星麗の秘密
「…どういうことだ?」
星麗の言葉の意味が分からず、言葉が脳を素通りしていく。
蘭姫の力が必要?それは一体、どういう状況なのだろう。
そもそも、華信国は滅んだ。
一国の王位継承者であった事実は確かにあるが、それは過去の話だ。今の蘭姫には、正直何の価値もない。
星麗のような不思議な力はないし、一国をまとめる指導者としての力もない、ただの人間だ。
それなのに、5年経った今、蘭姫の何が必要なのだろう。
星麗は目をうろうろと彷徨わせ、言葉に迷っている様子だった。それを急かすことなく、じっくりと待つ。
こういう時は、焦らせる必要はない。しっかりと考えて言葉を発してくれれば、それで情報は伝わるのだ。
それに、ここで貴重な情報を逃してはいけないと、自分の勘が告げている。
耳が痛くなるほどの静寂の中、星麗がようやく覚悟を決めた顔をして、僕を見つめた。
「…今、皇太子が謎の病にかかっていることは、知っていますよね」
「ああ、もちろん。外戚のお姫様も、床に臥せっておられるって聞いているけど…」
「わたしは祓い屋だと、言ったことは覚えていますか?」
「え、うん」
話の流れが読めない。
皇太子と外戚の姫の謎の病、祓い屋、そして蘭姫が、どう関係するというのか。
「わたし、その外戚の姫さまにお仕えする祓い屋なんです」
「…は」
「わたしは姫さまに、皇太子が病に臥せった時、原因を探るよう命じられました。それで、手をこまねいている間に、魔の手が姫さまにまで及んでしまって…。その病の治療をするために、蘭姫にお力添えしていただきたいのです」
今日1日で、いろいろなことが判明していないか。情報の多さに目が回りそうになる。
星麗は香のきょうだいで、一国の王の外戚の姫に仕えている祓い屋。そして、皇太子と姫の病を治すために、蘭姫の力を必要としている。
いや、ちょっと待て。
「え、やっぱり分からない…。そもそも、病を治すために、どうして蘭姫が必要なんだ?医者を呼ぶなら分かるけど、蘭姫に医学の知識なんてないよ」
「えっと、それは…」
またも口ごもってしまった星麗を、じっと見つめた。これだけでも、はっきりと答えてもらわなければならない。
目をそらさずじっと星麗を見つめていると、星麗はウッと言葉を詰まらせながらも、重い口を開いた。
「…本当は、病などではないんです。あれは、呪いです」
「の、呪い?」
聞きなれない単語に聞き返すと、星麗は勢いがついたのか、しっかりと頷いた。彼女の瞳には力強い光が宿っていて、まるで自ら輝く太陽のようだった。
「何者かが、華信国王宮の人間の霊を、この世に呼び出したのです。虎雹国に対して恨みを募らせていた霊は、皇太子と姫さまに憑りつきました。どんな薬も効かず、お2人はずっと眠っていらっしゃいます。半年間食事も摂らず、ずっと床に臥せっていて、もう時間がありません。このまま何もしなければ、皇太子と姫さまが死んでしまう」
あの霊を鎮めることが出来るのは、蘭姫だけなのだと、星麗は言う。
「なぜ?」
「あの霊は、ずっと蘭姫のことを探しています。わたしには、彼女の生死を気にしているように見えました。蘭姫の姿を見せれば、怒りが鎮まり、成仏するための引導を渡すことが出来ると思うのです」
星麗はここで言葉を区切ると、辛そうに表情をゆがめた。朱色の衣をギュッと両手で握りしめ、小さく身を震わせた。
「…何より、かわいそうです。この世に呼び戻されたということは、成仏することが出来ず、この世にいることも出来ず、あの世とこの世の狭間を彷徨っていたということです。霊には、死の瞬間に感じた未練を抑える術がありません。悲しみを感じたなら、悲しいという感情をずっと抱き続けることになり、憎しみなら、ずっと憎しみの炎を燃やすことになります。あの霊は、虎雹国に対する恨みと、何より蘭姫のことを心配していました。ずっとそんな気持ちを抱えたまま、中途半端にこの世にとどまることは、何より辛いことだと思うんです」
早く、楽にしてあげたい。
星麗のぽつりとこぼれたその言葉に、僕は返す言葉を失くした。
蘭姫を気にしている霊とは、一体誰のことだろう。5年前のあの時に死んだことは間違いないだろうが、そもそも蘭姫には、それほど親しい人はいなかった。
友人はいない、従えているのは侍女ばかりで、両親との交流もあまりなかった。あとは、従者くらいだったはず――
ハッと、背筋が凍った。まさか、あいつだろうか。
「あの、星麗さん」
「はい、なんでしょう」
「あなたは、その霊に会ったことがあるっていうことか?」
「直接会ったことはありません。わたしは姫さまに、極秘に命じられていたので。祓い屋として、霊を払ってほしいと。だから、ずっとここで舞を舞っていました。霊の怒りを鎮めるために、空気が一番澄んでいる夜の時間に」
星麗がずっとここで毎晩舞を舞っている理由が分かった。彼女は、自分の主を守るために、舞を舞っていたのだ。
「ですが、それでも霊の意思が強くて、わたし1人の力ではどうしようもなくて。せいぜいこれ以上誰かに憑りつくことが無いよう、抑えるくらいしかできなかったんです」
「なら、どうしてその霊が、蘭姫を探していると分かったんだ?」
「声が、聞こえました」
「声?」
思いがけない返答に、目を瞬かせる。星麗はその霊に会ったことが無いのに、声は聞こえたということか。
「その霊を思って舞を舞っていた時、かすかに声が聞こえてきたんです。蘭姫の生死を気にして、泣いている声が。まだ、子どものように聞こえました」
「子ども…」
思案する僕の顔を見て、星麗は首を傾げていた。だが、焦れたように、彼女は再び僕の方に身を乗り出してきた。
「それで、蘭秀さんは、蘭姫がどこにいるか、ご存じないですか」
「もう1つ、質問させてほしい」
星麗が蘭姫の居所を気にしていることは分かった。だが、それでも、まだ彼女の質問に返答できない。
「その霊は、蘭姫のことをなんと呼んでいた?『蘭姫』って呼んでいた?」
「え?」
星麗はきょとんとした顔をしたが、思い出そうと、すぐに顎に手を当てて考え始めた。3秒ほどして、ハッと顔を上げた。
「あ、いえ。『蘭さま』、と、そう呼んでいました」
ああ、そうなのか。
「…残念だけど、星麗さんが期待する返答はできない」
僕の答えに、星麗は一瞬落胆した色を見せたが、すぐに穏やかに笑った。
「そうですよね。もう蘭姫は、この5年目撃されていませんし。いくら蘭秀さんが華信国出身とは言っても、分かりませんよね…」
「…そもそも、死んでいるかもしれない人間を、どうやって探すつもりなんだ?」
「蘭姫は死んでいませんよ」
はっきりと断言した星麗に、僕は目を見開いた。
どうしてそんなはっきり言うことができるのだろう。もう蘭姫は、5年間行方不明という扱いになっている。
もはや生存すら怪しまれていて、かつての華信国出身の者たちですら、もうこの世にいないだろうと噂しているというのに。
「わたしも、霊をこの世に呼び出すことができます。今降りてきている霊が蘭姫のことを叫んだ時、蘭姫があの世にいるのであれば、呼び出すことが出来るかもしれないと思ったのです」
星麗の流暢な言葉に、僕は自然と耳を傾けていた。彼女の話は、今までの僕の生活からはかけ離れたもので、分からないこともある。だが、それでも、重要なことだということは分かった。
星麗は、悔しそうに顔を俯けた。白銀の髪がさらりと顔の横に流れ、星麗の表情を隠してしまう。
「でも、できませんでした。蘭姫の魂は、あの世にはありませんでした。なら、まだこの世で生きている可能性ははるかに高いです。魂は成仏したとしても、浄化されるまで時間がかかります。5年前には生存が確定している蘭姫なら、浄化されるにはまだ早いですから」
「まあ、それに、蘭姫が向こうに逝ったなら、霊が蘭姫の生死を気にしているわけないか。あの世とこの世の狭間でばったり会うだろうし」
「そうですね」
僕の軽口に、星麗はようやく力を抜いて笑った。張りつめた表情より、柔らかく笑ってくれた方が、彼女には似合う。
僕もほっとした気持ちになりながら、だが、頭の方はそうもいかない。
今王宮を脅かしている霊は、蘭姫を求めているのだ。だが、蘭姫はもういない。5年も経っているのだから。
いや、それでも。
「…星麗さん」
「え?」
近くにいる星麗を、優しく抱きしめた。星麗は突然のことに身を硬くしているが、それに構わずギュッと抱きしめる。
そして、何よりも近くにいる彼女に、そっと告げた。
「…残念だけど、星麗さんが期待する返答はできない」
「……はい」
「でも、本当に蘭姫の存在で霊が鎮まるなら。約1週間後、鎮めることができるかもしれない」
僕の言葉に、星麗は驚いたように顔を上げた。黄金の目を丸くして、近くにある僕の顔をじっと見つめている。
「え?あの、それは一体、どういう…」
「それじゃあ、また」
星麗からパッと離れて、僕は岩から飛び降りた。
待ってと叫ぶ星麗の声が聞こえたが、振り返らなかった。
未だ残る星麗の温かさを腕に抱いて、僕は冷たい夜風に当たりながら、自分の部屋に戻った。
その日から僕は、星麗に会いに行くことを止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます