三.陰に陽向に

 定紀の館の一角にある小さな小屋で三人は話し始める。


「陰の控室ですか」

「これでも相当なお情けですよ」

「そうでしょうねー」


 その言葉に少女は頷いた。泰輝の許嫁とは言え身分は庶民より少し高い程度である。


「言葉が軽々しい。そのような粗雑な振る舞いで泰輝様の横にいてほしくはありませぬ」

「言葉遣いのひとつふたつを見てそう考えるのは早計ではないですか?」

「知ったような口を」


 早速の喧嘩腰にも少女はまるで動じない。泰輝はどちらにも付かずに静観を決め込むつもりであったが儚い夢で終わる。


「泰輝様もこんな悪趣味な娘などとは速やかに手をお切りになられてはいかがでございしょう」

「いや、そこまでは……」

「先程も言葉に難儀していると申していたではありませんか。志あれども言葉の醜いものには誰もついてはきませぬ。ほれ、そなたも早く泰輝様の半身を解き放ちなさい」


 陽向は剣幕にたじろぐ許嫁に強く自説を主張すると槍玉に挙げた相手を追い払うような仕草をしながらにらみつけた。しかし、レディは不思議そうに首を傾げるばかり。


「妬いてます? 焼いてます?」

「言い逃れはよしなさい。天海から来たなどというのも出任せに決まってます!」

「そりゃまあ、あなたを天海ヘお連れするわけにもいかない……というか、不二は天海の一部ですからね」


 証拠は私、では納得できないでしょうしと伏し目がちに陽向の機嫌をうかがった。すると彼女はわざとらしく考える仕草を取りながら語りだす。


「納得はできませんが泰輝様の半身を借り受けたからには、あなたは身一つすら持てずに天海から逐われたとも考えられますね。そんな相手に証拠を出せというのも無理な話でしょう」

「追い出されてはいませんけど体は現地の人間を頼れ、とは言われましたね」


 それを聞いた陽向はふふふと笑った。


「さあ、そこです。何も泰輝様の体でなくとも私の体を使えばよいではありませんか」

「陽向!?」


 話が妙な方向に向かっていくのを察知した泰輝が声を上げるが彼女は「あなた様はご安心なされて」と制止する。


「なに、心配することもございません。人の半身だけではこの娘も窮屈でございましょう」

「いや、よせ陽向。そなたには耐えられぬかも知れぬぞ」

「あなたはどうなのレディとやら。男の半身など嫌ではないの?」


 その言葉にレディは困ったようにため息を吐く。


「色々と大幅な誤解や偏見を持たれているようですけど、あなたがそれをお望みであるなら試してみても良いですよ?」

「あら、思ったより素直なのね。そこは褒めてあげる」

「どうもです。心の片隅に覚えときます」


 礼儀正しくきれいに一礼をすると手を差し伸べた。


「私の手を取ってください。泰輝様にも分かりやすくお見せします」

「良いでしょう」

「……よせ二人とも。今はそんなことをしているときではない!」


 妙に素直なレディの態度に嫌なものを覚えた泰輝はたまらず強い口調で諌めるが、二人ともそれを拒絶する。


「ご心配なくと申しました。無用な手出しはなされぬよう」

「陽向様がしたいと言ったんです。私はそれに従うだけ」

「よくぞ申しました。さあ、あなたをよくお見せなさい」

「はい」


 自分のほうへ伸びてきた手をレディが軽く握った途端、陽向の体はポンと軽い音を立てて破裂した。肉片も残さぬほど粉微塵と化して。


「な……!」

「あなたには無理だったんです。私の存在を受け容れるのは」


 あまりのことに青ざめて絶句する泰輝を横目に見ながらレディはつぶやく。


「人の存在を成り立たせるのに必要な情報は二万二千二百八十七通り。普通の人間には大体それが試せる程度の器しか無い。そこに人よりも過大な私の情報を更に詰め込もうとしたら……こうなるわよね」

「レディ、お前は……!」

「泰輝様は私の家主様だからまだ私の感覚も伝わるでしょうけど、例えば定紀様がこの場にいたら私は即刻処刑ですよ。奇怪な術で陽向様を殺めたと」


 覚めた言葉を投げかけられ言葉に詰まった。確かに止めた瞬間ことの次第が泰輝にも伝わっていて、危険だと思ったのなら力づくでも止めるべきだったのに。

 手を出そうとしても出せなかった半身の主にそれを借り受けた少女はクスリと笑いかけた。


「そんなに心配しないでくださいね。大丈夫です、陽向様は完全に消えてはいません」

「何っ!」

「手を出せなかったのは怖気とかじゃなくて、私が善後策をちゃんと用意しているのが伝わっていたからだと思いますよ」


 明るく言うとレディはまた呪言を唱える。


「暗がりに証せり……その権能の許に望む……情報再生『陽向』……許可確認」


 言い終わると同時に握った形のままだったレディの手から瞬く間に陽向の姿が元通りに現れた。甦った陽向は手を離されると呆然とした表情でその場に崩れ落ちる。


「わ、私は……何を……?」

「どうですか? 天海からこちらへと舞い降りたような気分になれましたか?」


 陽向はニコニコと太陽のような笑顔を見せるレディの顔を見る。


「あなたは本当に人ではないのね」

「ええ、私はあくまで天海の精霊の一人。神にも魔にもなれないが故に人にすがり生きていく」

「なぜ泰輝様なの? 他に居ないわけでもなかったのでしょう?」

「私には今が全てです。可能性の中から選び取った道から次の道へと進み、目的の地を目指すことしか考えられません」

「そう……」


 陽向は仕方がなさそうに少女へ微笑みを返す。


「仕方ないわね、あなたに泰輝様はお任せするわ」

「いえいえ、私は役目を果たしたら半身をお返しして天海に帰りますから」

「それだけでは済まなくなるわ、きっと」

「そうならないためにあなたが必要なんですよ、陽向様」


 別の意味を感じさせる言葉を聞いて、陽向は「わかったわよお嬢さん」と完全に白旗を掲げた。


「それで何をすればいいのかしら?」

「今まで通りですよ、陰として陽向様として泰輝様を支えてください。他の誰にもできない役割です」

「無欲なのね……そんなだから神にも魔にもなれないのよ」


 レディに対し初めて茶化したような言葉を投げると一瞬で着物から黒装束に着替えて見せる。


「私は定紀様に報告に参ります。泰輝様は悪戯娘にお説教を」


 そう言うと陽向は返事を待たずにその場を立ち去り、泰輝は二人きりとなったレディの頭を小突いた。


「怒ってますよね? ……そうですよね」

「本当に怒っていたらこれで済ますはずもあるもい」

「無理しなくてよいですよ。私は言葉足らずでしたし」


 さっきまでの笑顔が消えて強張った表情を浮かべるレディに紅城一の真胴者と謳われた男は無骨に笑いかける。


「なら罰だ。今からお前は俺と陽向の娘となれ」

「はい?」

「俺の半身を預かり、一時であれ陽向を身に宿したのだ……それほど不可解な話でもあるまい」


 その言葉にレディは一瞬だけきょとんとした表情になり、すぐに笑顔を花開かせた。


「謹んで罰を承ります、義父上」

「案ずるな、あくまで形の上だけだ」


 これからのために必要な通過儀式を終えた二人は改めて定紀の下へと向かった。

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