ウソ発犬

あべせい

ウソ発犬



 Sデパートの入り口。

 イヌを連れた紳士が女性警備員に制止される。

「もしもし、お客さま。こちらのデパートでは、ペットのご同伴はご遠慮いただいております」

 ところが、紳士は毅然として、

「このイヌは、ペットではありません。大切な吉池(ヨシイケ)です」

「でも、イヌでしょう。イヌはペットです」

「盲導犬や介護犬、介助犬はどうなのですか」

「盲導犬など、人さまの役に立つイヌのご同伴は認められています」

「それでしたら、この吉池も立派に人間の役に立ちます」

「どういう役に立つのですか」

「いまからお見せします。私がお聞きする問いに対して、なんでも『ハイ』と答えてください。よろしいですか」

「どうぞ」

「では、はじめます。質問1。あなたは男性ですか?」

「ハイ」

 紳士の足下にいる吉池が警備員を見上げて、

「ワン!」

「いま吉池がワンと言いましたね。あなたがウソをついたからです」

「人間がウソをついたから、このイヌがワンと吠えたのですか」

「その通りです。ウソをつけば、吉池は『ワン』と言います。相手に注意を促す場合や強く肯定したいときは、『ワンワン』と答えます。もう一度やってみましょう。吉池をよくご覧になっていてください。始めます。質問2……」

 警備員、吉池を見つめる。

「あなたは、なまけものですか」

「ハイ」

 すると、吉池、グッと頭を前に突き出し、「ワン!」と吠える。

 「藤砂麻尾」のIDカードを付けた警備員がやって来た。

「葉山さん、どうしたの?」

 葉山、振り返り、

「隊長! この方、イヌを同伴して店内に入りたいとおっしゃっています」

「条件がクリアしていれば許可できるから、詳しいお話をお伺いして。でも、ここは大勢の人が利用される玄関口だから、控え室のほうで」

「はい」

「じゃ、よろしく」

 麻尾、立ち去る。

 葉山、紳士を促し、

「では、こちらに」

 2人、警備員の控え室へ。

 葉山、控え室のドアを開け、

「こちらです、どうぞ」

「失礼します。吉池、いいから、入りなさい」

 紳士、吉池を先に行かせようとするが、吉池、開いたドアの前で立ち止まり動かない。

 葉山、不審げに、

「どうしたのですか。イヌがいやがっているようですが」

「吉池がこの部屋に、危険なものがあると感じとっているようなのですが。何か心当たりはありませんか?」

「そういわれましても、この部屋は私たち警備員の待機室ですから、警備に必要な器材がいろいろあります。例えば、敵の動きを封じる特殊警棒に特殊催涙スプレー、特殊防御ネット、特殊目つぶし灰、特殊マーカー卵、失礼、マーカー卵は追跡用の特殊兵器です」

「それらはどこにありますか?」

「こちらのキャビネットにカギをかけて保管していますが……」

「それでしたら、問題はありません。吉池が警戒しているのは、ムキ出しになっている危険物です」

「ムキだしになっている危険物ですか?……、あとは壁のフックに掛けてある防弾・防刃用の特殊ベストだけ。これは危険というより、身を守るものですが……」

「ワンワン!」

「吠えた!」

「失礼ですが、その防弾・防刃ベストはどんなときに使用なさるのですか?」

「防弾・防刃ですから、敵が銃器や刃物をもって警備員に向かってくる恐れがあるとき、まえもって着用します」

「ちょっと見せていただけますか?」

「どうぞ」

 警備員、フックから一着を外し、手渡す。

 紳士、受け取ったベストを点検する。

「これは問題ありません。ここに「葉山由果」と名前が印字されていますが……」

「それは、私の特殊ベストです」

「ほかに4着、ベストがありますね」

「どうぞ、ご自由にご覧になってください」

 由果、4着のベストを手渡す。

「これはクリア、これもクリア、クリア、これが最後ですが、名前の印字がありませんね」

「それは、予備ですから」

「ワンワン!」

「また、吠えた!」

「吉池は、これだ、と指摘しています。このベストは、ほかに4着のベストに比べ、少し重い……」

「確かに。防弾・防刃ベストは、短冊状の強固なジュラルミン板が縦に5枚仕込んであるのです。ちょっと、これは……」

「どうされました?」

「ベストの内側にポケットがあるのですが、中に何かあります……」

 取りだして、

「これは……」

「形はボールペンのようですが、先が鋭く尖っています。武器に使えますね」

「そのようです」

「どうして、そのような武器がここにあるのですか」

「このベストは予備ですから、だれの物とも、決まっていません。ですから、だれがこの危険なペンをこのベストに忍ばせたのか。藤砂隊長に連絡して調査します」

「吉池がみなさまのお役に立つことがおわかりいただけたと思いますので、私は吉池を連れてこれで失礼します」

「お待ちください」

 紳士、立ち止まって振り返る。

「何か」

「店内にお入りになるのですね」

「買い物がありますので」

「実はさきほどから、迷っていたのですが、いま決心がつきました。あなたの吉池に、判断していただきたいことがあります……」

「吉池の能力を認めてくださったのですね。それでしたら、ご協力します。ただし、一度だけにしてください。吉池が疲れているようですので」

「ありがとうございます。お願いしたいことというのは……、申し遅れました。私は、このデパートの警備を担当していますON警備保障の常駐警備3係主任の葉山由果といいます」

「私は赤塚署の要請で、警察犬・吉池を育成しています川居真木です。本業は、東赤塚でペットクリニックを経営しています」

「獣医さんですか?」

「往診もいたしますので、ぜひご利用ください」

「生憎、私はイヌもネコも飼っていなくて……、友人に話しておきます」

「それで、ご用件とおっしゃるのは?」

「そうでした。ごめんなさい。実は個人的なことなンですが、(腕時計を見て)私、あと5分で休憩時間になります。よろしければ、屋上でお話させてください」

「かまいませんが」

 由果、川居を案内して屋上へ。

 2人はフードコーナーの前に並ぶ丸テーブルで話を始める。

「私、この1ヵ月、人に後をつけられているような気がするンです」

「あなたのような美人なら、仕方ないでしょう。私だって、あと10才若かったら、そうするかも」

「冗談はやめてください。そんな艶っぽい話じゃないのです。勤務中にもです」

「このデバートに、ストーカーが来るというのですか?」

「昨日はこんなことがありました。私がこの屋上で立ち番をしていると、小さな男の子が寄ってきて、『これッ』って言って、小さな紙切れを寄越すンです。開いてみると、『あなたには魔物が付いている』って、書いてあって……」

「だれが寄越したのか、わかりますか?」

「その男の子に聞いたのです。『これ、だれに言われたの?』って。そうしたら、『ソフトクリームを買ってくれたお兄さん……』と言って、ソフトクリームのコーナーを指差すンですが、だれもいません。『どんな人だった?』と聞いてみると、『帽子を被って、マスクをつけていたからよくわからない』って言うンです」

「その情報だけではどうしようもありません。とりあえず、きょうは時間が許す限り、あなたの近くにいて、ようすをみることにします。よろしいですか」

「ありがとうございます。是非、そうしてください」

 その後、由果は、2時間半ごとに担当箇所を移動、再び彼女がデパート正面玄関の立ち番についたとき、異変が発生した。

 由果の左足下に伏せていた吉池が、突然、「ウッ、ウムムム……」と唸りだした。

 近くの柱の陰にいた川居は、吉池がうなる意味を知るや、その年齢とは思えないスピードで人ごみに飛びこんだ。そして、1人の男性の両手首を掴み、人ごみの中から引きずり出した。

 駆けつけた由果が男性の顔を見て、

「兄さん!」

 男性の手には小さなスプレー缶が握られていた。催涙スプレーだ。

「オイッ、手を離せ! おれは何もやっちゃいない」

 川居は吉池の引き綱を短く持ち、

「そのスプレーを使えば傷害の現行犯です。続けますか?」

 帽子とマスクで顔を隠した男性は、無言のまま動けず、立ち尽くしている。

「川居さん。すいません。兄を解放してください。事情はお話しますから」

 1時間後。

 壁面がガラス張りになった喫茶店の壁際のテーブルに、川居と由果の姿が。

 吉池はガラス越しに川居に寄り添うように、外の歩道の端に伏せている。

 由果が切り出す。

「ここは我々警備員が溜まり場にしているお店です。勤務は終わったのですが、お待たせしたくないので、制服姿で失礼します」

「由果さんのご自由になさってください」

「さきほどの男性は兄の大地です。兄といっても、腹違い。異母兄妹です。大地は亡くなった父の戸籍上の長男ですが、私は、父と、当時喫茶店ウエイトレスをしていた亡き母の間にできた娘です」

「そのお兄さんが、どうしてあなたを傷つけようとしているのですか。ストーカーも恐らく彼のしわざでしょう」

「約3ヶ月前、兄は私が勤務しているON警備保障に入社しました。中途採用です。もちろん、すぐにそのことはわかりませんでした。苗字も私は葉山ですが、兄は父の姓、美浦です。私は月に1度、虎ノ門にある本社ビルに、警備報告書を持参するのですが、2ヵ月前、採用された新人の履歴書を見る機会がありました。新入社員は8名、そのほとんどが20代でしたが、その中に1人だけ32才の新入社員が交じっていたので、見ると父と同じ美浦姓でした。さらに注意してみると、住所が母から聞いていた神奈川県平塚。詳しい所番地は母から聞いていませんでしたが、履歴書に書いてあった兄の母の名前が、私の母が話していた『貞美』だったので、確信しました。履歴書に貼付されていた兄の顔写真は父とは全く似ていません。兄は恐らく母親似なのでしょう。私は父親に似ています」

「お二人はそれまで会われたことはなかったのですか」

「ありません。いままでも、互いに名乗りあったことはありません。さきほどの事件でも、兄は何も言わずに去ったでしょう」

「由果さんのお母さまはいつ、お亡くなりになったのですか?」

「5年前です」

「お父さまは?」

「詳しくは存じません」

「知らない?」

「母は父に会わせたくなかったようです。それが父の希望だったかも知れませんが、父は認知するのが精一杯だったのだと思います」

「では、お父さまが亡くなられたということはどうしてお知りになったのですか?」

「自分でそう思っているだけです。娘に一度も会おうとしない父ですから」

「お兄さんの履歴書をご覧になったとき、平塚の住所は控えられたのでしょう?」

 由果は目を伏せ、しばらく無言だったが、

「ごめんなさい。その住所を頼りに、父の家を訪ねたことがあります」

「どうでしたか。お父さまに会われましたか?」

「立派な家でした。車ごと入れる大きな門のほか、脇に勝手口がありました。インターホンを押そうとしたのですが、そのとき無性に腹が立ったのです。こんないい暮らしをしているくせに、母は小さなアパートでひっそりと亡くなっている。私の養育費は、月3万円の計算で二十歳までの分を一括して支払ったそうです。父は母と関わりを持ちたくなかったのでしょう。いまさら、そんな薄情な父の顔を見てどうなるのだと思いました」

「いつのことです?」

「先月のはじめです」

「そのとき、だれかにお会いになりましたか。顔を見られたという意味も含めてですが」

「いいえ。多分ですが……。家というより、その広大なお屋敷は閑散として、住むひとがいないように静まりかえっていました」

「人の出入りがなかったということですね」

「はい」

「お兄さんとは職場でお会いになったこともない?」

「兄はまだ新人ですから、商店街のバーゲンやお祭りの人出に際して要請がくる雑踏警備や交通誘導警備が主ですので、私とぶつかることありません」

「お兄さんはどうしして、妹のあなたの存在を知ったのですか?」

「こういう妹がいるくらいのことは、両親から聞かされていたと思います」

「あなたのお顔は父親似でしょう」

「父親似というだけで、この都会の中から私を見つけ出したとおっしゃるのですか」

「……」

「兄は私がON警備の社員と知って、就職したと思われますか」

「それはわかりません。しかし、きょうのことがありましたから、しばらくの間、彼はおとなしくしているでしょう。いまのうちに、彼があなたをつけまわす理由を調べる必要があります。平塚の住所の控えはお持ちですか?」

「調べていただけるのですか」

「もちろん。吉池もそのつもりです」

 二人の視線が、外にいる吉池に注がれる。


 3日後の朝、Sデパートの屋上。川居が丸テーブルを前に由果と話している。

 川居の足下に吉池。由果は私服。

「川居さん。こんな時間に申し訳ありません」

「お仕事は?」

「昨晩は夜勤で、1時間ほど前に退勤になりました」

「それで私服ですか。由果さんはそのほうがすてきです」

「まァ……」

「早速ですが、私の調査の結果をお話します。わかってみれば簡単なことでした」

「……」

「残念なことですが、あなたのお父さまは、半年前にご病気で亡くなっておられます」

「やはり……」

「あのお屋敷には、現在母親の貞美さんと大地さん、大地さんの妻の佐多子さんと、3人がおられますが、お屋敷自体は売りに出ています。しかし、なかなか買い手がつかないようです」

「そうですか」

「大地さんは私立探偵を使い、あなたの所在を調べました。お母さまの名前とあなたを出産した病院名がお父さまの日記にあり、探偵はそれを手がかりに10日ほどで、あなたの住まいと勤務先を割り出しています」

「兄はON警備に私がいると知って就職したのですか」

「順序から言って、そうなります」

「どうして兄はそれまでして私を追いかけてきたのですか?」

「お父さまがお亡くなりなったからです」

「わかりません」

「遺産相続です。あなたにも、お兄さんと同じだけの相続権利がありますから」

「相続? 父の遺産がいただけるのですか」

「そうです。お父さまが遺されたものは、屋敷の土地建物以外に、近隣のファミレスに賃貸している土地が3ヶ所、預貯金がざっと3億……」

「そんなに……」

「あなたの取り分は、少なくても4分の1です……」

「兄は私に相続を放棄させるために、ストーカーのようなことを……」

「それは警察の調べが進めばはっきりします」

「警察?」

「現在、お兄さんのお母さんが警察に事情を聞かれています」

「あのひとが! どうして?」

「貞美さんにお会いになったことは?」

「母が元気だった頃、一度自宅にお見えになったことがあります」

「いつ頃ですか」

「私が高校3年生でしたから、6年ほど昔の話です」

「そのときあなたもお会いになった?」

「私が学校から帰ってくると、お茶の間で母と貞美さんが向き合っていました。とてもいやな雰囲気だったのを覚えています」

「どんなお話をされていたのか、お聞きになりましたか?」

「詳しくはわかりませんが、玄関のドアを開ける前、中から二人の声が聞こえたのです。

『主人の考えはわかりません。しかし、昔つきあいがあったからといって、お店を一軒もたせる、ってどういうことですか! 由衣さん、あなたが要求したンじゃないでしょうね』

『そんなこと……』

『例えカウンターだけの1坪余りの喫茶店といっても、こんなことが世間様に知れたら、私が笑われます。主人が言ってきても、絶対にお断りしていただきます。よろしいですね』

『はい……』

 それで貞美さんはお帰りになりましたが、ドアを開いたとき、私がドアの外にいたものですから、ギョッとした顔をなさり、

『あなた、盗み聞きしていたのね。親に似て、盗むのが得意ってことかしら』

 と言われました。私、思わず貞美さんの頬をピシャリとやっちゃいました」

「そんなことが……。警察は、今回の件は、貞美さんがすべて仕組んだことと見ています」

「ストーカーもですか」

「お兄さんは貞美さんに命じられて、仕方なくやったと供述したそうです。勤務のない日にあなたを尾行したほか、こどもを使って不愉快なメモを届けさせたのも彼の犯行です。ただ、警備員の予備のベストに、ペンシル型のナイフを忍ばせたことについては、認めていません」

「しかし、警察がどうしてあのひとのことを……」

「驚かないでください。亡くなったお父さまには、お母さま以外に、もう1人愛人がいました」

「まァ……」

「お母さまより20才も若い女性で、お父さまは、この方を養女にしておられます」

「養女ですか……」

「貞美さんはお父さまの死後、その事実を知り、その女性に危害を加えるため、さまざまな企みを行っています。ホームから突き落とそうとしたり、住まいに火をつけようとしたり、硫酸を掛けようとしたり。女性が警察に相談したこともあり、いずれも未遂に終わっています。貞美さんが逮捕されるきっかけは、硫酸の入ったポリ容器をしのばせてその女性を尾行していたためです。犯行動機は、遺産の相続人を減らしたいというより、若い愛人の存在が許せなかったようです」

「……」

「私は貞美さんがパトカーに乗せられたという近所の証言から、警視庁の知り合いに、平塚東署に手を回してもらい、それらの事実を知りました。貞美さんのやったことは、お兄さんがあなたにしたこととは比較にならないほど悪質です」

 由果、無言のまま聞いている。

「どうして、お聞きにならないのですか?」

「エッ!?」

「お父さまの養女になった女性のことです」

「それは……」

「よくご存知だからでしょう。同じON警備におられる藤砂麻尾さん。私がこちらに伺った最初の日に、控え室の前でお会いした女性です……」

「……」

「麻尾さんは、同じ常駐警備3係の係長で、このSデパート警備隊の隊長をしておられる。あなたより、5つ年上」

「7つです」

「あなたは、彼女がいるからこのON警備に入社した」

「そうです。私は母から彼女の存在を知りました。母が亡くなる1年前です。その後、母が亡くなってから、急に彼女のことが気になりだし、調べたのです。当時、彼女は父が経営するタクシー会社の乗務員でした。両親が離婚し家庭的に恵まれなかった彼女は、寝る間を惜しんで働いたそうです。女性ながら、売上げは常にトップ。それが父の目にとまり、やがて二人は男女関係に発展しました。母よりも若い彼女の出現で、父は次第に母から遠ざかりました。母が、父にお店が欲しいと言ったのはそんなときです。貞美さんの横槍でそれは実現しませんでしたが……」

「しかし、麻尾さんとお父さまの関係は長続きしなかったと聞いています」

「麻尾さんは20才以上離れた父との関係を嫌われたのです。その頃から父の体が弱ってきたこともあるでしょうが、麻尾さんは父からの金銭的援助を断り、警備会社に転職されたのです」

「麻尾さんはあなたがお父さまの娘であることをご存知ですか?」

 そのとき、吉池が「ワンワン!」と吠える。

 見ると、麻尾が穏かな表情で現れた。

「隊長!」

 由果、緊張して立ちあがる。

 麻尾、由果に座るよう目で促し、由果の隣に腰をおろす。

「川居さん、昨日は失礼しました」

 川居、笑みで返し、

「いま由果さんに、あなたが由果さんを最初からご存知だったのか、お聞きしていたところです」

 麻尾、心得たという風に、

「由果さん、私、あなたがON警備に入ってきたとき、履歴書を見て、あなたに復讐されるのではと恐れました。私があなたのお母さまから、お父さまを奪ったことになりますから」

「私、そんなつもりは……」

「そのときは復讐されても仕方ないと思いました。でも、いまだからお話しますが、お父さまとおつきあいしたとき、私はあなたのお母さまのことは知りませんでした。お父さまに奥さまがおられることは知っていましたが、別居中だと教えられ、それで気持ちが動いたのです」

「私の母も、父から同じように聞かされていました」

 川居が、それを受けて、

「それは事実です。貞美さんは、お父さまのお母さまと反りが合わず、10年前、実家に戻られ、別居生活が始まりました。その頃、麻尾さんはお父さまのタクシー会社に勤務されていて、お父さまの目にとまったということです。しかし、6年前、お父さまのお母さまがお亡くなりになって、奥さまの貞美さんは元に戻られた」

 由果、気がついたように、

「6年前というと、貞美さんが母に会いに来られた頃ですが、別居を解消されてからだったンですね」

「そうです。貞美さんが麻尾さんや由衣さんの存在を知って、嫌がらせを始めた。妻である貞美さんにとっては当然のことだったでしょうが」

 麻尾が何かを思い出すようにして、

「私も知らずに、貞美さんのご指名を受けて、タクシーにお乗せしたことがあります。6年ほど前のことです。突然、妻だと言われ、30万円の入った封筒を突き付けられました。手切れ金だと言って。私は、そのとき、貞美さんから由衣さんのことを聞かされたのです。貞美さんは、口汚く『ちょっと留守をしていた間に、ドロボウ猫が2匹もいたなんて! 少し若いくらいで、うちの人を手なずけられるなンて思ったら、大間違いですから!』とおっしゃって。私、それですぐにタクシー会社をやめ、この警備会社に就職したのです」

 由果、沈鬱な顔で、

「そうだったのですか。私、このON警備に来る前は、別の警備会社にいたンです。そのとき、ONにすごく頭のキレる女性警備員がいると噂に聞いて、ONに転職する気持ちになって……」

 突然、吉池が、「ワン!」と吠える。

 川居は微笑んでいる。

「すいません。吉池に見破られてしまいました。本当は、隊長の噂話と同時に、名前から父とおつきあいをしていた方と知り、一度間近で接してみたいと思い、ONに来ました」

 由果、そう言って、吉池を見る。

 吉池はおとなしくしている。

「でも、そのとき隊長はまだ父とつきあっていると思っていましたので、脅かしてやりたいと思い、ペンシル型のナイフを予備の防刃ベストにしのばせました。すいません」

「わかっていたわ。先週、装備を点検していて見つけたの。でも、あの防刃ベストは予備だし、だれかが護身用に持ってきたのだろうと考え、しばらくそのままにしておこうと。ところが、この前、川居さんに初めてお会いしたとき、あなたはナイフのことを私に言わなかった。その後も。昨日、川居さんに会って、何気なくその話が出て、どうしてあなたが私に報告しないのか考えたの」

「すいません」

 川居が仕切るように、

「これで事件は全て解決しました。私はこれで失礼します」

 麻尾が、川居を見て、

「川居さん、これを機会に、これからも私たちを助けていただけないでしょうか。川居さんは警察犬を養成する前は、刑事だったとお聞きしていますよ」

「ご存知でしたか。喜んで協力させていただきます。吉池、いいな」

 吉池を見ると、「ワンワン!」と吠える。

 川居が立ちあがると、

 由果が歩み寄り、

「川居さん」

「なんでしょうか。由果さん」

「吉池の秘密のネタばらしをしていただけますか。人間のウソを見抜くという……」

「ごめんなさい。吉池は優秀な警察犬ですが、ウソ発見器ではありません。吉池が『ワン』と吠えるのは、私がその都度目配せしているからです」

「やはり……」

「ただ、不思議なのは、控え室で見つけた防刃ベストのナイフのことです。あのとき私は何も合図していません。吉池がなぜ、あのペンシル型のナイフの存在を知ったのか?」

 由果が吉池を見て、

「吉池、キミは本当にウソを見破る超能力を持っているの?」

 すると吉池、由果を見つめて、

「ワンワン!」

                 (了)

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ウソ発犬 あべせい @abesei

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