人さらい(前編)

 あれから、5日が経った。


 今日は休暇だ。日々の疲れを癒すため、月に2回設けられている。

 そんな日は、同期たちは惰眠を貪るか、街に繰り出すかの2択だ。

 僕はもちろん後者。


 普段街に下りていても、役所や他の関係機関に寄るばかりであり、街の散策はできないのだ。だからこそ、貴重な休みの日は、自分の土地勘を広げたいと思っていた。


 ただでさえ、僕はこの街に来て日が浅いのだから。


「いやー!こうしてゆっくりできるのも久しぶりだなあ!」


 そんな僕の隣で跳ねるように歩いているのは、香だ。

 いつも眠そうにしている香だが、休暇の日だけは朝から冴え冴えと目をぱっちり開いて、街に降りてきていた。


 部屋が隣同士なので、何かと香とは一緒になることが多い。休暇も一緒に過ごす頻度が高いのだ。


 この日は、2人で舞台を観劇した。

 舞台は、虎雹国の建国神話を基にしたものだった。



 冷え冷えとした白い月が光る夜、雹が降ってきた。雹は石より硬く、地面を抉り続けていた。


 地面が穴だらけになったところに、白い月から1匹の虎が降り立った。白銀の美しい毛並みを持つ虎だった。


 地に足をつけた虎は、全身を光り輝かせる。すると、1人の男に変身した。男は、穴だらけになったことで柔らかくなった土地を開拓し、1つの国を創り上げていった。


 それが、この虎雹国だ。


 国が安定し、たくさんの人々が生活を営むようになると、男は信条を共にした1人の人間に、国の治世を任せた。そして、彼は表舞台から姿を消したのだ。


 その夜、白く輝く月に向かって遠吠えする、白銀の虎がいた。そして、その姿は、あっという間に見えなくなったという。



 これが、この虎雹国の建国神話だ。

 そして、国を創った男を手助けし、治世を任された人間の末裔が、今の虎雹国の王族だ。今もなお、虎の男から託されたこの国を守るために、王族として国を束ねているのだ。


 舞台は、「今も、苦楽を共にし、信条を共にした友人と再会する日を、彼らは待ちわびている」と、締めくくられていた。


 観客は、幕が閉じると同時に拍手喝采だったが、隣で見ていた香は不満そうだった。


 「ものは良いようだな」と、鋭い目線を舞台に浴びせていた。その言葉の意味を聞きたかったが、香はすぐにいつもの表情に戻ってしまい、聞きそびれてしまった。



 舞台観劇の後は、適当に街を歩き、屋台で買い食いをしていた。鶏を香ばしいタレに絡めた串焼きや、甘酸っぱい酸味が特徴の柑橘など、魅惑的な食べ物が並んでる。


 あれもこれもと悩む香を引っ張りながら、僕たちは街を歩いていた。


 その時。


「や、やだ!誰か助けて‼」


 路地裏の方から、悲鳴が聞こえてきた。かすかな声だったが、確かに「助けて」と言っていた。


 香も聞こえたらしく、ハッと声のした方角に顔を向けていた。互いに顔を見合わせ、1つ頷く。


 僕らがすることは、ただ1つ。助けを求めている人を、見捨てることはできない。



 走って向かった先は、繁華街から外れている貧相街だった。草木は荒れ果て、家は隙間風が通る、雨風が全くしのげない造りのものばかりだ。そして、治安もすこぶる悪い。


 近づくにつれて雰囲気がどんどん陰湿なものになっていき、乾燥した土の臭いが鼻につくようになる。それでも、足を止めようとは思わなかった。


 前方に、大きな荷馬車が見えてきた。出入り口を垂れ下がった布で塞ぎ、中を見えなくしている。だが、風にはためいて、少しだけ馬車の中が見えた。


 やせ細った子どもがたくさん乗せられていた。


 近くにあった古い井戸の陰に、香と2人で身を潜める。


「やだ、離して!」


 大柄な男を相手に、必死の抵抗を見せている少女がいた。男は少女の髪を乱暴に掴み上げているため、少女の身体が宙に浮いている。それでも手足をばたつかせて抵抗する少女に、男は苛立ったらしく、舌打ちをしていた。


「うっせえガキだなこいつ」

「でも、これだけ生きが良けりゃあ、高く売れるんじゃねえの」


 仲間らしいもう1人の細身の男が、荷馬車から降りてきた。

 2人。

 何とかなるだろうか。


 恐らくこいつらは、闇市で商売している人身売買組織だ。

 貧民街では、病気等で親を亡くした子どももたくさんいる。引き取り手のない子どもは、街をさまようことになるのだ。


 そこをつけ狙い、攫って、あくどい金持ちに売りつけるのだ。


 一応取り締まりの制度はあるものの、ほとんど機能していない。人身売買は、それだけ根強く残り続けていた。


「蘭秀、いけそうか?」

「香こそ大丈夫か」

「なめるな。オレだって、護身術とかは一応習ってるんだからな」

「よし。僕が大柄の方を仕留めるから、香は細身の方を頼む」

「了解」


 小声で意思疎通を図り、いざ、前を向く。

 今の彼らはこちらに背を向けている。行ける!


 足を踏み出した、その瞬間だった。


「お前ら、ここで何してやがる」


 背筋が凍った。


 血の気が引く思いで振り返ると、大柄な男より更にガタイの良い男が、僕と香を見下ろしていた。そして、彼が右手に持っているものは、僕の腕より2周り以上も太い木刀だった。


 傷だらけの丸太のような腕。冷徹に見下ろす氷のような瞳。人を人と思っていない、何人も人を殺してきた目だ。 


 対峙しただけで、息が詰まりそうな威圧感だった。

 だめだ、勝てない。


「逃げろ!」


 呆然として動かない香を、後ろに突き飛ばす。小さな悲鳴を上げて、香は数歩後ろに下がった。


「どこに逃げるつもりだ?おめえら」


 男が木刀を大きく振り上げた。恐ろしいことに、笑っている。


 人をいたぶることに慣れているのだ、この男は。それどころか、愉悦を感じているのだろう。


 でなければ、こんな楽しそうに、木刀を人に向かって振り上げることはできないはずだ。


 このままではいけない。

 香だけでも逃げてくれれば、李潤に報告してくれるだろう。そうすれば、国の治安維持隊が動くはずだ。


 自分が今ここで生還することは考えるな。香を逃がせ。

 こんな奴らに捕まったら、香に何をするか分かったものではないのだ。香に何かあれば、星麗に申し訳が立たない。


 振り降ろされた木刀の軌道を見極め、身体を捻った。頬の皮1枚かすめ取られ、何とか躱す。だが、風圧に身体が押された。


「なんだこいつら!」


 荷馬車にいた男2人が僕たちに気が付いた。まずい、増援として来てしまう。


「香、ここから逃げろ!今すぐ‼」


 しかし、香は動かなかった。まっすぐと鋭い目線で男たちを見ると、キッと僕を睨んだ。


「お前を見捨てて逃げるなんて、できるわけがないだろ」


 そう言うと、香は男たちに向かって突進していった。


「ちょ、馬鹿!」


 走っていった香を止めようにも、こちらも木刀の攻撃を避けることに手一杯だ。止めにいけない。


 歯噛みしながら、木刀の攻撃を流していく。一撃一撃が重く、1発当たっただけで意識が昏倒するだろう。それを思うだけで、冷や汗が流れた。


「ちょろちょろと、鬱陶しい奴だなあお前は!」


 男は、苛立たように大きく木刀を振り上げる。その隙を狙って、僕は力強く拳を握りしめた。


「うおおおおおおお‼‼」


 今まで出したことの無い雄たけびを上げて、男の鳩尾に向かって拳を叩き込んだ。 


 渾身の1撃だった。少しでも手傷を負わせることができれば、隙が生まれると思って。


 だが、意味がなかった。


 男の身体は、大木のように硬く、びくともしなかったのだ。

 目の前が真っ暗になる。


「なんだあ、お前。そのひょろっこい拳は。もっと力込めろよお。なあ」


 嘲笑う声が降ってくると同時に、髪を掴まれた。後ろに括った髪を持ち上げられ、身体が吊り下がる。


 足が地面を離れる。土を求めて足をばたつかせても、空気を蹴るだけだった。喉が締まって息ができない。


「このオレに生意気した罰だ。たっぷり遊んでやるよ」


 狂喜の笑みを浮かべ、男が木刀を振り上げた。

 自分を襲う衝撃に、身を縮ませ、目を硬く瞑った。


「兄貴、こっちは片付きやした!」


 仲間の男の声に、木刀は僕の腹スレスレで止まった。男の意識がそちらを向き、僕は地面に落とされる。


 盛大に頭を打ち付け、目の前で星が散った。喉が空気を求めるが、うまく呼吸ができない。


 咳き込み続けていると、先ほどまで僕を宙づりにしていた男が、僕の顔を覗いてきた。


「残念だなあ、お前のお仲間、もうすっかり伸びちまってるぜ」


 ハッと顔を上げると、ぐったりとした香が、大柄な男の手で荷馬車に積まれていた。意識がないらしく、されるがままになっている。


 「こんなひょろっこい奴にやられるなよ、何してんだ」「だってこいつ、すばしっこいんすよ」と、そんな会話が聞こえてくる。香は細身の男は倒せたらしいが、大柄な男には勝てなかったようだ。


 それもそうだろう。明らかに体格が違うし、何より香が、力で勝てるはずがない。


「安心しろ、お前もあのお友達と一緒に連れて行ってやるからさあ。こいつは高く売れるぞ。その服から見ても、結構裕福な奴だろうしなあ」


 男は嘲笑うと同時に、僕に木刀を振り降ろした。

 頭に強烈な火花が散り、僕は意識を手放した。

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