三十.酒席

 紫建と水盟の境にある茅場かやばの町。

 レディは言葉通り亜夏の機内にとどまり、泰輝は陽向と二人で宿に入る。


「少しはゆっくりと出来そうだな」

「そうですわね。明日には水盟に入れましょう」

「水盟東岸は蒼司の影響を受けやすい。これまでとは勝手も違ってこよう」


 水盟は領家の支配下にない中小の商工業都市の連合体とも呼ぶべき体制であり、紫建南にある古沓ことう湾を挟んで東岸と西岸に分かれ、内海交易を主導し諸領家と対等の立場を保っていた。水盟東岸を主導する片倉かたくらから出る旅客船を用いて西岸へ赴くのが今のところの予定である。


「気がかりですか?」

「何がだ?」

「これからのことが」


 その問いに泰輝はすぐに返答せず、手元の酒を少し口に含んでから「問題は少ない」と曖昧に答えた。それを聞いた陽向は「ご不満ではないのですか? あの子の自分勝手を」と具体的な問題点を指摘し逃げずに答えるよう要求する。


「そのことか。レディの思惑を気にしても仕方あるまい」

「そうでしょうか? 泰輝様がちゃんと不明点を正せばあの子は何らかの回答を示すと思いますよ」

「それが望ましくない結果になってもか? ことによっては我々の行動が不二全体の不利益をもたらすかも知れぬ」

「真胴をなくすこと自体が不二にとって不利益なのは当然ではありませんか?」


 陽向は何を今更と言わんばかりにため息をついた。泰輝自身も今更なことを持ち出しているのは承知しているが、レディの言う通りにしているだけでは上手くいかないのではと思いが強くなってきている。だが、その裏にまた違う感情があるのを陽向は察知していた。


「レディがいなければ何もできない……させてもらえないのが不満なのですね、泰輝様?」

「いや、そんなことは……」

「なら、あの子の言う通りにすれば良いではないですか。喜央斎のことも仲間にしたいというよりは白華まで奇縁のままを維持したいという方が適切かと思いますけれど」


 陽向は淡々と語るが、泰輝はどうにも気持ちが収まらない。二人の考えが理解できない訳では無いものの、ただただ戦ってばかりで自分がレディに利用されているだけではないかという無意識の恐れが泰輝の気持ちを蝕んでいた。

 許嫁の悩みを見て取った陽向は手元の酒を飲み干してから泰輝の手に自身の両手を重ねる。


「どうした?」

「いえ、泰輝様も大人になられたものだと……義理とは言え娘のやりたい放題を気になされているとは」

「そう言うお前はどうなんだ? レディへの躾を怠ってはいないのか?」

「そのように怖い顔をされずとも承知しておりますよ。必要であればきちんと伝えるつもりでございます」


 穏やかな表情を浮かべながらも強く言う。旅立つ前にもレディに対し遠慮なく手を上げ説教をしてみせたことは泰輝も覚えていた。陽向にとって現状は問題であるように感じられていないらしいと彼も察する。


「……参ったな」

「泰輝様は思っていたより心配性ですのね。あの子のことはもう少し信頼されても良いように思いますが」

「石橋を叩いているばかりでは良くないと申すか?」

「元々浮世のそよ風にも似た気風ですから戒めねばと感じることもありますけれど、あの子はここまで私達を裏切るような振る舞いを見せておりませぬもの」


 だから信じろとは申しませんけれど、と言って手を離す陽向に対し、泰輝は目の前の盃に入っていた残りの酒を飲み干し天を見上げた。


「俺はお前の考えるほど大人ではないぞ」

「もう子供の真似は似合いませんわよ」


 からかい気味の言葉に憮然とした表情で応じる泰輝ではあったが、無用な心配をし過ぎていたのかと内心をまとめ直している。


「……ならば大人らしい振る舞いをしても怒らぬな?」

「それこそ今更でございますわね。楽しみにお待ちしておりますわ」


 苦笑いをしつつ陽向は席を立ち、湯浴みへと向かっていった。



 翌朝、二人が駐機している亜夏に戻るとレディがにこにこと笑みを浮かべながら二人を迎える。


「泰輝さまも陽向さまもお早いですね」

「ああ、いつまでも子供に一人きりで留守番させているのも悪いからな」

「ご心配、ありがたくいただきます」


 大げさに頭を下げるレディを押し止めた泰輝は陽向と共に席につく。


「握り飯を買い求めてきたからひとまず腹ごしらえだ」

「朝ごはんは大切ですね」

「水盟に入る前にまた迷惑が起こるとも限らないから、しっかりお食べなさいレディ」

「はーい」


 素直で可愛らしい返事をしながら元気に握り飯を頬張るレディに、もう少し落ち着いて食べなさいと陽向が注意した。二人の様子に泰輝は苦笑いを浮かべつつ操縦桿を握り、レディに告げる。


「食べ終わったらで良いからナナイロの展開準備をしておけよ」

「隠さなくて大丈夫ですかね?」

「喜央斎がやって来ない保証はない。それに何時までも隠しておく必要を感じぬのでな」


 泰輝は軽い調子で話した。喜央斎が本当に追いかけてくるかは正直なところ分からないが備えるに越したことはない。心の整理を一晩かけて済ませた泰輝の顔は引き締まっている。その視線はまだまだ遠くにある目標を見据えていた。

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