第5話 年貢と螺旋功



 「人ごとみてぇに言ってんじゃねぇぞ、おめー。俺があの後、どれだけ大変だったと思ってやがんだ」


 当日は、もちろん料理を作り直し、その後はいくつもの会議に出席し、最近まで料理長の姿を見ることさえなかった。

 人知れず、生け贄の具材トラカトロリになって調理されたのではないかという噂までが、まことしやかにささやかれ始めていたほどだ。


「それはそれは。お勤めご苦労様でございました。いやー、上に立つ者は部下の後始末が大変ですね!」


「お前が言うな」


「では、わたくしはこれで!」


 嫌な予感を感じて、屋上の出入り口ではなく、手すりを乗り越えて中庭に飛び降りようとしたところ、ひょいっと首根っこを掴まれた。


「まぁまぁ、そう急ぐなよ。どうせ、仕事なんてねぇんだろ?」


 ホクトルは、片手でエナを持ち上げ、絶妙な力加減でぶらぶらさせた。

 料理長とは言え、今も軍事訓練を受けていて高齢であっても衰えはまったくない。


「いえ、こう見えてもワタクシ、動物園に生える雑草の数を数えたり、空に浮かぶ雲の形から未来を占ったりですね……」


「おめぇ、ほんとに穀潰ごくつぶしじゃねぇか……」


 ホクトルはエナを掲げたまま、屋上のヘリまで歩いて行って、中庭に向かって突き出した。

 エナの足元には何もなく、ホクトルが手を離せば、そのまま中庭に落下してしまう。

 ホクトルは、エナの首を後ろから掴んでいて、眼下には訓練中の新兵が、目線を上げれば霊山ポポカトペトルがよく見えた。


 手慣れているのか、ホクトルの掴み具合は息苦しくもなく、喋ることも苦痛でない。


「なかなか、絶景っすね。なんか、新兵のみなさんに指さされてるのが、多少気になりますが」


 王宮の屋上で、ぷらんぷらんしているエナを注視して訓練が一時中断している。


「俺ぁ、厨房周りから離れられねぇからよ。おめーちょっと行って、調べて来てくんね?」


 何をどう調べてくるのか、ホクトルは言わなかった。


「そういうの、諜報部隊があるんじゃぁないっすか? 餅は餅屋に任せましょうよ」


 長距離移動商人も諜報を担当するが、それとは別に王国内部を探索する部隊もあるらしい。


「みんな残念ながら、おめーより忙しいんだよ」


「うちが暇やって決めつけるの、よくなくね?」


 屋上から空中にぶら下げられて、風と一緒に礼儀も飛んでいったエナは敬語をやめた。


「だから、こうやって頼んでんじゃねぇか」


 気を悪くした風はないが、一向に引く様子もない。


「アステカ式の頼み方って、けっこう前衛的な感じなんすね。エナ覚えた」


 ため息を一つ吐いて頷いた。


「具体的には、なにを?」

 

「なんか、うまい具合に敵対勢力潰して来てくれりゃあいいからよ」


「依頼内容、雑すぎ!?」


 想像を超えた脳筋依頼に、思わず声が出た。


「しょうがねぇだろ。俺ぁ、食材の選別で手一杯なんだよ。年貢に紛れて、どれだけ莫大ばくだいな量が混入されると思ってやがんだ」


 アステカは、征服した国々から朝貢ちょうこうを出させていて、日々それらの国から人夫が年貢ねんぐを担いでやって来る。


「調べて来いって言うなら、行ってくるけど、どうなっても知りませんよ。うちは、素人ですからね。あと、ヴィオシュトリ様に、外に出るなって言われてますけど、それもいいんですね?」


 ヴィオ爺に、一人で聖域の外に出るなと言われ、未だに王国の観光にも出られていない。考えようによっては、これは好機とも言える。


「許可は取ってある」


「じゃ、ちょっと今から行ってくるんで、手離してもらえます?」


「落ちるぞ」


「大丈夫です。大した高さじゃないし」


 雪山やインカ帝国では、よく滑落した。インカの人々は、なぜか断崖絶壁が好きで、崖の上に街や城を建てる。結果として、道のほとんどが崖で、ちょっと襲撃を受けると滑落して、だいたいすぐ死ぬ。

 落下制御は螺旋功らせんこうという錬気の訓練に最適で、二階程度なら、ちょうどいい高さだ。


「分かった」


 あっさり納得して、ホクトルは手を離した。


 垂直に落下が始まると、巫女服がバタバタとはためき、両手を少し広げるとすぐ地面に爪先が着いた。


 着いた瞬間に、仙術気身闘法の基本である“練気”で体内の気を操り、体の重心を両足から螺旋らせんを描いて何重いくえにも高速回転させる。そうすることで、衝撃を足首、膝、股関節、と関節ごとに“抜いて”いくことができる。


 動物園の灰色熊が、攻撃を無効化させていたのも、おそらくこの技の延長だろうとエナは分析していた。


 本来は、さらに受け身をとって衝撃を完全に抜いてしまうが、新兵の人目があるで、受け身は取らなかった。


 その衝撃は、体内を巡って最後には内臓に集中して、吐き気と腹痛を呼んでしまうが、表情には出さないようにした。


 新兵たちの目には、屋上から真っ直ぐ足から落下し、なぜか衝撃がなくふわりと着地したように見えたはずだ。


 ある種の異様さは、見せつけられる時に見せつけておいた方が、馬鹿が寄って来ないというエナの処世術だった。

 もっとも、逆にしばしば寄って来ることもあって、どうするのがいいかは判断しかねている。


 新兵たちの奇異な視線に見守られながら、何事もなかったかのように、通用口に向かって歩いていった。




 あらゆるものが貢ぎ物として徴収され、延々と続く人夫の行列により首都に運ばれた。

 数万トンの食料、10万着以上の綿の衣類、3万個以上の羽毛の包み、莫大な量の貴重品と希少生物などが、1年間に徴収された貢ぎ物であった。

アステカ王国 文明の死と再生p48 創元社 セルジュ・グリュジンスキ著



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