六、戦を前に

 五日後、蒼司の使者が承諾の意思を伝えたことで紅城の側もにわかに騒がしくなっていく。

 詳細までは語られていなかったものの「近いうちに国の命運を左右する戦いが始まる」程度のことは噂されていたため、それが一騎打ちだと知れ渡ると期待と不安が相半ばした複雑な反応が示される。


「お殿様はどういうお気持ちなのかねぇ。一騎討ちに紅城の命運を託すなんて」

「いやいや、策もなく一騎討ちなど挑むはずもあるまい」

「何れにせよ、いくさが一時でも停まるのならば良いことじゃ」

「一週間後を楽しみに待つとするか」


 紅葉郭で触書を見ている民たちがざわめきを響かせる中、少し離れてそれを見ていた地味な着物姿の陽向は静かにその場を後に離れてそのまま定紀の館へ向かう。

 謁見の間では定紀が泰輝とレディを招いて一騎討ちに向けての打ち合わせを行っており、姿を見せるとレディが「お疲れ様です陽向様」と声をかけてきた。


「お声掛けは嬉しいけど定規様の御前であるから控えて頂戴」

「良い良い。レディと話しているのに堅苦しいことを持ち出すのは私が疲れる」


 穏やかな声で定紀は笑う。この五日間、暇さえあればレディを呼び出して話し相手としていたこともあり、すっかり丸くなりくだけた性格になってしまった。


「定紀様、レディの話を聞くのは良いですが羽目を外し過ぎぬようにお願い致します」

「お主の剛毅さも大したものだな」

「定紀様には定紀様の、泰輝様には泰輝様の良さがありますから、これで良いんですよ」


 レディは微笑みながら陽向を見てそう話す。少女が泰輝と親子の契りを結んだことは彼女にも伝えられていて嫌な気持ちはあったが、言えば素直に聞き入れてくれることもあって三日も話すうちに慣れてしまった。


「もう無作法は咎めませんが、殿を惑わせるのはほどほどになさいな」

「陽向は心配性だな」

「私が言うのもなんですけど心配そのものは真っ当だと思いますよ……陽向様も来たことですし、改めて話を詰めましょう」


 その言葉に他の三人は一斉にレディの方を見る。


「蒼司は話に乗ってくれましたが、向こうも単純ではないはずです。裏に一枚や二枚別な思惑があると見ていいでしょう」

「一騎討ちには当主の鳴徳が自ら立ち会うそうだ。大方私を笑いに来るのだろうが……」

「供が誰なのかが問題ですな。家老の磯貝洋祐か席次上位の能勢之畝が来ると思っていましたが……」


 泰輝は蒼司からの書状を見つつ考える顔をした。蒼司から出された列席者の中に鵜珠来喜都という聞き覚えのない名前が家臣の最上位として記されている。


「レディ、そなたには思い当たる節があるか?」

「知る知らないで言うなら知りません。だからこそ強い危険を覚えます」


 彼女は真面目な顔で答えた。天海を出る際に不二の国情については頭に叩き込んでいるが、鵜珠来などという姓は記憶にない。


「恐らくはその男が蒼司の裏で何かを企んでいると思います。出てくるのもナナイロの力をその目で確かめるためでしょう」

「真胴にかかわる何か、か」

「まー、私は私で風体の怪しい女ではありますから、怪しまれないようにですけど」


 そう言うと頭をかき、泰輝は「髪の色さえ何とかなれば平気だろう」と励ました。一騎討ちに随伴する時は髪を覆う黒い頭巾を被ってごまかすことになっている。


「私は少し残念だがな。鳴徳のやつにそなたの美しい七色の髪を見せつけてやろうかとばかり思っていたのだぞ」

「殿、流石にそれは大人気ありませぬ」

戦気いくさげの高いあの男には耐えられぬだろうに」


 陽向の諫言にも定紀はなおも諦めきれぬように小さく首を振る。


「言いたくはないですけど、最悪の事態も考えられるわけですからそれは次の機会を待ちましょうよ定紀様」

「その通りでございます……ところでレディ、お前の思う最悪はどんな感じだ」

「一番の最悪はもちろん泰輝様が一騎討ちで敗れることですけど、次に悪いことを言うのであれば鳴徳様に何かがあった場合でしょうね」

「ほう、私がではないのか」


 居住まいを正し真剣な顔になって問いかけてくる紅城当主にレディは頷いた。


「私も泰輝様も陽向様も定紀様を信じています。誰か一人でも無事なら故なき狼藉は防げます。ですが鳴徳様はそうではありません。私達がそうしたくても守りきれない可能性は残ります」


 強い調子で言う姿に三人も緊張感を高める。


「事故を装った謀殺を……鵜珠来が狙っている、と?」

「確証はありません陽向様。ですが、やるとするなら私達ではなく鳴徳様を狙うほうが楽なはずです」

「その場合何が目的になるのだレディ? 蒼司の支配か?」

「多分違います。真胴のことを左右できる人間がその程度で満足するとは思えませんね」


 二人の問に見解を伝えたあと、黙ってそれを聞いていた泰輝にレディは視線を向けた。


「泰輝様?」

「……お前は何でも答えるのだな」

「言うべきときに言えないで後で悲しむのはイヤですから」

「なら聞こう。お前は正しいのか?」

「正しくはありませんよ。信じていることを言っているだけです」


 二人はひととき鋭く視線と言葉をぶつけ合った後で笑顔に変わる。


「ははは、お前が男ならば一騎討ちの前に盃でも酌み交わしたいところだったな。定紀様、無礼をお許しください」

「つれないですね泰輝さま。私こんなのでも酒はいける口ですよ。まあ見た目が子どもの娘と一杯するつもりにはなりませんか」

「諦めなさいレディ。後で果実でも用意するわ」

「良かろう。今日は無礼講といくぞ。陽向、手配をしてまいれ」


 主君の豪気な命令に陽向も苦笑いしつつも小さく頷き、素早く伝令に向かった。少女の明るさが敗色を少しずつ塗り替えつつあるのに気付いたものはいない。




 蒼司の本拠、松飾城まつかざりじよう

 紅城との一騎討ちを三日後に控えて家臣たちが準備に追われる中、一騎討ちの真胴者に選ばれた地井直騎は自身の搭乗機である阿尾亥あおいの整備を行っていた。阿尾の改良型にあたり、地面を滑るように動く縮地歩しゅくちほを試験的に導入されている他、光弩や灼戦斧しゃくせんぷも新型を与えられている。


「精が出ますな地井様」

「鵜珠来様、出撃前に何用ですかな?」


 直騎は手を止めて声を掛けてきた男に向き直った。蒼司家中に鵜珠来を怪しむものが多い中で、お互い直参の家臣ではないのも手伝って比較的親しく接している。


「阿尾亥のことが心配でね。納期がずれたせいで紅城出兵に間に合わなかったのも気がかりだ」

「いやいや、良好ですよ。時間をかけた分だけ良い機体に仕上がったと見るべきでしょうな」

「これは頼もしい。紅城の真胴がどうあろうと敵は無しと言って良いですな」


 大きなことを言う喜都に直騎も頷いてから彼に聞きたかったことを思い出した。


「紅城の真胴が怪しげな変化をすると聞いたが真か?」

「さてな、この目で確かめぬことには何も言えぬ」

「なるほど、技監殿が随行するのはそのためか」

「ははは、所詮は噂話。私は阿尾亥がどう戦うのかを見たいだけだ」


 機体をなでつつそうやって励ますと、喜都はニヤリと笑いその場をあとにする。それを目で見送った直騎は顔を引き締めて整備に戻った。ああ言われた以上は無様な姿は見せられないとますます気合いが入る。

 一方の鵜珠来はそのまま城の外へと出ていった。


(阿尾亥が残っていたのは幸いだったな。量産型では相手にならんだろうし)


 そんなことを思う。数だけは多い阿尾は実のところ亜夏より性能は劣る。数的優位を活かせるように光弩の配備を急がせたのが功を奏しているが、仮に紅城が全機に光弩を与えられていたならもっと旗色は悪かったはずである。

 もっとも蒼司の運命など彼の知ったことではなかった。ようやく機会が巡ってきたのだ。


(我等黒荘の悲願を……!)


 鵜珠来の握られた拳は震えていた。

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