九.贈り捨てられて
数日後、蒼司からの軍使が現れ約束通り三十日間の停戦に同意するとの意が伝えられた。主君である鳴徳を始め重臣数名も生死不明となったことでやむなく同意したというのが正直なところである。蒼司の使者は紅葉郭に半日も留まらず立ち去っていった。
「とりあえず鵜珠来は嘘をつかなかった形か」
「しかし、話を聞く限り鵜珠来とやらは形だけであっても鳴徳に仕えていたのであろう? 何故今になって手を下したのか……」
定紀の館に呼び出された泰輝たちは善後策を協議していたが、自然と話は鵜珠来のことに移っていく。
「レディ、あなたが現れたことと関係があるのかしら?」
「きっかけのひとつなのは間違いないです。彼は私を天海の者だと見抜いていました」
「だが、鳴徳様を手にかける理由には不足だな。いつ来るかも分からなかったレディの存在を前提とした計画を立てる訳が無いだろう」
泰輝は二人の考えを否定した。仮にレディが来ることを事前に掴んでいたとしても鳴徳を殺す理由がない。在野でも良かったところをわざわざ仕えていたのだから、何らかの利点をそこに見出していたのだと語る。
「泰輝の考えに私も同意だな。鳴徳に力を貸しつつ実際には何らかの目的を達成するために利用していたのであろうよ」
「その目的も分かりませんね。蒼司に仕えていたのが偽計であるならば、真の目的は何なのか……」
三人が考え込む中、レディは聞きたいことを思い出して定紀に尋ねた。
「定紀様、黒荘という言葉に御記憶は?」
「こくそう……?」
「鵜珠来が語っていました。私の聞いていた話に黒荘なる語は出てきません。伏せられていた話と思われますが……」
その話を聞いた定紀はしばらく記憶を探るように視線を泳がせていたが、やがて陽向に視線を向ける。
「陽向よ。先頃から各地に怪しげな忍びの集団が
「は……紅城には接触がありませんでしたが、あれは我等のような影に忍んでいる物とは違うと思いました」
「どう違う?」
「我らは体を鍛え、体を用いて命を果たしますが、彼らからはそうした印象を受けません。どちらかと言えば刀工のような技術者という方がしっくりきます」
今思うにあの鵜珠来も似たような印象を受けましたが、と陽向は口をつぐむ。
「まあ陽向様がそう思っても根拠があやふやでは無理ですよ。それを言ったら私だって事前に何故知らなかったのかになりますから」
「それは私も疑問だな。レディは我等紅城の者のこと、鵜珠来以外の蒼司のことに詳しく、情勢まで知っていたのに鵜珠来や黒荘の事をよく知らぬという。しかし、鵜珠来の用いたのは天海の禁呪とだと言うではないか」
本当に知らぬのか、と鋭い視線を向けられた七色の髪の娘を見るが、彼女は首を振った。
「状況が日毎に変わっていっているんです……不二の国は」
「日々が移ろい行くことなど当然ではないか」
「そうではないんです泰輝様」
本来は変わらないところが変わり、変わるべきことが変わっていない。天海で把握できることと不二の実際には差がありすぎるとレディは訴えた。
「例えば真胴の光弩がこんなにも普及しているとは来るまで知りませんでしたし、天海の禁呪を用いる外法の集団が出来ているなどとも伝わっていません。現実が違いすぎます」
「では、こんなことをしていないで天海へ帰還したらどうだ。我々が危機にさらされているのに神祖は何もせぬというのか?」
「……私が何とかしろと言われて終わりでしょうね」
レディは俯く。泰輝にも陽向にも、定紀にも彼女の置かれた状況がなんとなく理解できた。
「レディ、お前は天海の使者ではないのか」
「使者……というより贈物です。天海の人として恥ずかしくない姿形を与えられ、争いのない世をもたらすための道具」
「なんと! ……我らが不二の神祖とはかくも非情なものなのか。このような娘一人に世の命運を託すとは!」
「そうではありませんよ。私はそれだけの力を与えられています。活かせない私が良くないんです」
その弁明は虚ろに聞こえる。良く知りもせずに力だけを授けて放り出し、真胴のない世に導けと命じて後は知らぬ存ぜぬで通すつもりなのかと、不二に住まう三人は絶望的な気持ちにかられた。
「お前は……それでいいのか?」
「私は……嫌と言えません。この場で皆さんから罵られても、泰輝様から体を返せと言われても、役割を果たさなねばならない……それが私の、レディという名の意味です!」
「哀れね……あなたは」
部屋の外にいた陽向はゆっくりとレディに近づきその顔を平手打ちにする。
「えっ……!」
「少しは怒りなさい! そして悲しみなさい! 私はあなたを故無く叩いたのですよ」
「でも」
「理由を求めないで! 私にも理由はわからないし、分かろうとも思いません!」
何か言おうする少女を遮り陽向はなおも言い募った。
「もっと感情を表に出しなさい。あなたは良い子過ぎるのよ。誰にでも愛されようとして、媚びへつらいすがりついているだけ」
「陽向、その言い方は……」
「殿方はお黙りになられて。私は女として忠告をしているだけです」
そう言うと今度は叩いた頬をそっと撫でる。
「痛みすら感じませんか? それならそれでも良いでしょう。ですがその体、泰輝様のものでしょう? あなたが痛くなくとも泰輝様はどうでしょうね?」
「……」
「だから、もっと自分を大切になさい。殿方に己を預ける前に、世を変える大事業を始める前に、あなたには覚えなければならないことが数多くあるようですよ」
ふふ、と微笑みレディのそばを離れると「まぁ、恥ずかしいものですわね」と告げると部屋を出ていき、レディはこれまでにない呆けた表情でそれを見送った。
それを見た定紀は泰輝に頷いて見せると奥に下がっていき、任された男は静かに義娘のそばへ近寄り優しい顔をして頭を撫でる。
「泰輝様……?」
「良い良い、何も言うな。言わずとも伝わるというのも不便なものよ。掛ける言葉が見当たらぬわ」
「う、ああ……私、わたしは……!」
「もう誰もおらぬ。好きにせよ」
泣きたいのか怒りたいのか区別のつかない固まった表情で震えながら抱きついてくるレディを優しく受け止めた泰輝は、震えが収まるまでの間傍を離れようとしなかった。
場が落ち着いたあと改めて泰輝たちの前に現れた定紀が告げる。
「泰輝よ、そなたには七日後を持って暇をとらす」
「は?」
「陽向も同様だ。レディを連れて何処へとなり行くがよい」
「そんな!」
泰輝と陽向へそれぞれに呆然とした表情を、レディは小さく顔をうつむかせた。
「私の……せい……ですよね」
「そうだな。そなたがいらぬことを申したせいで我が紅城は不二を統一せねばならなくなった」
「えっ?」
「そうであろう? 真胴を無くすのが天海の意志、それを知るのは今は我が紅城のみ」
故に真胴を無くすには皆を紅城の下に集わせるのが一番の近道なのではないかと紅城当主はうそぶいて見せる。
「僭越ながら定紀様、満天下にそれを知らしめるのか先ではありませんか?」
「言ってどうする? 諸国にもそれぞれ都合もあろう。何よりも我が紅城に天海の力を宿した真胴があっては誰も従うまい。何故紅城だけが、と」
陽向の言葉を柔らかに否定しておいて定紀はずっと息を吐いて微笑む。
「だから、今の我が国にナナイロは過ぎた力なのだ。これより蒼司とことを構えなければならぬしな」
「なればますます離れるわけには……」
「たわけが! お前をこのような些事で失うわけにはいかぬと申しておるのが分からぬか、泰輝よ!」
主君に鋭く一喝された泰輝は言葉もなく頭を下げ、陽向はもちろんレディも身をこわばらせた。
「よいか、紅城がナナイロを用いて蒼司を、不二を制しても無用な憎しみを生むだけよ。それどころか真胴を超える新たな厄災を招くやも知れぬ」
「それは……」
「違うかレディよ。そして、不信を増大させ不二を悲劇で塗りつぶすことこそ黒荘を名乗る者共の狙いのひとつであろうと私は見るがな」
レディははっとして口元を抑え、泰輝と陽向も息を呑む。紅城の英明な君主は全てを理解していた。
「分かったであろう。無論レディの言う事の全てが天海の意志ではないであろうが、真胴に邪悪なる意思を宿らせて世を乱す輩がいる以上、真胴を排すという目標にも一理が無いわけでもない」
しかしそれらを我ら紅城だけでやるには力不足に違いあるまい、と定紀は自嘲する。
「だから、お前たちを紅城というくびきから解き放とうと言うのだ。蒼司との戦いなど小さなものよ。泰輝よ、私になり代わり世をナナイロの下に集わせるのだ」
それを成し遂げた折には我が紅城は率先して真胴を捨て去ることをここに約そう、という言葉にそれまで浮かぶことになかった笑顔の花をレディは咲かせる。
「ありがとうございます定紀様!」
「うむ、やはりそなたには笑顔がよく似合うなレディよ。泰輝と陽向と、三人仲良く力を合わせ再び紅城へと戻ってくるのだぞ」
「謹んで拝命申し上げます、殿」
「この宇野泰輝、必ずや使命を果たし紅城に戻ってまいりましょうぞ」
定紀は満足そうに頷くと奥へと下がっていき、三人は館を後にした。
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