白と黒

 相変わらず混乱するだけの頭は、うまく機能してくれない。

 だが、李潤が僕の腕を強く掴んでくれたことで、自分の行動の抑止力になっていた。


 そうでなければ、今頃どんな暴挙をとっていたか分からない。混乱したとき、人間は良く分からない行動をとってしまいがちになる。


 ただ、自分の父親だという男と相対する香を、見守ることしかできなかった。


「私と一緒にしないでください。お父さまは、私をおびき寄せるためにやったのでしょう⁉極悪非道です!」

「娘にそんなこと言われるなんて心外だなあ。それに香麗、いつまで星麗の姿になっているつもりだい?香麗が星麗のフリをするなんて、百年、いや千年は早いと思うんだよね」


 そう言いながら、男は香の白銀の髪を一房掬いあげた。そして、絹糸のような髪をサラサラと落とす。


「この髪は星麗の色をしているねえ。一族の中でも光り輝く、良い色だ。香麗が持たない色のはずだよねえ。香麗は下賤の者と同じ色しか持たなかったからねぇ」


 何を言っているのだ、この男は。

 今のは、娘に対して言う言葉ではないだろう。


「あなたを拘束するまで、私はこのままです。大人しく捕まってください」

「そういう訳にはいかないねえ。わたしは星麗を連れ戻しに来たんだから」

「…は?」


 意表を突かれて、香が動きを止めた。

 突然、香と男の間に突風が生まれた。とっさに香が袖で顔を覆って、後ろに跳び下がる。


 渦を巻く突風の向こうで、不気味な笑い声が聞こえた。チッと舌打ちすると、香は扇を閉じて高く掲げた。扇の先が月光に照らされてキラッと光る。


「我が呼び声に応えよ!」


 高々と張り上げた声が、辺りに響く。すると、どこからか遠吠えが聞こえた。

 遠吠えが響くと同時に、突風も消える。向こうで右手を突き出していた男が、驚愕の表情を見せていた。


 ふっと視界が陰った。顔を上げると、白銀の毛並みを纏った大きな虎が、空から降ってきた。


 鋭いかぎ爪と牙に身がすくむ。ぎらぎらと光る金の目は、獲物を捕らえたそれだった。


 虎は僕たちに目もくれず、男に向かって突撃した。男は鬱陶しそうに顔をしかめると、右手を斜めに振り上げた。


 銀色の光が生まれ、鋭い斬撃となって虎を襲う。虎は一声ガウッと威嚇するように吠えると、斬撃は虎の目の前で消えた。


「まさか、この術も使えるとは。ますます、連れ戻したくなるねえ。星麗、いつか迎えにいってあげるからねぇ」


 そう言って、男は森の闇の中へ消えていった。地を這うような笑い声を響かせながら。


 この場には、僕、香、李潤、そして僕を襲って香に拘束された男たちが残された。男たちはいつの間にか気絶していた。


 香は父親が消えたことを確認して、ほう…とため息をついていた。とりあえず嵐が去ったということは分かったが、やはり何があったのか分からない。あの白銀の虎はなんだ?


 混乱している僕の隣を、李潤が横切った。


「あいつ、野放しにしていいのか?捕まえる必要があったんじゃ…」

「しょうがないよ。今の私じゃ力不足。あれ以上粘られてたら、虎を呼ぶ力も消えちゃってただろうし」


 香はそう言うと、大人しく正座していた虎の頭を撫でた。虎は嬉しそうに香の手に頭をこすりつけると、ふっと煙に巻かれたように消えた。


「ほんっと悪趣味、あいつ」


 嫌悪感を隠すことなく、香が言葉を吐き捨てた。その顔は憎悪に染まり、ぎりぎりと歯を食いしばっている。

 般若のようになった香に、僕は恐る恐る話しかけた。


「あの、さ。見た目は星麗さんだけど、本当は香ってことで、合ってるんだよな…?」


 ハッと香が僕を見た。そして、思い出したように自分の姿を見下ろす。ついで、あーと気まずそうに頬をかいた。


「えっと。まあ、うん。そうです。蘭秀、今まで騙してて、ほんとその……ごめん」


 最後にはがっくりと頭を垂れていた。


「術を使うときは、こうして髪色も着物も変わっちゃうんだよね。その時に蘭秀が来たから、その、とっさにウソついちゃって…。あ、でも星麗って名前の女の子は、ほんとにいたんだよ⁉」

「で、その子は5年前に亡くなってるってことか」

「まあ、ね」


 ふいーと目を泳がせる香の頭を掴んで、無理矢理こちらを向かせる。バタバタと暴れていたが、僕の眼差しに気付いたのか、スンと大人しくなった。


 昨日と全く変わらない星麗(実際は香だが)の姿に、だんだん腹立たしくなってくる。昨日あんなにしんみりとお別れしたというのに、何なのだ。


「ちょうどよかった。じゃあ昨日星麗さんに聞きそびれたことを、たっぷり聞けるんだな。何といっても、本人が目の前にいるんだから」

「おおおお手柔らかに…!」

「お前ら、他所でやれ…」


 李潤が呆れた口調で大げさなため息をつく。そういえば、なぜここに李潤もいるのだろう。


 僕が李潤を見てその意味を悟ったのか、香がひょいと李潤を引き寄せた。


「一応この人文官だけど、実際は、私と同じなんだよね。外戚の姫さまに仕えてるんだ」


 だから、私のお仲間。

 香の言葉に李潤は腕を組んで、フンッと鼻を鳴らした。


「こうしてお前のために今まで人肌脱いでやっていたのは、全て朱凛さまのためだからな」

「はいはい、そうね、あんたは朱凛さまのためにしか動かないもの」


 聞き飽きたと言わんばかりの態度だ。何より、口調が恐ろしいほど砕けている。


 もとからざっくばらんに話す少女だが、李潤には一応敬語を使っていた。それが、今ではタメ口だ。恐ろしい。



 

 それから、岩を背につけて、座って話を聞いた。


 香の本名は、彪香麗。

 代々祓いの力を繋いでいる彪家に、双子の姉として誕生した。もう片方は彪星麗。香麗は黒、星麗は白銀という、正反対の色彩を持って生まれた。


 祓いの世界で双子は忌み子だ。生まれてすぐ処刑されそうになったが、妹・星麗が才能を覚醒させたことで、処刑は免れた。というのも、星麗の術は香麗がいなければ発動しなかったのだ。


 所謂、星麗の起爆剤として、香麗は生かされた。


 しかし、5年前のある日、星麗は死んだ。祓いの力に呑まれて、それを振り払うことが出来なかった。


 祓いの力を何も持たない香麗は、なすすべがなかった。息絶えようとする星麗の手を握ることしかできなかった。


 星麗の死を知った彪家当主は、香麗は用済みということで処刑を決行した。


 彪家の名高い術師を呼び寄せ、呪い殺させた。その中には、香麗と星麗の父親もいたらしい。



「でも、私は生き残った。確かに消し炭にされたはずなのに、気が付いたら全然知らないところで横たわってたの」


 香はそう言うと、愛おしそうに扇を撫でた。扇は未だ、パチパチと淡い光を放っている。


「そして、ボロボロの香麗を拾ったのが、朱凛さまだ。あのお方の慈悲深いお心のおかげで、こいつは生きていられるのだ」

「はいはい、本当にそうです。感謝してまーす」

「軽いな。もっと朱凛さまを敬え!」

「分かってるよ、本当に感謝してるよ姫さまには!じゃないと、あそこで訳分かんないまま野垂れ死んでたからね!」


 香はそっと扇を月にかざした。開かれた扇の繊細に施された刺繍が、月を透かして煌めく。


「でも、香は今、その…祓いの力?を、使えるんだよな」

「まあね。この扇に、星麗が死ぬ直前に、自分の力を移したみたいなんだよね。だからか分からないけど、扇に宿った力を使うときは、必ず姿が変わった。まるで、成長した星麗みたいなんだよ、この姿」


 香はひょいと立ち上がり、その場でくるりと回って見せる。確かに、白銀の髪を揺らす姿は、黒髪の印象がある香には見えない。


 それに加えて、おしとやかな態度でもとろうものなら、ますます香の印象から離れてしまう。僕もすっかり騙されていたくらいだ。


 感心している僕の隣で、李潤が腕を組みながら疲れたようにため息をつく。


「にしてもあの男、お前を狙い続けるんじゃないか。どうせまた来るぞ」

「あーそうかもね。なんか、星麗を連れ戻しにきたとか、訳分かんないこと言ってたし」

「お前なら、意味分かっているんだろう」

「買いかぶりすぎじゃない?」


 なぜか香と李潤の睨み合いが始まった。それに挟まれる僕の身になってほしい。


 でも、確かに不可解だ。

 話によると、本物の星麗は5年前に亡くなっている。そのせいで、香は一族で処刑されかけたのだ。いや、謎の奇跡が無ければ、本当に香は死んでいた。そして、処刑執行には、香と星麗の父親も関わっていた。


 ならば、星麗がもうこの世にいないことを理解しているはずである。

 一体、あの男は何がしたいのだろうか。


「あの人の考えてることなんて分かんないよ。人間としての感情が欠如しているところがあるし。考えるだけ無駄でしょう」

「おい、放置するな。相手は彪家の変人だぞ。下手をすると、朱凛さまにまで危害が及ぶんだ」

「そうなったら出て行くから安心してって」

「そんなこと、あの心優しき朱凛さまが許すわけないだろう!ただでさえ、また厄介な奴を囲わなきゃいけなくなったというのに!」


 ん?

 なぜか李潤が、僕を親の仇のような目で睨んでくる。

 なぜここで僕を見るのだろうか。


 意味が分からないと、顔に出ていたようだ。李潤が心底嫌そうな顔をして、僕に詰め寄った。


「いいか、その耳の穴かっぽじって良く聞け。寛大な朱凛さまが、お前を手元に置きたいとおっしゃったのだ」

「…は?え、なんで?」


 そろそろ情報量が頭の許容量を超えてきている。頼むから、少しずつ情報を詰めてほしかった。

 とりあえず、意味が分からない。


「ほら、李潤が順番を間違えるから混乱してるじゃん」


 呆れたようにため息をついた香が、僕に目線を合わせて屈んだ。


「姫さまが、蘭姫にすっごい興味を持って、ぜひお屋敷に来てほしいって言ってるの。蘭秀にとっても悪い話じゃないと思う。少なくとも、姫さまのお屋敷には私の結界を張ってるから、ここよりは安全だし」

「え、いや、ここも十分安全だと思うけど…」

「もう安全じゃないよ」


 すっと冷えた声が、辺りを包んだ。


 ハキハキと話す香の冷たい声は、ぞくっと凄みがある。知らず、僕はごくりと唾を飲み込んだ。


「…安全じゃないって?」

「この国の王は、傀儡だって言ったでしょ?それは王を裏で操る人間がいるってこと」


 立ち上がった香は、ゆっくりとその場を歩き回った。月光に照らされ、白銀の髪がきらきら光る。その姿はとても幻想的であると同時に、やはり浮世離れしている。


 そして、とても不穏な陰を感じた。


「なんでさっき、蘭姫の姿をしていない蘭秀が、彪家の人間に襲われたと思う?」

「…バレてるのか」

「たぶんね。少なくとも、あいつは追跡を得意にしてる。蘭姫の痕跡を追っていたとしても不思議じゃない。…まさか、あいつが出てくるとは思わなかったけど」


 背筋がスッと冷えた。

 自分の正体が、もしかしたら得体のしれない一族にバレたかもしれない。そして、香の昨日と今の言葉を考えれば、王を裏で操っているのは誰なのか明白だ。


 ここは、自分が思っていたよりずっと、底の見えない沼より恐ろしい場所なのかもしれない。


「まあそんなわけだから、一緒に来ない?」


 ぱんっと手を叩いて、香が僕に手を差し出した。

 白い月を背景に、白銀の少女がにこりと笑う。


 星麗として話していた時には見ることのできなかった、年相応の弾けるような笑顔だ。物静かな少女だと思っていたが、中身が香だったということは、こちらの方が彼女の素なのだろう。


「…僕は、星麗さんと行くわけじゃないんだけどな」

「ん?ああ!」


 僕が呟いた言葉の意味が分かったのか、香は扇をぱちりと閉じた。扇が放出していた銀の粒子が消える。


 同時に、白銀の少女はみるみるうちに姿を消した。僕が今まで同僚として一緒に働いてきた、見慣れた香の姿が現れる。


 そうだ。

 星麗との別れは、昨日済ませた。


 だから、星麗とは一緒に行けない。でも、香は今ここにいる。


 目の前にある華奢な手を握った。そして、立ち上がった。


「じゃあ、これからよろしくな、香麗」


 僕がそう言うと、香ははにかむように頬をかいた。


「別に、今更呼び方変えなくていいよ。慣れないでしょ?香でいい。私も、蘭秀って呼ぶし」

「いやむしろ、蘭姫って呼ばれる方が困る…」

「あはは、だよねー!」


 握った手が暖かい。人肌のぬくもりには、ホッとするものがある。


 養ってくれた老人がいなくなってから、ずっと1人だった。自分を気遣ってくれる人なんて、そうそういなかった。


 豪族の家に雇われたときは、毎日いびりの対象になっていたのだ。

 冷えていた心が温まる。こうして、自分に手を差し伸べてくれる人がいることが、純粋に嬉しかった。


「話はまとまったな。それじゃあ、こいつらは俺が何とかするから、準備してこい」

「はい。李潤さん、ありがとうございます」


 僕を襲った男たちの容態を見ていた李潤に、頭を下げた。これからますます、李潤には頭が上がらなくなりそうだ。


 これから僕はどうなるのだろう。それはまだ分からない。

 それでも。


 蘭秀としての僕を知っていて、正体を知ってもなお、態度を変えずに接してくれる香と李潤がいる。


 この2人なら、信じられる。これほどまっすぐに人の目を見つめ、手を差し出すことを厭わないのだ。


 そして、香は今まで星麗として、僕の側にいてくれた。本人にその気が無かったとしても、僕が日々の語らいで心を安らげていたのは確かだ。


 乾いた土に水を与えてくれた彼女に、恩を返したい。


 今回は、守ってもらってばかりだった。僕にできたことは、何1つとしてない。だからこれから、香を助けられるくらいの力をつけよう。


 あの男がまた襲って来ても、太刀打ちできるくらい、強い力を。


 覚悟を決めると、視界が開けたようだった。妙にすっきりとした心地だ。


 暗い森の中から出るため、僕は足を踏み出した。

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