八.報黒の脅威

 阿尾亥の操縦席で直騎は異変に気づかぬまま、唐突に動きを止めた亜夏に戦斧を叩きつけようとしていた。


「何があったかは知らぬがこの好機、逃さぬ!」


 叫び、振り下ろそうとしたところで愛機の両腕がどす黒く染まっているのを視認した。


「いつの間に……何が起きて……?」


 その時になって直騎は阿尾亥が自分の操縦を離れて勝手に動いていることに気づく。操縦桿を引いているのに押しているかのように振り下ろす動作を止めない。


「止まれ、阿尾亥! 私はそんなことを………」


 望んでいない、と言おうとして思いとどまる。それは本当だろうか。せっかく敵が目の前で止まってくれている。ためらわずに敵を討てばいい。そんな思考が流れてくる。そしてそれは正しい思考であることも間違いではない。

 戦場なのだ。自らの機体に異変が起きていようとも、その結果何が起きようとも確認は敵を倒してからでも遅くない。何もおかしくない。


 敵を、倒す。


 直騎はゆっくりと操縦桿を押し倒す。機体がそう動いているように。

 操縦席の様子を覗き見していた何かは満足げに頷いた。



 同じ頃、亜夏に乗っている泰輝は突然黒く染まっていく阿尾亥の姿を見て、半月ほど前の出来事を思い出し、動きを止めている。


「レディ? ……いや、違う!」


 半身の持ち主にそれを質すまでもなく否定する。七色を持つ彼女がわざわざ黒一色を用いるわけがない。それに気配が決定的に違っていた。底知れぬ暗い感情が見ているだけで伝わってくる。

 黒に染まった機体がそのまま灼戦斧を振り降ろそうとするのを見て、自分が動きを止めてしまっていたことに気づくがもう遅い。駄目で元々と太刀で受け止めようと手を動かそうとしたところで、不意に隣の複座にレディが現れた。


「レディ? どうやって……?」

「泰輝様の体と同調させて転移したんです。それより太刀をそのままに……ナナイロ、緊急展開しますっ!」


 レディは手早く手元の鍵盤を操作して前と同じように七色を機体にまとわせて変化させていく。それは瞬く間に完了して、虹のように光り輝く太刀が黒い戦斧を受け止めた。


「お前の言っていたのはこのことか」

「こんな形で当たってほしくはなかったですけど、今はそれどころじゃないです……そのまま押し返して!」

「分かった!」


 声に応えて操縦桿に力を込め、受け止めた刃を上へと持ち上げて、良い機会を見計らって黒を蹴り飛ばして後ろに飛び退く。


「そうだ、定紀様は?」

「ここへ来る前に陽向様へ逃がすように言伝ました。心配いりませんよ」


 首を後方に向けると背にしていた紅城の陣は撤収に入っていて、定紀らしき人物が陽向に支えられて亜夏の掌でこちらを見ていた。


「ひとまず懸念は消えたが、しかしあれはどういうことだ? あの機体の機能の一つか?」

「あれは恐らく『報黒』、ナナイロと同じく天海の術で……使用は禁じられています」

「何だと!」


 先程とは比較にならぬほどの速さで動いてくる報黒は立て続けに戦斧を振り回してくる。地面すれすれの大振りで後方の自陣への配慮などまるで感じられない。


「何故だ! あのように粗い立ち回りなどしてこなかったというのに」

「報黒は真胴の力を限界以上に高める代償として、操縦者を戦いに狂わせるという欠陥があります。力と引き換えに心を捧げる訳です」

「すると地井殿は……」

「多分、既にやられちゃってますね。もう家のことも何もかも視界に入らず、目の前の泰輝様を倒すことしか頭にないのでしょうか」


 レディの言葉を証明するようにナナイロの斬撃を大きく回避した報黒は勢い余って蒼司の陣を踏み潰している。


「馬鹿な……レディ!?」

「苦情なら後でいくらでも聞きます! 今はあの報黒を倒さなければ皆を救えません」


 レディの声は今までにないほど焦っていた。それだけ報黒の術は危険だということなのだろうか。また、定紀や陽向のことも心配なのには違いない。

 ならば、と泰輝は気合を入れ直した。分からないことだらけではあるが、守るべきもの、支えてくれるものを背負いながら脅かす敵を放置できるほど腑抜けた男ではない。

 ナナイロの太刀を握る手に充分な力が伝わっていく。脚が大地を踏みしめる。

 目の前の黒い真胴を倒さん、と。


「レディよ、無茶をさせてもらうぞ!」

「いつでもどうぞ!」


 ナナイロは光の太刀を八双に構えて突進し、横一文字になぎ切ろうとする報黒に対して踏み込み優位を取るとそのまま報黒の両腕を切断した。

 しかし、なおも少女は声を上げる。


「まだです! 報黒は操縦者が健在である限り力を再生させてきます」

「人と真胴を魔に落とすか!」

「光の太刀の出力を全開にします!」


 レディはあえてどうすれば良いのかを言わなかった。分かるだろうと言う諦めと、せっかくの決闘を汚された彼へのいたわりを同時に込めて。

 泰輝も何も言わない。事ここに至ったからには操縦席ごと破壊しなければ報黒は止められないと。一人の勇士の命を無駄に奪うことでしか事態は収まらないと。

 否、それだけでは終わらない。蒼司は当然紅城側の不正を訴えてさらなる攻撃を仕掛けるであろうし、他の周辺国も紅城に不信を抱いて干渉を強めて来ることも考えられる。言葉通り真胴同士の戦いが紅城を滅ぼすことになるのかも知れなかった。

 泰輝は間合いを調節すると、ナナイロの構えを正して腕を再生しようとする報黒の体を縦に両断した。胸部の操縦席ごと両断された報黒は色が解かれていき元の阿尾亥へと還っていく。


「終わり、か……」

「はい……この場は、ですけど」


 レディはお疲れ様でしたと言いつつもナナイロの展開を解除しない。どうしたのかと声をかけようとして、水面画に映るひとりの男の姿に釘付けになる。黒装束に身を包んだ隻眼の男。


「貴様は?」

「中々やるな宇野泰輝。そこの小娘の手助けもあるだろうが阿尾亥の報黒を破るとは」

「鵜珠来喜都……」


 鵜珠来はレディの言葉につまらなそうに顔を歪める。


「ふん、天海め。今更真胴を嫌うか」

「あなたのような人がいればそうもなります」

「よく言う。我らをこうしたのは天海であろうが!」

「どういうことだ?」


 眉をひそめる泰輝だったが、何かを言おうとして鵜珠来のそばに転がっている男の顔を見て目を見張った。


「地井殿!」

「今回は敗れたがね、彼のような真胴者も我々黒荘には必要だ。身柄は預からせてもらうとするよ」

「……良い人質ですね」


 横で光槍の発振準備をしていたレディがため息混じりにこぼす。阿尾亥が報黒に転じた状況を蒼司側で唯一知っているはずの直騎を殺してしまえばそれこそ血みどろの争いが二国間で起こるのは確実で、表向きはまだ蒼司家臣である鵜珠来ならそれを起こすのは容易であるだろう。


「本来ならここで退くのも面白くはないが、一度報黒を使ったからには再充填の必要もあるのでね。見逃して貰えるのならば蒼司には事故を紅城が抑えたと報告が行くよう細工してやる」

「泰輝様……」

「……呑むしかあるまい」


 真胴者としてではなく紅城に仕える将の一人として、苦虫を噛み潰したような表情で頷く。それを見たレディも黙って光槍の準備を中止して鍵盤から手を離すがナナイロの解除だけは行わない。それを見て取った喜都は哄笑する。


「それほど私を恐れるか天海の小娘よ」

「ええ、とっても恐ろしい。だから泰輝様から離れたくないの」

「良かろう。貴様の命、いずれはこの世から消滅させてやる」


 鵜珠来喜都は地井直騎の体とともに風に包まれて溶けるように消えていった。

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