は一様に黒く、耳先は尖り、しなやかな体躯は獣種として象徴を顕わにしている。


 それはこの受付員だけではなく、今ここに集っている全ての人間に言える特徴でもあった。


 青猪は、胸ポケットから赤い刻印の押してある封筒を取り出すと、黙ってそれを近くに立っていた女性の方に渡した。


 手慣れた手つきで開封した受付嬢は、やがて書面を確認すると同時に、ふっと青ざめた。



「そんな」



 唇を震わせてその場に座り込みそうになった女性を傍らの男性が支える。それから訝しげに青猪の全身を隈無く凝視した後、震える女性の指に乗った書状を覗き込む。


 ところが素早く簡素な文面を五往復ほどした後、見る見るうちに初老の男性も青ざめていった。


 それから驚愕の面で青猪と書面を交互に見る。見上げる形になっているのは、男性もまた膝が崩れ始めているからであった。



「こっ、これは、サライの大使状! しかしまさか、こんな若者が」



「失礼、通りますよ。よろしいですね」



 受付がへたり込んでいるのを、青猪の後ろに並んでいる貴族達が怪訝そうに覗き込んでくる。


 青猪はこれ以上目立つのを恐れて、囁くように受付員に告げながら、書状を抓んで懐へ戻す。


 彼らはこくこくと首が馬鹿になったように幾度も頷く。

 

 その目はまるで、青猪自身を破滅の使者であるかの様に見ていた。青猪はひどく気分が悪くなった。


 踵を返して足早に列の脇の後ろの方で待っていた再兎を迎えに行き、手を取って駆け抜けるように夜府座の中へと滑り込むと、二重になった先の扉を開く。

 


 ワッ! と、その途端、劈くような歓声と金属音がうねりとなってか細い二人を圧倒した。


 とりわけ聴覚の優れている再兎は、青猪に抱えられるようにして館内に入った途端、鼓膜が破れた様な錯覚を受けた。



「耳がいたい!」



 思わず叫んだ少女の口を、言い終わらぬ内に青年が手で塞いだ。突然の力業に驚き、再兎は激しく咳き込んだ。



「静かに。目立つようなことはしないで」



 再兎は自分に関心を見せない青猪を初めて見た。


 解放された口元を今度は自分で覆いながら、そっと顔色を窺ったが、表情が無く、青猪が何を考えているのか全く読めない。


 憧れの夜府座の、その実態は、どのくらいの広さなのか見当も付かないカジノホールであった。


 既に相当の客がゲームを始めていて、荘厳ささえ漂わせていた外観からは想像もつかない盛況振りである。


 ホールの周囲にはいくつもの個室サロンがVIP席さながらに整えられていた。


 傍らではブラスバンドの生演奏が流れ、ダンスフロアで踊る者たちの姿や数えきれないほどの立食用のワゴンが見える。



「あっ。あおいちゃん、葡萄がある」再兎のカラーコンタクトが煌めいた。



 葡萄は青猪の好物だ。


 様子の可笑しい彼を少しでも和ませようとした再兎を青猪は相手にしなかった。


 人目を常に気にしながら、再兎を引きずるように奥の階段へと進んでいく。



「再兎、よく聞いて。僕たちにはこれから大切な用事があるんだ。陛下にお会いするのに騒ぎを起こしたくない」歩きながら青猪は囁いた。



「葡萄を食べたら、元気がでるかも……」



「再兎! きちんと聞いて。そんなもの、後で買ってあげるから」



 自分の話が、一蹴されてしまったことに、初め再兎は気付くことすら出来なかった。


 声が聞こえなかったのだろうかと思った。


 いつもの青猪なら、再兎の話す一つ一つの小さなことに必ず耳を傾けていたからだ。


 静かな部屋で、のんびりと二人きりで、再兎の中のどんな小さな変化も見逃すことはなかった。常に、青猪の全神経は再兎に向かっていた。



 けれど青猪が何年も再兎のためだけに注いできた神経は、今や再兎以外の様々なものに対して、あまりにも順応性を失っていた。


 貴族たちの中でどうやって息をしていたのか思い出せない。



「再兎、早く行こう。気分が悪い。用を済ませて早く帰ろう」



「ちょっと待って! 待ってよ、あおいちゃん!」



 青猪は、青ざめた顔をして再兎の手を引き、階段を上ろうとした。


 しかし再兎には、話が見えてこない。反射的に拒絶方向へと手を引っ張り返してしまった。


 

 生まれて初めて下界へ出た。生まれて初めて無視をされた。


 その二つだけがぐるぐると回って、小さな頭はもう爆発しそうだ。


 けれども青猪は自分の中の不安と戦うことに精一杯で、再兎の大きな変化に気付くことが出来ないでいる。



「再兎、言うことを聞くって約束はどこへ行ったんだい」



 カチンと、火花が散ったような感覚が、再兎を襲った。こちらを見ようともしないで、青猪はそのまま階段の方へ尚も進み再兎を力ずくで引きずっていく。



「ねえ! どうして? あおいちゃん!」



 煌びやかな世界と青猪への困惑が作ったぐるぐるは、一瞬で苛立ちに取って変わってしまった。



「ねえってば! まってよ、ねえ!」


 先程具合の悪そうな青猪を気遣って折角飲み込んだ言葉を、再兎は青猪に、自分のことを顧みて貰いたい一心で叫んだ。



「サライの大使って、なあに?」



 周囲の貴族達が、その言葉を恐れて大仰に振り返った。青猪はむしろ固まったように動きを止めてしまった。


 スポットライトが当たったように、再兎の言葉はひどく台詞めいて聞こえる。


 しまったと、青猪は後悔した。しかしその後悔はもはや遅すぎたのだ。



「どうして……それを」知っているのかと。愚問だった。眩暈がした。



 再兎の耳の良さなど、随分昔から知っていたというのに、あろうことか青猪は、自分の大切な秘密を、受付で係員に口外させてしまっていたのだった。



「?」



 再兎は、今自分を襲っている青猪の焦燥の由来を知らない。だからこそ、ただひたすら、構って欲しくて言葉を続けた。



「再兎にも教えて! サライの大使って」



 どうしようもなく目立つソプラノが夜府座を貫く。不穏な空気が、張り付きゆく湖面の様に周囲の色を瞬時に変える。



「黙って。お願いだから!」



 掠れた低い声で、青猪は必死に大声で叫びたい衝動を抑えた。


 念願叶ってようやく振り向いた青猪はしかし、見たこともないような青い顔をして、汗をびっしょりと掻いている。


 それでも青猪の訴えかけ空しく、再兎と青猪を中心とした波紋を止めることは出来なかった。



 夜府座は忌まわしい言葉を耳にして、静まりかえっていく。


 チップの擦れる音が減り、ディーラーの声が止み、客たちの小声が静まると、一番最後にブラスバンドの演奏が消えた。



「サライの大使って、なあに?」



 ここまで人々が驚愕するものとは一体何なのか。周りの反応を不思議そうに見回していた再兎が、もう一度訊いた。


 無邪気さが痛々しい。


 見上げた青猪の表情は、もはや絶望で能面の様になっていたが、何も教えられていない再兎には、その理由すら推測出来ないでいる。

 

 何を何処から話せばいいのか分からないから、何も告げずにここまで来たというのに。


 この小さな少女を傷つけるのが怖いから、誰にも悟られないように細工したというのに。

 

 言葉が出てこなくなった青猪は、ショックで強張った手を勢いよく再兎に伸ばし、そのまま抱き寄せた。



 誰かから、何かから、自分たちを包む恐ろしいものから、再兎を守りたかった。



「あおいちゃん?」



 はっとしたように、再兎が小さく呟いた。その幼い声にすら、周りの人間はびくりと反応する。


 青猪は再兎を抱きかかえたまま、ぎゅっと目を瞑って人知れず身を震わせた。


 夜府座の全ての視線が、今、再兎と青猪に向けられている。


 よりによってここは西街中の貴族の集まる社交場解禁夜。学のある人間ならば腐るほど居るのだ。皆、すぐに気付くだろう。

 

 サライの大使が居るのなら、その傍らの少女は、まさしく再来のウサギだと。

 

 遠くで、女が短く叫んだ。

 

 そこを中心に波紋が広がる様に動揺と恐怖とで夜府座が揺れた。

 

 固く目を瞑っても、自分たちの体中に突き刺さる視線を感じる。


 再兎を愛おしく思い始めてからずっと、どんなに守ってやりたくても、いつかはこうして貴族たちの好奇の目に晒されるのだと覚悟はしていた。


 しかしそれでも青猪は昨夜、美容技術の進んでいる南街から取り寄せた薬剤で白色だった再兎の髪の毛を何度も何度も黒く染めた。

 

 少しでも目立たない様に、少しでもこの子が傷つかない様に。



「たとえウサギでも、この子は生きている」



 喉の奥から振り絞る様に出た青猪の呟きが腕の中に潜む再兎の良い耳を震わせた。


***


考えてみれば、今朝の青猪は、様子がおかしかった。


 小さな再兎の身体が埋もれる程のふかふかのベッドに暖かな日差しが差し込む時間になると、青猪は静かに寝室のドアを開け、優しい声で自分を起こしに来る。再兎の物心付いた頃から、その朝は変わらず毎日あった。


 二人の家の内装は最高級の調度品に囲まれた重厚な雰囲気だが、唯一寝室にだけ自由な彩りが施してある。


 二人で塗ったムラのある濃紺の壁紙と天井に、無数に散りばめられた小さな金星たち。


 天空に浮かぶ二人だけの世界が消灯した後も、寝苦しく目覚めた再兎を、或いは青猪を和ませてきた。


 毎日は楽しいことと優しい言葉だけで形作られていて、たくさんの本や美しい映像と小さな庭、窓から見える外界の景色が六年の歳月をかけて再兎を染め上げていったのだ。


 青猪が自分を否定したり、拒んだり、叱ったりしたことは一度も無く、そんな日が来ることを想像したこともなかった。


 あの壁にペンキを塗りたいと我儘を聞いてもらった日、青猪は再兎に笑いかけた。



「もう少ししたら、街へ連れて行くよ」



 自分が大人になったから、そう言ってもらえたのかと思っていた。


 昨夜、自分とお揃いにしようと言って再兎の髪の毛を黒く染めた青猪の表情はいつもと変わらなかった。


 穏やかで、寛容で、ちょっと悪戯好きな青年だ。


 絵本の主人公の持っていた父とも兄ともボーイフレンドとも違う、それを超越した存在感で自分の中心に据えられた存在。

 

 しかし今朝、色素の薄い瞳が朝日の眩しさに耐えられなくなってからも、青猪は再兎を起こしには来なかった。

 

 そっと一人で起きた再兎がすぐ後ろで自分の背中を見詰めていることにも気付かずに、青猪は太陽に背を向けた方角へ祈りを捧げていた。


 再兎の知らない言葉で、何かから逃れる様に、床に膝をつき、腰を折り曲げ、終わらない真言を唱え続けていた。

 

 今思えば、青猪は今日のこの夜を怖がっていたのだ。


 一体何が怖いのか、考えながら、青猪の腕を強く掴む。青猪はそれに気付いて一層身を固くした。


「何を騒いでらっしゃるの」 



 しかし磨き抜かれたフロアに蹲る青猪と再兎に投げかけられた最初の言葉は、想像とは違っていた。


 第一声で何百人もの貴族を静まり返らせる若い声がフロアに響いた。



「わたくしのお客様よ。お通しして頂戴」



 凛としていながらも、どこかまだあどけない声。


 顔を上げた青猪の視線の先には、絹のドレスに金のリボンを締め、アーモンド形の大きな瞳を強く見開く女性の姿があった。頭上に小さな金のクラウンを乗せ、緩やかな丸みを作りながらも肩上で一思いに切り揃えられた黒髪が潔い。


 青猪と同じく齢十八にして、しかし王位継承者の風格を備えた第十五王女、馬綾まあやである。



「お久しぶりですわね。青猪様。お父様もお待ちかねですわよ」



 何事も無かったかの様な立ち居振る舞いに、周囲の者たちも半ば唖然としていた。


 何より、成人しているとはいえ、うら若き姫君が社交場に単身で姿を見せたこと自体が異様な光景として口を挟む機会を許さなかった。



「馬綾、様」



「お連れの方も、どうぞ」



 王女は訳の判らぬ顔をしてようやく立ち上がった再兎にも一瞥を与えてから毅然とした態度で踵を返し、緞帳の奥の階段へと向かった。


 青猪は再兎の手をしっかりと握り、逃げる様に馬綾の元へと走り寄った。



「失礼ながら殿下、この者たちが御客人とは何かの間違いではございませんか」



 夜府座の客たちが固唾を飲んで状況を見守る中、奥へ続く赤絨毯に燕尾服の男が立ちはだかった。


 馬綾の唇は舌打ちを我慢して変な形を作り、青猪はぎくりと固まる。

 

 三十歳過ぎといった外見の、青猪の知らない顔だった。


銀縁のフレームに薄っすら色づいたレンズの眼鏡越しに、冷やかな眼差しを向けてくる。



「わたくしのお客様だと、わたくし自身が申し上げましたわ。その歩みを止めてまでしなければならない忠告でして? P」



 馬綾は二十センチは優にある上背の差を忌々しげに、顎を上げて睨みつけ。しかしそれにも怯まず、Pと呼ばれた男は大観衆の注目には頓着しない様子で続けた。



「この者たちは先程、サライの大使について話をしておりました。新たな王を決めるとされる、再来のウサギを引き連れて来る者の名でございます。世間話に出てくる言葉とは思えません。見れば、解禁夜には相応しくない未成年も引き連れているではありませんか。本来であれば夜間警察に通報しなくてはならない事態。そんな不審な者が、恐れ多くも陛下や殿下の御客人とは、何かの間違いとしか」



「では貴方は、ここに居るお二人は反政府組織のスパイか何かが変装している偽者だとでも仰るの?」



「可能性は高いかと」



「無礼が過ぎてよ」



 しゃあしゃあと口にするPに馬綾は不快感を露わにして声を強めた。



「冗談はよして頂戴。『解禁夜の月の下、再来のウサギが王家を滅ぼし新たな王を立てに来る』だなんて縁起でもない。お父様がご健勝でらっしゃるのに次のウサギが代わりの王を選ぶ訳がありませんわ。その様な無礼、貴方の方がよっぽど『木天蓼』みたいでしてよ。大体その子はどう見たってわたくしたちと同じ獣種ですわ」



 馬綾の言い草に、先程までサライの大使という言葉に恐れ戦いていた夜府座の客たちは、一様に頬を綻ばせ堪えていた溜め息を吐いた。


 王女の意を汲む様に、あちらこちらでディーラーがカードやルーレットをいじる音が立ち始める。


 ざわつき始めた周囲を軽く一瞥し、Pは目を細めた。

 

 周囲の注目が逸れた空気を読んで、馬綾は青猪に目配せするとさっさとPの脇をすり抜けて奥へと歩を進めた。青猪と再兎も倣って足早に後を追った。



「馬綾様、まだお話は」



 Pの「しまった」という表情が早いか、馬綾は鬼の様な形相で「誰がその名を許しましたの?」と振り向いた。



「随分と無礼を重ねますわね」



「申し訳ございません、殿下。しかしながらそのような不審な者たちを殿下のお傍に置くわけには」



「くどくてよ」



 馬綾が足早に緞帳の奥へと消えると、Pは静かに口元へ手首を当てた。


大衆の目前で馬綾にはっきりと否定させることで、何とか夜府座内が大騒ぎになることを防いだが、一歩間違えば今夜の計画は無に帰す。


浮世離れした子供の様なサライの大使の振る舞いが、あまりにも想定外で思わず助け舟を出してしまったが、なるべく目立つ行為は避けなくてはならない。


「予定通り、ウサギが王宮に入った」


夜府座の華やかな音の中でPの呟きが小さく落ちた。



 螺旋状になっている階段を上っていく内に、夜府座が再び何事もなかったかの様にざわつくのを耳にしながら、青猪はうっすら滲んでいた涙を拭った。



「たかが社交場の奥階段に進むのに、一体あの騒動はどういうことですの?」



 階段を上りきると、仁王立ちした馬綾が心底呆れたという表情で二人を出迎えた。



「ウサギだと分からない様に獣種に似せ、高級な物で身を包み、つまらぬ警備に引っかからない様にサライの大使状まで持たせた筈ですわよ。それが何故、民衆に取り囲まれる事態になるのか、わたくしにはさっぱりですわ! 青猪!」



「馬綾、様、申し訳ございません、その、六年ぶりの下界で僕も気が動転してしまって」



「仰々しい。昔の様に呼び捨てでよろしくてよ。そんなことより、伝説のウサギがのこのこ王家に訪れたら可笑しいでしょう。嗅ぎまわるのが大好きな卑しい者だって大勢紛れているんですのよ、社交場には!」



 先程の緊張から解き放たれた青猪の表情は、王女に詰め寄られているにしては随分と柔らかくリラックスしている様だった。



「さっきPには随分と厳しく注意していたけど」



 懐かしそうに苦笑いしながらくだけた口調に落ち着いた青猪に、馬綾は



「次期国王となるわたくしが、むすめの名を呼ばせるのはお父様と亜栗鼠 アリスと貴方だけですわ、青猪」



 と、静かに言った。


 妾腹の王子たちがたくさん居る中、女の自分がこうして王位継承者として存在し続けるには、お姫様扱いを徹底的に排除するしかない。


 馬綾はしかし暗い思考に落ち込むよりも六年ぶりに逢う幼馴染に笑顔を向けることにした。


 先程の居丈高な態度は鳴りを潜め、「それにしてもわざわざ次期国王に出迎えさせる民がいまして?」等と頬を膨らませている様子は、王女と家臣というよりは友人同士の語らいに似ていた。

 

 再兎は、「サライ」も「ウサギ」も判らないままでじっと二人を見詰めていた。

 青猪が自分以外の誰かとこんなに親しげに会話するのを見るのは初めてだった。



「亜栗鼠は三年ほど前からちょっと別件で諜報活動に行ってもらっているんですの。でも貴方に会いたがっていましたわ」



「そう、残念だね。久しぶりに三人でゆっくり話でも出来たらよかったんだけど」



「そうですわね。でも、離れ離れも、今夜でお終いですわ」



 再兎がその意味を考えるよりも早く、青猪が強く再兎の手を握った。



「あおいちゃん?」



 見上げると、ようやくいつもの眼差しで、青猪がまっすぐ自分を見詰めている。



「再兎、これから国王陛下にお会いするよ」



「へいか?」



「この国と西街の長、獅子王ししおう陛下さ。再兎にこの素敵なドレスを贈ってくれた方だよ」



 再兎の前に膝をつき、青猪はゆっくりと小さな肩のパフスリーブを整えた。


 恭しく王の名を呼ぶ唇の微笑みとは反し青猪の瞳は暗く曇っていたが緊張状態にあった再兎には気付くことが出来なかった。


 優しく触れられた場所から溶けて解れていく様な感覚に身を委ね、再兎は落ち着いていった。



「その方に、何のご用なの?」



「再兎の、これからについて教えて頂くんだ。大丈夫、再兎にはずっと僕がついているからね。怖くないよ」



「あおいちゃん」



 いつもの様に愛おしげに頭を撫でられ、再兎は泣きそうになりながら、頷いた。


 その様子を傍で眺めていた馬綾は、何カ月も以前から楽しみにしていた六年ぶりの再会の喜びが消え失せるほど、心に黒く燃える嫉妬を渦巻かせていた。



「……けれど、良いのですわ。どうせ今夜、消えるのだから」



 低い声でそれだけ呟き、王宮へ続く重い扉を開けた。




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