第9話「二人だけの秘密だよっ?」
この日、なぜかいつもより早く起きた一朗は、気まぐれに普段よりも三十分早く登校した。
まだ人の気配の少ない校舎は新鮮で、気持ちがいい。
そう思いながら昇降口に差し掛かった時だ。
「斎木君おはよーっ! 早いねーっ!?」
先に登校していた雪野から、元気に挨拶される。
「……」
「おーい! 無視かーっ!?」
挨拶を返さないでいる一朗の表情を窺い見ながら、そう訊ねてくる雪野に言った。
「……いや、雪野みたいな女子が普通に挨拶してくれるのって、なんか奇跡だなーって思ってさ」
「なっ、何急に!? いつもしてるよっ!?」
「そうだな。でも今日はなぜか、そうしみじみ思ったんだ」
「自虐だとしても卑下し過ぎだよっ!?」
「こんな美少女と話せる喜び、より噛み締めていこうと思います」
「美少女っ!?」
雪野は驚きながらも素直に喜んだ後、「こほん」と一つ咳払いし、ふざけた調子でこう続ける。
「……うむ、これからも普段から噛み締めていくがよいっ!」
「はい」
「はいじゃなくて冗談だからっ!? そこはツッコんでくれないとっ!? 自分を美少女とか本気で言ってる痛い人みたいでしょっ!? ……もうっ! 朝から調子狂っちゃったよ!」
ぷりぷりと怒る雪野も可愛いなと、一朗は笑ってしまった。
「あー笑った!? やっぱりからかってたでしょっ!」
「それよりそろそろ靴を履き替えたいんだが」
「もぉっ! 話逸らそうとしてっ!?」
その時、校庭の方から軽トラックがやって来る。
……なんだろう。
そう思い何気無く荷台に目をやり、一朗はギョッとした。
そこにはあの伐られた桜の樹の、掘り出された根が乗せていたからだ。
伐採された樹は事件後数日で運び出されたが、切り株はそのままだった。
このまま残すのかとも思ったが、やはり撤去してしまうようだ。
複雑な気持ちになりながらも、一朗はそれを見送る。
雪野も思うところがあるのか会話を中断し、黙って軽トラを見つめていた。
女子ならばあの桜の伝説に、憧れを持っていたとしても何ら不思議ではない。
それなのに――。
「……」
――なぜ、そんなリスクのある行動を一朗が取ったのか、彼自身も合理的に説明できない。
黒戸のように、雪野も人の秘密を安易にバラすような人間では無いという、確信のようなものがあったからだろうか。
気付けば口から、こんな言葉が紡がれていた。
「……これは雪野だから話すんだけど、実は俺も入学一週間前に、あの桜を伐ろうと学校に侵入したんだ」
ただでさえ大きな雪野の目が、更に大きく見開かれる。
「……そうなの?」
やはり、言うべきではなかった。
なんで俺は……。
一朗はすぐに否定の言葉を続けた。
「でも伐ってないからね!? 未遂だからセーフ!」
これに対し雪野は、一朗の予想から逸脱した反応を見せる。
「ううん、違うの」
「え……? ええっと、何が違うって?」
「私は別にね、今の告白を咎めようとして驚いたんじゃないの」
「……そうなの?」
「うん」
一朗はホッとしたが、じゃあどうしてという疑問も新たに湧いて出た。
そしてその答えを、雪野が口にする。
「同じことを考える人が……同志が居たんだなぁって思って」
「……は?」
――ゾクリ。
まさか雪野も……あの桜の樹を伐ろうと……?
俺と黒戸は実行に移さなかったけど、桜は伐られていた。
それはつまり……。
様々な疑問が頭に浮かぶ中、一朗は恐る恐る雪野の表情を盗み見た。
彼女はらしくない、含みのある笑みを浮かべている。
……マジかよ。
くるりとその場でスカートを翻し、振り返った雪野はいつもの満面の笑みを浮かべながら言った。
「二人だけの秘密だよっ?」
狂気を覚える程に可憐なシーン。
こんな子が、本当に樹を……?
唖然としてしまった一朗は「ああ」と、そう返事をするだけで精一杯だった。
同時に、そんな雪野をすら魅力的だと思ってしまう自身はどうかしてしまっているのではないかと、心配にもなる。
恋とはこうまで盲目になれるものなのかと、そこまで自覚してなお一朗は、その気持ちの制御ができなかった。
大きなショックを受けた一朗。
しかし数日後、この出来事すらまだ序の口であると知ることになる。
◇
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