第3話
大学を卒業した後、大学院生になった私はキリスト教の寮に引っ越すことになった。東日本大震災が起こってからまだ数年の頃だったので、その寮では毎年寮生で震災ボランティアに行くことになっていた。
ボランティアに行く当日荷物を車に載せていた私に、一緒に行く寮のスタッフがこう言った。
「ヴァイオリン持ってきて。」
時々部屋で一人で練習していたこともあり、その寮では私がヴァイオリンを弾いていることを皆知っていた。しかし、私は幼い頃のトラウマで、人前で弾くことにすっかり委縮するようになっていた。不意打ちのようにそんなことを言われ、出発も迫る中あまり考える暇もなく、私は言われるままにヴァイオリンを車に乗せた。
被災地に到着すると、仮設住宅の慰問を行うことになった。被災者の方々を前に寮のメンバーで賛美歌を歌うなか、メンバーの伴奏のギターやウクレレに合わせて、即興でヴァイオリンを弾くことになった。私は全く自信のない中ヴァイオリンを弾いた。すると、被災者の方々は本当に喜んで聞いてくださり、アンコールまでいただいた。
寮のスタッフが、
「ではヴァイオリンで『愛の挨拶』をお聞きください。」
と言った。その曲は私の大好きな曲で、よく一人自室で弾いていた曲だった。私は驚きと焦りを感じたが、言われたとおりにエルガーの愛の挨拶を心を込めて弾いた。
その時聴衆となってくださった被災者の方々の顔を忘れることはできない。咎めるでも、ジャッジするでも、粗を探すでもなく、ただただヴァイオリンの音色を楽しみ、喜んでくれる人々の温かい表情。私はそれに対して驚きが隠せなかった。幼い頃からずっと自分の弾くヴァイオリンの音を否定され続けた私には、「ヴァイオリンに親しんだ人間にすら聞くに堪えないのだから、ましてヴァイオリンに馴染みの無い人にとって私の音は想像を絶する酷いものだろう。」という思い込みがあったからだ。
しかし、その時演奏を終え、周りからあたたかい拍手をもらうと、一気にその洗脳が解けた。私の思い込みは全くの逆で、寧ろヴァイオリンに関わる人間の外の人々こそが、ヴァイオリンの音色を心から素直に喜ぶ心を持った人々だったのだ。
私はそれから積極的に教会の慰問に参加した。刑務所でも病院でも私はヴァイオリンで賛美歌を弾いた。いつも終わると喜びでいっぱいになった。それは例え楽譜の示す音符や弓の動きに忠実でなくとも、完璧でなくとも、上手い下手関係なく、音によって自分も相手も喜びで満たす瞬間だった。それが、本当の音楽だと思った。
*
ヴァイオリンは遥か昔作られた楽器で、音のみならず、その姿も非常に芸術性の高いものだ。私はその形もさることながら、決して表面からは見えないヴァイオリンの「
ヴァイオリンには、「魂」があるのだ。人の魂は自分に、また出会った人に喜びを与えるためにある。人の声と同じような音を奏でるヴァイオリンの魂もやはり、人に喜びを与えるために存在しているのだろうと、今の私は思うのである。
魂柱 何にでもごま油をかける人 @solideogloria
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