五.蒼司の不穏

 夜になり、突如として送られてきた紅城の軍使を迎えた蒼司の本陣はその申し入れに騒然となった。


「まことに開城すると申すのか」

「書状の通りでございます、偽りは一切ございません」


 紅城派遣部隊の指揮を執る蒼司中軍監ちゅうぐんかん猪井谷杭地いのいやくいちの確認に軍使を務める小栗真照おぐりまさてるは微塵の動揺も見せずに頷く。

 彼が預かっていた書状には紅城定紀の花押と共に五日後の正午、現在紅城が抑えている最後の要衝とも言うべき桧木峠にて真胴による一騎打ちを申し入れたいとの旨が記されていた。結果紅城が負ければ紅城本陣の即時降伏と当主定紀の身柄を引き渡し、蒼司が敗れた場合は現在の境界を維持した状態での三十日間の停戦を互いに受け入れることを勝負の条件として。


「このようなふざけた内容を我々が受け容れるとでも思ったのか」

「真胴一機を落とせばこれ以上の流血なく紅城を平らげられるのです。そちらに不利な話ではありますまい」

「ふん、我らが昼間の出来事を知らぬとでも思うのか?」

「紅城は怪力乱神を語りません。必要とあれば勝負前の機体の検分も承りましょう」


 知らぬ顔を通す小栗の態度に苛立つ猪井谷であったが一応申し出には筋が通っており、紅城当主が不利を受け入れる形で申し出たことに対し現地指揮官の一存で誤った判断をしては蒼司の体面を損なうことにもなりかねない。猪井谷は参謀たちとの協議の末に五日後に可否を返答すると小栗に伝えて帰し、急使を本国へと派遣した。



 紅城の南にある蒼司本国でも評定が開かれ、申し入れを拒否するべきという意見が大勢を占めたものの家中に影響力を持つ二人の人物が承諾を主張して議論は紛糾する。


「何も我が方に不利な提案をしてきているわけではない、真胴一機を倒せば紅城を無傷で手に入れられるのなら願ったりではないか」


 筆頭家老である磯貝洋祐いそがいひろすけが周囲を一喝する。かなりの損害を伴う紅城侵攻に消極的だった彼からすれば、勝敗にかかわらず早期の戦闘終結を促すことのできるこの提案は渡りに船であった。


「また勘定を持ち出しますか磯貝様。紅城の小細工など無視して攻めきれれば負担もごくわずかで済みましょうぞ」

「敵の思惑も利してこその戦であろう。度量の広さを示してこそ戦勝も映えるとは思わぬのか」


 重臣能勢のせ之畝これうねの強硬論にも理性的な反論を行う。勘定の問題もあるがそれ以上にこれから支配をしようかと乗り込んでいる土地に苛烈な姿勢を取れば民はなびかず、不利でもない提案をただ黙殺すれば主君の名声にひびが入るかもしれない危惧があった。


「殿、いかが思われますか。磯貝様の考えは弱気に過ぎると思いますが……」

「ふむ、無理を押しているのはどちらかな?」


 蒼司当主、鳴徳めいとくはのんびりとした表情でそう言うと「技監はどう思う?」と臣下の席次で三番目にいる男に話しかける。磯貝も能勢もそれを見て顔をしかめた。


「磯貝様の仰るとおりでしょうな。我が方の真胴が紅城の真胴に後れを取るようなら私は職を辞さねばなりません」

鵜珠来うずき技監、貴公が辞めて全て事が済むとでも思うのかね」

「私は負けるつもりで話はしてないのでね」


 技監と呼ばれた男、鵜珠来喜都よしとは能勢の言葉を返すように言う。つまらないことを言うなと退屈な表情を見せて。


「絶対優位の状況でもし負けたらという恐れが能勢様の頭にはあるようだが、それこそ弱気の極みではないのでしょうかな」

「なら貴公は絶対の勝目があると……」

「でなければそもそも紅城出兵などしておりませんよ」


 薄ら笑いを浮かべつつ能勢を黙らせると今度は磯貝に話を振った。


「紅城は単なる悪あがきで提案をしたのでしょうかな。前線に異変は?」

「……詳細の確認が出来ておらぬが、紅城の真胴のひとつが異様な動きを示したそうだ」

「ふむ、興味深い話ですな、殿?」

「私も聞いている。体が虹の如き色合いに変わり、掌から光槍を伸ばしたとか」


 磯貝の話に頷きあう二人に置いてけぼりとなった他の家臣を代表して能勢が鳴徳に進言を試みる。


「殿、それを活かさない手はありません。怪しげな術を用いていると訴え、諸国に疑念を向けさせて紅城に止めを刺しましょうぞ」

「紅城の真胴すべてが変化を隠しているとしてもかな、能勢様」


 邪魔をするなと言わんばかりに喜都は能勢をにらみつけ、続けて自らの意見を述べる。


「言うまでもなく我が蒼司の真胴にはそのような変化を行うものなどありません。我らが持ち得ないものを紅城が得ているとなれば由々しきことです」

「拙攻を急ぐよりも綿密な調査を第一にせよと申すのだな、鵜珠来よ」

「仰せの通りでございます。向こうは仕合前の検分も認めると申しているのですから、遠慮なく行わせてもらおうではありませんか」


 その上でなお変化し、我々の真胴を討ち破ったらその時は力づくもやむなしとは思いますが、と言葉を切った喜都はそこで磯貝の方を見る。意志に挑まれた形となった筆頭家老はしかし瞬時に決断した。


「どのみち休戦の期間は一月程度、相互の国力差は一朝一夕では揺らがず敗れたところでいくらでも巻き返せましょう。拙速に動くのは危険でありまする」

「話は決まったな。紅城の申し出を受けようではないか」


 鳴徳の言葉に能勢をはじめ強硬派の家臣が目を伏せるのを冷ややかに見やった喜都は磯貝に「どなたを我が方の代表に」と問いかける。


「蒼司一の真胴者と言えば地井ちい直騎まさきしかおらぬであろうよ」

「これは失敬、愚問でありましたな」

「お主は己の役目を果たせば良い。真胴をよく知ると申すから殿が御召になられたのだぞ」


 分かっておりますよ、と素っ気無く頭を下げた新参の技術監督はその場をあとにした。それを見た磯貝はため息をつく。


「どうにもあやつとはやりにくい」

「ははは、皆が扱いかねておるからな」


 おかしそうに笑う鳴徳に磯貝は「お戯れも程々になされませ」と苦言を呈した。基本的には良き主君なのであるが、若くして蒼司を継いだ事もあってなのか時折気まぐれを見せては下々を困惑させている。


「堅いことを申すな。あの男が居たからおそ我らの阿尾は亜夏を凌駕できたのだ」

黒荘こくそうどもが裏もなく手を貸すとも思えませぬ」

「かも知れぬな」


 半年前より接触のあった忍びと称する一団のことを信用するものは家中にはいない。推薦により登用された喜都のことは利用しつつ疑っている状態であるが、その影響力は次第に高まりつつある。


「紅城の一件も連中には分かっていたのではございませぬか?」

「我らは実験台か? 疑心暗鬼になり過ぎだぞ洋祐」


 機嫌を損ねた鳴徳は家老を叱責する。使えるべきものは使えるべきというのが考えであり、腹に一物ある輩も使いこなしてみてこその一国の領主であろうとの自負もあった。磯貝は唇をかすかに震わせながらも「少々出過ぎました。お許しください」と謝罪した。


「分かれば良い。ただし、勝負の折にはお前は留守を預かっておれ。私は鵜珠来を連れて紅城に行くとしよう」

「……承りましてございます」


 冷たく言って引き上げていく主君に答えながら磯貝は何もできない自分の不甲斐なさを悔やむ。心中には悪寒が湧き上がりつつあった。

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