舞う少女

蘭秀ランシュウ!今帰りか?なら、一緒に帰ろうぜ」


 街で名前を呼ばれて振り返ると、自分の肩程の高さしかない少年が、手を振りながらこちらに走って来ていた。

 袖の長い文官の服をビラビラ揺らしている。片手に溢れかえるような紙束を抱えており、足元が随分と危なっかしい。


コウ。あんた、運動神経良くないんだから、あんまり走るな。こけたらどうするんだ」

「あのなぁ。お前が良すぎるだけで、オレはいたって普通だぞ」

「どうだかなあ。あんた、僕より全然小柄だし、体力ないし」

「馬鹿にしてるだろ」

「してないけど」

「いーやしてる!ムカつくなあ」


 ブツブツと文句を言いながらも、香は僕と肩を並べて歩く。


 僕たちは虎雹国の王宮に勤める文官だ。と言っても、まだ文官になって2、3カ月しか経っていない。

 

 また、文官と言っても、この国では宰相の部下という立ち位置であり、新人に至ってはもはや宰相の部下の部下という立場だ。


 与えられる仕事と言えば、部屋の掃除や書類の整理、手紙の運搬等々、もはや雑用とさして変わらないものばかり。


 今だって、僕と香は、それぞれ手紙やら書類やらを一式押し付けられ、配達署などの関係機関に配りまわっていたのだ。


 気持ちはへとへとだが、体力は残っている。

 僕は隣でフラフラ揺れながら紙束を抱える同僚を見やると、ひょいと紙束の半分を持った。


「お、おい」

「王宮に戻るまで、これくらい持っててやる。役割分担だ。それに、そのままだとあんた、本当にこけそうだからな。隣でこけられて、盛大に大事な書類ぶちまけられたら、たまったものじゃない」

「へいへい、あくまで書類が大切なわけね。でも、助かったよ。ありがとな」


 そう言ってニカッと笑った香は、瞳の色も相まって、ひまわりのようだった。




 王宮に戻った僕たちを出迎えたのは、新人文官の指導係である李潤リジュンだ。1つしか歳が変わらないというのに、宰相から厚い信頼を受け、王宮内でも一目置かれている。


 そんな彼だが、いまいち何を考えているのか全く分からない。表情がピクリとも動かず、切れ長の目は常に吊り上がっていた。


「遅かったな」


 そして声音も寒々しいほどに冷え切っているのだ。この人には人の心がちゃんと備わっているのだろうかと、常々疑問に思うほどだ。


「すみませーん。お役所で随分と待たされたうえに、また書類いっぱい渡されちゃっ

て。運ぶの大変だったんですよ」


 そんな李潤にものともせずに、軽い口調でへらへらと笑うのが香だ。正直、肝が冷えるからやめてほしい。

 案の定、李潤は眉をピクンと跳ねさせたものの、喉から発せられる声はいたって平坦だった。


「そうか。それくらい、すぐに捌けるようにならなければ、一人前の文官とは言えないぞ。言い訳する前に手を動かせ、足を動かせ。思考を止めるな」


 いや、いつもより温度がグッと低くなった気がする。

 この人にも、イライラするという気持ちは備わっていたようだ。

 知りたくなかった事実にため息をつくと、李潤の目がこちらを向いた。


「蘭秀。お前も仕事を残しているのか」


 そう言われて、僕は腕に抱えている書類に目を落した。そう言えば、香から取り上げた半分の紙束を返しそびれていた。


「あ、いや、これは…」

「蘭秀のこれは、オレの書類です!蘭秀が、オレを気遣って持ってくれていたんです!」


 余計なこと言うな!


 何とか李潤の機嫌を損ねないよう言い訳を頭で練っていたというのに、香の一言で台無しになった。こいつはどうしてこんなにも口が軽いのだ。


 冷や汗が背中を伝ったが、李潤は一瞬何かを考えた後、「そうか」と、一言呟いただけだった。

 おや?と思うも、すぐに李潤は指示を飛ばす。


 曰く、「蘭秀は本蔵の書棚整理、香は引き取った書類の分別」と。


 王宮はバカみたいに広く、同じ敷地内にあるというのに、本蔵には歩いて20分程かかる。慌てて李潤の部屋を辞退し、本蔵へと向かった。香は李潤に監視されながら書類の整理をするのだろう。


 本蔵までの道中、他の同僚の姿を見なかったことから、まだ出払っている者が多いようだった。



 夜になった。

 本蔵の整理は、思っていたよりも骨が折れる作業だった。途中で本を取り落とし、それが仇となったようだ。

 山積みだった本が次々と倒れていった時には、どうしようかと思った。 


 何とか整理し終えて本蔵を出ると、とっくりと陽が暮れていた。暗闇の中、月が柔らかい光を放ち、星々が付き人のように寄り添い光っている。


 虎雹国の王宮は、月が良く見える山の上に建てられている。山肌を削って敷地を広くとり、そこに王族の住まいや宰相、その部下たちの住まいなどが建てられているのだ。


 その中で本蔵は、王族の住まいと自分が寝起きしている建物のちょうど中間にある。山を、整備された石造りの階段に従って下っていけば良い。燭台に火を灯し、足元に気を付けながら歩いている、その時だった。


 歌うような声が、木々の隙間から漏れ聞こえてきた。最初は気のせいかと思ったが、そうではない。そよ風に乗って、確かに鈴のような声が聞こえてくる。


 階段をそれて、木の生い茂ってる地帯に足を踏み入れた。

 怪しい者だとしたら、すぐにでも李潤に報告に向かわなければならない。


 緊張で、ごくりと喉を鳴らす。

 燭台の火を消すと、辺りは真っ暗になった。


 木々の伸び放題の葉が邪魔をして、月明かりも降りてこない。階段に戻れるだろうかと不安が頭をよぎるが、それ以上に、この歌声の持ち主を見てみたかった。


 茂みを進むと、突然視界が開けた。

 ぽっかりと丸く切り取られた、蔵1つ分もない小さな平原。その中央にある、大きな岩。


 そこに、1人の女性が立っていた。

 涼やかな歌声を響かせながら、しゃらりと音が鳴りそうな長い袖を翻し、舞を舞っている。


 見たことのない舞だ。

 だが、見ただけで、それが崇高なものであるということは分かった。


 彼女はしずしずと足を運び、くるりと身を翻す。繊手には銀色の扇が握られていた。朱色の上衣には、この国には珍しい白銀色の髪が流れている。


 舞台を照らす月光を、彼女の美しい髪がキラキラと反射していた。


 この世のものとは思えない光景にしばし呆然として、僕はその場に立ちすくんだ。 意識のないまま、もっとよく見たいと一歩踏み出すと、枯れ木を足で踏んでしまった。


 パキッと、この場に不釣り合いな音が鳴る。ビクリと身体をすくめると同時に、舞の女性がこちらを向いた。


 彼女は、目を見開いて僕を見ていた。

 その瞳は、満月のような、きれいな黄金色だった。

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