人さらい(中編)
目を覚ますと、薄暗いところにいた。
とっさに頭に手を添えると、じんわり湿ったものが感じられた。暗くて良く見えないが、むしろよかった。見えていたら、完全に戦意喪失していたかもしれない。
暗闇に目が慣れてきて、少しばかり状況は分かってきた。
まず、どうやらここは牢らしい。
鉄格子の中に入れられている。完全に商品扱いだ。
他にも、僕の同じように連れてこられた子どもたちが、不安そうな顔をして鉄格子の中でうずくまっている。
子どもたちの歳は、見た目から推測すると、4歳くらいから10歳くらいと幅広い。 今後の彼らのことを思うと、何が何でも、このままではいけない。
ふと隣の鉄格子を見て、僕はハッと息を吞んだ。
ぐったりと冷たい床に身体を横たえているのは、香だった。いつもはぴっちりとまとめている団子の髪が乱れ、ところどころほつれている。
「香!おい、香!」
鉄の柵をガタガタ揺らすと、小さく呻くと同時に、香が目を覚ました。
ハッと身を起こすと、焦った様子で胸元を確認している。衣服の乱れがないことに安堵したようで、ホッと息をついていた。
そして、ようやく気が付いたようで、隣の格子にいる僕に目を移した。
「え、蘭秀?お前、どうしてここにいるんだよ。ていうかここ、どこ?」
「それより香、身体に怪我とかしてないか?平気か?」
「ああ、うん。まあ、大丈夫かな」
「そうか、よかった」
香の無事を確認したところで、僕は簡単に状況を説明した。とは言っても、現状を打開できるような情報は何も無い。万事休すといったところだろうか。
香が何か思案した様子で、じっと押し黙っていた。何を考えているのかと訝しく思ったところで、扉の開閉音と話し声が響いてきた。
ハッと、この場の空気の温度が急激に下がる。鋭い刃のような沈黙が満ちた。
薄暗い闇の中、ぼうっと明かりが灯った。厚い靴が床を踏む音が近づいてきた。足音は、僕と香の鉄格子の前で止まった。
暗闇の中に、1人の男の顔が、幽鬼のように浮かび上がる。僕たちが戦った男たちとは、また別の男だった。
「お前ら、出ろ」
男はそう言うと、僕と香の鉄格子の鍵を外した。キイ…という鈍い金属音が響き、扉が開く。
一体、どういうつもりだ。
警戒して出ようとしない僕たちに、男はしびれを切らしたようだった。
「早くしやがれ、この野郎ども!」
燭台を持っていない方の手で僕の腕をむんずと掴むと、外に向かって放り投げた。 思いがけない動きに、頭を地面に打ち付けた。一瞬気が遠くなるが、ぐらぐらと脳を揺する痛みに救われた。
「おい、お前もとっとと出ろ!」
身体を起こすと、香が男に腕を掴まれているところだった。乱暴な手つきに、香が顔を痛々しく歪める。その表情を見て、反射的に叫んでいた。
「おい、そいつに軽々しく触るな‼」
僕の声が、鉄格子の部屋にビリビリと木霊した。
怯えた様子で、子どもたちが身体を震わせる。香の腕を掴んでいた男は、驚いた様子でその手を離した。そのはずみで、香がたたらを踏んで僕の前に来る。
男は憎々し気に僕を一瞥すると、チッと舌打ちして前を向いた。
「ついて来い」
武装した強面の男たちに囲まれながら、男に連れられてすぐに辿り着いた先は、ボロボロに荒れた小屋だった。僕と香2人が入ってしまえば、あと大人2人しか入れないような小屋だ。
当然中も荒れ放題で、何に使われたのか分からない炭や木片、石ころが散乱している。苔があちこち生えたかび臭い地面に、直接座らされた。
男はそのまま、僕らを置いて扉を閉め、しっかり施錠して立ち去って行った。
縛られるわけでもなく、かといって脱走することもできない状況に、どうすれば良いのかと頭を巡らせた。
いくらボロ小屋とはいえ、暴れたくらいで崩れるような柔な造りはされていない。施錠された扉以外に出られるところはなく、完全に詰みの状況だ。
「あー、なんで僕らがこんなところに移動させられたんだろうな。全く、どうしたものか…」
その時、ずっと黙っていた香が、ぽつりと呟いた。
「お前、どうしてオレを助けようとした。お前が逃げることだってできただろ」
香の問いかけに、唖然とした。
そんなの、聞かれるまでもないことだ。
「それは僕が言いたいな。あんたこそ、なんで逃げなかった。あの状況で、勝ち目があると思ったのか」
「お前は、あの状況で、オレが友達を置いて逃げられると思ってたのか⁉」
「現場判断だ。時と場合を考えろ。どう考えても、あの時、あの状況なら、あんたが逃げる方が重要だろう」
「なんでそんなに自分を軽んじて、自分から囮になるようなこと、しようとするんだよ!」
「あんたこそ、なんで無謀な賭けに出た!現実的な方法をとらなかったから、今こうして2人とも捕まってるんだろう!」
話が堂々巡りしていて、埒が明かない。
はあ…とため息をついて壁にもたれると、香が悔しそうに僕を睨みつけた。
「…やっぱり、お前、気付いてるな」
「……何に」
香から目を反らす。反対に、香はギリッと歯を食いしばり、こちらに身を乗り出した。
「そうじゃないと、お前の行動に納得できないんだよ。オレを率先して逃がそうとしたり、あいつらからすぐオレを庇おうとしたり」
「…友達なら、当然なんじゃないか」
「本当に友達と思ってるなら、対等に戦わせてくれよ。お前のやっていることは、オレを保護する対象として見てるってことだろ。男友達全員に、お前は同じことするのか?男が男に腕掴まれているくらいで、『触るな』、なんて言うか⁉」
気付いていたなら、なんで今まで知らないふりしてきたんだよ…、と。
常にないしおらしい声で呟くと、香は俯いた。ぽたりぽたりと雫が落ちて、乾いた地面を湿らせていく。
どうやら、泣かせてしまったらしい。
僕は、5日前に星麗と別れてきた。彼女は今どうしているだろう。
きょうだいをこんな目に遭わせて、尚且つ泣かせてしまったとなれば、本格的に嫌われてしまうかもしれない。
観念した。
ここまで言われて、泣かれて、それでも白を切れるほど、僕は心が強くないのだ。
「…分かったよ、ごめん。……本当は、ずっと前に気付いてたんだ」
「香が、女だってこと」
僕がそう言うと、香は顔を上げた。目元が赤くなっているが、涙は止まっていた。
「…やっぱり」
「…ごめん」
香は、男ではない。
それは、一緒に仕事を始めてから、しばらくして気が付いた。
同僚たちの中でも、特に腕力がない香。同期たちと食事をすると、食べ盛りにしては食事の量が少なかった。
冗談めかして「食が細いな、女と同じくらいなんじゃねえの?」と茶化してきた同期に、香はムキになって、倍の量のご飯を食べた。
結果、食べ過ぎで気持ち悪くなり、吐き戻したことがある。
全員で風呂に入ろうとすれば、香は必ず「後で入る」と言って、人前で衣を脱ぐことは絶対にしなかった。
そして、月に1度、血の気が引いて、ふらふらと1日中眠そうにしていることがある。酷い時には、腹痛に倒れ込んでいることもあった。
他の同期に気付いた者はいないようだが、僕は気付いていた。
香が女という性別を偽って、男としてここにいること。
何が目的なのかは分からない。だが、男の中に混ざって、自分の性別を欺いてここにいるということは、相当な覚悟を持って来ているということだ。
それを、僕のせいで台無しにしてしまうことは、忍びなかった。
だから、香にも気づかれないように、彼女を男として接してきたのだ。
そのつもりだった。
だが、そうではなかった。できていなかった。
「いつから知ってた?オレが女だって」
「仕事を始めて、2カ月くらいした頃」
「そんな最初からって…。なんか、男として振舞ってたのが馬鹿らしくなってくるな」
香が乾いた声で笑った。
「あーあ、うまくいってると思ってたのに」
その声は、僕が今まで聞き慣れていた香の声ではなかった。
いや、香の声だが、声音が随分と変わった。声変わり前のような少年の声から、年相応の少女の声音に変化していた。
これこそ、本当の香の姿なのだろう。
「なんで、わざわざ性別を偽ってまで、あそこで働いているんだ」
「それ聞いちゃうの?だったら、私の質問にも答えてくれる?蘭秀、あんた、近々何をしようとしてるの」
「…星麗さんから聞いたのか」
僕はグッと歯噛みし、香は肩をすくめた。
だが、これに答えるわけにはいかない。どうしても。
「……」
僕の沈黙から、答える気がないことを悟ったのだろう。
香は小さくため息をつくと、ふいと僕から目をそらした。
気まずい沈黙が流れる。
香の秘密を暴いてしまったのに、自分の秘密を語ることはできない。どう考えても公平ではないこの状況に、罪悪感があった。
乾いた土と埃っぽい臭いにさらされて、どのくらい時間が経っただろうか。
外から話し声が聞こえてきた。くぐもって良く聞こえないが、どうやら先ほど僕たちを閉じ込めた男と、もう1人連れがいるらしい。
香も気が付いたようで、ハッと扉を凝視していた。
扉の鍵が解除される。扉が、軋む音を立てながら開けられた。
薄暗さに慣れた目には、燭台の光すら眩しかった。目を細めて、明かりに慣れてくると、入ってきた人間の骨格が分かってきた。
随分と、ひょろりとした細身の男だった。面長の顔で、狐のような細い目が油断なくこちらを射貫いた。一見優男のような面立ちだが、彼の纏う雰囲気が異様に鋭かった。
その男が、燭台を手に小屋の中へ入って来る。ここまで彼を案内した男は、小屋の外に残った。
扉がギイ…と悲鳴のような音を立てて閉まった。
男は燭台で、僕と香の顔を順番に照らした。そして、丸っこい眉を大袈裟に上げて見せた。
「これは驚いた!
彪家?
意表をつかれて戸惑う僕とは対照的に、香はびくりと肩を揺らした。明らかに動揺している。
「…何を言ってるんだよ、お前。オレは男だ。お嬢様じゃない」
「あなたこそ何をおっしゃいます。わたくしは彪家ご当主さまに、懇意にして頂いているのですよ。お屋敷にも上がらせていただいたことは、幾度となく…。ああ」
男はニヤリと薄気味悪い笑みを見せた。薄い唇と細い目が、三日月の形に曲がる。
「あなたは5年前に屋敷を出たのでしたね。それに、星麗さまと違って落ちこぼれだったあなたは、屋敷の中すら自由に動けなかったそうではありませんか。ならば、わたくしを覚えていらっしゃらなくても仕方がありませんねぇ」
猫なで声で楽し気に話す男は、しかし、ふとわざとらしく小首を傾げた。
「ですが、おかしいですねぇ。彪家の屋敷を出る、それすなわち死刑を意味しているはずですが。なぜあなたは生きているのです?それか、亡霊か何かなのでしょうか」
男はそう言うと、目にも止まらぬ素早さで香の腕を掴んで引っ張り立たせた。うめき声を上げて、香が引き上げられる。
彼女の痛々しい声に、反射的に身体が動いた。香の手を掴んだ男の手を、両手で掴む。
「おいお前、その手を離せ!」
「あなたこそ、どこのどなたか知りませんが、その手を離していただけますか?汚らわしい」
男が切れ長の目を更に細めたその瞬間、身体に重圧がかかった。頭にとてつもなく重い石か何かを乗せられているかのようだ。頭が割れるように痛み、地面に膝をついた。
「蘭秀!」
男に吊り上げられた状態で、香が悲鳴を上げた。
「お前、こいつに何をした!」
「仮にも彪家のご令嬢なのですから、これくらいご存じでしょう。ちょっとばかし、空気を重くしただけですよ。物理的にね」
「祓いの力は、人を苦しめるためにあるものではない!祓い屋のくせに、そんなことも分からないのか⁉」
「おや、わたくしは彪家にご懇意にしていただいておりますが、祓い屋の人間とは一言も言っておりませんよ」
「……は?」
今なお胸を圧迫されて息苦しいが、それでも会話は聞こえていた。
なるほど。
目の前の男は、何かしらの力を持っているらしい。そうでないと、目線だけで、僕をこんな地面に這いつくばらせるなんてできない。
つまり、星麗と似たような力を持っていると考えられる。
だが、力の使いどころが、彼女と真逆だ。
星麗は、空気を清め、自分の仕える姫を助けるために力を使っていた。
しかし、この男はどうだ?
「わたしくは祓い屋ではありません。そんなちっぽけなものと一緒にしないでいただきたいですねぇ。わたくしのこの力はわたくしのためにあるのです。人のために使うなんて、そんなもったいないことはいたしません」
「…何なの、あんたは」
呆然としたような香の声音に、男はクックックと笑った。人の温度を感じない笑いに、背筋が凍る。
「わたくしは、彪家の方々から、祓いの力を増大させるよう申し付けられているのですよ。いわば、術の開発を担っています。あの子どもたちも、そのために用意させているのですよ」
男が言っている言葉の意味が分からなかった。
祓いの力を増大させる?そんなことが可能なのか。
その実験とやらに、僕と一緒に連れてこられていた子どもたちが生贄にされている、ということだろうか。
そんなこと、許されるはずがない。
「あんた、人として終わってる。そんなこと、許されるはずないじゃない。いくら彪家と言えど、罪のない人を犠牲にするような非人道的なことを、許すはずがない」
「おやおや、当代当主さまからは、何をしても良いと仰せつかっておりますからね。あの彪家が、人権も何もない貧困層の子どもを、人として見ていると思っているのですか?何より彪家から人として見られなかった、あなた自身が、本当にそう思っていますか?」
「……!」
グッと、香が唇を噛みしめたのが見えた。
彪家というものが分からなかったが、あらかた見えてきたこともある。
彪家は祓い屋の家系なのだろう。そして、非人道的なことも平気でできてしまう、恐ろしいところだ。香はその家の出で、何かあって彪家から追い出された、というところか。
「さて、あなたからの質問には答えましたから、今度はこちらの質問に答えていただきましょうか。なぜあなたが生きているのですか?あの晩、確かにご当主さま自らが、あなたに手を下されたはずですが…。ねえ、
「…もう私は彪家の人間じゃない。その名前で呼ぶな」
「これは失礼。ですが、本当に、なぜ生きているのでしょうね?わたくしもあの場に居合わせましたが、確かに、あなたの身体が消し炭になって消えるところを見たというのに」
心底不思議そうに、男が香の身体をねめつけるように見た。そのねっとりと粘着質な目線に、香が不快気に身をよじる。
しかし、彼女の足が地面についていないため、空回りしただけだった。
何とか身体を起こすことが出来れば。そうすれば、何か反撃の糸口が見つかるかもしれないのに。
未だ重圧に対抗する術も力もない自分に嫌気がさす。
こんな時、星麗なら、姉妹を助けるために力を使うことが出来るのだろう。
でも、僕には力がない。ただの、非力な男だ。
それでも、こんな男に屈することだけはごめんだ。
渾身の力を込めて、地面と接触している身体を起こす。重石を大量に乗せられているようで、身体がバラバラになりそうだ。節々が声なき悲鳴を上げている。
「う…ぐう…」
こっそりと、近くに落ちていたものを手のひらに握りしめる。チクチク刺さって痛いが、気にしている場合ではない。
「なぜあなたが生き残っているのでしょうねぇ。わたくしとしては、香麗さまより、星麗さまとお会いしたかったですよ。あの方の術は、彪家一と言われるほどでしたからねぇ」
「黙れ!お前ごときが、星麗を語るな!」
「おやおや、何をおっしゃいます。星麗さまは、あなたのせいで――」
「うおおおおお‼」
動いた!
今まで出したことがない雄たけびを上げて、僕は手に握った木片を振り降ろした。
ギザギザに尖っていた木片は、僕の右手の平を裂きながら、でも男の袴と靴の間を正確に貫いた。
「うわああっ!な、なんだ貴様‼なぜ動ける!」
生温かい返り血を右手に浴びて気持ち悪いが、絶対に離さない。
こいつを逃がしたらダメだ。子どもたちにも、僕と香にも、未来はない。
痛みに怯んだらしく、男が香を離した。
「蘭秀!目を閉じろ!」
後ろから届いた香の声に反射的に従って、僕は目を硬くつぶった。
「貴様!殺す、殺してやる!よくもわたくしに傷を…!」
腹に強烈な一撃を食らうと同時に、瞼の向こうで閃光が走った。
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